第87話
聖都セフィロニアの中央部――ルーデリア大聖堂の遥か上空、高度二千メートルの場所から、先刻より苛烈な砲撃音が鳴り響いていた。大聖堂前の広場に密集していた信徒の避難が完了したのと同時に、空中戦艦による未確認飛行機械の撃墜許可が下りたのだ。
しかし、だからといってやみくもに砲撃を乱発できるというわけではなく、撃墜後の機体が市街地に墜落しないよう慎重な配慮が必要だった。空中戦艦が砲撃できるのは、未確認飛行機械が広場の真上を飛んでいる間だけ――そのことを熟知しているかのように、あるいは嘲笑うかのようにして、件の飛行機械は縦横無尽かつ優雅に空を旋回している。敢えて人の密集している場所や居住区の上空を低く飛んでいることから、それをわかっていて砲撃を憚らせているのは自明だった。
銀翼の天使たちがそうやって鋼の怪鳥に弄ばれている頃――その真下では、黒騎士と、円卓の騎士たちによる戦闘が繰り広げられていた。
“天使化”したシオンに対し、主戦力として応戦するのは同じく“天使化”した状態のアルバートだ。赤と青の剣閃が交わるたび、激しい衝撃波が生まれ、辺りの物を悉く吹き飛ばしていく。間合の取り合いはもはや光の軌跡しか見えず、一般人の目には瞬間移動のよう映っていることだろう。
到底、ヒトの手に負うことなどできないと思わせるほどの激闘――だが、過去二回、アルバートと共にシオンを討ち取った実績を持つレティシアとセドリックは勿論のこと、ハンスもまた後れを取ることなくそれに参戦していた。
アルバートとの交戦の間に生まれる一瞬の隙――そのたびに、レティシアの双剣、セドリックの大剣、ハンスのハルバードが、間髪入れずに差し込まれた。
彼らからの強襲を受けるたびに、シオンの身体は少しずつ、しかし確実にダメージを負っていった。“天使化”の効果によってすぐに傷は再生されるものの、無尽蔵にというわけではない。致命傷になるような攻撃を立て続けに食らえば、そのうちに体力切れを起こして“天使化”も強制的に解除される。
いつまでもこうしているわけにはいかない――そう思いつつ、攻撃を受けることが多くなってきた。劣勢となりつつある状況に、シオンの表情に焦りが見え始める
そんな時だった。
「――!」
少し前に戦線を離脱し、大聖堂近くのホテル周辺で空に浮いていたリリアンが、突如として市街地に向かって高速で飛び発っていったのだ。
――ユリウスとステラの居場所をもう捕捉されたのか?
シオンが顔を顰めた矢先、
「相変わらず戦闘中に余所見をするのが好きだな、キミは!」
アルバートから強烈な一振りが頭上から繰り出された。シオンがそれを刀で受け止めると、広場の石畳が二人を中心に一気に捲り上がる。
二人はそのまま鍔迫り合いの状態となり、互いに力任せに相手を押し切ろうとした。
「何故キミが生きているのか、どうしてこんな無謀なことをしているのか、聞きたいことは山ほどあるが――」
アルバートが歯を食いしばりながら、シオンの刀を長剣で押し返そうとする。
「教皇の前でこうなってしまった以上、もう一度殺すしか他に選択肢はない! 生きていたのなら、そのまま大人しく大陸の外にでも逃げていればよかったものを!」
シオンの足元が、剣の圧によって徐々に陥没していく。
だが――
「やられっぱなしで大人しくしていられるほど俺が辛抱強くないことは、アンタも知っているだろ……!」
それを掛け声に、シオンはアルバートの身体を無理やり振り払った。直後、大きく跳躍してその場から離れると、それから瞬きをする間もなく、ハンスのハルバードがいくつも降り注ぎ、地面を激しく穿った。あと一瞬、退くのが遅かったら、シオンの身体は挽肉同然になっていただろう。
シオンは、アルバートたちから一度大きく距離取り、呼吸を整えた。同時に、“天使化”も自ら解除する。
その様子を見たリカルドが、お、と声を上げた。彼だけは戦闘に参加せず、広場の隅っこで状況を見守っていたのだが、ここに来て飄々と前に出てきた。
「そろそろ降参かい? その方がいいよ。これ以上抵抗したってさ、いくらシオンくんでも無理だって」
リカルドが降伏を促すが、シオンは無言で険しい表情を返す。
どう考えても、議席持ちの騎士五人を相手に一人で勝つ見込みなどない。シオンの置かれている状況は、確実に負け戦でしかなかったが――さらに追い打ちをかけるかのようにして、騎士団副総長であるイグナーツが近づいてきた。
イグナーツは煙草を吹かしながら、苛立ちと嘆きを孕んだ双眸でシオンに鋭い視線を送る。
「無鉄砲もここまでくると、憐れみすら感じますね。折角生き長らえた命を無駄にするなんて、どうかしていますよ」
「“アンタの企み”で繋がった命には違いないが、それをどう使うかは俺が決めることだ。それとも、助けられたことを恩に、アンタの言いなりになるとでも思っていたのか?」
シオンの言葉を聞いた他の議席持ちの騎士たちが、一斉にイグナーツへと疑念の眼差しを向ける。殺したはずのシオンが生きている“原因がイグナーツであること”を、その一言で理解してしまったのだ。
イグナーツは苦虫を嚙み潰したような顔になって紫煙を大きく吐き出し、軽く頭を掻いた。
「シオン、貴方は頭がキレるし割と空気を読むタイプだったと思ったんですが――意外と口は軽かったんですね。それとも、わざとですか?」
「わざとに決まっているだろ」
シオンが険しい表情のまま軽く肩を竦めると、イグナーツはいよいよ救えないといった溜め息を吐いて頭を横に振る。それから唐突に右手を横に伸ばすと、一本の杖がどこからともなく現れて、掌に収められた。
「やれやれですよ。まあ、バレてしまったものは仕方がありませんが――後始末はきっちりつけさせてもらいます。もう一度、氷漬けに――」
と、そこまで言いかけたところで、不意に、その場に居合わせた騎士全員が空を見上げた。
ブゥン、という大気を刻む低音が鳴り響いたと同時に、広場に巨大な鳥――否、未確認飛行機械の影が落ちる。
音がした方を見ると、飛行機械が滑空しているところだった。それから間もなく、広場の地面すれすれを舐めるように飛行し、シオンたちの方へと迫ってくる。
突然の出来事に怯む議席持ちの騎士たち――シオンはそれを好機とし、再度“帰天”を使って“天使化”した。
直後、シオンの“天使化”を見計らったかのように、鋼の怪鳥が、今度は急上昇し始める。その有様はまるで、鳥が水面近くの魚を瞬時に掬い上げるかのようだった。
そして、その魚となったのは――
「シオン!」
シオンが、急上昇した飛行機械に合わせて、瞬時に飛び乗っていた。
遠距離攻撃ができるイグナーツとハンスが、すぐさま各々の魔術で追撃するが、“天使化”状態のシオンによる斥力を利用した迎撃もあり、飛行機械に攻撃は一切届かなかった。併せて、空中戦艦からいくつかの砲撃が放たれるも、驚異的な速度で広場から飛び去る飛行機械に、それらが掠めることは一発もなかった。
シオンを乗せた飛行機械は、それから一分もせずに広場から大きく距離を取り、聖都の市街地方面の空へと到達した。飛行機械の真下には、歴史的な建造物の合間を現代産業の賜物であるコンクリート道路が編み込み、そこを行き交う無数の車が敷き詰められた、歪な景観が広がっている。
ふとそこで、飛行機械の後部座席に座ったシオンが、“目当てのもの”を見つけた。
「あそこだ」
飛行機械は前後二人乗りで、操縦者となる人物が前の席に座っている。シオンは、その操縦者へそう声をかけた。
「あの車に、ユリウスと王女がいる」
すると、操縦者は楽しそうに口元を緩めながら、
「おお、なんだかあっちも大変なことになってそうだね。車を追っかけているのは、リリアンかな?」
シオンに対して親しげに応じてみせた。声質は若い男だが、革のヘルメットとゴーグルを付けているせいで、どんな容姿をしているかはまったくわからない。
「ヴィンセント、このまま俺をあの車に近づけてくれ。リリアンを追い払ってユリウスたちと合流する」
「あいよ!」
シオンと、飛行機械の操縦者――ヴィンセントが慣れ親しんだ間柄であることは、この忌憚のない返事が証明していた。
「ユリウスたちと合流したあとは、計画通りに、って感じかい?」
飛行機械が翼を傾け、地上に向かって急速に近づいていく。そんな時に、ふとヴィンセントがシオンにそう訊いてきた。
「ああ、お前は先に“あの国”に行ってくれ。諸々やることを済ませたあとで俺たちも向かう」
「了解! ご武運を、黒騎士さん!」
そして、飛行機械が一気に高度を落とし、聖都の大動脈ともいえる巨大な道路へ迫る。
同時に、シオンは後部座席から飛行機械の翼に飛び移り、臨戦態勢に入った。そんな彼の赤い双眸に映るのは、ユリウスの乗る車と、その後を追いかけるリリアンである。
「リリアン!」
シオンが声を張り上げると、空中を走行するリリアンが驚いた様子で振り返る。刹那、飛行機械から飛び降りたシオンが、リリアンを強襲した。
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