第71話

 プリシラの槍の切っ先が、シオンの胸目掛けて突き出される。音速に匹敵する騎士の一突き――シオンはそれを、刀でいなしながら難なく躱した。刀と槍の刃がかち合い、耳をつんざく音と目も眩むような火花が沸き起こる。

 シオンは刀を握る手に力を込め、無理やりプリシラの槍を上方に弾いた。がら空きになったプリシラの胴体に対し、袈裟懸けに刃を走らせようとする。


 しかし、シオンの一刀はプリシラを斬ることはなかった――いや、正確には、刀を振り下ろすことができなかった。

 突如として現れた氷柱が、シオンの腕を刀ごと固めてしまっていたのだ。

 シオンがそれに驚く間もなく、プリシラが槍を横に薙ぎ払う。切っ先がシオンの胴体を捉えるが、彼は体を僅かに後退させて刃を外した――が、その軌跡を追うようにして、プリシラが蹴りを繰り出す。

 シオンはそれを正面からまともに食らい、身体を大きく後ろに吹き飛ばした。そして、胸に違和感を覚えて視線を落とした。そこに映っていたのは、パキパキと音を立てながら体を侵食する氷だった。


 そのことに何らかの危機感を持つ間もなく――無数の見えざる斬撃がシオンを襲う。ユリウスの鋼糸が、路地裏を埋め尽くさんばかりに疾風の如く駆け抜けたのだ。


 シオンは胸に纏わりつく氷に構う間もなく、路地裏の奥へと進む。大通りのような開けた場所に出たいところだが、そうするとガリア兵の目に留まってしまう。可能な限り路地裏を進み続け、街の外れにまで移動することにした。


(俺がガリア兵に見つかると、ステラがこの街にいることを奴らに確信させてしまう――)


 これからの行動を整理しようと頭を働かせた矢先、不意に足元から強烈な悪寒を感じて飛び退いた。直後、地面から現れた氷柱が、シオンの体を取り込まんとばかりにいくつも伸びてくる。

 シオンは体を捻り、路地裏の壁を蹴りながらそれを躱していくが――逃げた先に、プリシラとユリウスが待ち構えていた。

 プリシラから繰り出された槍の一突きを、シオンは刀で受け止める。だが、瞬く間に刀身が氷まみれになり、槍と結合されてしまった。


「――!?」


 シオンが驚愕している矢先に、今度はユリウスの鋼糸が迫ってきた。微かな朝日に当てられた銀の曲線が、乾いた空気を引き裂きながら無音で近づいてくる。

 シオンは刀を手放し、プリシラから大きく距離を取った。目標を失った鋼糸は、シオンの後ろにあった金属製の廃材を野菜の如く切断する。


 一転、シオンは、勢いよく地を蹴り、プリシラへ一気に肉薄した。プリシラがそれに反応しきれない間に、氷で刀が引っ付いた状態の彼女の槍を蹴り飛ばす。蹴られた槍は路地裏壁に叩きつけられ、刀は氷が割れて地面に転がった。


 シオンが刀と槍を拾い上げると、


「遅いんだよ!」


 ユリウスが声を張りながら、鋼糸を飛ばしてきた。瞬間、シオンは手にしたプリシラの槍をユリウスへと投擲する。騎士の膂力で投げられた長槍は亜音速でユリウスへと迫り――その途中で、鋼糸を絡めとった。


「クソがっ!」


 攻撃を強制的に中断されたユリウスが悪態をつくが、その表情はすぐさま驚愕に変わった。いつの間にか彼の眼前にシオンが姿を現しており、今まさに駆け抜け様に蹴りを繰り出そうとしているところだった。


 シオンの右足から放たれた横薙ぎの蹴りは、ユリウスの左肩に直撃する。そのまま吹き飛んだユリウスの体は、路地裏壁に激しく叩きつけられた。


 そんな一瞬の攻防の間に、プリシラが自身の槍を拾い上げ、再度、シオンへ接近する。プリシラがシオンに向かって槍の先を突き出すが、彼は少しだけ体を横にずらして難なく躱した。

 シオンが槍を片手で掴むと、その手を離さまいと瞬く間に氷が侵食してくるが――


「そうやって相手を拘束する時は、力負けしないことが前提だと教えたはずだ」


 そう言って、シオンは力任せに槍を振り回し、槍を持つプリシラを地面に叩きつけた。石畳が激しく割れ、プリシラが小さく呻く。

 シオンは手元の氷を割って槍を地面に突き刺すと、二人に向き直った。


「諦めろ、お前たちじゃどうやっても俺を倒すことはできない。わかっているはずだ」


 ユリウスとプリシラが弱々しく立ち上がり、肩で息をして、乱れた呼吸を整えようとする。ユリウスは割れた眼鏡を投げ捨て、腕をシオンへと伸ばし、懲りずに鋼糸を張り巡らせようとした。


 そんな時だった。

 ふと、大通りの方からこちらに向かって慌ただしく駆け寄ってくる足音が聞こえた。その物々しさから、ガリア兵であることは間違いない。


 シオンはすぐに踵を返し、路地裏の奥を抜けた先――街の郊外へ向かって駆け出した。


「待ちやがれ!」


 その背中にユリウスが怒号を飛ばし、ふらつきながらも後を追跡し始める。それに一歩遅れて、プリシラも駆け出していった。


 地元の野良猫が走るよりも早く、三人は路地裏を縫うようにして走り抜けた。途中、すれ違った街の人々は、それが人間であったと思う間もなく、ただただその風圧と衝撃に圧倒されて呆然としていた。


 屋根へ上り、またそこから別の屋根へと飛び移り続け――ものの数分で、シオンたちは街の郊外に位置する開けた高台へと移動した。

 高台には小さな廃教会が残されているだけで、他には何もなかった。ここに来る途中、進入禁止の看板を目にしたことから、高台そのものが立ち入り禁止区域に指定されているようだ。人の気配もなく、戦うにはうってつけの場所だろう。街の中心部からかなりの距離があるため、よほどのことがない限り、ガリア兵がわざわざここに来て何が起きているのか確認することもないはずだ。


 雨が降ってきたのは、その高台にて、黒騎士と二人の騎士が、改めて対峙した時だった。気温も下がり、口からは白い吐息が出るようになった。


「まだやるつもりか?」


 シオンが訊くと、ユリウスが強く歯噛みした。


「当たり前だ。てめぇだけはこの手でぶっ殺さなきゃ気が済まねえ」


 オールバックの金髪が雨で崩れるのも気にせずに、ユリウスは低く唸った。

 それを聞いたシオンが、小さく息を漏らす。


「……弟子の仇討ちか」

「わかってんなら、くだらねえことわざわざ訊くんじゃねえよ!」


 激昂したユリウスが腕を振るう。瞬間、シオンに向かって斬撃が走り、地面を削っていった。

 鋼糸を避け続けるシオンを、ユリウスが歯を食いしばって捕捉しようとする。だが、鋼糸の斬撃は追いつくどころか、さらにシオンと距離を作っていく。

 ついには、ユリウスの側面へ回り込んだシオンが、突進するかの如く急接近し、再度蹴りを見舞う形になった。


 蹴り飛ばされたユリウスが地面を転がり――彼が止まる間もなく、今度はプリシラがシオンに強襲する。高い声で雄叫びを上げながら果敢に挑むも、その有様は戦闘というより、まるで師弟の稽古のようだった。

 プリシラは一心不乱に、息が上がりそうなほどに力を込めて槍を振るうが――対するシオンは、その場から一歩も動かずに、右手だけで刀を振って、彼女の槍を完封する。

 最後は、シオンの刀が、プリシラの槍を弾き飛ばして決着がついた。


 息切れしながら立ち尽くすプリシラに向かって、シオンは暫く刀の切っ先を向けていたが、すぐに納めて、踵を返した。


「……そんなに俺が憎いのなら、後で好きなだけ切り刻ませてやる。だから、今だけは見逃してくれ。頼む」


 そう言い残して立ち去ろうとするシオンだったが、その背後で、ユリウスが拳を地面に打ち付けて、怒りに震えながら起き上がった。


「ふざけんなよ……そんな言い分がまかり通ってたまるかよ!」


 ふらふらと覚束ない足取りで、徐にシオンへ近づいていく。シオンに向かって鋼糸を飛ばすも、すぐに刀で弾き飛ばされた。


「どれだけの騎士がてめぇに憧れていたと思う? どれだけの人間がてめぇに救われたと思う? そんなものをすべてご破算にして――どれだけの人間が、てめぇに殺されたと思う!?」


 跳ね返った鋼糸がユリウスの身体の表面を微かに切り裂くが、彼はそんなことなど意にも介さずに――シオンの胸倉を両手で掴み上げた。


 そして――


「“てめぇがてめぇの女を守れずに始まった身勝手な戦争”で、いったい何人の仲間が死んだと思ってやがるんだ!」


 喉を引き裂かんばかりの勢いで、そう怒鳴り散らした。

 憤怒に酷く顔を歪めたユリウスを、シオンはただ黙って、無表情で見返している。その静寂は数秒だったが、間を繋ぐように打ち付ける雨の音が煩わしかった。


 それに耐えかねたように、ユリウスがシオンの身体を激しく揺する。


「おい、何か言えよ、コラ! すかした顔してんじゃねえ! おい、聞いてん――」

「シオン様!」


 それまで置物のように大人しかったプリシラが、突然、声を張り上げた。

 プリシラは、一度、息を呑み込むようにして呼吸を整える。それから弱々しく口を開き、白い吐息が溢れだしたところで――


「――“リディア様”がハーフエルフだと密告したのは、私です」


 その静かな一言が、雨の落ちる音を掻き消した。


「“貴方の恋人”を死なせたのも、“騎士団分裂戦争”を引き起こしたのも、すべては私の密告が引き金です。だからどうか、どうか――」


 大きく見開かれたシオンの赤い双眸に、力なく笑うプリシラの姿が映り込む。


「私を、貴方の手で殺してください。そのために、私は黒騎士討伐の任を請け負いました」

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