第108話
仮面を付けていたためエレオノーラの表情はまったくわからなかったが、シオンの名を口にした声は間違いなく動揺に震えていた。
その一瞬の隙に、シオンは手にする二つの封筒を懐にしまおうとするが、
「動くな!」
エレオノーラがすぐに平静を取り戻し、ライフルの照準をシオンに再度合わせた。
三ヶ月前の旅で幾度となく助けられた彼女の魔術――あのライフルから放たれる炎は味方であった時こそ頼もしかったが、こうして敵対すると、その厄介さに思考を鈍らされる。
今ここで火球を放たれようものなら、目的としているイザベラの恋文がすべて焼失しかねない。
それだけは避けねばならないと、シオンは顔を顰めながらエレオノーラの指示に従い、静止した。
「なんでこんなところにアンタがいんの……!」
シオンの動きが止まったところで、エレオノーラは仮面を乱暴に取った。忌々しそうに吐き捨てられた声の通り、その顔もまた苛立ちに酷く歪んでいた。
「お前に会いにきた」
にべもなくシオンが即答すると、エレオノーラは少しだけ怯んだ反応を見せる。険しい表情がほんの一瞬だけ緩んだように見えたが、すぐにまた目つきを鋭くした。
「なんで?」
「お前が仕込んだ背中の印章を解呪してほしい。ついでに、可能であれば“悪魔の烙印”も」
「“致命傷を負ったら強制的に仮死状態になる”やつ? 致命傷受けたら誰だって動けないんだから、いっそ人間らしくなってその方がいいんじゃない? そのままにしときなよ」
「俺の場合はそうもいかない。致命傷を受けても“帰天”を使って“天使化”すれば無理やり回復できる。この印章のデメリットはかなりでかい」
雑に拒否したエレオノーラだったが、シオンの返答を受け、彼女もまた、そんなことわかっている、と言いたそうに弱々しく歯噛みした。
「……アンタ、聖王祭の時に聖都で暴れたんだってね。ステラを取り戻すために」
続けて、話題を逸らすようにそう言ってきた。
「またステラを使って教皇に復讐するつもり? やめときなよ。騎士団も教皇を罷免しようとしているの、アンタも知ってんでしょ? 余計なことすれば、今度こそ殺されるよ」
「復讐にステラを利用するのはやめた。あいつとまた旅をするのは、あいつが目指すものを叶えるためだ」
「……お姫様は幸せ者だね」
不意に視線を落としたエレオノーラの琥珀色の瞳は、やけに悲しげだった。羨望と嫉妬、そんな感情が微かに映し出されている。
だが、それも刹那の出来事で、エレオノーラはまた表情を厳しいものに改めた。
「とにかく、アタシはもうアンタと関わるつもりはない。今手にしているものを置いて、さっさとこの街から出ていって。じゃないと、騎士団なり何なり呼びつけるよ」
次は警告せずに引き金を引く――そんな意思を孕んだ声色だった。
しかし、シオンはエレオノーラを正面に据えたまま、その場から動かなかった。
「お前はなんでこんなところにいるんだ?」
「アンタには関係ない」
シオンの問いかけに、エレオノーラが冷たい反応を返す。
「騎士団と結託して何をしようとしている? イザベラの娘を演じている理由は?」
「だからアンタには関係ないって言ってんだろ! しつこいと本当に撃つよ!」
癇癪を起したようにエレオノーラが怒号を上げた。相当苛立っているようだが、それはシオンとて同じだった。売り言葉に買い言葉で、シオンは急速に頭に血を昇らせる。
「アルバートたちと一緒になって俺を半殺しにしておきながら、関係ないはないだろ!」
だがすぐに、彼女のお陰で命拾いしたことも思い出し、自身を戒めるように落ち着きを取り戻す。
「こうして今ここにいられるのもお前のお陰だが……」
しおらしくなったその声は、感謝と謝罪を同時に伝えるかのようだった。
エレオノーラは眉間に深い皺を寄せたまま、唇を弱々しく動かす。
「こんな面倒なことになるのなら、助けなければよかった……!」
その後悔が本心かどうかはさておき、エレオノーラは沈痛な面持ちできつく目を閉じ、強く下唇を噛んだ。
二人の間に、妙な静寂が訪れる。これから何を話せばいいのか、どうすれば相手はこちらの言うことを聞いてくれるのか、そんなことを互いに考え込むような時間だった。
「……お前、ガイウスの実子らしいな」
先に沈黙を破ったのはシオンだった。
ガイウスの実子だとシオンに知られたことに、エレオノーラの双眸が失意と悲哀で見開かれる。
だが、エレオノーラはそんな動揺を掻き消すように、ライフルを強く握り直した。
「だ、だったらなに? 教皇の血を根絶やしにしたいからアタシも殺す?」
挑戦的な口調で言った彼女の声は上ずっていた。
シオンはそれをいたたまれない心境で聞いたあと、頭の中で慎重に言葉を選んだ。
「……イグナーツがお前を使って俺を生かしたのは、“教皇の不都合な真実”を俺が知っているかららしい。だがそれが何なのか、言われたところで何も心当たりがなかった」
「何の話?」
シオンの切り返しに、エレオノーラが低い声で訊き返した。
「この街に来てからもそれを明らかにしようと、何度か昔のことを思い出した。ガイウスと世間話をしていた時、一緒に任務に赴いた時、従騎士から騎士になった時――」
「だから何の話!?」
エレオノーラの顔は青ざめていた。両目は大きく見開かれたまま、肩を上下させて荒い息遣いをしている。このままでは過呼吸になりかねないと思わせるほどに、彼女の精神状態は取り乱す一歩手前の状態に見えた。
シオンは、次の言葉をどう紡ごうか、部屋の時計の秒針が数回音を鳴らす間に、激しく悩んだ。
もし次に言うことが事実だったら、エレオノーラは――
だがシオンは、意を決した。
「……ガイウスは――」
「エレオノーラ様!」
そんな時、部屋の扉が勢いよく開かれ、シオンとエレオノーラが揃って驚く。
部屋に入ってきたのは四人の憲兵だった。憲兵たちは息を切らし、滝のような汗を流している。
「緊急事態です! この宮殿に、“十字軍”を名乗る武装集団が訪ねてきました!」
「“十字軍”?」
焦る憲兵に対し、エレオノーラは聞きなれない言葉に今一つ危機感を覚えることができずにいた。
だがそれも、
「教会が新たに設けた騎士団に替わる軍事組織とのことですが――指揮を取っている二名の枢機卿猊下が、イザベラ様の引き渡しを求めているのです!」
「何で!? ていうか、枢機卿が指揮を取ってるって……!」
憲兵が続けて発した言葉を聞いて、すぐに態度を改めた。
エレオノーラは驚きと疑問に冷静さを失いかけていた。
「わかりません! どうか、急いで大評議会の間へお戻りください!」
エレオノーラは憲兵の進言を聞いて駆け出した。
会話を挟む間もない突然の出来事に、シオンが咄嗟に手を伸ばす。
「エレオノーラ!」
すると、エレオノーラは一瞬だけ足を止め、振り返った。
だが、
「そいつ、宮殿から追い出しといて」
憲兵たちに短い指示を出し、すぐに走り去ってしまう。
その後に続こうとシオンが床を蹴るが、その行く手を憲兵たちに阻まれた。
「おい、エレオ――クソ! 何だ、“十字軍”って!」
もはや自分でも何に苛立っているのかわからないほどにシオンも混乱していた。
とにかく、今はっきりとわかっていることは、目の前の憲兵たちをどうにかしないことには先に進めないということだ。
シオンは気を引き締めるように一度深い息を吐き、憲兵たちへ敵意を持って向き直る。
直後、憲兵たちが一斉にシオンへ強襲してきた。しかし、いかに訓練された憲兵とはいえ、ただの人間がシオンに敵うはずもない。二秒とかからず、憲兵たちはシオンの手によって床に打ち倒された。
シオンは、敢えて意識を残した一人に近づき、胸倉を掴んで激しく揺する。
「おい、さっき枢機卿が二人ここに来ているって言っていたな。誰だ?」
揺さぶられた憲兵は失神寸前だったが、白目を剥きながら口をぎこちなく動かす。
「ら、ランスロット・マリス枢機卿と……と、トリスタン・ブレーズ枢機卿と名乗って――」
その名を聞いたシオンが、驚愕に目を剥いた。ランスロットとトリスタン――どちらも、ガイウスと同時期に騎士団を抜けて枢機卿へ転向した、元円卓の騎士だったからだ。
しかもランスロットに至っては、シオンと同じくガイウスに師事していた兄弟子である。
本来であれば、兄弟弟子の関係にある騎士たちは良好な関係を築くことが多いのだが、シオンとランスロットについてはその例から大きく外れていた。価値観、性格、騎士としての矜持の持ち方、その他諸々、互いに相容れない考えを持っていたがために、二人が騎士団に籍を置いていた時は、顔を合わせれば斬り合いに発展しかねないほどの険悪な関係だった。
シオンはランスロットの名を聞き、不本意ながらも嫌悪する兄弟子の顔を思い出してしまい、露骨に顔を顰める。その時に自ずと憲兵を掴む手に力が入ってしまい、そのまま憲兵の意識を落としてしまった。
シオンは、気を失った憲兵を放り投げると、急いで部屋から飛び出た。向かうは、パーティ会場の大評議会の間である。
「いったい何が起きている! ネヴィルはどこまでわかっていてこの話を持ち掛けてきたんだ!」
そんな独り言が思わず出てしまうほどに、シオンの苛立ちは募っていた。
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