第57話

「宿なんて嘘っぱちじゃん。豚小屋かよ」


 部屋入って早々、エレオノーラがげんなりしてぼやいた。

 ブラウンに案内された建物は、この“新王都”唯一の宿泊施設とのことらしいが、どう見ても人が住める状態ではなかった。積まれた石に木材を張り付けただけの壁と天井はその大部分が腐食しており、今にも倒壊しそうなほどに隙間が空いている。ところどころ蛆が湧いている部分もあり、ステラとエレオノーラは思わず顔を顰めた。これならいっそ、外で寝た方がマシなのでは、と思えるほどである。


「悪いが、これでもこの集落の中ではかなり綺麗な方だ。何より、ベッドがある」


 ブラウンが言って目を馳せた先にあったのは――何かの作業用テーブルだろうか。足の付いた少し大きめの鉄板が、部屋の隅で申し訳なさそうに二つ置いてあった。この建物と同様に激しい腐食が目立ち、もはや触れなくても全壊してしまいそうだ。

 ステラが、それを指差す。


「ベッドって、あれですか?」

「あれ以外に何がある?」


 ブラウンが即答し、ステラとエレオノーラは無表情で固まった。


「食事の用意ができたらまた声をかけに来る。それまで、ゆっくり休んで旅の疲れをとっておくといい」


 そう言い残して、ブラウンが部屋から出ていく。扉が閉められた途端、ベッドと言われた謎のオブジェ二つが足から倒壊した。

 部屋に残ったステラ、エレオノーラ、そして意識を失ったままのシオンの間に、僅かな沈黙が流れる。

 無理やり繕った笑顔で、ステラがぎこちなく首を回してエレオノーラを見た。


「と、とりあえず、シオンさんを横にしてあげましょうか」


 すると、エレオノーラは軽く項垂れたあとに長いため息を吐いた。


「ちょっとシオン支えてて」


 突然そう言って、シオンをステラに渡す。ステラはシオンを正面から抱きかかえる形で受け止めたが、細身のわりに体重が重く、そのまま押しつぶされそうになった。


「あ、あの、いきなりどうしたんですか?」

「部屋、ちょっと掃除する。こんなボロくて汚い部屋、家畜も住みたがらないって」


 不意にエレオノーラが懐からスティックタイプの口紅を取り出した。彼女はそのまま慣れた手つきで、床と壁に印章を口紅で描き込んでいく。

 エレオノーラが、よし、と一言発して、それから間もなく、部屋に異変が起こる。息を吹き返すかの如く、部屋の内装がみるみるうちに修復されていった。実は目に見えない小人がせっせと働いているのではと思ってしまうような光景に、ステラが感嘆の声を漏らす。

 それからものの数分で異変は収まり、部屋の内装は、見事、新築同然となった。腐食していた木材はどこにも見当たらず、壁と床には艶のあるウッドタイルが整然と貼られている状態だ。


「やっぱり凄いですね、魔術って」


 続いて、足の折れた二つのベッドも修復されていく。廃材同然となっていたが、錆もすべて取り除かれ、ようやくベッドと呼称できる形状を取り戻した。


「お掃除オシマイ。シオン、ベッドに寝かせるよ」


 それから、二人してシオンをベッドに仰向けに寝かせた。ベッドマットもシーツもない、ただの鉄板の上だが、それでもようやく横にさせることができ、二人して胸を撫で下ろした。


「シオンさん、大丈夫でしょうか?」


 まったく起きる気配のないシオンを見ながら、ステラがぽつりと呟いた。

 エレオノーラは首を左右に倒し、肩を回している。


「大丈夫なんじゃない? ぶっ倒れた時と比べて呼吸も落ち着いてきているし、さっきおでこ触ったら熱も下がっている感じだったし。明日の朝には元気になってるでしょ。それより、アンタは自分の心配したら?」

「私、ですか?」


 ステラが、キョトンとして訊き返した。エレオノーラは、今度は首を揉み始める。どうやら、長時間シオンを運んでいたせいで、首と肩が凝ってしまったようだ。


「アルクノイア出てから、一睡もしないでずっと今の今まで起きてたんだから、さすがに疲れてんでしょ。今のうちに、もう一つのベッドで休んでおきなさいな」

「それはエレオノーラさんもじゃあ――」


 しかし、エレオノーラは鼻を鳴らして軽くウィンクを見せた。


「シオンがこんなんじゃあ、安心して寝ることもできないでしょ? 今日はアタシが見張りするから。その代わり、今度立ち寄る街ではゆっくりさせてもらうからね」

「エレオノーラさん……」

「ところでさ――」


 エレオノーラは、シオンが寝るベッドに腰を掛けて、唐突にそう話題を切り替えた。


「さっきのアンタの話、どうにもきな臭いね」


 ステラもそれに倣って、もう一つの方のベッドに座る。


「トーマス大臣のことですか?」


 エレオノーラが頷く。


「大臣は王女が誰なのか、間違いなく知っているんでしょ? 偽物の王族を仕立て上げるなんて、結構ヤバいことなんじゃない?」

「もし平時なら、この国だと死刑になりかねませんね……」

「それだけのリスクを負っても、偽物を王女として扱いたい理由があるってことか。まあ、どうせ悪いことなんだろうけど。それと、その偽物たちにも気になることがあるんだよね」

「そうですね、何が目的なんでしょう?」


 エレオノーラは足を組み直して、少しだけ前のめりになった。


「どのみち、ろくでもないことなんだろうけど――それよりも、アタシが気になってんのは、王女の偽物に黒騎士の偽物がセットでいるってこと。アンタさ、リズトーンでギルマンが言ったこと、覚えてる?」


 我々が何も知らないでここに来たと思っているのか?――確か、そんなことを言っていたはずだ。ステラは首を縦に振る。


「少なくともガリア軍は、王女のいる場所と、王女と一緒に黒騎士がいることを情報として押さえているみたいだったね。それとギルマンは、アタシについては、魔物を焼き払った魔術を見てその場で何者かを判断したみたいだった。つまり、敵に知られているステラ王女の近況としては、“黒騎士と一緒に国内に潜伏している”、ってところかな。リズトーンの件で、そこに“紅焔の魔女”も一緒にいるってアップデートが入るかもだけど」

「つまり、ガリア軍は私についての最新の情報を持っていて、それと同じ状態を今の時点で再現している偽物の王女たちはガリア軍とつながりがあるということですか?」


 ステラの問いかけに、エレオノーラはどことなく勿体ぶるような笑顔を見せる。


「まあ、そうかもしれないけど――アタシはちょっと別なこと考えたかな」

「と、いいますと?」

「大臣がガリアと通じているんじゃないかって」


 エレオノーラの答えに、ステラが動揺した顔で立ち上がった。


「そ、そんな!」

「アタシは、大臣が偽物たちに王女と黒騎士を演じるように指示して、何か良からぬことを企んでいると思うんだよね。ねえ、ステラ、何かそれを裏付けるような心当たりない?」

「心当たりって――」


 あるはずがない、と口が動きそうになったが、ステラはハッとした。


「――エルフの里に向かった時、偽物のせいでログレス軍の兵士が誰一人として応援に来なかった……!」

「全容が見えてきたんじゃない? 大臣はきっと、アンタをエルフの里に向かわせることでアンタを孤立させ、そのままガリア軍に処理させようとしたんじゃないかな? 幾ら意表を突く作戦だからって、敵国との国境近くに王女を送り込むなんて大胆過ぎるし――そもそも、匿ってもらう先のエルフたちは数年前の戦争でガリア軍に弾圧、乱獲されて到底要人を守るような体力もない状態だったろうし」


 エレオノーラの総括を聞いて、ステラは力が抜けるようにベッドに腰を下ろした。それから、口元を両手で押さえ、きつく目を瞑る。その両肩は微かに震えており、湧き出る感情を必死に抑えようとしているのが傍から見てもわかった。


「大丈夫?」


 エレオノーラが訊くと、ステラは力強く頷いた。


「……はい。もう、些細な感情の変化で自分を見失わないと決めましたから」

「いいこと言うじゃん。いいこと言ったついでに――」


 エレオノーラが、ステラの隣に座り直す。


「あいつら、ちょっと懲らしめてやらない? うまくいけば、シオンに褒めてもらえるかもよ?」


 その提案に、ステラは小首を傾げた。


「懲らしめるって、どうするんですか?」


 そして、エレオノーラは悪戯っ子のような笑みを見せる。


「まずは、一人馬鹿っぽそうなのがいるから、そこから攻めてみよっか」

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