第58話

 日が完全に落ちた頃、自称ステラ主催の晩餐会へ案内するため、兵士のブラウンがステラたちの休む部屋に訪れた。ブラウンは部屋の内装が新築同然になっていたことにえらく驚いていたが、エレオノーラがすぐに自身の素性を明かした。

 “教会魔術師”の“紅焔の魔女”――その銘を聞いて、ブラウンはさらに目を丸くさせていた。その反応が久々に自尊心をくすぐったのか、エレオノーラはほんの少し得意な顔になって教会魔術師の証である銀のペンタクルを見せつけていた。


「いいんですか、エレオノーラさんが“紅焔の魔女”だってばらしちゃって? リズトーンの一件で、私と一緒に旅していることがガリア軍にもばれているんですよね? もし、大臣がガリア軍と通じていたら、その情報も渡っているんじゃ……」


 晩餐会の会場への移動中、ステラが不意に訊いた。

 エレオノーラは軽く肩を竦めて微笑む。


「シオンが第八旅団を壊滅させたおかげで、連中は今頃情報の整理なり後始末なりで大慌てな状況のはずだよ。そんな時に、わざわざこんな辺境の地にいるおっさん一人を相手にすると思う?」

「まあ、確かに」

「それより、アンタはその大臣に顔見られないようにしっかりね。帽子、しっかり深く被んなさい」


 そう言って、エレオノーラはステラが被る鳥打帽を目深に強く押し込む。ステラが短い抗議の声を上げると、エレオノーラは楽しそうに笑った。


 そうこうしているうちに、晩餐会の会場に着いた。

 廃教会――もとい、“自称ステラの城”の奥にある大部屋に、二人は招かれた。他の部屋の例に漏れず、古いことには変わりなかったが、食事場ということでさすがに掃除が行き届いており、清潔にされている。中央の長テーブルには白絹のクロスが敷かれていて、その上には灯の点いた燭台と、それなりに豪勢な食事が並べられている。天井に吊るされているシャンデリアから異音が聞こえていることだけが不穏だが、客人をもてなす雰囲気として及第点は得ているだろう。


「マリー様、エレオノーラ様。今日は、この“新王都”に初めてお客様がお越しになられた特別な日です。ささやかではありますが、お食事を用意いたしましたので、是非お召し上がりになってください」


 部屋に入って早々、長テーブルの上座に座る自称ステラが話しかけてきた。その両脇には、自称黒騎士と、トーマス大臣もいる。

 エレオノーラが慣れた所作で膝を軽く折ってカーテシーをすると、ステラも慌ててそれに倣った。


「こちらこそ、本日はお招きいただきありがとうございます。“ステラ様”」

「あ、ありがとうございます……」


 若干、不服そうにステラが言った後で、ブラウンともう一人の兵士が椅子を引いてくれた。ステラが椅子に座ろうとすると、不意に、トーマス大臣の顔が顰められる。


「そこの」


 その声は、ステラにかけられたものだ。ステラは、自身の顔見られないように、下を向いたまま肩をぴくりと震わせる。


「食事の場で帽子を被ったままなのは、さすがにマナーが悪いのではないかね? ましてここには、ステラ様も同席されているのだぞ」


 確かに、と、ステラが小さく唸る。

 そこへ、


「申し訳ございません。この子、王都から脱出した後の長旅のストレスが原因で頭皮が少し荒れてしまっているんです。このまま放っておくと禿げてしまうので定期的に薬を塗っているのですが、乾燥させると良くないので、馴染むまでこうして帽子を被らせているんです。折角のお食事の場面でご不快な思いをさせてしまうことにこちらとしても大変心苦しいのですが、どうかご寛大なお心遣いを頂けると幸いです」


 すかさず、エレオノーラがそれらしい話をでっち上げた。

 それを聞いたトーマス大臣たちが、たちまち憐憫の眼差しをステラに向けるようになる。


「そ、そうか。それは悪いことを訊いたな。髪の毛がなくなる苦しみは、わしもよくわかる」

「何て可哀そう……年頃の女の子だというのに」

「まだ君は若いんだ。これからだよ、マリー」


 正面の三人からそれぞれ好き勝手な言葉をかけられ、ステラは下唇を強く噛み締めながら体を震わせた。私が女王になったら覚えてろよ、こいつら――誰にも聞こえない声で、絞るようにそう言った。


 それから暫くは、エレオノーラが語るこれまでの旅話を肴に談笑が進められた。勿論、それもすべて作り話である。本当ならステラたちはガリア公国のルベルトワで出会ったのだが、当然そんなことは口が裂けても言えない。なので、ステラは名をマリーという王都から逃げてきた哀れな娘、エレオノーラはその道中たまたま出会った教会魔術師、シオンは名をジゴロというさらにたまたま出会ったただの金なしのイケメン放浪者――そういうことになった。シオンの設定だけ雑過ぎることにステラは終始冷や汗をかいていたが、意外にも話のウケはよかったようで、疑われることは一切なかった。


 食事はそのまま何事もなく終え――自称ステラとトーマス大臣、それと自称黒騎士が席を立とうとした。

 その時、ステラとエレオノーラが、すかさずアイコンタクトを取る。

 そして、エレオノーラが椅子から立ち上がり、


「黒騎士様」


 部屋を出ようとした自称黒騎士を呼び止めた。彼女の今までに聞いたことがない艶っぽい声に、ステラが密かにぎょっとする。

 それには構わず、エレオノーラは自称黒騎士へと近づいていった。一体どうやっているのか、その新雪のような白い頬を微かに紅潮させ、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせている。もともと容姿端麗なだけあって、その表情は男心を無条件にくすぐらせる妖美な色気があった。

 案の定、自称黒騎士は心を奪われたようで、振り向いたその顔はときめきを覚えたものになっている。


「なんだい、エレオノーラ?」

「先ほどは私だけが一方的に話してしまい、全然黒騎士様のことをお伺いする機会がありませんでした」


 エレオノーラは上目遣いになりながら自称黒騎士を見上げる。気持ち、胸を強調するような姿勢になると、自称黒騎士の視線は吸い込まれるようにそこへ向いた。


「あの、それで、なんですけど、もしよろしければ――」


 そこで一度、溜める。

 自称黒騎士が期待に胸を膨らます顔になる。


「この後、二人っきりで、どこか静かな場所でお話しませんか?」


 続けて、エレオノーラはわざとらしく何かに気付いたように顔を逸らした。


「あ、でも、黒騎士様って、王女様と、その、懇意にされていたり――もしそうだったらごめんなさい。でも、私、どうしても黒騎士様とお話ししたくて……駄目、ですか……?」


 自称黒騎士の鼻の穴が大きく開いた。


「いや、大丈夫だよ! 僕と王女の間には何もない! 是非、語り合おう! 僕の部屋はこの城の三階突き当りにある! そこでじっくりと話をしようじゃないか!」


 自称黒騎士の提案に、エレオノーラは両手の指先を合わせて満面の笑みを返した。


「ありがとうございます、黒騎士様。じゃあ、私、一度部屋で準備してから改めてお伺いさせていただきますね」


 あたかも“その気”があるようにして、エレオノーラは嬉しそうな雰囲気を出しながら踵を返した。自称黒騎士に背が向けられ、正面がステラ側になると、途端にガラの悪いしかめっ面になる。僅かな間の演技だったが、それなりの無理をしていたのだろう。

 そうして、ステラとエレオノーラは、食事会場を後にした。


「……迫真の演技、お疲れさまでした」


 食事会場の扉が閉まったあとで、ぼそりとステラが呟いた。







 自室について間もなく、エレオノーラは自ら嘔吐した。魔術で床に穴をあけ、そこに盛大に胃の中の夕食を流していったのである。

 それを見ていたステラが、


「そこまでですか!?」


 突然の奇行に、思わず驚いて声を上げた。

 すると、エレオノーラはタオルで口を拭いながら水で口の中を濯ぎ、再度吐き出す。それを数回繰り返し、落ち着いたところでベッドに腰を掛けた。


「別にあの偽騎士が気持ち悪かったから吐いたわけじゃないよ。吐きたいくらいに気持ち悪かったのは否定しないけど」

「いや、私、あの人が気持ち悪いなんて一言も言っていないんですけど……」

「こんな得体の知れない場所で出された食事、何入っているかわかったもんじゃないでしょ。だから、食事前にゴムの塊飲み込んで、胃壁を魔術でコーティングしたの。食べ物が消化吸収されないようにね。で、今、コーティングしたゴムごと吐き出したところ。あー、苦しかった」


 腹部を擦りながら、エレオノーラが深呼吸をする。そういえば、食事会場に行く前に何かを飲み込んで、自身の腹部に印章を記した紙を当てていたなと、ステラは思い出す。しかし、その後ですぐにハッとした。


「え、私、普通に食べちゃったんですけど!」

「ちょっと待ってて。大丈夫かどうか、今調べるから」


 そう言ってエレオノーラは、スーツケースから一冊のノートを取り出してパラパラとめくりだした。そこから一枚、ページを千切って、吐瀉物に被せる。ノートの切れ端には、印章が記されていた。すると、魔術の実行反応である微かな光が放出され――それきり、何も起こらなかった。


「よかったね。毒とか変な薬は盛られてなかったみたい。毒や薬が入ってたら、抽出されて被せた紙の上に残るんだけど、何もないね」

「もし盛られてたらどうするつもりだったんですか?」

「そりゃあすぐに吐き出させるしかないでしょ。大丈夫、解毒の魔術なら多少使えるから。そんなことより――」


 自身の命に関わることをそんなことと言われてステラが顔を顰めるが、エレオノーラは無視して続ける。


「アタシはこれから馬鹿の部屋に行って色々吐かせるから、アンタはこの部屋でシオンのお守をお願いね。ていうかこいつ、そろそろ起きてもいいんじゃないの?」


 エレオノーラがシオンの額を触って熱が引いていることを確認したあとで、ぺちぺちと彼の頬を軽く叩いた。


「あの、大丈夫だとは思いますけど、気を付けてくださいね。エレオノーラさんも、一応女性なので」

「一応ってなに? まあ、いいけど。ていうか、どちらかというと、アンタの方が気を付けなよ」


 その言葉の意味がわからず、ステラが小首を傾げた。


「え、何かあるんですか?」

「アタシの予想だと、寝静まった頃を見計らって、あの偽王女が忍び込んでくる気がするんだよね、この部屋に」

「何でですか?」


 無邪気な顔で訊いてくるステラの額に、エレオノーラは人差し指の先を押し付けた。


「アンタ、あの偽王女のシオンを見る目、見てないの? 完全に盛ってたじゃん。さっき食事の時に話した時も、やたらとシオンのことを気にしてたし。きっと、夜這い仕掛けにくるよ」

「いや、そんなまさか……」


 半信半疑に、ステラは苦虫を嚙み潰したような顔になる。しかし、エレオノーラはいたって真剣な顔だった。


「女の勘。あの女、何か性欲強そうな感じするし」

「何ですか、それ」


 ステラが呆れ気味に言って、疲れたように項垂れた。


「とにかく、アタシがいない間は、アンタしかシオンを守れないんだからね。頼んだよ」

「はあ……」


 喝を入れるように声を張るエレオノーラだが、ステラの返事はどことなく気の抜けたものだった。

 エレオノーラは嘆息気味に小さく息を吐く。


「緊張感がない。まあ、いいや。アタシもさっさと終わらせて戻ってくるから、それまでしっかりね」


 そう言い残し、部屋の扉へと向かって行った。

 エレオノーラが部屋から出ていって、ステラは未だ目覚めないシオンを見遣る。


「もー……早く起きてくださいよー……」


 眉根を寄せながら、独り言のようにそう呼び掛けた。

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