第62話

 シオンによる尋問は、思いのほか円滑に進んだ。時間にして三十分もかからずに、聞きたいことをトーマス大臣から聞き出すことができた状態だ。

 偏に、これもシオンの威圧的な聴取によるおかげだろう。終始慄くトーマス大臣の様子から、殺気を放つ黒騎士を前にしては、虚偽の答えを口にするという選択肢すら浮かばなかったに違いない。


「この国の実情も、俺たちの立場も、思った以上に芳しくないな」


 尋問を終えて、シオンが独り呟いた。


 トーマス大臣から聞き出したことは、大きく二つである。


 まず一つは、トーマス大臣の立場についてだ。当初は否定していたが、やはりトーマス大臣はガリア公国と繋がっていた。ガリア公国がログレス王国を完全に支配した暁には、国の新たな統治者として擁立してもらうことを見返りに、暗躍していたらしい。ステラを王都から逃がすように見せかけ、ガリア軍へその身柄を引き渡そうとしていたのだ。偽物のステラを雇ったのも、ログレス軍をかく乱させることが一番の目的だったようだ。

 だが、その計らいはステラがシオンと接触したことで、あえなくご破算となった。今回、ヒュドラを使ってガリア軍が偽物の王女を襲撃したのも、本物と信じ込まれているうちに偽物を処分することで、王女が亡くなったという誤報を国内に広め、一気に国の士気を下げる目的だったのだろう。


 二つ目は、トーマス大臣が利用するガリアとの連絡経路、及び頻度だ。トーマス大臣は、やはり、ステラが黒騎士と共に行動しているという情報を得ていた。それをどのように、いつ手に入れたのかを聞き出した。

 情報元は、やはりガリア軍で、入手した時期は二週間ほど前とのことだ。二週間前と言えば、シオンたちは、エルフたちを解放し、ガリア公国とログレス王国の国境を越え、アルクノイアに向かっている道中だった。ルベルトワでは、ステラもシオンも、住民に素性を誰にも明かさなかったのだが、さすがに騒ぎを大きくし過ぎたのか、ガリア軍にはすぐにバレてしまっていたようだ。確かに、リズトーンでギルマンがシオンとステラのことを知っていたことを鑑みれば、その時点でステラの同行者と、彼女のおおよその現在位置を把握されていたとして不思議ではない。


 だが、シオンにはどうしても腑に落ちないことがあった。

 それは――


「やっぱり、ルベルトワでエルフたち逃がした時点で、ステラの居場所やアンタが一緒にいるってことはガリア側に知られていたんだね」


 不意に、シオンの傍らに、エレオノーラがそう言いながら付いた。


 ガリア軍が持つステラの同伴者としての情報に、エレオノーラが含まれていなかったことである。リズトーンでギルマンたち第八旅団と交戦した時も、ギルマンはエレオノーラの存在についてはその場で初めて知ったような口ぶりだった。そして、トーマス大臣から得た情報としても、ステラの同伴者は黒騎士だけとされていたのである。

 さらに不審に思うのは、アルバートたち騎士団側としては、彼らはステラの存在を知らず、エレオノーラだけがシオンに同行していると認識していたことだ。ルベルトワでシオンがエレオノーラと行動を共にするようになってから今時点まで、ステラと行動を一緒にしなかったことはほとんどない。となれば、騎士団側――アルクノイアで接触したアルバートたちが、シオンと同行している人物の中にステラがいることを認識していないと不自然だ。騎士団ほどの組織力があれば、シオンと一緒にいる少女の正体を知ることなど造作もないことだろう。騎士団の情報網がそれだけ強力であることは、元騎士であったシオンが一番よく知っている。

 となれば、考えられることは一つだけだった。


 “何者か”がステラとエレオノーラに関する情報を操作し、意図的な結果をガリア公国と騎士団へそれぞれ流している。

 少し膨らませた言い方をすると、ステラとエレオノーラが一緒にいることを誤魔化そうとしている――


 そうとしか、考えられなかった。


 シオンは、横にいるエレオノーラに視線だけを向ける。


「ん? どうしたの?」


 エレオノーラは、いつも通りの調子で首を傾げた。

 騎士団とガリア軍との命を賭けた交戦があったにも関わらず、彼女は文句を言いながらも、常に協力してくれた。今回の偽物騒動についても、彼女がいなければ今頃ステラとシオンはどうにかなっていたかもしれない。

 教会の最重要機密である“騎士の聖痕”を解析することを条件にしているとはいえ、その見返りに対しての働きと考えると、いささかやり過ぎとも思える。


「ねえ、ちょっと、そんな怖い顔で睨まないでよ。感謝こそされ、嫌な顔される覚えは一つもないんだけど」


 不審そうに見遣るシオンに、エレオノーラがそう抗議してきた。

 そこへ、ステラも加わる。


「そうですよ、シオンさん。意識失ったシオンさんを運んでくれたの、エレオノーラさんなんですからね。文句ひとつ言わずに、ずっとシオンさんのこと肩に担いでいたんですから」

「あ、いや……ステラ、余計なことは言わないで……!」


 エレオノーラが若干顔を赤らめながらステラの口を塞ぐ。


 いつもの他愛もないやり取り――少なくとも今この瞬間に、何か不穏な空気を孕んでいるということはなさそうだ。

 シオンは一度目を伏せ、切り替えるように小さく息を吐いた。


「エレオノーラ、ありがとう。助かった」


 シオンに言われて、エレオノーラは口を若干尖らせながら視線を外した。どこか居たたまれなさそうに、もじもじと二つ縛りの髪を両手で触り出す。


「……こ、今度から気をつけなさい。まあ、アンタが“帰天”使うのを渋っていた理由、今回の件でわかったから、いざという時はまたフォローするけどさ」


 そんな彼女を、ステラがどこか満足げにかつ嬉しそうに見て、何度もうんうんと頷いていた。


 この件については、いったん保留にしておこう――考えても結論が出ない上に、かといって、下手にエレオノーラを問い詰めるようなことをしたくない。もしかしたら、彼女の意思ではない何かが、情報を錯綜させているかもしれないのだ。ここで変に信頼関係を失うことは、得策ではなかった。


 そんなエレオノーラへの疑念を忘れるようにして、シオンはステラの方を見た。


「ところでステラ、こいつらの処分と、ログレス王国軍の兵士たちはこれからどう扱うつもりだ?」


 シオンの一言に、場がまた少しだけ張り詰めた。

 先送りにしていた偽物二人の処分に、未だ頭だけを出した生き埋め状態のテイラーとクロフォードが、びくりと体を震わせる。


「わ、私はこれから何でもします! だからどうか、ステラ様、ご慈悲を!」

「僕もです! お願いします! ステラ様のために何でもします!」


 二人の命乞いを聞いて、ステラが、うーんと悩みだす。両腕を組み、知恵を捻り出すように眉間に皺を寄せる。


「ステラ様!」「ステラ様!」


 数秒そうしていたあと、テイラーとクロフォードからの嘆願の呼びかけを受け、軽く溜め息を吐きながら目を開いた。

 そして、ステラは二人の前にしゃがむ。


「本当に、何でもしますか?」


 真摯な問いかけに、二人は息を呑みながら大きく、はっきりと頷いた。

 ステラはそこで、顔を少しだけ険しくした。


「わかりました。今回の件については、お二人に処分は下しません。国の状況が状況ですしね。こういうのはやっぱり、ちゃんとした裁判とかで決めないと。それに、王族とはいえ、一方的に罪の重さを決めることはしたくないです」

「ステラさ――」

「ただし、条件があります」


 歓喜の声を上げようとした二人の声を、ステラが重々しい口調で遮った。


「テイラーさん、クロフォードさん、お二人にはこのまま、私とシオンさんの偽物でいてもらいます。そしてそのまま、ログレス王国を回ってください」


 思いがけない言葉に、その場に居合わせた全員が驚いた。ただし一人だけ――シオンだけが、なるほど、と小さく納得していた。


「この二人を囮にするつもりだな?」


 シオンの答え合わせに、ステラは頷いた。


「はい。今このタイミングで本物と偽物が合流したことを利用しない手はないです。私はこれから、シオンさんたちと王都に向かいます。その間、テイラーさんとクロフォードさんには、できるだけガリア軍と騎士団の注意を引き付けてほしいんです。ただそうなると、私たちを騙って外に出れば、間違いなくガリアと騎士団の両方から命を狙われることになります。非常に危険な依頼です。それでも、やってくれますか?」


 いつになくステラの眼差しは真剣だった。

 十五歳の少女がするとは思えない表情に、テイラーとクロフォードはおろか、兵士たちも呆気に取られる。

 微かな沈黙のあと、テイラーとクロフォードは、意を決したように表情を引き締めた。


「は、はい! お任せください!」「は、はい! お任せください!」


 その返事を聞いて、ステラは微笑する。


「ありがとうございます。その依頼達成を以て、贖罪としてください」

「はい!」「はい!」


 テイラーとクロフォードは覚悟を決めた声で、最後に威勢のいい返事をした。

 それを見ていたシオンが、


「うまいこと考えたな。やってきたことに対しての相応の償いにもなる。だが、あの二人だけで大丈夫か? 騎士団に関しては恐らく偽物とわかった途端に興味を失うと思うが、ガリアはそうもいかないだろ。最悪、偽物とわかっても本物として討ち取り、王女の訃報を流すかもしれない」


 そう質問した。

 ステラはそこで、今度は兵士たちの方を見遣る。


「勿論、そんな危険な状態でお二人を放っておきません。テイラーさんとクロフォードさんには、兵隊さんたちが何人か護衛としてついてください」


 ステラの言葉に、ブラウンがやや不服そうな表情をする。


「私たちが偽物の護衛、ですか?」

「はい。今まで騙されていたので嫌かもしれないですが、お願いします。兵隊さんたちがついていれば、ガリア軍もより本物と信じるはずです」


 ステラがそう提案すると、ブラウンが唸るように納得した。


「なるほどですね。仰る通り、偽物にまた首を垂れるふりをしなければならないのはいささか不本意ではあります。ですが、ステラ様のご命令とあらば」


 ブラウンが敬礼して、対するステラは礼をするように頷いた。

 彼女は続けて、


「あと、兵隊さんたちには他にもお願いしたいことがあるんです」

「と、いいますと?」


 ステラはここで、ルベルトワであったエルフの件と、リズトーンであったライカンスロープとドワーフの殲滅の件を話した。

 終始、兵士たちは言葉を失って聞いており、次第に怒りに表情を歪めるようになったが――それは、敢えてステラがそうしているのではないかと、シオンは思った。兵士たちは、ガリア公国がログレス王国国民に対して行った仕打ちに対して酷く嫌悪し、正義感を刺激されていた。

 そして、ステラは、兵士たちのモチベーションが最高潮になったところで、逃亡生活をしている亜人たちへの合流と、その保護を指示したのである。


 話を終えて、ブラウンが重たい口を開いた。


「その任、確かに承りました。各地に潜伏している他の兵と合流しつつ、必ず亜人たちとも合流し、保護いたします」

「お願いします」

「となれば、早速準備に取り掛かります。状況的に悠長なことは言っていられないので、我々は明朝ここを出発いたします」


 そう言い残して、ブラウンは他の兵士たちと出発の準備を始めだした。ついでに、テイラーとクロフォードも地面から掘り出す。万が一を考慮され、二人は逃げないようにすぐに縄で縛られていた。


 そこまで終えて、ステラは、全身の緊張が解けたように、大きく息を吐いた。徐に夜空を仰ぎ、しばし放心状態となる。

 一息ついた、というところで、今度はシオンとエレオノーラの方を向いた。


「あの……相談もなしに勝手に色々決めちゃいましたけど――こ、これでよかったでしょうか?」


 先ほどまでの威厳溢れる姿はどこにいったやら――また、いつものポンコツな年相応の顔になって、てへ、と気恥ずかしそうに頭の後ろを押さえた。


 しかし、シオンとエレオノーラは、後半に入ってからは、ステラの王族たる毅然とした姿の片鱗を見て、見惚れるように呆然としていた。


「あ、あの……シオンさん、エレオノーラさん?」


 ステラの自信なさげな呼びかけを受けて、エレオノーラが驚きの表情のまま小さく拍手をした。


「アンタ、いつの間にそんな王様っぽくなっちゃったの?」

「あ、だ、大丈夫でした? なら、よかったです」


 エレオノーラの賛辞に、ステラがくすぐったそうに喜ぶ。

 次にステラは、シオンを見た。


「あの、シオンさん的には、どうでしたでしょうか……?」


 恐る恐る訊いてきたステラ――シオンの表情は、いつになく穏やかなものだった。


「俺から言うことは何もない。うまくいくといいな」


 だが、褒めたにもかかわらず、今度は逆に、ステラが驚愕の表情で固まった。なぜか、エレオノーラもシオンを見て硬直している。

 シオンは、すぐに怪訝に眉を顰めた。


「な、なんだ?」

「今、笑いました!?」「今、笑った!?」


 ステラとエレオノーラが、同時に詰め寄ってくる。


「ちょ、い、今の顔、もう一回見せてください! 何か、こう、グッとくるものがありました!」

「何あの顔! ねえ、もっかい、もっかい! 笑いなさいよ!」


 興奮気味に二人が迫ってくるが、シオンには一切の心当たりがなかった。

 二人は笑顔を強要してくるが、シオンの顔はそれとは逆に、苛立たしい感情を表すようにますます顰められた。


「知らん。もういいだろ」

「あーん!」「あーん!」


 煩わしそうにシオンが踵を返して、ステラとエレオノーラが揃って間抜けな声を上げた。

 そんな二人は放っておいて、シオンは、放置されっぱなしのトーマス大臣のところに向かった。


 トーマス大臣は、すっかり意気消沈という状態で、もはやもぬけの殻同然だった。だが、シオンの姿を見るなり、瞬時に息を吹き返して、情けない顔で彼のことを見上げる。


「た、頼む……! どうか、どうか殺さないでくれ……!」

「アンタにはまだ聞きたいことがある」


 シオンが言うと、トーマス大臣は不思議そうに眉を顰めた。


「な、なんだ? わしに答えられることならなんでも答える! だから――」

「教皇は、ガリアと結託して何をしようとしている?」


 瞬間、トーマス大臣が青ざめた。一番訊かれたくないことを訊かれた――そんな顔だ。

 シオンはそれを見逃さなかった。


「どうした? 答えろ」


 トーマス大臣は、まるで酷い風邪を引いたかのように、強烈に震え出した。呼吸を荒げ、見えない何かに怯えるように戦慄し始める。

 それが数秒続き、ついに意を決したようで――


「教皇猊下は――」


 しかし、その言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 何故なら、トーマス大臣の姿が忽然と消えたからだ。そこに残ったのは、彼を埋めていた穴だけである。トーマス大臣が消える間際――一瞬だけ、光の粒のようなものが空中に漂ったことだけは視認できた。だが、逆に言えば、それだけである。

 何が起こったのか、この場の全員が理解できずに呆然としていた時――


 シオンは、この現象が何かを“思い出した”。


「――イグナーツ!」

「何ですか?」


 シオンがその名を叫んだ時――その名を持つ本人が、シオンの目の前に、煙草を吹かしながら立っていた。


 円卓の議席Ⅱ番――イグナーツ・フォン・マンシュタイン。聖王騎士団副総長にして、“賢者”の銘を持つ教会魔術師が、ここにいた。

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