第112話

 大評議会の間にて、黒騎士と二人の枢機卿の戦いは一秒を追うごとに苛烈さを増していった。生物の領域を外れた膂力を以てして刃が幾度となくかち合い、耳をつんざく金属音が絶えず鳴る。赤い光と二つの青い光が周囲を破壊しながら衝突するこの様は、その場にただの一般人が居合わせれば、何かの心霊現象と錯覚することだろう。


 だが、それも唐突に終わった。


 床に勢いよく転がって壁にぶつかったのはシオンだ。壁画が描かれた壁に全身を強く打ち付け、小さく悶える。同時に、“天使化”も解けてしまった。

 そこから少し離れたところで、ランスロットとトリスタンが忽然と姿を現す。ラスロットは、興ざめしたように首を鳴らながら、徐にシオンへと歩みを進めた。


「動きが少し悪いな。“悪魔の烙印”で“天使化”の強化状態が抑制されているとはいえ、こんな体たらくだったか? まあ、それならそれでこちらとしても都合がいい。早く方が付くことに越したことはない」


 長剣を握り直し、シオンに止めを刺すべく振り被る。

 その瞬間、シオンが手にしていた銃剣をランスロットに投げ付け、即座に立ち上がった。銃剣は難なくランスロットに弾かれるが、シオンはその隙に大評議会の間の正面出入口へと疾駆する。この開けた場所でランスロットとトリスタンを同時に相手取るのはさすがに無謀だったと、今更ながらに判断した。このまま回廊へと移動し、一対一に持ち込むために態勢を立て直そうとするが――


「今更、私たちを分断するつもりか?」


 トリスタンが目にも止まらぬ速さで槍の一突きを繰り出し、シオンは左わき腹を貫かれ、壁に磔にされてしまった。

 苦悶の声を漏らすシオンを見て、ランスロットが嘲笑する。


「勢いに任せて粗末な戦い方をするのは相変わらずか。まあ、お前如きであれば一対一で相手取っても何ら問題はないがな」


 シオンは、自身を貫く槍を引き抜こうと両腕に力を込めるが、トリスタンがそれをさせまいとさらなる膂力で槍を押さえつける。“天使化”が解けてしまったシオンはなす術もなく、もがきながら悪態をつくことしかできないでいた。やがて、その意識も薄れていく。槍の刺さった左わき腹は致命傷にこそなっていないものの、刺されたままの状態においてもそれなりの出血があった。

 そうして霞んだ視界には、止めを刺さんと歩み寄るランスロットの姿が映る。

 折角生き長らえることができた命、こんなところでくたばるのか――脳裏にそんな言葉が浮かぶが、シオンはそれを掻き消すように歯を食いしばり、絞り出すような咆哮を上げた。

 そして、力任せに槍を引き抜いたあと、残る力で再度“天使化”し、驚愕に目を剥くトリスタンを蹴り飛ばした。


「女々しい顔つきに反して、根性だけは昔から一流だな」


 ランスロットが呆れたように笑い、肩を竦める。その隣に、シオンに蹴られて床を転がっていたトリスタンが付いた。トリスタンは立ち上がると、槍を軽く振ってシオンの血を払った。


「……あれで弱体化しているというのだから中々の脅威だ。今ここで確実に仕留めておかなければ、後になって我々の障害になりかねない」


 トリスタンが、手負いの獣のようになったシオンを見て、表情を険しくした。ランスロットもそれに頷き、


「そうだな。それに、そろそろ“天使化”を維持するのも疲れてきた。いい加減に終わらせよう」


 長剣を構え、これまで以上の殺気を放った。


 一方のシオンはというと、“天使化”したことによって傷を治すことはできたが、戦いで消耗した体力までは戻っていなかった。呼吸は荒く、立っていることも辛いと思うほどに疲弊していた。


 果たしてこの場をどう乗り切るか――と、思案を巡らした時、ふと正面出入口の扉から何者かが入ってきた。パンパン、と短い拍手を鳴らしながら、どこか気の抜けた雰囲気を醸し出す。


「はいはい、そこまでにしてもらえますか?」


 姿を見せたのは、ネヴィルだった。彼の服装はスラム街にいた時に着ていたみすぼらしいものではなく、カソックと軍服を掛け合わせたような騎士の白い戦闘装束となっている。

 ネヴィルは、騎士として二人の枢機卿の前に立ったのだ。


「議席Ⅹ番、ネヴィル・ターナーか。やはりこの街に潜伏していたな」

「何だか棘のある言い方ですね。後ろめたいことがあって隠れていたみたいじゃないですか。ちゃんと騎士団の任務でこの街にいたんですよ」


 ランスロットの言葉に、ネヴィルが顔を顰めながら答えた。丸眼鏡を上げ直しながら、“天使化”した二人を相手に臆することなく正面に立つ。


「知っている。お前たち騎士団もイザベラ・アルボーニの失脚を目論んでいたのだろう? であれば、後のことは我々に任せておけばいい。十字軍も、イザベラ・アルボーニを異端審問にかけるために動いている」


 トリスタンが言うと、ネヴィルは飄々とした様子で肩を竦めた。ああ、と間抜けな声を上げるが、


「そっちはもう好きにしてください。僕ら騎士団ももう諦めました。でも、黒騎士の件については勝手なことしないでもらえますか? まだ騎士団の管轄なので」


 飲み込めない条件も付け加えた。

 途端、ランスロットの表情が微かな嫌悪に歪む。


「黒騎士の逃亡を幇助した挙句、死を偽装して教皇猊下を欺いておきながら何をぬけぬけと。どの口がほざく」

「それはイグナーツ殿が勝手にやったことなので。一応僕も今は議席持ちですが、全然知らされてませんでしたよ」


 我関せずと恍けた素振りを見せるネヴィルに、ランスロットが食って掛かろうとする。それをすかさずトリスタンが腕を伸ばして止めた。


「教皇猊下より、黒騎士を発見した場合には優先的に討伐しろと仰せつかっている。騎士団の意向はもはや関係ない」

「いやいや。かつては騎士だったとはいえ、お二人とも、今は枢機卿という立場にいらっしゃるのでしょう? そんな人たちが殺生を行っていいんですかね? 教皇の後ろ盾と、十字軍という大義名分を持ち合わせていたとしても、総長と聖女から認められていないのであれば時期尚早ではありませんか?」


 制止するトリスタンの腕を退かし、ランスロットが前に出る。


「時期尚早なものか。お前たち騎士団の怠慢から生まれた諸々の厄介事を、我々が刈り取っているのだ。感謝こそされ、邪魔をされる謂れはない」

「そうですか? こっちからしてみれば、厄介事増やしているだけなんですが」


 ネヴィルの煽りに再度ランスロットが怒りに震えるが、彼が凶行に先走る前に、


「これ以上余計な口を挟むのであれば、我々十字軍は騎士団に対しても武力行使することを厭わない」


 トリスタンがそう結論を出した。

 それを聞いて、ネヴィルは天井を仰ぎながら長い溜め息を吐く。


「やっぱりそうなりますか。交渉事は割と得意分野だったんですが、今回はあまりにも前提条件が悪すぎましたね」


 その言葉を観念したと汲み取ったのか、ランスロットは怒りを少し収めた様子で鼻を鳴らす。


「理解できたのならさっさとこの場から消え失せてもらおうか。そして、総長とイグナーツに伝えろ。もはや騎士団の存在意義は――」

「シオン殿!」


 ネヴィルが突然声を張り上げたのは、そんな時だった。

 すると、シオンの足元から、突如としてネヴィルに預けていた彼の刀が飛び出てくる。シオンがそれに驚いている間に――今度は、ランスロットとトリスタンの四方を囲むように、巨大な壁が床と天井から現れる。


「ネヴィル、貴様――」


 まるで巨人の顎のようにかち合ったそれは、一秒と経たず、二人の枢機卿を閉じ込めた。

 そして――


「僕からしてみれば、海水に囲まれたこの街って爆弾だらけみたいなものなんですよね。水素に酸素にナトリウム――少々派手にやっちゃいましょう」


 ネヴィルが床に両手を付くと、地下から何かがせり上がるような地鳴りが起こった。それから間もなく、魔術の実行反応である青い光が、二人の枢機卿を閉じ込めた壁の中から湧き上がる。

 刹那、壁の内側から、宮殿全体を震わせるほどの轟音と衝撃が起こった。ネヴィルが、魔術で爆発を引き起こしたのだ。


 それから微かな静寂のあと、爆発によって崩れた壁から、ランスロットとトリスタンが姿を現した。両者とも体中に痛々しい爛れた傷を残していたが、“天使化”の効果によってすぐさま視認できる速度で治癒していく。


 激しい煙の中で咳き込むこともせず、ランスロットとトリスタンは、その顔から一切の感情を消し去っていた。


「“天元の編纂者”――そういえばネヴィルは、教会魔術師としてそんな肩書も持っていたな」

「扱える魔術の数だけでいえばイグナーツ以上の男だ。厄介な」

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