第111話
大評議会の間に姿を現したシオンを見て、ランスロットの双眸が愉快そうに細められる。
「何故お前がこんなところにいるのかは知る由もないが、見つけてしまった以上は対処せねば。裏切り者がこんな豪勢なパーティに参加しているなど、いいご身分じゃないか」
そう言って歩みを進め、エレオノーラの前から離れようとした時――ランスロットに向かって、食事用のナイフがシオンの手から投擲された。拳銃から放たれた弾丸並の速度を持ったナイフは、人体に当たれば周囲に肉片を飛び散らせるほどの威力があるはずだが、ランスロットはそれを難なく片手で掴み上げる。
刹那、目にも止まらぬ速さで肉薄したシオンの拳が、ランスロットの顔面に突き出された。鈍い衝撃音が、大評議会の間を重々しく震わせる。
「その様子だと、精神面は何も成長していないらしい」
シオンの拳を片手で受け止めていたランスロットが、その人形のような顔に冷ややかな嘲笑を浮かべていた。
一瞬の出来事に、会場にいたパーティの参加者がわけもわからずに驚愕し、慄く。
シオンとランスロットが力比べの膠着状態になり、新たな緊張の糸が張り巡らされそうになるが――瞬間、エレオノーラがライフルを構え、十字軍の兵士たちに向かって火球を放った。
火球は兵士たちの中心部で着弾し、激しい爆炎を巻き起こす。轟音と熱波に兵士たちが吹き飛ばされ、会場内から悲鳴が上がった。取り乱したパーティの参加者たちが、我先にと出入口へ殺到していく。
この混乱に乗じて、エレオノーラがイザベラへと近づき、腕を引いた。
「こっちへ!」
そのまま大評議会の間の裏手口へ連れていこうとする。
イザベラは強引に腕を引かれ、その場でたたら踏みそうになった。
「お待ちなさい、エレオノーラ!」
突然、イザベラが制止の声を上げ、一度エレオノーラの腕を払った。そして何を思ったのか、すぐ近くにいたソーヤーの手を取り、引き連れる。
「こ、この子も連れていきます。こんな小さな子供を、こんな危ない場所に放っておけません」
言葉を発する間もなく驚くソーヤーを余所に、イザベラはそんなことを言い出した。
エレオノーラは一瞬面食らった顔になるが、すぐに表情を引き締め、
「ご勝手に」
吐き捨てるように了承した。
そして三人は裏手口へ入っていき、会場から姿を消した。
その様子を遠目で見ていたトリスタンが、爆炎から逃れた兵士の一人に目配せをする。
「兵たちは逃走したイザベラ・アルボーニの追跡を。黒騎士の相手は私とランスロットでする」
「“紅焔の魔女”と子供が一人、総督と共に逃げたようですが、いかがいたしますか?」
兵士が二つの白いスーツケースを手渡しながら言った。トリスタンはそれを受け取ると、そのうちの一つを開け、中にあった一本の長槍を手に取る。
「我々の目的はイザベラ・アルボーニの捕縛だ。邪魔立てするなら捨て置くな。必要とあれば排除しろ」
「了解」
兵士が敬礼をして立ち去ると、トリスタンはシオンとランスロットの方へ歩みを進めた。
それに気付いたシオン――ランスロットに蹴りを見舞い、掴まれていた拳を無理やり解いた。それからすぐに距離を取り、ランスロットとトリスタンの両者を視界に捉え、正面に据える。
「丸腰で私たち二人を相手取るつもりか? 随分と舐められたものだな」
ランスロットが、トリスタンからもう一つのスーツケースを受け取りながら言った。それから雑にスーツケースを開き、中に収められていた一本の長剣を手に取る。
その僅かな隙にシオンが動いた。向かった先は、エレオノーラの爆炎に巻き込まれて沈黙する兵士だ。シオンは、兵士の装備から銃剣を奪うと、再度二人の枢機卿と対峙する。直後、“帰天”を使い、“天使化”した。赤黒い光を纏い、稲妻を迸らせ、頭上に欠けた茨の光輪を宿した姿になる。
そんな弟弟子の変貌を、兄弟子は珍妙な動物を目の当たりにしたかのような眼差しで見遣った。
「なるほど。“悪魔の烙印”を刻まれた状態で“帰天”を使うと、“天使化”はそうなるのか。よく似合っているじゃないか」
ランスロットは、ははっ、と短い笑い声を上げ、小馬鹿にした表情を浮かばせた。
仕事そっちのけで戦いを楽しみ始めている相棒を隣にして、トリスタンが短く嘆息する。
「ランスロット、時間は限られている。早々に終わらせるぞ」
「わかっている。さて、悪魔狩りといこうか」
そして、二人の枢機卿もまた“帰天”を発動させ、“天使化”した。二つの青い光が、赤い光に強襲する。
※
大評議会の間を出て、エレオノーラたち三人は宮殿の中心部へと向かっていた。宮殿の中心を経由して反対方向へ抜け、海側を目指す。
長い回廊にて、先頭を走るエレオノーラの後ろを、ソーヤーとイザベラが息を切らしながら追いかけていた。殊更、イザベラはドレスの重さとヒールの走り辛さに顔を顰めた。
「ところで、さっきの若い殿方はいったい何者だったのでしょう。騎士のような凄まじい身体能力をしていましたが……」
イザベラが誰に問うでもなく、疑問を口にした。
「あれは無視して構いません。それより――」
エレオノーラが後ろを振り返ることなく答え、それから、
「お母様、今すぐにこの街から逃げましょう。海に停泊している船に乗って、ほとぼりが冷めるまでどこか遠くの地でやり過ごします」
今後の逃走経路について説明した。
だが、それを聞いたイザベラの足が不意に止まる。
「先ほどの件ですか? 私が異端審問にかけられるという」
イザベラのヒールの音が聞こえなくなり、エレオノーラが立ち止まって今度こそ振り返る。
「お母様?」
「心配無用です。猊下にお話しすれば、きっとわかってくださいます。貴女も、あの方のお人柄はよくご存じでしょう?」
怪訝に眉を顰めたエレオノーラに、イザベラは毅然とした態度を見せてきた。
この女は、いったいあの男にどんな人物像を抱いているのか――エレオノーラは、イザベラの能天気ともいえる発言に嫌悪した。
「……本気で、そう仰っていますか?」
「ええ、勿論」
その感情を露骨に孕んだ声色でエレオノーラが問いかけるも、イザベラの返答は変わらなかった。イザベラのその無垢な瞳は、お互いに頭の中で浮かべている男が本当に同一人物かどうか、疑わしいと思わせるほどに澄んでいた。
エレオノーラは、口元の筋肉を引きつらせ、小さく舌を打った。
「……いかれていることは重々承知していたけど、さすがにもう付き合いきれないわ」
「エレオノーラ?」
突然、獣の唸り声のような低音で吐き捨てたエレオノーラ――それを見たイザベラが、困惑に身を竦める。
そして、
「な、何を……?」
エレオノーラが、ライフルの照準をイザベラに合わせた。
「もういい。本当はもっと利用したかったけど、異端審問にかけられるってんなら、その前に今ここでアンタを殺す」
「え、エレオノーラ、いったい何を言い出すの?」
娘と信じている女の凶行に、イザベラは狼狽を隠し切れなかった。上ずった声を上げながら、よろよろと後ずさりする。
「アンタの娘のフリをするのは終わりってこと。何年も毎日毎日、本当うんざりしたわ」
「お、お待ちになって。エレオノーラ、どうしてしまったの? 貴女の言っていることがまるで理解できないわ」
明確な殺意を宿したエレオノーラの金色の瞳に、顔面蒼白になって怯えるイザベラが映し出される。
「……おかしくなったアンタには、何を言っても一生理解できないよ」
エレオノーラが、ぼそりとそう呟いた。ライフルの引き金に置かれた指に、力が込められる。
しかし――
「待ってくれ!」
それまで傍で静観していたソーヤーが、二人の間に割って入った。イザベラを背に両腕を大きく広げ、彼女を庇うようにしてエレオノーラの前に立つ。
「アンタは誰? 危ないから下がって」
エレオノーラの淡々とした口調にソーヤーは一瞬気圧されるが、すぐに負けじと眉を吊り上げ、大きく口を開けた。
「俺は――俺は、この人の実の娘だ!」
ソーヤーの突然の告白に、エレオノーラとイザベラが揃って目を剥く。
「アンタが何でこの人を殺そうとしているのかは知らないけど、それだけはやめてくれ! こんな人でも、俺の母親なんだ!」
「ぼ、坊や、貴方も何を言っているの?」
イザベラは完全に頭の整理が追いついていない様子で、弱々しくソーヤーに手を伸ばした。
だが、“二人の娘”のやり取りは、彼女を無視してさらに続けられる。
「あっそ。でもアタシには関係ない。さっさと退きな。さもないと、アンタごと焼き殺すよ」
「お願いだ! どうか、どうか命だけは見逃してやってくれよ!」
扱う魔術とは裏腹に、エレオノーラの声は殺意に凍てついていた。にもかかわらず、ソーヤーは有りっ丈の胆力で身を奮い立たせ、一歩もイザベラの前から動こうとしなかった。
「頼むよ!」
懇願する叫び声は、恐怖に裏返り、震えていた。
それから数秒、絵画のように静止した三人――そして、エレオノーラが引き金を引いた。
「――!?」
ライフルから放たれた火球はソーヤーとイザベラの脇を抜け、そこから遥か後方で爆発を起こした。爆音に混じって聞こえたのは、野太い男たちの声と、続々と何かに叩きつけられる重厚な金属音――おそらくは、十字軍の兵士たちだろう。
「十字軍の兵士たちが来た。この話はいったんお預け。アンタらは先に宮殿から出て」
エレオノーラが、依然、怯えたままのソーヤーとイザベラの横を通り抜ける。それから、追手の十字軍を迎え撃つべく、ライフルに可燃物の弾丸を詰め直した。
「え、エレオノーラ……」
「早く!」
その背にイザベラが弱々しく声をかけようとしたが、エレオノーラから一喝を受ける。
イザベラは慄き、酷くショックを受けた顔でがっくりと両膝を付いた。一連の事態をまるで飲み込めず、驚愕の表情のまま放心状態になってしまった。
そんな彼女の手を、ソーヤーがやんわりと引く。
「行こう」
そして、ソーヤーとイザベラは歩みを再開した。
回廊に一人残ったエレオノーラ――立ち去っていく母娘を背にして、
「――ごめんね、お母さん。アタシ、お母さんの仇、討てないかも……」
懺悔するかのように、独り言を漏らした。
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