第66話

 鳥のさえずりもまだ聞こえない早朝――騎士団本部の円卓の会議室にて、イグナーツは目を覚ました。両手を腹の上で組み合わせる姿勢で、自身の議席Ⅱ番に深く腰を掛けている。


「“お帰りなさいませ”、イグナーツ様」


 ふと視線を横に向けると、Ⅲ番の席にリリアンが座っていた。相変わらずの人形のような希薄な顔つきに長い銀髪を携え、ガラス玉のような瞳で見てくる。


「ああ、リリアン卿。早いですね、何かありましたか?」


 イグナーツが椅子に座り直しながらそう訊いた。すると、リリアンは変わらぬ調子で、


「朝早くに恐れ入ります。教皇猊下が、至急、教皇庁に来るようにと」


 と、伝えてきた。

 イグナーツが、うんざりした顔になって首を左右に倒して鳴らす。


「いやはや。こっちは黒騎士を相手にしたばかりで疲れているというのに。まあ、そんなこと、あっちからしたら知ったこっちゃないんでしょうが」

「シオン様のご様子はいかがでしたでしょうか?」


 イグナーツは煙草を取り出し、火を点けて軽く吹かした。


「元気でしたよ、とっても。ただ、“天使化”はもう使わせない方がいい気がしますね。かなり無理をしている感じでした。さっさと“悪魔の烙印”の解呪を――」

「イグナーツ様、会議室は禁煙です」


 リリアンに言われて、イグナーツはハッとして煙草を握りつぶした。


「失敬。言い訳ですが、あちこちに“意識を飛ばしている”と、自分が今どこにいるかわからなくなってしまう時があるんですよね。ご容赦を」


 軽く笑って誤魔化そうとするが、リリアンは相変わらずの無機質な表情のまま、じっと見つめてくるだけだ。


「……そろそろ禁煙を考えますかね」


 苦笑して、イグナーツは席から立ち上がる。


「さて、あまり猊下をお待たせすると、いらぬ猜疑心を持たれてしまう。リリアン卿、私が留守の間は、騎士団本部をお任せしますよ」

「かしこまりました。それと、もうひとつお伝えすることがあります」


 会議室の出入り口に手をかけようとしたイグナーツだが、その一言を受けて足を止めた。


「何です?」

「総長ユーグ・ド・リドフォール様と、聖女アナスタシア様が、間もなく今年度の巡礼を終えて帰還するとのことです」


 リリアンの報告を受けて、イグナーツは頭を人差し指で搔きながら、小さく肩を竦めた。


「本格的に忙しくなりますね。もう二、三人、自分が欲しくなります」

「“もうすでにお持ち”ではないかと思料いたしますが」


 リリアンからの指摘に、イグナーツは声を上げて笑った。


「手厳しい」







 空中戦艦スローネのブリッジは、その部屋の大きさに反して相変わらず閑散としていた。床と天井いっぱいに描かれた印章以外に何もない、無機質な空間――そこに、四人の騎士が集まっている。円卓の騎士、Ⅳ番からⅦ番までの連番が、円陣を組むようにして対面していたのだ。


 Ⅳ番――この空中戦艦の艦長にして騎士団最年長の老騎士、ヴァルター・ハインケル。

 Ⅴ番――短くまとめたブロンドの髪を持つ女騎士、レティシア・ヴィリエ。

 Ⅵ番――サングラスをかけた褐色肌の大柄な騎士、セドリック・ウォーカー。

 Ⅶ番――鳶色の髪をした青年騎士、アルバート・クラウス。


 老若男女を体現したかのような絵面に、堪らずヴァルターが吹き出した。


「随分と珍妙な人員が集まったものだ。まさか、黒騎士討伐の追加要員にⅤ番とⅥ番が当てられるとはな。切れ者イグナーツも、ついに焼きが回ったか。これから小国ひとつ滅ぼしに行くかのような面子だ」


 最高齢の騎士が、この場に相応しくない冗談を口にしたことに、レティシアが殊更に顔を顰めた。


「貴様が言うと冗談に聞こえない。口を慎め、老害」


 ヴァルターは失言だったことを認めるようにして鼻を鳴らし、それきり黙った。

 セドリックが、サングラスのブリッジを上げながら肩を竦める。


「そう言うな、レティシア。事実、これだけの戦力を総長、もしくはイグナーツの監督なしに駆り出すということは、それだけ状況が切迫しているということだ。もっとも、二年前の戦争を思い出すような事態に、あまりいい気はしないがな」

「その通りです」


 アルバートが、話を切り替えるようにぴしゃりと言い放った。


「セドリック卿が仰ったように、我々が置かれている状況は深刻と言ってもよいでしょう。先日の円卓会議で取り上げられた議題について、今この状況がその通りであれば、もはや一刻の猶予もありません」


 それから、改めて他の三人を見遣る。


「ヴァルター卿、レティシア卿、セドリック卿――今回の任務については、私が全権を委ねられています。若輩者であるがゆえに不平不満を抱かれることは重々承知しておりますが――」

「おい」


 アルバートが話している途中で、レティシアが不意に遮った。


「ところで、お前のお供は今何をしている? ユリウスと、プリシラだったか」


 すると、アルバートは、少しだけ申し訳なさそうに目を伏せた。

 レティシアが、ますます不機嫌になったように目つきを鋭くさせる。


「なんだ、その顔は? なにがあった?」


 一度大きく息を吸った後で、アルバートは口を開いた。


「彼らには、先んじて黒騎士の討伐に向かわせました。今、我々が向かっている“グラスランド”にすでに到着している状態です」


 その言葉を聞いたレティシアとセドリックが、怪訝に眉を顰める。ヴァルターについては、その辺の事情をあらかじめアルバートから聞いていたため、特に動じた様子はなかった。


「どういうことだ? 議席持ちでもない雑魚二人にシオンの相手が務まるはずがないだろう」


 レティシアが言葉を選ばないで、率直にアルバートに訊いた。

 直後に、アルバートが軽く頭を下げる。


「ここは、同じ議席持ちである私の顔を立てると思って、どうかご了承いただきたいです。あの二人には、各々どうしてもつけなければならない“ケジメ”があるのです」

「ケジメ? ふざけるな。任務に私情を持ち込むなど言語道断だ。今すぐに二人を――」

「まあ、いいではないか」


 そこで、ヴァルターがレティシアを制止した。

 レティシアは何かを言いたげにヴァルターを睨みつけたが――老騎士から発せられる異様な雰囲気に飲まれそうになり、すぐに押し黙った。


「ユリウスとプリシラの二人がシオンを倒せるとは到底思えんが、もとよりわかりきっていることだ。我々は我々で、与えられた任務をこなせばよい。それに、結果論として、あの二人にはそれ以上の役割が与えられるかもしれんからな」


 妙な含みを持って言った老騎士に、レティシアとセドリックが眉根を寄せる。


「どういう意味だ?」


 ちょうどその時に、空中戦艦スローネが高度を徐々に下げ始めた。まだらな雲海を抜けた先に広がっていたのは――


「すぐにわかる。さあ、“グラスランド”に着くぞ」


 朝の霞を帳のようにして降ろす、ログレス王国屈指の観光地、“グラスランド”だった。







 ログレス王国の西寄りの場所に存在する都市――グラスランド。

 中世以前の街並みを色濃く残すこの街は、大陸屈指の観光地として名を馳せていた。石畳の路地を始めとして、古風な木組みの家が多く建ち並んでいる風景は、大陸各地で語り継がれる“騎士の御伽噺”の舞台を、図らずとも忠実に再現していた。あまりにも幻想的な場所であるおかげなのか、ガリア公国による侵略まがいの干渉を受けてもなお、この街の観光業は何事もなかったかのように栄えている。


 そんな古の街並みが、朝日を受けて徐々に人の出を増やした頃――とある宿泊施設のロビーが、物々しい雰囲気に包まれた。

 カソックと軍服を掛け合わせたような白い衣装に身を包んだ二人組が、ロビーの中央を突っ切るように歩いている。


 一人は、派手な金髪を後ろに流すようにまとめた眼鏡の男で、もう一人は、絹のような銀髪をショートカットにして、前髪を横一線に揃えて目元を覆う女だ。

 ユリウスとプリシラ――二人の若い騎士は、覚悟を決めたような表情で、出口の扉に手をかけた。


「あいつらが来ているのかもわかっていねえが――この街も広い。虱潰しに探すのは骨が折れるぜ」


 ユリウスが煙草を吸いながら言って、


「わかっている。だが、私たちにとっては、これがシオン様と接触できる最後のチャンスだ。何が何でも、見つけ出す」


 プリシラが静かに応じた。

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