第55話

 ステラが荷物を、エレオノーラがシオンを担いで一時間ほど歩いたあたりで、煙の発生元と思しき場所が視界に入った。

 しかし、ステラとエレオノーラの両名の表情はあまり喜ばしいといった様子ではなく、不安げであった。


「アタシの予想なんだけどさ、あそこに行っても休めない気がするんだよね」

「奇遇ですね。私も同じこと思いました」


 そう言って二人は、目の前の光景に落胆する。

 確かにそこには、期待していた住居らしき家屋が幾つか建ち並んでいた。だが、それらはあまり手入れされていないようで、いずれも二世紀ほど古い建築様式をしている。一見すると廃村のような集落だったが、周辺の草木が綺麗に刈り取られているところを見る限り、人はいるのだろう。しかし、そんなことよりもこの光景に違和感を持ったのは、集落をぐるりと取り囲む木製の拒馬だった。今は聖王暦一九三三年――銃器が発達したこの時代において、あまりにも時代遅れな防衛方法である。まるで、そこだけ時代が三百年以上取り残されているかのようだった。


「ねえ、ログレス王国ってさ、人間と亜人の他に先住民的な種族が領土内に住んでいたりするの? こういう外の世界とは隔離されたような場所にさ」


 エレオノーラの問いかけに、ステラは顔を顰めながら首を横に振った。


「わかりません。少なくとも私は、今まで聞いたことないです」

「じゃあ、あれ、何? どんな奴らが住んでんの? 何というか、あそこだけ中世から何も発展していないような感じなんだけど」

「いやぁ、私に言われても……」


 たとえあの集落に人がいたところで、果たして自分たちと同じ文明レベルでの会話が通じるのかどうか――雨風を凌げる場所は、今この状況に置いて聖域と崇めるほどに欲しているはずだが、そんな思いすらも忘れてしまうくらいに躊躇ってしまう。

 エレオノーラはため息を吐いて、ステラを見遣った。


「引き返そっか。なんか、アタシたちが期待していたような場所じゃないみたいだし」

「ですね。となると、やっぱり今日は野宿――」


 突然、周囲の草木が音を立てた。ステラが驚き、会話を中断してしまう。


「な、なんですか?」


 明らかに人のいる気配がする。それも、二人を囲むようにして。

 エレオノーラは表情を険しくし、ステラに目配せをした。いつでも彼女のライフルを出せるように、スーツケースの用意をする。


「こそこそ隠れてないで出て来たら? 若い女二人に何ビビってんの?」


 エレオノーラが挑発するように言うと、近くの木立から誰かが姿を現した。

 そして、ステラが目を大きく見開き、小さな声を上げる。


「あ、あれは……!」


 ステラたちの視線の先に立っていたのは、一人の軍人だった。しかしそれは、今までに遭遇したガリア軍の兵士ではない。ワインレッドを基調にしたその軍服は、紛れもなくログレス王国国軍の正規兵が身に付けるものだった。

 姿を現した軍人は中年の男で、小銃を構えながらゆっくりと二人に近づく。


「お前たち、何者だ?」


 軍人は落ち着いた声で訊いてきた。その表情は厳しく、返答次第では撃ち殺されないほどに鬼気迫るものだった。

 不意に、エレオノーラがステラの耳元に顔を近づける。


「ねえ、こいつ、この国の軍人だよね? アンタのことわからないの?」

「私、全然王女として人前に姿を出さなかったんですよね……。せいぜい、何かの式か食事会くらいでしか。なので、兵隊さんが私のことを知らないのも無理はないかと」

「なるほど」


 ステラがこの国の王女だと知れば、この兵士はきっと腰を抜かしながら必死になって平伏するだろう――そんなことを、二人は同時に考えていた。

 そうとはいざ知らず、兵士は苛立った顔つきをしていた。


「おい、何をこそこそと話している。こんな山奥に若い女が二人、どう考えても普通じゃない、何者だ? それに、動かないもう一人は何だ? 死体か?」


 兵士の言い分はもっともであると、ステラとエレオノーラは軽く肩を竦めた。

 そうしている間に、木立から続々と他の兵士が現れてきた。皆、漏れなくワインレッドの軍服に身を包み、険しい表情で銃口を向けている。一体何をそこまで警戒しているのか――そんな疑問を今すぐにでも口にしたかったが、ひとまずは、こちらの素性を明かすべきだろう。


「あの、私たちは――」

「何やら騒がしいですが、トラブルでしょうか?」


 ステラが喋ろうとした矢先、集落の方から女の声が聞こえた。

 驚いてそちらに振り向くと、そこには小奇麗なドレスを身に纏った赤毛の少女が立っていた。歳はステラとエレオノーラの間くらいで、そばかすがチャーミングな可愛らしい顔立ちだ。

 何者だろうかと、ステラとエレオノーラが呆けていた時、不意に兵士たちが慌てて陣形を取り始めた。兵士たちは、ドレスの少女を守るような位置取りになった。

 兵士たちのそんな不可解な行動を見て、ステラとエレオノーラの顔はますます怪訝になる。

 そして、


「ステラ王女、お下がりください! こいつらは今しがた我々の拠点に忍び寄ってきた不審者です!」


 兵士の一人がそう叫んだ。

 ステラ王女――確かにそう言ったはずなのだが、その兵士が背に守るのは、ステラではなく、ドレスの少女の方である。

 ステラとエレオノーラの顔が、ますます顰められる。

 さらには、


「おいおい、いくら不審者だからといって、寄って集って女性に銃を突きつけるのはいささか乱暴じゃないか?」

「黒騎士殿!」


 兵士が嬉々とした表情で声を上げた。集落の方から歩み寄ってきたのは、一人の若い男だ。黒髪で細身の長身、一言で表すなら、きざな優男だ。

 黒騎士という呼称が発せられたが――兵士たちがそう呼び掛けたのは、意識を失ってぐったりしているシオンではなく、優男の方だった。


 ステラとエレオノーラの顔が、いよいよ皺まみれになるほどに顰められる。


 事態を飲み込めずに二人が呆気に取られていると、ドレスの少女が優雅な所作で徐に近づいてきた。兵士たちが止めに入ろうとするが、ドレスの少女はそれをやんわりと拒否する。


「初めまして、私はステラ・エイミス。この国の王女です。もしよろしければ、お二人の名前をお伺いしてもよろしくて?」


 雷に打たれたかのように、ステラとエレオノーラは固まった。

 二人が何を言えばいいのか、目まぐるしく思案していると、ドレスの少女――自称ステラが、エレオノーラに肩を担がれてぐったりしているシオンに目を馳せる。


「あの、そちらの男性の方は?」


 無邪気に訊いてきた自称ステラに、エレオノーラが目を白くさせたまま口を動かす。


「え、ええと、あ、アタシたち、旅の途中でして、その、こいつは連れなんですけど、ちょっと病気になったみたいで、どこか一晩休めるところはないかな、と探していたところでございますゆえに」


 目の前で起きていることに衝撃を受け、うまく呂律が回らなかった。

 しかし、意味は通じたようで、自称ステラが、まあ、とわざとらしく驚く。


「それは大変。旅のお方、もしよろしければ、わたくしたちの拠点で――」


 そこまで言いかけて、自称ステラが突然目の色を変える。その双眸に映り込むのは、目を瞑ったまま動かないシオンの姿だ。

 自称ステラは、まるで何かに吸い寄せられるようにして、ふらふらとシオンの方に歩いていく。

 エレオノーラがそれに驚き、咄嗟に意識を呼び戻した。


「え、あ、ちょ、いきなりなに――」

「なにこのイケメン……!」


 自称ステラが、恍惚とした表情でそう呟いた。


 ステラとエレオノーラの表情が、劇物を口に入れたかのように顰められる。


 そんな二人のことなどお構いなしに、自称ステラが意気揚々と踵を返した。


「さあ、病人をいつまでもこんなところに放って置けませんわ! お二人とも、そちらの殿方を連れて、すぐにわたくしたちの“お城”に入って!」


 そう言い残し、兵士を引き連れて忙しく集落の方へと戻っていった。

 その去り際、自称黒騎士の優男が、ステラとエレオノーラにウィンクを飛ばす。

 呆然と立ち尽くす二人に、山頂から吹いた冷たい風が容赦なく降り注いだ。


「あの……行かなきゃ駄目ですか?」


 ステラが目を白くしたまま訊いて、


「行くしか、ないでしょ……」


 エレオノーラも目を白くしたまま答えた。

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