第88話

 ステラが後方を振り返ったのは、車道を走る無数の車の走行音に混じって、聞いたことのない――例えるなら、ひっきりなしに空気を掻き回すような音を耳にしたからだ。同時に感じたのは、異様なプレッシャー――見ると、彼女たちの車の背後に、鳥のような対の翼を携えた飛行機械が迫っていた。

 飛行機械は、車を追跡するリリアンをさらに追いかける形で飛行しており、あたかも小鳥を追いかけ回す猛禽類のようだった。


 見たことのない機械の乗り物にステラは思わず驚嘆の声を上げるが、彼女はすぐにまた、“別のことを要因”にして、心臓が止まりそうなほどの衝撃を受ける。


 その飛行機械の翼の上に、シオンが乗っていたのだ。

 やはり、彼は生きていた――こうして間近で見て、ようやく確信することができた。目頭が熱くなるのと同時に、胸がすくような、それでいて何かが込み上げるような感情が一気に湧き上がる。


「シオンさ――」


 思わずステラが声を張り上げるが、それは激しい音と光の衝撃波によって掻き消された。


 飛行機械から飛び降りたシオンが、間もなく“天使化”し、リリアンへと飛びかかったのだ。振るわれた刀がリリアンの背後に迫るが、彼女はすぐに身体を捻り、シオンを正面に据えて迎え撃つ。リリアンが掌に携えていた光の球体は瞬時に形状を変え、細長い棒状――剣を模り、左右それぞれの掌から伸びた。

 光の剣をリリアンが眼前で交差させた直後に、シオンの振り下ろした刀がかち合った。青白い光と、赤い光が、大気を焼き焦がすような音を上げながら、両者の剣の狭間で絶え間なく迸る。


 その衝撃を嫌うかのように、シオンを運んできた飛行機械が急上昇して上空へと発っていった。

 シオンはそれを確認したあと、加減の必要がなくなったとばかりに、リリアンに対して苛烈な剣戟を振るう。リリアンも、二本の光の剣でそれに応戦した。二人は、車道の進行方向に進む慣性を維持したまま、何度も刃を交わす。黒騎士と女騎士の激闘に、途中、車道を走る他の車を巻き込みそうになるが――


「シオン様! 一般人を巻き込むような戦いはおやめください!」


 その都度、リリアンが、そう咎めながら戦闘を軌道修正しようとした。

 しかし、シオンは逆に、


「だったら車の追跡を諦めろ!」


 それを好機と捉えたようで、全力を出せないリリアンに容赦なく攻撃を仕掛けていく。あまつさえ、走行中の他の車を足場代わりに使い、民間人を盾にするような戦法を取っていた。リリアンとしては、可能な限りシオンと距離を取り、光線による遠距離攻撃で彼に臨みたそうにしているが、彼女はそれができずに強く歯噛みしていた。むやみに使えば、車道を走る他の車を巻き込みかねないと判断しているのだろう。どうやら、近接戦闘ではシオンに分があるらしく、剣を交えても、蹴りを使った格闘戦になっても、すぐにリリアンが根負けしたように距離を取っていた。


 ならいっそ、シオンを無視してステラを奪還しようと、リリアンが一気に加速するが――そうすると、シオンが瞬間移動の如く、彼女の後方から姿を現して急襲した。“天使化”状態のシオンは、電磁気力による斥力と引力の操作によって、短、中距離の間を瞬時に移動することができる。地面を勢いよく蹴ることも必要とせず、車道を走る車と車の間を飛び移る要領で、自身を弾丸の如く射出させてリリアンに剣戟を見舞っていた。


「致し方ありません」


 リリアンがそう呟いたのと同時に、彼女から青白い光が唐突に放たれる。

 “天使化”だ。

 茨の光輪を携えた銀髪の少女が、ステラが乗る車の追跡を不意にやめ、車道に着地する。コンクリートを捲り上げながら慣性を殺して静止すると、徐に右腕を掲げた。


 ふと、リリアンの周囲を見ると、民間人の車が車道から消えていた。どうやら、この騒ぎに誰もが身の危険を覚え、走行するのを止めたようだ。

 リリアンは、それを見計らったのだ。この状況なら、彼女も全力を出せる。


 少し遅れて、シオンがリリアンの立つ場所へと到達した。右腕を掲げたリリアンを見て、シオンが改めて身構える。


 そして、リリアンの掲げられた右手に光が収束した直後、彼女はそれを握りしめ、車道に勢いよく叩きつけた。瓦割りをするような所作だったが、その威力は、並の爆弾を遥かに凌駕するものだった。リリアンを中心に、半径二十メートル以内の車道のコンクリートが、跡形もなく消し飛ぶ。

 その範囲にいたシオンも漏れなく衝撃波に巻き込まれるが――


「――!?」


 シオンは、衝撃波を縦に両断するかの如く、刀を振り下ろした。“天使化”の力によって威力を増幅された斬撃は、半球状の衝撃波を真っ二つにするように直進し、中心部にいたリリアンを捉える。リリアンの身体は縦一閃に深々と斬られ、そのまま勢いよく後ろに吹き飛ばされた。血塗れになりながら車道を転がるリリアン――普通の人間なら即死しているダメージだが、“天使化”した騎士はあの状態からでも再生する。


 シオンはすぐに駆け出し、地面に伏して呻くリリアンの脇を通り抜けた。

 するとそこへ、


「さっさと乗れ!」


 ユリウスが、車をUターンさせて、シオンのもとへ戻ってきた。すぐさまシオンが後部座席に飛び乗ると、慌ただしく車が発進する。


 そして――


「し、シオンさん……!」


 ステラとシオンが、車の後部座席で再会した。

 ステラは、シオンの姿を見るなり、思わず泣き出しそうな顔になる。


「生きて……生きてたんですね……!」


 色んな思いがこみ上げ、ステラは、つい飛びつきたくなる衝動に駆られた。それを有りっ丈の理性でどうにかして我慢していた時――


「え、あ、え!? シオンさん!?」


 なんと、シオンの方からステラを抱き寄せてきたのだ。あまりに突然のことに、ステラが顔を赤くさせながら動転する。


「あ、あああ、あの! う、嬉しいんですけど、今は――」

「ユリウス、このまま汽車に飛び移るぞ!」


 と、何の前触れもなく、シオンがそう声を張り上げた。

 ステラが心の中で、え、と小さく呟く。


 何事かと、シオンに抱えられながら周囲を見ると、自分たちの乗る車と並走するようにして、すぐ隣に一台の汽車が走っていた。牽引する客車のオープンデッキ部分には、何やらこちらに向かって身を乗り出しながら叫ぶ、一人の若い女が立っている。目元を隠したショートボブの銀髪が特徴的で、上半身にはシャツと黒のジャケット、下半身には黒のショートパンツにタイツとロングブーツを合わせている。

 ステラは、ユリウスと同様に、この女にも見覚えがあった。彼女もまた、前回の旅の時は、ステラたちの前に敵として立ちはだかってきた騎士である。

 確か名前は、プリシラ、と言っていたはずだ。


「シオン様! 早くこちらに! もうすぐ聖都が完全封鎖されます! この汽車を逃すわけにはいきません!」


 プリシラが車に向かって状況を伝えた。

 それに応じるかのように、ユリウスが運転席から立ち上がり、同じくシオンもステラを抱えて立ち上がる。


 そして、ユリウスとシオンは、驚異的な跳躍力を見せて、車から客車のオープンデッキへと飛び移った。立て続けに起きる怒涛の出来事に、今度のステラは悲鳴を上げる間もなく、されるがままに聖都を脱出するのであった。

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