第110話
物々しい来客に騒然とするパーティ会場――参加者たちが仮面の下で不安と恐怖に眉根を寄せる中、イザベラは、総督らしい毅然とした面持ちで“十字軍”の前に立った。小動物のように狼狽えるソーヤーを自身の後ろに引かせあとで、堂々と一歩前に出る。
「どちら様でしょう?」
武装集団の先頭にいる二人組の男のうち、赤髪の方が慇懃無礼に腰を折った。
「我々“十字軍”は、アーノエル六世教皇猊下の命によりここへ参りました」
そう答えた赤髪の男の表情は冷ややかで、人形の顔を張り付けたかのように無機質だった。瞳は死人のような濁りようで――例えるなら、凄惨な戦場を彷徨った亡者のような有様である。
イザベラは、赤髪の男の異様な雰囲気に一瞬怯むが、すぐに目尻を吊り上げて威勢を取り戻した。
「“十字軍”? それに、猊下の命とは――」
「私は此度の十字軍を指揮するランスロット・マリス、隣にいるのは同じく指揮官として任命されたトリスタン・ブレーズ枢機卿です。どうかお見知りおきください」
赤髪の男は自身をランスロットと名乗り、隣の黒髪の男がトリスタンであると紹介した。
だが、イザベラはもとい、この場にいた誰もが怪訝と困惑にざわついたのは、彼らの名前を聞いたからではなく、
「枢機卿が指揮官? お待ちなさい。教会が騎士団以外の軍事組織を保有し、あまつさえその指揮を枢機卿が執っていると? そんな話聞いたことが――」
「急遽、教皇猊下がお決めになられました。今日の朝刊、まだお読みになっていないので?」
教会の枢機卿が、この武装集団の指揮官であることを自称したからだった。
騎士団以外の軍事組織が教会に存在すること、その軍事組織の指揮官を枢機卿が担っていることに、この場に居合わせた全員が驚愕と共に狼狽えた。
だがしかし、教皇がそれを認めているというのであれば、これ以上の詮索は背信行為とも捉えられかねない。教皇の名を出されてしまっては、この件について不必要に異議申し立てをするのは得策ではなかった。
イザベラが、ランスロットたちを睨みつける。
「……今日は何用でこちらにいらっしゃいました?」
「イザベラ・アルボーニ総督閣下、貴女には、寄付を騙った教会への私的な資金提供――所謂、贈賄を行っている嫌疑がかけられている。教会への寄付という神聖な行いが、実はそのような悪意に塗れたものだったとあれば、善良な信徒たちに示しがつきません。異端審問にてその真偽のほどを確かめる必要があります。どうか我らとご同行を」
淡々と話したランスロットだが、イザベラは呆れたように小さく鼻を鳴らした。
「何を言い出すかと思えば。確かにわたくしは教会へ寄付をしております。ですが、何故それが贈賄であると? わたくしが教会から何かの利益を得ていると仰ります?」
「ここ数年のラグナ・ロイウの税収額は、アウソニア連邦の他の都市と比べて明らかに常軌を逸脱しています。市民の生活を逼迫させるまで搾り取った金がどこに流れているのかを調べたところ、そのほとんどが教会への寄付金となっていました」
「それが何か? この街の税金の使い方を決めるのは総督であるわたくしです。まして、教会への寄付という神聖な行いを否定される謂われはありません」
「閣下。貴女、毎月のように教皇猊下へ恋文を送り付けていますね。先月、猊下へ送付した恋文の中に、こんなものが同封されていました」
そう言って、ランスロットは隣にいたトリスタンに目配せした。トリスタンは懐から一枚の紙を取り出し、それをイザベラの眼前に突きつける。
それは、過去数年間に及ぶ、ラグナ・ロイウから教会へ収められた莫大な寄付金の額を記した明細表だった。
「これまでに寄付した金額の明細? こんなものわたくしは――」
「おまけに、恋文の本文中に寄付金に触れた記載も見つかりました。猊下は大層お困りになっていましたよ。恋文を送りつけるだけならいざ知らず、寄付金で気を引こうとするなど目に余る、と」
ランスロットの会話に合わせるように、トリスタンは続けてその恋文の紙を広げる。
イザベラはそれを取り上げ、必死の形相で読み上げた。
「お待ちなさい。身に覚えがありません。確かにこの恋文はわたくしから猊下へ宛てたものです。ですが、このような明細と文章を送った記憶は一切ありません。何かの間違いです」
「猊下は貴女に失望されていました。信心深いと思っていた総督閣下が、まさか私利私欲のために寄付をしていたとは――自分を想ってくれた人間による裏切り、心が痛みますね」
口元に厭らしい笑みを携え、しかし目元は冷ややかなままで、やれやれとランスロットが徐に首を振る。
そのふざけた態度もさることながら、愛慕する教皇の心情をあたかも代弁したかのような口ぶりに、イザベラは激昂に表情を歪めた。
「ふざけるな! そこまで言うのであれば、教皇猊下と直接話をさせなさい!」
その一言を待っていたかのように、ランスロットは再度微笑の吐息を小さく漏らす。
「よろしい。では、我々と共に――」
「待て!」
その時だった。ランスロットの言葉を遮るように、パーティ会場に若い女の声が響いた。
会場の裏口からやってきたのは、息を切らしたエレオノーラだった。彼女は呼吸を整えつつ、激しい剣幕でイザベラたちの方へと歩みを進める。
それを見たランスロットとトリスタンが、露骨に表情を無にして、冷めた反応を示した。
「“紅焔の魔女”、エレオノーラ・コーゼルか。キミの雇い主は我々十字軍が預かることになった。教会への寄付に使われた資金が、どうやらまともなものではなさそうでね」
「この街から収められた寄付金がどんなものか、そんなことは教皇の手下のアンタらが一番よく知っていることでしょ!? それを今更になって――」
「今までそれが放置されていたのは騎士団の怠慢によるものだ。だから彼らに代わって、我々十字軍が動き出した。そういう話だ」
いけしゃあしゃあとそれらしい能弁を垂れるランスロットに、エレオノーラが怒りに歯を剥いた。
「何が十字軍だ! これ以上勝手なことをすれば、それこそ騎士団が――」
「“紅焔の魔女”、何をそんなに息巻いている? キミほどの教会魔術師であれば、次の雇用先もすぐに見つかるだろうに」
「そんな話をしているんじゃない! 教皇だか何だか知らないけど、こんな勝手なことをして大陸の諸外国が認めるわけ――」
「それとも、総督閣下が異端審問にかけられることに、“何か不都合なこと”でもあるのかな?」
無表情ではあったものの、その言葉を発したランスロットの声色はどこか挑発的だった。あからさまにエレオノーラの反応を試すような口ぶりだったが――彼女はそれに、まんまと引っかかってしまった。それまでの剣幕が、何かに畏縮するように静まってしまう。
そんな彼女の双眸に映ったのは、微かな怯えであった。
ランスロットとトリスタンは、エレオノーラのその反応を見逃さなかった。二人の枢機卿は、人形のような顔の眉間に深い皺を寄せ、怪訝な目つきになる。
静寂と共に、不穏に空気が張り詰めるが――
「エレオノーラ、心配無用です。猊下なら、きっと直接お話すればわかってくれます」
イザベラがそれを解いた。
しかし、すぐさまエレオノーラが慌ててイザベラに駆け寄る。
「待って! これは絶対“そんな話”じゃない! 行ったらあいつに――教皇に殺される!」
「何故、そう思う?」
エレオノーラの言葉を刺すように、ランスロットが問いかけた。
またしてもエレオノーラは、死神に命を握られたかのように顔を青ざめさせる。
「“紅焔の魔女”、お前は何を知っている?」
ランスロットが、エレオノーラに向かって一歩踏み出した。
「そういえば騎士団は――いや、副総長のイグナーツは、やたらとお前の出自を隠したがっていたな。そのことに、猊下も僅かながら懸念を抱いていた。ただでさえ隠し事の多いイグナーツが、露骨にお前の話を避けようとする理由が何なのかを」
詰め寄ってくるランスロットに対し、エレオノーラは獣に睨まれたかのように後ずさりする。やがて壁際にまで追い詰められ、逃げ場をなくした。
「“紅焔の魔女”、エレオノーラ・コーゼル。お前は何者だ?」
ランスロットが威圧的にエレオノーラを見下ろす。彼のその双眸には、主に対する忠誠から生み出された、狂気にも似た執念が映し出されていた。教皇を苛ませる要素は何一つして許さない――そんな言葉が、圧に込められている。
「お前は、教皇猊下の何を知っている?」
エレオノーラは目大きく見開き、息を呑んだ。
そして――
「エレオノーラ、話しを聞いてくれ! どうしてもお前の協力が――」
そんな呼びかけと共に会場の裏口から勢いよく入ってきたのは、シオンだった。
シオンは、会場に入るなり、すぐさまその異様な雰囲気に目を見張る。武装集団が会場を占拠していることに加え、
「……シオン?」「黒騎士?」
かつて見知った二つの顔が、そこにあったからだ。
それは枢機卿二人も同じだったようで――シオンの姿を見るなり、ランスロットと、それまで一言も声を発していなかったトリスタンまでもが驚く。
シオンは、エレオノーラの眼前に立つランスロットを見た瞬間、かつてないほどに顔を嫌悪に歪めた。その表情の凄まじさは、三ヶ月前に共に旅をしたエレオノーラですら竦むほどである。
「ランスロット……ガイウスの金魚の糞が、何しにここへ来た?」
「ちょうどいい。ついでにここでお前の首を獲れば、猊下も喜ばれる」
唸る狂犬のような形相をする弟弟子を見て、兄弟子は不敵に笑った。
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