第90話

 シオンの言葉を聞いて、ステラは痛ましそうに眉根を寄せた。すぐに視線を下に落とし、回答を憚る。


「……嫌、なのか?」


 シオンが少しだけ表情を曇らせながら訊くと、ステラは勢いよく首を横に振った。


「嫌ではないです。私も、女王にはなりたいです。ただ――」


 ここで承諾してしまうと、また彼を復讐の道に進ませてしまう――折角、こうして生きることができているのに、また自分の選択のせいで、シオンを死に追いやるようなことだけは、決してしたくなかった。

 ステラはそう伝えたかったが、だからといってシオンの生き方を否定するようなことも言えずにいた。イグナーツを通じて知ったシオンの復讐の経緯――母親であり、恋人であった最愛の人を教会の計略で失って、憎しみを抱かない方がどうかしている。復讐という手段が間違っていたとしても、その気持ちを正面から否定するようなこともしなくなかった。


「シオンさん、私は――」

「お前を利用しての教皇暗殺は、もう考えていない」


 ステラの心中を察したかのように、シオンが言った。ステラは思わず呆けた顔になり、口をぽかんと開ける。


「俺は、お前に賭けることにした」


 突然、意味の分からないことを言ってきたシオンに、ステラはますます怪訝な顔になって首を傾げる。

 そこへ、


「シオン様は、ステラ様が女王になったあとの世界に、自身の理想があるのではとお考えなのです」


 プリシラが、そう補足してきた。彼女はさらに続ける。


「ステラ様なら、きっと、亜人と人間の共存――誰もが当たり前に生きる権利を持って生を授かる社会をつくることができる――この三ヶ月の間、貴女と過ごした旅を振り返り、そう結論を出したのです」


 思いがけない言葉を聞いて、ステラは驚いた顔になる。

 一方で、シオンは、顔色こそいつもの通りだったものの、どこか恥ずかしそうな感じでプリシラを慌てて見遣った。


「プリシラ、余計なことを勝手に喋るな」

「も、申し訳ございません!」


 プリシラがすぐにしゅんとなって黙ると、シオンは改めてステラに向き直った。


「今のプリシラの話は冗談半分に捉えてくれ。お前に俺の理想を押し付けるつもりは毛頭ない。ただ――」


 そこで一呼吸置き、少しだけ続きを言うのを躊躇うような表情になる。

 だが、すぐに意を決し、


「俺が二年前に、教会を敵に回してまでやろうとしたことが少しでも意味のあるものになるのなら、お前が目指すものに協力したい――そう思った」


 喉奥から引き出すように、真意を伝えてきた。

 ほんの数秒、車内が沈黙する。線路を走る汽車の揺れがやけに大きく感じるような間だったが――ステラは数回瞬きをしたあとで、その青い双眸にシオンを捉えた。


「……それは、“リディア”さんとの約束があるからですか?」


 “リディア”の名を聞いて驚いたのは、プリシラとユリウスだった。ブラウンと偽物の二人は、今一つ、ステラの発した言葉の意図がつかめずに首を傾げている。

 そして、シオンはというと――ステラの口からその名前が出たことに一番驚きそうだった彼が、この場において、誰よりも平静な佇まいをしていた。


「“リディア”のこと、知ったのか?」


 淡々とした聞き方だった。それについて、ステラははっきりと頷く。


「はい、イグナーツさんから聞きました。“リディア”さんのことも、騎士団分裂戦争が起きた理由も、一連の出来事が、シオンさんが教会と教皇を憎んでいる原因になっていることも」


 てっきり、シオンは怒るか、動揺するかの反応を見せるものだと、ステラは思っていた。三ヶ月前の旅の時は、頑なに話そうとしなかった復讐の理由――それを知られたことで、何かしらの嫌悪感を示すだろうと覚悟していたのだが、シオンは、真摯な眼差しでステラを見つめていた。


「……なら、それがすべてだ。それ以上、お前を女王にしたいと思うことに理由はない」


 ステラは一度大きく息を吸い込んで、目つきを鋭くする。


「わかりました。でも、答える前に、ひとつだけ聞かせてください。さっき、シオンさんは、お前を利用しての教皇暗殺はもう考えていない、って言いましたよね? ということは、教皇への復讐は、まだ諦めていないってことですか?」

「ああ」


 予想外な即答で、ステラは思わず身を引いてたじろぐ。


「あくまで、お前を女王にすることと、教皇への復讐を分けて考えることにしたってだけだ。教皇を殺す方法は、お前を女王にしたあとでまた別に考える」


 潔いとまで言えるほどの口ぶりに、ステラは呆れながら肩を落とす。


「そ、そうですか……」


 それからすぐに気を取り直し、立ち向かうようにしてシオンへ向き合った。


「私が女王になるということに協力してもらえるのなら、謹んでお受けいたします。ただ、シオンさんが教皇への復讐を止めないというのなら、私にも考えがあります」


 シオンが眉を顰めると、ステラはいつになく強気な表情を彼に見せた。


「シオンさんが理想を持っているように、私にも理想があります。私が思い描く世界には、シオンさんが自分の人生を歩んでいる姿も含まれています。だから、それを邪魔しないでください」


 それを聞いて、シオンはますます眉間の皺を深くする。


「どういう意味だ?」


 ステラは、今一度、頭の中で言いたいことを整理した。それから、徐に口を動かし始める。


「……シオンさんの感情を否定するつもりはありません。でも、シオンさんがいつまでも復讐心に取り憑かれて、自分を見失っている姿を見続けたくもないです。こんなこと言ったら怒るかもしれないですけど、私が“リディア”さんだったら、シオンさんにはちゃんと自分のために生きてほしいと思うから。だから――」


 青い瞳に確かな光を込めて、ステラは黒騎士を見据えた。


「だから私は、シオンさんの復讐を邪魔します。復讐は何も生まないとか、そんな綺麗ごとを言うつもりはないです。ただ、私がそうしたいから、そうさせてもらいます。それが、シオンさんのお願いを受け入れる条件です」

「わかった」


 思いのほか素直な返答に、ステラは拍子抜けして、がくりと体勢を崩した。


「あ、あれ? わ、私、かなり意を決して、格好つけて言ったんですけど、そんな軽く……」

「それがお前の条件なら、受け入れるしかない。それに、結局は俺が折れなければいいだけだからな」


 そう言って、シオンは目を瞑りながら肩を竦めた。

 ステラは、どうにも釈然としない気持ちで口を尖らせる。


「……なんか、雑ですね」


 そんな不平不満を漏らすと、不意に、シオンから手を差し伸べられた。


「改めて、よろしく頼む」


 ステラは、何が起きたのか暫く理解できない面持ちで固まっていたが、やがて無駄な力が抜けるように、その顔に笑みを浮かばせた。


「はい、よろしくお願いします」


 そして、王女は黒騎士の手を取った。

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