第92話

「着替えながら思ったんですけど、私を女王にすることが目的なら、騎士団と協力した方がいいんじゃないですか? これもイグナーツさんから聞いたんですけど、騎士団は教皇を罷免するため、私を女王にしてその権力を使いたいみたいです。ていうか、騎士団と教皇が対立しているなら、一緒になった方がシオンさんの復讐もやりやすいんじゃ……いや、復讐なんてしてほしくないですけど」


 ステラが車両内の化粧室から出て、開口一番にそう言った。長旅に向いた動きやすい軽装姿になっている。彼女は聖王祭用に用意されたドレスを適当な場所に置いてから、ソファにちょこんと座った。


 ステラの言葉を聞いたシオンが露骨にしかめっ面になり、続けてユリウス、プリシラも難しい顔になる。


「え、なんですか、その反応? 私、おかしいこと言いました?」


 騎士たちの意外な反応に、ステラは若干驚きながら眉根を寄せた。

 すると、シオンが肩を竦めて嘆息した。


「騎士団の目的は俺たちも知っている。お前が言ったように、教皇の罷免が目的だ。お前を女王にすることは、そのための手段のひとつでしかない。教皇と教皇庁の絶対的な権威を失墜させるのに、お前を使い捨ての矛にするだけだ」

「それは、理解しているつもりですけど……あれ? シオンさんたちも、騎士団の目的を知っているんですか?」


 ステラが問いかけると、シオンの傍らに立つプリシラが頷いた。シオンと合流してからのプリシラは、主従関係を匂わせるような立ち位置で、彼の傍にぴたりとついて離れなかった。


「グラスランドでの一件を終えた直後に、私たちも副総長から真相を聞かされましたから」

「なら、なおのこと騎士団と協力した方がいいんじゃないですか?」


 純粋無垢かつ合理的な提案のはずだが、それに賛同する者は車両内に誰一人としてなかった。

 ステラが疑問に思っていると、全開にした窓際で煙草を吸っているユリウスが鼻を鳴らしてきた。


「自分の身が少しでも可愛いと思うなら、騎士団――つーか、副総長の言葉を馬鹿正直に信じない方がいいぜ」


 その真意を問いかける前に、今度はシオンが口を開く。


「さっきも言ったように、騎士団がお前を女王にしたがっているのは、教皇を罷免するためだ。それ以上のことは何も考えていないだろう。最悪、失敗した時は、すべての責任をお前に擦り付けかねない」


 妙に生々しい話に、ステラはゾッとして体を畏縮させる。


「せ、責任を擦り付けかねないというのは?」

「教皇を罷免しようとすれば、間違いなく教会内部が荒れる。教皇派のような連中が過激な行動を取ることも考えられる。それに、ガリア公国のように教皇を支持する国も少なくない。もしお前が直接教皇を非難し、罷免に追い込むようなことをすれば、そいつらは一斉に女王であるステラ――もとい、ログレス王国を敵視し、攻撃するだろう。むしろイグナーツなら、そうするように仕組むだろうな」


 今一つ納得ができずに首を傾げると、


「所謂、スケープゴートって奴だ。教皇大好き連中がログレス王国にヘイトを向けている間に、教会、ひいては大陸内での騎士団の勢力を一気に拡大する――あの人ならそれくらいのことはやりかねねぇ」


 ユリウスが煙草を吹かしながら補足してくれた。

 これが政治というものか――と、ステラは緊張した面持ちで生唾を飲み込んだ。


「そういうわけだ。表面的な目的が同じだとして、騎士団も信用できる相手じゃない。お前が望む形で女王になるには、自分の目で信用できる相手を選ぶしかないと思った方がいい。また騎士団と敵対することになるだろうが、それも致し方ない」


 シオンの忠告を、ステラは胸に深く刻んだ。イグナーツから話を持ち掛けられた時は、それで自分が女王になって王国の主権を取り戻せるのなら、騎士団に協力した方がいいのだろうと考えていた。尤もらしいことを淡々と告げる彼の話術に、危うく嵌まるところだったと、自身を戒める。

 そうやって気を引き締めたところで、ステラは思い出したようにハッとした。


「そういえば、今更なんですけど――」


 そこでいったん区切り、シオンの傍らに付くプリシラと、延々と煙草を吸い続けるユリウスに目を馳せる。


「どうして、ユリウスさんとプリシラさんが、シオンさんと一緒に行動しているんですか? お二人とも、三ヶ月前はシオンさんの命を狙っていたのに……」


 ステラが訊くと、プリシラは懺悔をするかのようにして、少しだけ俯きがちになった。


「……“リディア”様を死に追いやり、シオン様が黒騎士になってしまった直接の原因は私にあるのです」


 突然の告白に、ステラが吃驚して思わず怯む。

 プリシラはさらに続けた。


「私の浅ましい感情から生まれた愚行のせいで、敬愛するお二人を破滅へと導いてしまいました。シオン様は私のせいではないと仰ってくださいましたが、そのご慈悲に甘んじてしまうことは、それこそ罪深き愚かな行いです。ゆえに、私は騎士団から離反したとしても、残りの一生をすべてシオン様に捧げると誓いました。それが贖罪であり、唯一の救済の道です。この先何があろうと、私はかつての師弟関係の時のようにシオン様に仕え、この身を捧げる所存です」


 そう言って胸に手を当て、横一線に揃えられた前髪の奥で静かに目を伏せる。どことなく、満足げというか、誇らしげに見えるのは気のせいではないだろう。プリシラにとって、シオンに仕えることはこのうえない幸福なのかもしれない。


(お、重い……)


 しかし、その佇まいと表情からは狂気染みた愛の片鱗が見え隠れし、ステラは心中で思わずそう呟いた。同時に覚えた悪寒に近しい身の危険と不快感を振り払うようにして、今度は、ユリウスの方を見た。


「ゆ、ユリウスさんは……」


 ユリウスは、あん?、とガラ悪く反応して、咥えていた煙草を指で挟んだ。


「こいつと取引した」


 ユリウスがシオンに向かって顎をしゃくるが、ステラはすぐに首を傾げる。


「取引?」

「ことが全部片付いたら、死ぬまで殴っていいってよ。その間に、勝手に死なれるのも癪だからな。渋々、協力してやることにした」


 なんて取引だ――ステラは刺激臭を嗅いだかのように顔を顰めながら、シオンを見遣る。シオンは特に異論がないようでいつものように涼しげだ。むしろ本人より、その隣にいるプリシラの方が取引内容に異を唱えたそうにしており、彼女は顔面にいくつも青筋を浮かべ、今にもキレ散らかしそうなほどの激しい歯軋りをしている。


 三人の関係性が、この短い間で何となくわかった気がすると、ステラは少し引いた面持ちで一人納得した。


 そこへ不意に、


「――と、船との合流まであと二十分もねえぞ。てめぇら、そろそろ準備しておけ」


 ユリウスが時計を見て、煙草を慌ただしく消した。それを号令にしたかのように、シオンとプリシラ、それにブラウンと偽物王女たちも動き出し始める。


「あの、これからどうするんですか?」


 ステラが訊くと、シオンが装備を整えながら視線だけを向けてきた。


「これから俺たちは三手に別れる。まず一つは、ブラウン中尉と偽物たちがこのまま汽車に乗り続けて、騎士団とガリア公国を撒くための囮になる」


 ステラがブラウンたちの方を見ると、彼は爽やかな笑顔で敬礼をして見せてくれた。一方の偽物二人はというと、観念したかのように軽く天井を仰ぎながら涙目になって笑っていた。ガリア軍から逃げ回る生活が再スタートすることに酷く絶望していることが如実に見て取れた。

 それには構わず、次にシオンは、


「もう一つは、ステラ、ユリウス、プリシラの三人で行動してもらう。三人はこの先で合流する航路を使って“グリンシュタット共和国”に行ってくれ」


 思いがけないチーミングを言ってきた。メンバーもそうだが、行き先についても、ステラは怪訝に眉を顰める。

 “グリンシュタット共和国”と言えば、大陸四大国の一つであり、ガリア公国とは違ってログレス王国と比較的良好な関係を築けている国である。先代女王である祖母もよく外遊に赴いていたなと、ステラは思い出す。


「“グリンシュタット共和国”って……何でまたそこへ?」

「そこにお前に会いたがっている要人がいる。うまくいけば、ログレス王国の王都奪還と戴冠式開催に向けた強力な支援者になってくれるかもしれない。詳しい話は、後でユリウスかプリシラに訊いてくれ」


 誰だろう――と、ステラは頭の中を巡らせたが、そもそもとしてこれまで碌に国の政治に関わったことがないため、思い浮かぶはずもないとすぐに諦めた。

 そんな時、ふとユリウスが近づいてきて、


「女王になる前に外交デビューだぜ。気張れよ、王女様」


 揶揄っているか激励しているのか、よくわからない言葉をかけてきた。ステラは力なく笑って、頭の後ろを掻く。


 不意に、ガタン、と大きな音が車両内で鳴った。見ると、シオンが、車両内の片隅にあった自動二輪車を両手で持ち上げ、外扉の前に配置しているところだった。


「最後に俺だが――俺は、エレオノーラに会いに行く」


 徐にそう言ったシオンだったが、途端、ステラは目つきを鋭くする。


「はあ!? 何考えてんですか!?」


 直後に、込み上げてきた怒りに任せて声を張り上げた。

 エレオノーラ――まさかその名が、シオンの口から出てくるとは――ステラは、自身を脅迫し、シオンを死の間際まで追い詰めた裏切り者を赦してはいなかった。


「なんであんなデカパイ裏切り女魔術師に――そうか、お礼参りですね! 頑張ってください! ボコボコにしちゃってください!」


 むきー、と猿のように鼻息を荒げるステラだったが、対するシオンは神妙な面持ちで振り返った。


「俺がこうして生きているのも、エレオノーラのお陰だ」


 まったく予想していなかった言葉を聞いて、ステラはすぐに怒りを鎮めて押し黙る。


「グラスランドでアルバートたちと戦った前日の夕方、俺とお前、エレオノーラの三人で話していた時のこと、覚えているか?」


 シオンに訊かれて、ステラは静かに頷いた。


「シオンさんが私に年号問題出してくれていた時ですよね? エレオノーラさんに悪戯されて、シオンさんがらしくない痛がり方をしたのでよく覚えていますけど……」

「あの時、エレオノーラが“悪魔の烙印”の一部を解呪してくれたんだ。同時に、“騎士の聖痕”を利用した肉体再生の印章を上書きしたお陰で、俺はあの戦いの後に息を吹き返すことができた」


 唐突に告げられた真相を聞いて、ステラは言葉を失った。

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