第59話

 エレオノーラが部屋から出ていって間もなく、不意に扉がノックされた。

 ステラが扉を開けると、そこにはブラウンが立っていた。


「やあ。巡回に来た」

「あ、どうも」


 気さくに手を挙げたブラウンに、ステラは軽く会釈を返す。


「特に変わりないか?」

「えっと……」


 ブラウンの問いかけに、ステラは少し口籠った。

 エレオノーラが自称黒騎士の部屋にいったことを、果たして伝えていいものなのだろうか――そんなことを考えていると、先にブラウンの方が何かに気付いたように声を上げた。


「教会魔術師のお嬢さんがいないな。どこにいった?」


 隠しても仕方ないと、ステラは小さく息を吐いた。


「その、エレオノーラさんは、黒騎士さんの部屋にいったようです」

「なるほど。まあ、英雄色を好むと、よく言うしな。黒騎士殿も、こんなところに常駐させられて、色々溜まっているんだろう」


 意外にもブラウンは寛容な態度で、苦笑しながら納得してくれた。てっきり、勝手に歩き回っていることを咎められると思ったため、ステラは虚を突かれたように一瞬呆けてしまう。

 だが、すぐに頭を切り替えた。


「あの、いきなり変なこと聞いてしまうんですが――」

「なんだ?」

「なんで、王女様と黒騎士さんは一緒にいるんですか? 黒騎士と言ったら、教会に逆らった大罪人なんですよね? その、危ないんじゃないですか?」


 言いながら、自分のことを棚に上げているなと、ステラは内心苦笑する。

 その質問に、ブラウンは、ああ、と小さく笑った。


「世間一般的にはそう言われているな。だが、あの黒騎士殿は少し違う」

「と、いうのは?」

「彼がここに来たのは三日ほど前のことだ。二年前に起きた騎士団分裂戦争の戦犯として処刑されそうになったところ、運よく逃げ出すことができたみたいでね。行く宛てもなく彷徨っていたところ、偶然この集落に流れ着いたらしいんだ。それで、ログレス王国の現状を話したところ、当面の生活をこちらで保証する代わりに、戦力として協力してくれるということになったんだ」


 最後の言葉に、ステラは眉根を寄せた。


「戦力として協力っていうのは、この集落の防衛にということですか?」

「いや、違う。本当は言っちゃ駄目なんだが――王都を追い出されてしまったマリーちゃんには、希望を与える意味合いも込めて、特別に教えてやろう。くれぐれも、他言無用にな」


 ブラウンが言って、ステラは若干緊張した面持ちで頷く。


「実はな、近々、王都を奪還するための軍事作戦を実行しようと、トーマス大臣を中心に計画されているんだ」


 思いがけない回答に、ステラは目を丸くさせた。


「その時の戦力に黒騎士殿が加わってくれると約束してくれたんだ。騎士といえば、超人的な身体能力で軍隊すらも圧倒する戦闘力を有していると聞く。しかも、それがあの二年前に大暴れした黒騎士だってんなら、こっちとしては願ったり叶ったりさ」

「ちょ、ちょっと待ってください! 王都を奪還って――兵隊さんたちが一斉に王都へ攻め込むんですか?」

「ああ。近日中にここを発って、各地に潜伏している同志たちと合流しながら王都を目指す予定だ。王都をガリアから取り戻すことができれば、マリーちゃんもまた王都で暮らすことができるぞ」


 誇らしげに胸を張るブラウンだが、ステラは青ざめた顔で前のめりになった。


「その時に黒騎士も連れていくって……そんなことしたら、ログレス王国が教会、騎士団と明確に対立してしまうんじゃ――」

「無論、承知の上さ。だがな、考えてもみろ。ガリアのこの侵略まがいの行動に、教皇たちはだんまりを決め込んでいる。本来であれば、大陸の平和と秩序を保つために、騎士団はログレス王国の味方をしなきゃならないんだ。だが、それがどうだ? まるで見て見ぬふりだ。そんな奴らに、何を気遣う必要がある。もう手段を選んでいる余裕もないんだ」

「それは……」


 反論できずに、ステラは続きを口淀んでしまった。

 そんな彼女の頭の上に、ブラウンが優しく手を置く。


「心配するな、我々が必ず君の平和を取り戻す。だからどうか、マリーちゃんも作戦の成功を祈っててくれ」


 それからブラウンは踵を返し、去り際に振り返ってきた。


「それじゃ、戸締りをしっかりして休んでくれ。ここには私たち兵士とステラ様たちしかいないが、猛獣や野生化した魔物がいるみたいでな。もしこの部屋が襲われるようなことがあったら、遠慮なく大声で叫んでくれ」


 兵士らしいきびきびした動きで、ブラウンは部屋を後にした。

 残ったステラは、複雑な面持ちで床に視線を落とした。


「……どうにか、しないと。このままだと、ログレス王国は完全に孤立してしまう」







 自称黒騎士がいる廃教会――もとい、“自称ステラの城”の三階へと向かっていたエレオノーラ。道中の廊下の燭台に灯されている火は、劣化した壁の隙間から吹く風に煽られて頼りなく揺れていた。あらゆる影が歪に変形する中で、ふと、エレオノーラは足を止めた。

 直角に曲がる三階へと続く階段の手前廊下で、何者かの話し声が聞こえたのだ。エレオノーラは壁を背にして、話し声のする方を覗き込む。


「あんな得体の知れない連中を招き入れて、いったいお前は何を考えているのだ!?」

「何そんなかっかしてんのよ。いつも通り王女様ごっこしただけよ」


 そこにいたのは、トーマス大臣と、自称ステラだ。何やらもめているようで、双方苛立った表情をしている。

 エレオノーラは、したり顔で聞き耳を立てた。


「よりによってあの中に教会魔術師がいたではないか! ガリア軍からの最新情報を受けて急遽偽物の黒騎士を用意したというのに、それが裏目に出たらどうするつもりだ!? もし、あの女魔術師がこのことを騎士団に報告すれば、騎士たちがここにやってくるんだぞ!」


 やはり、トーマス大臣がガリア軍と繋がっていた。

 予想が的中し、エレオノーラはほくそ笑む。


「そうなる前にさっさとここを出払えばいいでしょ? 貴方の計画じゃあ、明後日にはここを出て王都へ向かうんだから、たとえチクられたところで余裕で逃げ切れるでしょ。ていうか、色んなところにチクられた方がこっちとしては都合がいいんじゃないの? ログレス王国の王女が悪名高い黒騎士と一緒に行動しているって大陸中に知れ渡れば、国と王女を国際社会的に孤立させることができるって言ったじゃない」

「それは、そうだが……」


 自称ステラに言いくるめられ、トーマス大臣がぐぬぬと歯噛みした。

 さらに、自称ステラが続ける。


「ほらね。だったら、少しくらい私の好きにさせてよ。最近、全然男遊びができなくて欲求不満気味なのよ。だから、今日来たあのイケメンとちょっとくらい遊んでもいいでしょ? 黒騎士様も女魔術師とイイことするみたいだし。なんだったら、貴方は残ったあのロリっ娘の相手でもすれば?」


 自称ステラが揶揄うように笑いだす。

 しかし、トーマス大臣は途端に険しい顔つきになった。


「そうだ、あの娘も妙なのだ。どこかであったような、どこかで聞いた声のような……とにかく既視感があるのだ」

「え、なにそれ。貴方みたいなおっさんがそんな台詞で口説くの? 引くわー」

「そんな話をしているのではない!」


 トーマス大臣が一喝して、自称ステラは肩を竦めた。


「とにかく、だ。これ以上好き勝手なことはするな。もし計画が狂えば、輝かしい未来はないものと思え」


 その言葉に、自称ステラが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「輝かしい未来ねえ……。ログレス王国がガリア公国の支配下になった時、貴方が新しい統治者になるって話だっけ? そんな面倒なことの何が輝かしい未来なのか理解できないけど――ま、私はお金さえ貰えればなんでもいいや」

「抜かせ。お前たちのような低俗な詐欺師には、到底わからぬわ」

「そんな低俗な詐欺師に協力を仰いでいる貴方の器もたかが知れているけどね」


 自称ステラの嘲りに、トーマス大臣が無言で憤りを現わす。


 エレオノーラは、一連のやり取りを聞いて、ラッキー、と頭の中で呟いた。わざわざ自称黒騎士と接触するまでもなく、知りたい情報を聞くことができたのである。

 おおよその予想は当たっていた。

 整理すると、偽の王女を仕立て上げてログレス軍を留めているのはトーマス大臣。そして、トーマス大臣は、偽物二人を使って王女が黒騎士といることを世間に知らしめ、国際社会から孤立させようとしている。明後日にはここを発ち王都に向かうと言っていたが、おそらくはその旅路の中で王女の悪評を広げつつ、ログレス軍の力を削ぐつもりなのだろう。後は、国内のどこかに潜伏している本物の王女をじわじわと追い詰めれば、ログレス王国は完全に陥落する――シナリオとしてはこんなところかと、エレオノーラは小さな息を吐いた。


「さて、どうするか」


 このままあの偽物二人とトーマス大臣をとっちめたところで、悪者になるのはこちらの方だ。

 ここは大人しく、いったんステラのいる部屋に戻るべきか――そう考えていた時だった。


「ん、こんなところで何をしている?」


 不意に、背後から声をかけられた。振り返ると、そこには巡回中のブラウンがいた。

 エレオノーラが驚き――そして、自称ステラと、トーマス大臣もそれに気付く。


「誰だ!?」


 自称ステラたちが駆け寄り、エレオノーラはブラウンとの挟み撃ちにされてしまった。

 自称ステラとトーマス大臣は、エレオノーラの姿を見るなり、焦りと怒りの表情になる。


「き、貴様、まさか、今の話を!」


 エレオノーラは観念したように溜め息を吐き、肩を竦めた。


「うん、ばっちり聞かせてもらった。アンタら、バレたら重罪待ったなしだよ?」


 自称ステラとトーマス大臣が、言葉を詰まらせながら怯んだ。

 そんなやり取りを、ブラウンは事態を飲み込めないような顔で眺めている。

 直後に、トーマス大臣がエレオノーラを指差した。


「兵士よ、この魔術師は王女に仇をなす悪しき魔女だ! 早々に始末しろ!」

「へ、兵士さん、助けてくださいませ!」


 自称ステラがわざとらしい悲鳴を上げて、さらに盛り上げる。

 ブラウンは一瞬呆気に取られたが、すぐに小銃をエレオノーラへと向けた。


「な、何が何だかよくわからんが、ステラ様に危害を加えると聞いては放っておけん! 教会魔術師、大人しくしろ!」


 エレオノーラは、再度大きな溜め息を吐き、後頭部を軽く掻いた。


「しゃーない。こうなったら、実力行使で――」


 そう言いかけて、重大なことに気が付いた。

 ライフルを部屋に置きっぱなしにしているのである。それどころか、印章を描き記したノート、もしくは印章を描けるものすら、持っていない。

 冷や汗が、エレオノーラの額を伝った。


「ブラウン中尉、何をしている! さっさと撃ち殺せ!」


 トーマス大臣が声を張り上げるが、ブラウンは慎重に事を運ぼうとしているようだ。エレオノーラと一定の距離を保ったまま、逃げ道を塞ぐように移動する。

 その間に、エレオノーラはこの状況をどう突破するか思案を巡らせていたが――


「――!?」


 突如として、外から轟音が響いた。

 音が聞こえた方角は、ステラと、未だ意識を取り戻さないシオンがいる宿の方である。

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