第63話

 突如として姿を現した一人の男に、シオンを始めとした全員が驚きで狼狽した。瞬きをした僅かな時の狭間に、その男は何の前触れもなくシオンの目の前に立っていたのだ。

 ブラウンを筆頭にログレス軍の兵士たちが一斉に小銃を構えるが、男はまったく意に介していない様子だった。


 カソックと軍服を掛け合わせたような白の戦闘衣装に、大仰なケープマント――その装いから、騎士であることに間違いはない。背中まで伸びた黒髪に、闇の塊を押し込めたかのような黒瞳。それと人形のような非生物的な青白い肌が特徴的で、見ているだけで妙な恐怖心を煽られた。背丈は、一八〇センチを超えるシオンより頭一つ分高く、かなりの長身だ。


 男は、特に何かを感じている様子でもなく、何気ない所作で煙草を一息吸った。それから、じっとシオンを見据えながら口を開く。


「お久しぶりですね、シオン卿――と、今は黒騎士でしたね、失敬。元気そうなところを見る限り、まだアルバート卿たちとは会っていないようで」


 シオンは、いつになく鬼気迫る表情で、男の一挙一動に目を光らせていた。冷や汗をかきつつ、いつでも刀を抜ける状態で、威嚇するような眼差しを男に向けている。

 そんな彼の様子に、ステラはかつてない危機感を自ずと感じ取った。


「し、シオンさん、この人、騎士ですよね? まさか、またシオンさんを狙いに?」


 しかし、シオンは無言のままで――というより、そんなことに答える余裕すらないといった様相だった。

 対して、男の方はというと、まるで自宅にいるかのような落ち着きようで――ステラの言葉を聞いて、ああ、と己の失態を恥じるかのように小さく声を上げた。直後、彼が手にしていた煙草が、どういうわけか、瞬時に跡形もなく燃え尽きる。


「ステラ王女を前に失礼いたしました。わたくし、聖王騎士団副総長、イグナーツ・フォン・マンシュタインと申します。円卓の議席Ⅱ番に座し、“賢者(メイガス)”の銘を持つ教会魔術師としての肩書も有しております。一国の王族である御身に拝謁するには好ましくない場ではありますが、ステラ王女にお目にかかることが叶いまして至極光栄に思う所存です」


 男――イグナーツは、こなれた振る舞いで深々とステラに一礼した。

 ステラは一歩後退り、目を丸くさせる。


「副総長!?」


 騎士団のナンバーツーが、何故こんなところに――いや、黒騎士であるシオンがここにいるのだから、それしか理由がないだろうと、ステラはすぐに頭の中を整理した。

 そんな思考を察したのか、


「ここで貴方を殺すつもりは毛頭ないですよ。アルバート卿たちの仕事を奪いたくはないですしね」


 ステラが何も言わずとも、イグナーツが自らそう説明した。

 しかし、シオンは依然として戦闘態勢を解かず、天敵を前にした獣のような殺気を放ち続けている。


「大臣をやったのはアンタだな?」

「はい」

「口封じか?」

「そんなところです」

「教皇の差し金か?」

「そうですね、そう捉えてもらって構いません」


 刹那、シオンが刀を引き抜き、イグナーツの首を刎ねた。瞬きすらも許さない一閃に、周囲が驚く間もなくイグナーツは――


「落ち着いてください。貴方は昔からこらえ性がないですね。そんなだから、黒騎士になってしまうんですよ」


 何事もなかったかのように、その場に立ち続けていた。

 ステラの目には、確かに一瞬、イグナーツの首が胴体から切り離された光景が映し出されていた。だが、今見ると、それが錯覚か幻であったかのように、何も変わりがない。


 イグナーツがやれやれと呆れた顔になる一方で、シオンもまた、始めからその結果がわかっていたかのように、忌々しそうに顔を顰めた。


「騎士団も教皇と繋がっていたか」


 微かな怒気が込められたシオンの言葉に、イグナーツは肩を竦めながら口をへの字に曲げる。


「何を当たり前のことを。騎士団が教会の一部である以上、教皇と繋がっているも何もないでしょう? 教皇から何か命令があれば、副総長の私だって否応なく動かざるを得ないですよ」

「騎士団の職務には教会権力者の監視、監査も含まれているはずだ。教皇がガリア公国と癒着している現状を放置していいわけがない」

「色々と込み入った事情があるんですよ、我々も。所謂、政治的な話、ってやつです」


 憤りを見せるシオンに対し、イグナーツは微笑混じりに答えた。どこからともなく煙草を一本取り出し、まるで職場の休憩室で一服するかの如く、火を点ける。


「他に訊きたいことはありますか?」

「アンタが出張ってまで秘匿したいことはなんだ? 教皇は何を企んでいる?」

「さあ? 私もよくわかっていないです。仮に知っていたとしても、貴方に言うわけないでしょ。あ、私が訊きたいことがあるかどうか訊いたんでしたね、すみません」


 ハハッ、と、最後の方は嘲笑混じりだった。

 普段、どれだけの激情を抱いても、目元くらいしか表情の変化を見せないシオンが、苛立ちで酷く顔を歪めている。それだけで、イグナーツという男がこの場にいることが異常事態なのだと、ステラは容易に察することができた。


 そんなシオンの神経をさらに逆撫でするかの如く、イグナーツは急に腰を下ろした。彼が両膝を曲げると同時に、地面から急成長した植物のように椅子が出来上がる。恐らく、魔術で作り出されたものだろう。


「私からも貴方に少しお伺いしたいことがあるんですよ、黒騎士シオン」


 シオンは無言でその先を促した。


「貴方がステラ王女と王都を目指している理由はわかっています。王女に戴冠式を開催させ、来場した教皇を暗殺したいのですよね。ですが、王都はガリアに実効支配されている状況です。そんな状況で、貴方はどうやって戴冠式を開催するおつもりで?」

「答えると思うか?」

「まあ、貴方の考えていることは何となくわかっているんですけどね。ガリア公国のルベルトワで手に入れた、エルフの実験記録を利用するのでしょう? あれがあれば、ガリア公国と教皇の癒着の事実を証明できますからね。平たく言えば、脅迫、ですかね。戴冠式に来ないとこれを公表するぞー、って感じで」


 その問いに対してシオンは口を開かなかったが、イグナーツはそれを肯定と汲み取ったようで、


「貴方は本当、口を開けばきかん坊で、黙れば素直ないい子ですね」


 煙草を吸いながら、揶揄うように笑った。イグナーツは前屈みになり、すぐに真剣な表情になる。


「でも、ですよ。“あの”教皇が、その程度の脅しに屈しますかね? 下手すれば、王女の立場を逆に危うくしてしまうと思いますよ? なんせ、相手は、この大陸のどの国家元首よりも強大な力を持つ、最高権力者ですからね」


 それは部下に指摘をする上司のような口ぶりだった。シオンも、どことなく自身の考えを鑑みるような目つきになっている。

 イグナーツはさらに続けた。


「そこで提案なのですが、私に、その書類と、ステラ王女を預けてみません? 勿論、証拠隠滅が目的じゃありません。貴方がさっき言ったように、教会の権力者の監視、監査も騎士団の仕事なので、その一環です。嘘は言っていません、 “神に誓って”」


 突拍子もない話に、その場に居合わせた全員が驚きの声を上げた。特に、兵士たちは瞬時に強烈な警戒心を持ったようで、小銃を握る手に一層の力を込めた。


「ああ、やっぱりそういう反応になりましたか。でも、私はいたって大真面目に言っています。何でしたら、シオン、貴方、もう一度騎士団に入りたくありませんか?」


 さらに、耳を疑うような言葉がイグナーツから発せられる。


「免罪符さえ発行すれば、黒騎士でも騎士団に戻れますよ。まあ、完全に騎士と同じようにとはいかないでしょうけど。諸々行動制限はあると思いますが、どうです? ちなみに、議席ⅩⅢ番は未だに貴方が座っていることになっているので、円卓会議にも参加できますよ」


 その口ぶりと顔つきは、冗談を言っているようには見えなかった。イグナーツは、本人の言う通り、いたって真剣な提案をしているのだろう。

 しかし、それを理解できているのか、いないのかはさておき――シオンは、まるで汚物の掃き溜めを見るかのような眼差しで、イグナーツを睨みつけていた。


「ふざけるなよ。“二年前に何もしなかった”アンタの言葉を、どうやったら信用できる」


 静かだが、心臓を抜き取られるような悍ましさを孕んだ声だった。

 イグナーツは、煙草を一息吸ったあとで、空を仰ぎながら軽く目を瞑る。


「そうですか。残念です」


 そう言って、イグナーツは椅子から立ち上がり、無念そうに嘆息した。


「悪い話ではないと思ったんですが、信用されていないのなら仕方ないですね」


 それから、不意に右手を横に伸ばす。すると、突如としてそこに、一本の杖が収められた。


「気が変わりました。黒騎士シオン、貴方をここで殺すことにします」

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