第56話
自称ステラと自称黒騎士が先行して廃村――もとい、“新王都”の奥へと向かったあと、本物のステラとエレオノーラは、数人のログレス軍の兵士たちによって案内された。“新王都”という呼び名は、自称ステラが勝手につけたらしい。しかし、その実態は見た目通りの名ばかりで、まともな生活インフラすら整っていない状態だ。せいぜい、雨風を凌げる家屋があり、井戸水が湧いていること、あとは辛うじて電線が延びていることくらいが、せめてもの救いだった。
「あの……兵隊の皆さんはここで何をしていらっしゃるんでしょうか?」
何とも言えない表情で、ステラが兵士の一人に訊いてみた。
すると、出会った時に銃口を向けてきた中年の兵士が、説明を始めてくれた。ちなみに、エレオノーラのスーツケースを持っているのもこの兵士である。さすがに兵士であれば楽に運ぶだろうと思ったのだが、それなりに重たそうにしていた。
中年の兵士は、荷物の重さに汗を滴らせながらステラを見た。
「無論、このログレス王国の王女であるステラ様をお守りしている。ステラ様は、いつの日かガリア公国の支配からログレスを解放するため、ここを拠点に力を蓄えることをお考えになっているんだ」
この兵士の言うステラ王女とは、勿論、自称ステラの方である。
本物のステラは苦虫を噛み潰したような顔でさらに質問を続けた。
「へ、兵隊さんたちはどうやってここに集められたんですか? そ、その、“ステラ様”に」
「ステラ様が招集をかけられたわけではない。ガリア軍の侵略を受け、王都の防衛に失敗した我々ログレス軍は、ステラ様を逃がすために国内各地に散らばることにしたんだが――」
「あ、それは知っています。いくつかの中規模な部隊を編制して、囮になってくれたんですよね?」
「ん? 何で君がそれを知っている?」
「え? あ、い、いや、私も王都出身で、その、ガリア軍が攻め込んできたときに避難したんです。その時に偶然、知ったといいますか、身の危険を感じてどさくさに紛れて一緒に逃げ出したといいますか、何といいますか……」
当事者たちにしか知りえない情報を口に出してしまい、兵士が訝しげに眉を顰めた。焦ったステラが愛想笑いをして誤魔化すと、兵士は、まあいい、と言って話を再開した。
「君の言う通り、私たちはガリア軍の追跡からステラ様が無事に逃げられるように、国内各地に囮として散り、暫くの間、潜伏することにした。同時に、ステラ様はエルフたちに匿ってもらう算段で国の東側――ガリア公国との国境付近に向かっていたんだ」
ステラは心の中で、はい、知っています、その通りです、と呟いた。
「しかし、それが裏目に出てしまった。敢えて敵国に向かうことで敵の意表を突く作戦だったのだが、どこからかその情報が漏洩したらしく、ガリア軍がステラ様を捕捉したとの情報が入ってな。慌てて私たちログレス軍も東へと向かったんだ。しかし、そこはさすがのステラ様だった」
なにが? と、ステラは無言で首を傾げる。
「その時、ステラ様はガリア軍の裏をかいていたようでな、この山脈地帯に密かに身を潜めていたんだ。我々は、まだガリア軍の手が入っていないリズトーンを経由してエルフの独立自治区に行こうとしていたんだが、ちょうどその時、この廃集落の近くでステラ様と出会った。それから今まで、こうしてお守りしているというわけだ。あの時、入れ違いにならなくて本当によかったと思っている」
「へえ……そうなんですか……」
兵士の説明を聞き終わって、ステラは密かに怒り心頭の状態になった。だから、いつまでたっても応援が来なかったのか、と。ガリア兵に追われながらエルフの里を目指していた時、あまりにも自国の兵士がやって来ないことを疑問に思っていたのだが、どうやら兵士たちは偽物の王女にまんまと騙されていたようである。
もしあの時、シオンと出会わなければ、今頃自分はガリア兵に囚われていたか、殺されていただろう。そう思っただけで、さらに胸の奥で怒りの火が激しさを増していった。
そんな心情が顔に出ていたのか、不意に兵士が、
「どうした? 腹でも痛くなったか?」
そう声をかけてきた。
腹は痛いのではなく、立っているんです――そう声高に叫びたかったが、どうにかして笑顔を繕った。少なくとも、この兵士たちに悪気はないのである。軍人がそう簡単に騙されるなと、一国の王族として喝を入れたいところであったが、ここは堪えるところと自分に言い聞かせた。まして、自分が本物の王女であることを証明する術がない今この状態では、それも叶わない。
ステラは一度深呼吸をして、首を横に振った。
「いえ、何でもないです。王女様もですが、兵隊さんたちも大変だったみたいですね」
すると、兵士は伏目がちに小さく鼻で笑った。
「なに、ステラ様のご心労に比べればなんてことはない。私たちはこれが仕事だしな。そういえば、君も王都から逃げてきたと言っていたな? 君の方こそ大変だっただろう?」
「ええ、もう、そりゃあ」
やや食い気味に言って、兵士も少しだけ面食らった顔になった。だが、すぐにまた笑顔になる。
「まあ、ここには何もないが、せめて今日はゆっくり休んでいくといい。それと、さっきは悪かったな、急に威嚇して」
そこで、兵士が唐突に立ち止まって、手を差し伸ばしてきた。
驚きつつ、ステラも歩みを止める。
「私はジャスパー・ブラウン。ログレス王国国軍の中尉だ。いつまでも“君”っていうのもなんだ、よければ名前を教えてくれないか?」
名前を訊かれ、ステラは一瞬手を取るのを躊躇ったが、すぐさま機転を利かせ、
「ま、マリーっていいます。短い間ですが、お世話になります、ブラウンさん」
アルクノイアの時に名乗った偽名を、ここでもう一度使うことにした。
ステラが手を握り返すと、ブラウンは気のよさそうな微笑を見せてきた。
そこへ――
「ちょっと、何してんの! おいていくよ!」
先を歩いていたエレオノーラが呼びかけてきた。
ステラは短い返事をして、駆け足で彼女のもとへ行く。
「あの、エレオノーラさん」
「なに?」
「私、ここではマリーって名乗るので、よろしくお願いします」
その言葉でエレオノーラは色々察したようだった。シオンを軽く担ぎ直しながら肩を竦める。
「そ。まあ、アンタが“本物”だってわざわざ言わない事には賛成。今下手にそんなこと言ったら、こっちが偽物扱いされそうだし」
「はい。それに、信じられたら信じられたで、厄介なことになりそうです。最悪、王都へ戻るのを止められるかも」
ステラの見解に、エレオノーラは、へえ、と感心した顔になった。
「アンタも色々考えられるようになったじゃん。その調子で頼むよ、王女様」
「いや、だから黙っててくださいって!」
そんなちょっとだけ騒がしい掛け合いをしていた矢先、不意に、周りの兵士たちが歩みを止めた。
そこにあったのは、周りの家屋よりもずっと大きく、より頑丈そうな建物だ。恐らく、かつてこの集落の教会として機能していたのだろう。
正面にある大きな両開きの扉が仰々しく開かれると、中にいた数名の兵士たちが出迎えてくれた。どうやら、話はつけてくれたようである。
気兼ねなく中へと入ると、昔は礼拝堂であったのだろう大部屋に直結していた。蜘蛛の巣や埃に塗れており、激しく走り回ると咽返りそうなほどに汚れている。
しかし、そんな状況でも、今は謁見の間、あるいは玉座の間としているのか――
「ようこそおいでくださいました。ここが、“わたくしのお城”になります」
自称ステラが、奥の粗末な椅子に腰を掛けながら、そう迎え入れてくれた。その傍らには、自称黒騎士の優男もいる。優男はステラとエレオノーラを見るなり、何故か得意な顔になっていた。
ステラとエレオノーラが反応に困っている矢先――そそくさと自称ステラが椅子から立ち上がり、エレオノーラが担ぐシオンのもとへと近づいてきた。
不意に近づかれ、自分を騙ることに憤るステラは当然嫌悪に顔を歪めるのだが、彼女以上に何故かエレオノーラが憤怒の形相になっていた。ステラも初めて見るほどである。眉間に切れ込みでも入れたのかと思うほどに深い皺が寄せられ、薄い桃色の髪は怒髪天の如く殺気立っていた。眼光だけで人を射殺しそうな凄味がある。
ステラがそれに驚きつつ恐怖していると、
「あの、こちらの殿方は何というお名前なのでしょう?」
自称ステラが興味津々に訊いてきた。
するとエレオノーラが、
「ジゴロ」
「ちょ!?」
いきなり適当なことを言って、ステラが驚く。
自称ステラはというと、
「まあ、変わったお名前ですね。でも、素敵です」
「いや、さすがにそれはないでしょう!? ていうか信じるんですか!?」
意味を理解しているのか、それともはなからどうでもいいのか、よくわからないことを言い出して、さらにステラが驚愕した。
そんな時だった。
不意に、教会の奥の方から、誰かがこの大部屋に入ってきた。
妙に恰幅のいい、壮年の男である。髪の毛は薄いが、鼻と顎には立派な髭を携えていた。礼服のような小奇麗な服に身を包み、威風堂々とした姿勢で歩みを進めている。
「何やら賑やかですが、どうされましたか、ステラ王女?」
そして、ステラの目が大きく見開かれた。
「トーマス大臣、今日は記念すべき日ですよ。この“新王都”に、初めてお客様がいらっしゃいました」
トーマス――その名前を耳にして、ステラはいよいよ動揺を隠せなくなった。
「ステ……――マリー? どうしたの、固まっちゃって?」
エレオノーラに声をかけられ、一度、大きく唾を飲み込んだ。その後で、すぐに彼女の耳元に顔を近づける。
「あの人は、オリバー・トーマス。ログレス王国の大臣で――ガリア軍が王都に攻め入った時、私にエルフの里へ逃げるよう直接進言してきた人です」
ステラの証言に、エレオノーラも言葉を失って驚く。
直接進言してきた――つまり、この男は本物のステラ・エイミスを知っているのである。それが、何故、今こうして偽物と仲良くしているのか――そんな疑問が目まぐるしく頭の中で疾走するが――それよりもまず、咄嗟にステラは自身の背嚢から鳥打帽を取り出して被り、マフラーで口元を覆った。
今ここに本物の王女がいるとこの男に知られることに、何故だか強烈な危機感を覚えたのだ。
嫌な予感がする――ステラの心境は、その一言に尽きた。
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