第109話
シオンが着替えのためにメイドに連れられて、ソーヤーはパーティ会場で一人になった。
ぽつんと取り残されたその姿は一見すると迷子のようでもあるが、実際は違う。仮面の下のその目には確固たる決意を宿し、表情は緊張に強張っていた。
おおよそ十二歳の子供がしそうにない険しい顔つきで、ソーヤーは周りの参加者が社交に花を咲かせている隙間をかいくぐるように、パーティ会場の上座の方へ進んだ。
目指す先は、イザベラである。
イザベラは数人の参加者に取り囲まれるようにして立食を楽しんでいた。この会場で唯一仮面を付けていない彼女の顔には、上流階級の市民との座談で上機嫌な笑みが浮かんでいた。
どのタイミングで話しかけようか、ソーヤーがイザベラを囲う人混みの周辺でもじもじとしていた時――不意に、イザベラの方からソーヤーへ目を合わせてきた。イザベラは、あら、と声を上げたあと、他の参加者たちとの会話を手早く切り上げ、野兎を見つけたかのような所作で近づいてくる。
まさかの対応に、ソーヤーは思わずたじろいだ。
「あ、あの……」
「可愛らしい坊やですね。ご家族の方は?」
イザベラは柔らかい微笑を携え、首を傾げてきた。
実に数年ぶりとなる実母との会話――ソーヤーは、その事実をいまひとつ実感できないでいた。同時に覚えた強烈な虚無感に、頭の中を真っ白にされそうになる。どうにかしてそれに耐え、母へと向き直った。
「兄が、さっき、服を着替えに……」
仮面の下で消えてしまいそうなほどに覇気のない声が出てしまった。
だが、イザベラにはそんな弱々しい回答もちゃんと聞こえたようで、
「ああ、先ほどの。ごめんなさいね、うちのメイドが粗相をしてしまって」
口元を手で押さえながら、苦笑い気味にソーヤーへ謝罪をした。
「いえ……」
「お詫びと言うわけではないけれど、今晩のパーティは思う存分楽しんでくださいませ」
元気のないソーヤーに気を遣っているのか、イザベラの声色はどことなく励ますようなものだった。
しかし、それでも一向に沈んだ雰囲気のまま立ち尽くすソーヤーに、イザベラはついに怪訝な顔になる。
「どうしたのかしら? 何かわたくしに用でも?」
ようやく手に入れた機会。イザベラと真正面に向き合える今この場を逃せば、もう二度と自分が娘であることを伝えることができないかもしれない。まして、シオンとネヴィルの作戦がうまくいけば、イザベラは総督の座から失脚し、罪に問われる可能性もある。そうなれば、こうして面と向かって話すことは絶望的だろう。
せめてもう一度だけ、母と娘として接したい――ソーヤーは長い息を吐いたあとで、重々しい口を開いた。
「イザベラ様には、娘がいるって……」
すると、イザベラは数回目を瞬かせた。彼女にとってそれは意外な質問だったのだろう。だがすぐに、表情を明るいものにした。
「ええ、可愛い一人娘がいます。エレオノーラっていいますの。もしかして、お友達になりたかった? でも、貴方とお友達になるには、エレオノーラは少しお姉さんすぎるかもしれないですね」
当然、わかっていたことだが、ソーヤーが期待する回答ではなかった。イザベラが言った“エレオノーラ”は、彼女が雇う教会魔術師の女のことだ。同じ本名を持つソーヤーのことではない。
イザベラは自分のことなどまったく認識していない――始めから理解していたが、いざその現実を突きつけられ、ソーヤーの心は悔しさと無力感に押しつぶされそうになる。それから少し遅れてやってきたのは、強烈な寂しさ。自分だけが一方的に相手を母親と認識できていることに、怒りすら覚えた。
「――なあ! 本当に俺のこと忘れちゃったのかよ!」
そして、それを抑えることもできず、思わず声を張り上げた。
悲痛な子供の声に、パーティ会場が静まり返る。
「と、突然どうされましたの?」
イザベラが困惑に顔を歪めた。
ソーヤーは、そんな彼女をさらに追い詰めるようにして仮面を外した。露わになった少女の素顔――その両頬には、左右それぞれに一筋の涙が流れている。
「俺の顔を見て、何も思い出さないのか!?」
ソーヤーの気迫に、イザベラは完全に気圧されていた。
「貴方、いったい何を仰っているの?」
「アンタ、確かに昔からちょっとおかしかったけど――でも、こんな人を苦しめるような政治をするような人じゃなかったよ!」
騒ぎを検知した憲兵たちが、パーティ会場の端から続々と集まってくる。
しかし、ソーヤーはそんなことなど全く意に介さず、後ずさりするイザベラに詰め寄っていった。
「正気に戻ってくれよ! 頼むよ! お母――」
最後の一言を言いかけたところで、ソーヤーは憲兵に首根っこを掴まれた。ソーヤーは息を詰まらせながら、必死になって四肢をばたつかせる。
「イザベラ様、直ちにこの子供を追い出します」
「や、やめろ! 放せ! 放せ!」
そうやってソーヤーが暴れていると、不意に彼女のジャケットから一枚の写真が落ちた。
それは、ソーヤーがいつも肌身離さず持ち歩いているもので――生まれて間もないソーヤーを抱えて微笑む、イザベラの写真だ。
イザベラは写真を拾い上げると、暫くそれを眺めていた。すぐ近くでソーヤーと憲兵が激しく言い争っていることなどまったく気に留めず、何かを手繰り寄せるような面持ちでじっと固まっていた。
だが――
「イザベラ様!」
パーティ会場の正面扉が勢いよく開かれ、イザベラはハッとして意識を呼び戻した。写真はとりあえず懐にしまい、名を呼ばれた方へ向き直る。
「今度は何事ですか?」
正面扉から入ってきたのは、血相を変えた憲兵だった。
憲兵は敬礼すらも忘れ、酷く狼狽した様子でイザベラの正面に立つ。
「と、突然申し訳ございません! ですが、急ぎご報告したいことが――」
憲兵がそこまで言いかけて、パーティ会場が途端にざわめいた。
正面扉から、また別の誰かが入ってきたのだ。
それも、一人二人ではない。数はゆうに三十人は超えている。そのほとんどが白で統一された装束を身に纏い、小銃で武装していた。一見すると騎士団の関係者にも見えるが、それよりも攻撃的で威圧的な印象がある。それこそまさしく、中世時代の騎士を思わせるような白い甲冑のような出で立ちであることに、パーティ会場の人々は揃って不安に声を潜めた。
そして、武装集団の先頭にいる二人の男だけ、その装いから外れていた。
白のカソック姿に大仰な外套を羽織り、派手な刺繍の入ったストールを首に掛けている。赤髪直毛の男と、ウェーブのかかった黒髪の男――双方、どちらも三十歳前半から半ばほどに見える。
「初めまして、イザベラ・アルボーニ総督閣下。お楽しみのところ、不躾にお邪魔します」
赤髪の男が冷ややかにそう切り出した。
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