第93話

 時は三ヶ月前に遡る。


 全長四五〇メートル、最大幅一二〇メートル、高さ六〇メートル――騎士団最強と謳われる空中戦艦“セラフィム”の医務室にシオンの遺体は運ばれた。手術台の上に仰向けに寝かせられたシオンの身体は青く変色しており、雨に当てられて酷く冷たかった。


 手術台の傍らには、イグナーツ、ユリウス、プリシラが立っている。

 ユリウスはどこか失望した目つきでシオンの遺体を見下ろし、露骨に苛立ちを振りまいていた。眉間に深い皺を残し、握りしめた両拳を震わせている。プリシラは魂を抜き取られたかのように呆然とし、双眸から生気を喪失させている。口を半開きのまま、あらぬ方向に視線を向けていた。


 そんな有様の二人を見て、イグナーツはとぼけるような所作で肩を竦める。


「何だか辛気臭いですね。黒騎士討伐の任務達成で、てっきり喜んでいるものと思っていたんですが」


 イグナーツが、シオンと旧知である二人の心中を察していないはずもなく、まるで挑発するようなことを言った。ユリウスは静かに睨み返し、プリシラは呆然としたまま何も反応を示さない。

 厭らしくにやにやとしていたイグナーツだが、今度は場を取り繕うに小さな愛想笑いになった。


「今のは、冗談にしてはさすがに悪質でしたかね。お詫びに、ちょっとしたサプライズをお届けしますよ」


 直後、イグナーツの手に、彼の武器である一本の杖がどこからともなく現れ、唐突に収められる。

 そして、何を思ったのか――イグナーツは杖をシオンの遺体に突き刺した。


「おい、アンタ、何を――」


 ユリウスが驚いて間もなく、シオンの身体に異常が起き始める。

 赤黒い光と稲妻がけたたましい音を立てながら、シオンの全身を這い始めた。“帰天”を使った時と同じような反応だ。光と稲妻はシオンの身体を焼き潰すように侵しつつ、その後すぐに肉や表皮を綺麗な状態へと再生させていく。

 それが三十秒ほど続いたあと、突然、シオンの身体が勢いよく跳ね上がった。


「――!」


 同時に、彼の赤い双眸が大きく見開かれた。シオンは激しく咳き込み、肺に空気を取り入れようと、何度も息を大きく吸い込み始めた。


 突如として息を吹き返したシオンを目の当たりにし、ユリウスが腰を抜かす。一方で、プリシラは瞳に光を取り戻し、驚愕の表情でシオンの身体に縋りついた。


「シオン様!」


 シオンは息を吸い込みながら何度も咳き込んだが、やがて落ち着き、医務室の天井に視線を向けたまま、覚束ない様子で口を動かし始めた。


「……何が……起き、た……?」


 シオンがかすれた声を絞り出すと、イグナーツは彼の身体から杖を引き抜いた。

 その後で、イグナーツは杖を白昼夢のように消し、どこからともなく煙草を取り出して火を点ける。


「うまくいったようですね。さすがはエレオノーラ、私の教え子です」


 満足げに言って、近くの丸椅子に腰を掛ける。


「……誰、か、いるの、か?」


 息を吹き返して間もないシオンは目が見えないようで、虚空を見つめたまま、必死になって状況を確認しようとしていた。

 プリシラが、彼の手を両手で握りしめる。


「シオン様! ここにプリシラがいます! シオン様!」


 しかし、聴覚も――それどころか、肌の触覚もないのか、シオンは何も把握できていないようで、ただただ苦しみと不安の入り混じった表情で、再び咳き込み始める。

 そこへ、


「ついさっきまで仮死状態だったんですから、無理させない方がいいですよ。視覚、聴覚諸々元に戻るには、少し時間がかかるかもしれないですね」


 イグナーツが助言するように、煙草を吹かして言った。

 それまで腰を抜かしていたユリウスが不意に立ち上がり、イグナーツへと詰め寄る。


「副総長! アンタ、いったい何しやがった!?」

「私は大したことをしていませんよ。エレオノーラがシオンに刻んだ印章を使って、蘇生の魔術を発動させただけです。でもまさか、本当に生き返るとは思いませんでした。偏に、“愛の力”ですかね」


 自分で言って恥ずかしくなったのか、イグナーツは肩を竦めながら鼻を鳴らした。

 そんなふざけた上司の態度に、ユリウスは激昂して胸倉を掴み上げる。


「いつまでもおちょくってんじゃねえぞ! 何が起きてやがる!?」


 イグナーツは少しだけ驚いた顔になったが、すぐに煙草を吹かしながらユリウスの手を解いた。


「まあまあ、落ち着いてください。シオンは、“帰天”の要領で蘇ったんですよ。致命傷を受けた時に、それ以上体を損傷させないように強制的に仮死状態にする魔術と、“帰天”の力を使ってその状態から無理やり息を吹き返す魔術――エレオノーラは、その印章をシオンに残したんです。そして私は、息を吹き返す魔術を発動させて、シオンを仮死状態から蘇らせた。それだけです」


 にわかには信じられない話に、ユリウスは呆然となった。

 そんな彼を尻目に、椅子から立ち上がったイグナーツは不意に、医務室の隅に置いてある納体袋へ近づいた。納体袋を開くと、そこにはすでに何者かの亡骸が入っていた。

 イグナーツは煙草を咥えたあと、また杖をどこからともなく取り出す。そして、シオンにやったのと同じように、杖を遺体に突き刺した。


 ユリウスが、上司のそんな奇行を見て訝しげに顔を顰めていたが、それはすぐに吃驚の表情へと変わった。


 納体袋の遺体が、みるみるうちに姿を変えていったのだ。最終的に遺体はシオンと同じ姿かたちになり、彼を模した亡骸が出来上がる。


「こんなもんですかね」


 杖を遺体から引き抜き、イグナーツが首を左右に倒して鳴らす。それから煙草を大きく吹かして、目を丸くさせているユリウスを見た。


「ああ、“私のこの魔術”を見たの、ユリウス卿は初めてでしたかね?」


 まるで仕事のやり方をレクチャーするような軽々しい口ぶりだった。ユリウスがそれに答える前に、イグナーツは一方的に説明を始めだす。


「必要な材料と、血液といった遺伝情報さえあれば、魔術で死体ひとつでっち上げることなんて造作もないです。ちなみにですが、貴方も任務中、大陸各地で私の姿を突然見かけることが何度かあったと思いますが、あれもすべて、私を模したどこかの誰かの死体です。その死体に魔術で電気信号飛ばして、遠隔操作しているんですよ。操作中の間、意識を死体側に寄せているせいで本体は無防備に眠りについてしまうというデメリットがあるんですが、遠隔操作先の死体は何をどうやっても倒すことができないので、咄嗟の戦闘があった時でも色々と便利なんですよね。平たく言えば、ゾンビや“人形”に乗り移っているような状態です」


 くすくすとイグナーツは笑うが、ユリウスは未だに言葉を失ったままだ。


「あ、ちなみに今の私は本体ですよ。“人形”では、扱える魔術に制限があるのでね。高度で複雑な魔術は、“人形”を介してじゃ行使できないんですよ」


 イグナーツは再び丸椅子に座ると、改めてユリウスとプリシラを見遣った。


「さて、これからお二人に特別任務を言い渡します」


 唐突な話に、ユリウスが追いつけずに狼狽する。


「と、特別任務って――」

「お二人にはこれから無期限の休暇を取得していただきます。安心してください、あくまで任務なので、通常の有休とは別の休みとしますよ。お給料も出しておきます。ただ、その間、シオンの面倒をこっそり見てあげてください。見た限り、完全回復するのに二ヶ月はかかるでしょうね。あ、週に一回は必ず近況を報告お願いします。勿論、シオンのことは他言無用で」

「待ってくれ! なんでアンタ、シオンを生かしたんだ!?」

「シオンは、“教皇の不都合な真実”を知っている可能性がある」


 イグナーツは紫煙を吐き出しながら答えた。ユリウスが無言で眉根を寄せると、さらに続きを話し始める。


「シオンがまともに喋れるようになったら、すぐに教えてください。彼には聞き出したいことが山ほどあるので」

「“教皇の不都合な真実”って、何でそんなこと――」

「頼みましたよ。このあと、リリアン卿がセラフィム・ドローンを用意して地上まで貴方たちを運ぶので、降りた先で暫く隠居生活してください。宿泊先のホテルは手配済みなので、そこでついでに英気を養ってくださいな。さて、時間もあまりないので、ぼちぼち事の真相の説明を始めますかね――」







「ってな具合で、シオンはエレオノーラ・コーゼルと副総長の計らいで命拾いした。んで、俺とプリシラはひどい体たらくになったシオンを連れて、暫く介護生活をしていたってわけだ」


 ユリウスがステラに、グラスランドを発ってからの経緯を説明し終えて、新たな煙草に火を点ける。ステラはというと、はえー、という間抜けな声を上げて感嘆としていた。

 一方で、


「シオン様! やはり私は賛同しかねます!」


 突然、プリシラがシオンにそう訴えかけてきた。

 シオンは面倒くさそうに眉間に皺を寄せ、小さく嘆息する。


「“悪魔の烙印”の解呪方法を知っているのは、今のところエレオノーラだけだ。完全に解呪することができれば、リリアンやアルバート相手でも後れを取ることがないだろう。それに、あいつが仕込んだ“致命傷を受けた時に強制的に仮死状態になる印章”も解いてもらわないと、いざという時に“帰天”を使って無理をすることもできない」

「それでも嫌です!」


 シオンがエレオノーラに会おうとしているのは、“悪魔の烙印”を彼女に解呪してもらうためだった。今後、戦闘が激化することも考えられるため、それに備えてのことである。“悪魔の烙印”が刻まれている状態では“天使化”状態での力をフルに発揮できないため、格上の相手との戦闘が始まった時にいささか心もとないと判断してのことだった。


 そうしたもっともたる理由があるにも関わらず、何故かプリシラは駄々をこねるように、エレオノーラとシオンが接触することを拒んでいた。

 傍から訝しげに見ていたユリウスが、煙草を吹かしながら首を傾げる。


「なんでてめぇはそこまで拒否るんだよ?」

「だって、だってあの女――絶対シオン様のこと好きになりそうなのだ! アルクノイアで初めて見た時から、ずっとそんな感じがしてならない!」


 プリシラが突然、そんな間抜けなことをユリウスに言った。しかし、彼女にとっては深刻な話のようで、前髪に隠れた双眸にはうっすらと涙を浮かべている。彼女はそのままシオンへと、まるで演劇のヒロインのような所作で振り返った。


「あんな女、絶対許しませんよ! 認めませんよ、私は! 酷い過ちを犯した私にはもうシオン様と結ばれる資格はありません! ですが、ならせめて、シオン様に相応しい女性を選ぶのが私の使命だと考えております!」


 力説するプリシラだったが、すでに誰一人として彼女に耳を傾けていなかった。

 シオンは自動二輪車に跨りながら、ステラに目を馳せる。


「そういうわけだ。体に刻んだ印章の効果を消すことを解呪というが、特殊な印章である“悪魔の烙印”を解呪できるのは、現状エレオノーラしかいない。あいつには色々思うところがあるだろうが、理解してくれ」

「シオン様! 何故、無視されるのですか!?」


 プリシラのことは一切無視して、シオンは自動二輪車のエンジンをかける。

 そんな時、不意に、ステラが前に出た。


「質問、いいですか?」

「なんだ?」

「どうしてイグナーツさんは、シオンさんが“教皇の不都合な真実”を知っているかもしれないって、思っているんですか?」


 純粋無垢に訊いてきたステラだったが、対するシオンは少しだけ答えにくそうな顔になった。だが、すぐに意を決したように、表情を引き締める。


「……教皇――ガイウス・ヴァレンタインは、数年前まで騎士だった男だ。そして、その時、まだ従騎士だった俺の――師でもあった」


 重々しい口調で、絞り出すように答えた。

 まったく予想していなかった回答に、ステラは驚愕の表情のまま固まる。


「弟子としてあの男に仕えていた間に、何か知られたくないことを俺が知った可能性があるらしい。イグナーツは、それが教皇を罷免するための大きな鍵になると考えている。だが、そう言われたところで、今のところまったく思い当たる節がないんだ。これに関しては、気長に記憶を遡っていくしかない」


 シオンはそう言って、ゴーグルをかけながら正面に向き直る。自動二輪車のアクセルを捻って吹かすと、エンジンが勢いよく音を上げた。すると、プリシラが、すかさずシオンの正面にある車両の外扉を開ける。汽車は走行中で、外扉から見える景色は忙しなく横へ流れていた。


「そろそろ時間だ。俺はここで汽車を降りる。ユリウス、プリシラ、ブラウン中尉、それと偽物二人。それぞれの役割、よろしく頼んだ」


 シオンは、彼らからの返事を待たずして、自動二輪車を発進させた。シオンの乗った自動二輪車は勢いよく車両の外へと飛び出し、激しい土埃を上げながら地面に着地する。そのまま汽車の進行方向とは逆方向にアクセルが回され、瞬く間にシオンの姿は見えなくなった。


「さて、俺らもそろそろ船に移る準備するか」


 ユリウスが煙草の火を消して、ステラとプリシラに話しかける。


「船にって……こんなところに駅があるんですか?」


 現在、汽車はだだっ広い平野を走行している。周囲に建造物は一切なく、とてもではないが停車できる駅はなさそうな雰囲気だ。


「もう少しで鉄橋に差し掛かります。その下の大運河に私たちが手配した船があるので――」

「また、飛び乗るんですね……」


 プリシラの説明を皆まで聞かずとも、ステラはこれまでの旅路から、今後どのような行動を取るのかすぐに察してしまった。

 まったく騎士という生き物は、どうして無茶な移動手段ばかり好むのか――そんなことを考えながら、ステラはげんなりと肩を落とした。

 ステラの心中を察したのか、ユリウスが彼女の頭をぽんぽんと軽く叩く。


「安心しろ。王女は俺の鋼糸でゆっくり降ろしてやるから」

「お手柔らかにお願いします……」


 普通の人間の身体能力しかないステラにとっては非常に有難い話なのだが、どうにも素直に喜べないでいた。

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