第五章 偽りの代償

第54話

 全長四百メートル、最大幅百メートル、高さ五十メートル――月光の下に闇夜の雲海を航走するのは、騎士団が保有する大型空中戦艦“スローネ”だ。座天使の名を冠したそれは、巨獣の鳴き声を彷彿させる低いエンジン音で寒空を震わせながら、海中を遊泳するクジラのような趣で飛行している。その白銀の船体は、それが戦を目的に造られたことを忘れさせるかの如く、星々の光をすべて映し出すほどに美麗な光沢を纏っていた。棺を彷彿とさせる形状こそ対峙する者にとって不吉を思わせる特異な要素であったが、総じて、座天使の名の通りに目を奪われるほどに荘厳で煌びやかであった。


 これほどの巨大な空中戦艦、操舵するための設備も相当なものであろうと、誰もが思うはず――だが、船内のブリッジは、羅針盤、通信機の類はおろか、操舵装置すらも存在しない、無機質なものであった。

 そこに存在するのは、床と天井いっぱいに描かれた巨大な印章――そして、その中央に佇む老騎士だけだ。白の戦闘衣装を身に纏い、白髪を後ろに流すようにまとめた規律正しいその姿には、齢六十に相応しい気品と落ち着きがある。

 老騎士は、両手を腰の後ろで組み合わせ、魔術によって自身の正面に映し出された仮想の周辺風景をじっと眺めていた。


「ご協力に感謝いたします、ヴァルター卿」


 老騎士――円卓の騎士、議席Ⅳ番ヴァルター・ハインケルの背に、若い男の声がかけられた。


「気にするな。暫くこの機体を動かす機会もなかった。ちょうどよかったと思っている」


 柔和かつ明瞭な声でヴァルターが答えると、控えめな一礼をしてブリッジへと入ってきたのは、円卓の騎士、議席Ⅶ番――アルバート・クラウスだった。

 ヴァルターと同じく白の戦闘衣装を纏うアルバートが、ブリッジ中央へと歩みを進める。


「そう言っていただけると、こちらとしても気が楽です」

「だが、任務失敗の尻ぬぐいにこんな老人を付き合わせることには、それなりの苦言があるがな」


 チクりと、ヴァルターが言った。アルバートは苦笑して軽く目を伏せる。


「返す言葉もございません」

「やはり、シオンは一筋縄ではいかなかったか?」

「色々と予想外のことが起こったものでして――次こそは、万全の状態で臨みますよ」

「その口ぶりからして、お供の二人は使えなかったと察する」


 ヴァルターの辛辣な言葉に、アルバートはさらに顔を渋くした。


「ユリウスとプリシラも優秀な騎士です。ですが今回に限っては相手が悪すぎました。シオンは円卓の議席ⅩⅢ番を与えられた騎士です。その戦闘能力は言わずともご存じでしょう」

「そんなことはわかっている。私が言いたいのは、敢えて旧知の仲を討伐に向かわせるなど、正気の沙汰とは思えんということだ。顔馴染みを連れていけば、戦闘を放棄して大人しく投降するとでも思ったのか? それとも、私が知らないだけで、君が悪趣味なだけか?」


 ヴァルターの質問を受けて、アルバートは弱々しく笑う。


「私が悪趣味かどうかはさておき、前者の通りです。あわよくば、シオンとの戦闘を回避できないかと苦心した人選でした」

「シオンを手にかけるのは気が引けるか? それとも、シオンに勝つ自信がないのか?」


 ヴァルターは自分で言って、すぐに馬鹿なことを訊いたと、鼻を鳴らした。


「後者はあり得んか。シオンと同じく“帰天”を使える君だからこそ、この仕事を任されたのだからな」


 しかし、アルバートは徐に首を横に振る。


「私が勝てると確実に言えるのは通常状態での話です。本気になった彼――お互いに“天使化”した状態で戦うことになった場合は、正直、わかりませんね」

「二年前の戦争の時も、君と、Ⅴ番と、Ⅵ番の三人がかりで、ようやく暴れるシオンを戦闘不能にすることができたのだからな。まあ、そう思うのも無理はない」


 ヴァルターは小さく笑って、不意に振り返った。


「ところで、騎士団本部では近々円卓会議が実施されるらしい。君にも通知はいったか?」

「ええ。参加できない旨を伝えたら、議題とその詳細、採決時の投票の回答を求められました。回答はすでに送付済みです。ですが、あの議題は――」

「結果的に、君の人選は最良の選択になるかもしれんな。面白くなってきたじゃないか」


 そう言って、ヴァルターは再び正面を向いた。

 年甲斐もなく楽しそうな笑みを浮かばせる老騎士を見て、アルバートは苦笑気味に肩を竦める。








 空中戦艦スローネの休憩室にて、ユリウスとプリシラは白の戦闘衣装を身に纏った状態で待機していた。

 プリシラは部屋の隅の椅子に腰かけ、一枚の写真を黙って見つめている。写真には、四年前のプリシラと、シオンの姿が映っていた。お互いに、まだ幼さの残る十代後半――師弟関係だったあの頃に、微かな郷愁を巡らせていた。


「そんな溜め息吐くくらいなら、この仕事断ればよかったじゃねえか」


 簡易ベッドの上に寝そべるユリウスが、煙草を吹かしながらそう言った。

 途端に、プリシラの目つきが横一線に揃えられた前髪の奥で鋭くなる。


「余計なお世話だ。貴様には関係ない」

「関係ないってことはないだろ。てめぇのせいで任務が失敗するなんてことも容易に考えられるからな。シオンさまー、私にはできませーん、ってな」


 揶揄い混じりにユリウスが言ってみたが、プリシラの反応は彼の予想に反してしおらしいものだった。


「貴様は平気なのか?」

「あ?」


 不意なプリシラの質問に、ユリウスが間抜けな声で訊き返した。


「貴様も、シオン様とは幼少期からの付き合いがあるのだろう? なのに、仕事と割り切って、殺すことができるのか?」

「ああ」


 即答したユリウスに、プリシラは言葉を詰まらせる。

 ユリウスは一度煙草を咥えて、大きく吹かした。


「もともと気に食わねえ奴だとは思っていたし、この任務はいい機会だとすら考えている。それに――」


 そこでユリウスは簡易ベッドから立ち上がり、煙草を再度咥え直した。


「あいつは俺の弟子を戦場で殺したんだ。その落とし前は、ちゃんと付けさせねえとな」


 そのまま灰皿へと移動して、短くなった煙草の火を消した。続けて新しい煙草を取り出し、オイルライターで火を点ける。


「戦争っつー特殊な環境で戦闘員が一人死んだところで復讐もくそもねえが――それでも俺は、あいつを許すつもりはねえよ。必ずこの手で殺してやる。アルバートは俺らに違うことを期待しているみたいだけどな」

「……そうか」


 空虚な顔で話すユリウスに、プリシラはその一言だけを返した。

 そして、写真のシオンを見つめ――懺悔するかの如く、僅かに顔を顰めて目を閉じた。







 ログレス王国とガリア公国の北部に隣接する大国――アウソニア連邦。そこに騎士団本部は存在した。巨大な白い石柱と見紛うほどに異様な造形をした高層建築物であり――その上層階に、円卓専用の会議室がある。

 会議室へと続く長い廊下を渡った先にある扉を開くと、これまた無機質な半球状の大部屋が姿を現した。中央には、巨大な円卓が備えられており、周囲にはⅠからⅩⅢの番号が刻まれた椅子が配置されている。そのうち、ⅩⅢの椅子にだけ白い布が被せられ、座ることが許されない状態となっていた。


「お待ちしておりました。レティシア様、セドリック様」


 円卓にはすでに二人の騎士が座していた。

 一人は、議席Ⅱ番にして騎士団副総長――イグナーツ・フォン・マンシュタイン。黒い長髪に冷たい瞳をした色白長身の男。

 もう一人は、議席Ⅲ番――リリアン・ウォルコット。絹のような長い銀髪を持ち、人形染みた端正かつ希薄な顔を持つ、十代後半の小柄な少女。

 リリアンは椅子から立ち上がり、今しがた入室した騎士たちに軽い会釈をした。


「招集をかけておきながら、随分と集まりが悪いな」


 そう不満を漏らしたのは、リリアンとは別の女騎士だ。

 議席Ⅴ番――レティシア・ヴィリエは、ショートカットにまとめられたブロンドヘアーを軽く靡かせ、青く鋭い瞳をイグナーツへと向ける。


「俺たち二人については現地参加が必須だった。文句を言っても仕方あるまい」


 若干の憤りを見せるレティシアをそう宥めたのは、彼女の隣にいる褐色肌の大柄な男の騎士だ。

 議席Ⅵ番――セドリック・ウォーカーは、静かに黒のサングラスを上げ直した。


 二人の騎士の到着を、イグナーツは椅子に深く腰掛けたまま歓迎した。


「お忙しいなか、御足労いただきありがとうございます、レティシア卿、セドリック卿。ご不満は会議後に聞きますので、まずは着席いただけますか?」


 言われるまでもなく、と、二人は早々に自分の議席に着席した。その直後に、リリアンも席に座る。

 空席が目立つ円卓を前にして、今度はイグナーツが組んでいた足を解いて徐に立ち上がった。


「さて、時間が惜しいのでさっさと会議を始めてしまいましょうか。早速、本日の議題について話したいところですが、その前に――」


 イグナーツはそこで、レティシアとセドリックの方へ視線を送った。


「Ⅴ番とⅥ番のお二人に、次の任務を伝えておきます」


 唐突な話に、レティシアが不機嫌そうにイグナーツを睨みつけた。


「私たちはまだ別件で動いている最中だ。他を当たれ」

「勝手ながら、お二人が遂行中の任務はすでに後任に引き継いであります。貴女も、小国同士の小競り合いの仲裁に飽き飽きしていた頃でしょう?」


 不本意ながらその通りだと、レティシアが鼻を鳴らして視線を外した。

 次にセドリックが口を開く。


「随分と急な話だが、俺たち円卓を二人も遣わせるとなると、新しい任務も相当な厄介事と思われるな」

「ご安心を。小国同士の小競り合いよりかは、幾らか楽しめると思うので」

「そこまで言うなら期待しよう。それで、次に我々は何をすればいい?」


 セドリックが楽しげに口の端を吊り上げると、イグナーツもまたそれに応えるようにして小さな笑みを口元に浮かばせた。


「逃走した黒騎士を追ってください。お二人にとっては、浅からぬ因縁がある相手でしょう。やりがいがあるのでは?」


 その言葉に、レティシアとセドリックは無表情になって固まった。

 イグナーツはさらに続ける。


「つい先ほど、ガリア公国からクレームが来たようでしてね。三日ほど前になりますか。黒騎士が、ガリア公国軍の将校と交戦し、殺してしまったようなのです。まあ、とどのつまり、これ以上被害が広がる前に騎士団の汚点をさっさと始末しろ、と仰りたいようです、“お偉い方”は」

「その“お偉い方”は、ガリア公国の方か? それとも、“私たち”の方か?」


 勘ぐるような、それでいて挑戦的な笑みを浮かばせながら、レティシアが鋭い視線をイグナーツへ向けた。イグナーツはそれを楽しむかのようにして、


「“両方”です」


 と、端的に答えた。

 セドリックもそれを聞いて、口元をさらに緩ませる。


「確かに、色んな意味で楽しめそうな仕事ではあるな。それに、シオンを相手にするのはやぶさかではない」

「二年前の戦争では私とお前、それにアルバートを加えた三人がかりでようやく生け捕りにしたな。今回もまさか、生け捕りにしろというわけではないな?」


 レティシアが訊くと、イグナーツは軽く肩を竦めた。


「お任せします。お二人は会議後、早々にログレス王国へと向かってください。そこで、現地にいる議席Ⅳ番ヴァルター卿、議席Ⅶ番アルバート卿と合流してもらいます。あとのことは、彼らから話を聞いてください」

「生死問わずと言ってほしいところだな。“帰天”を使えるシオンを生け捕りにするのはさすがに骨が折れる。それはさておき――」


 そこで不意にレティシアが話を区切った。


「ガリア公国にログレス王国、それに、“私たちの方のお偉い方”と、きな臭い単語が続々と話に出てきたが、いったいこの大陸で何が始まろうとしている?」


 彼女に問われ、イグナーツは再度、その青白い顔に微笑を浮かばせた。


「そうですね。その問いに応えるためにも、この流れで本題に入ってしまいましょうか。本日の議題は――」







 逃げるようにしてアルクノイアを出発してから二時間ほどが経過した。正確な時刻はわからなかったが、体感、朝の四時から五時くらいだろう。

 貨物列車は、ちょうど山脈地帯の中央を走行しているようで、線路の両脇は岩肌に挟まれていた。


「貨物列車のコンテナの中で焚火をすることになるなんて、人生何が起こるかわかったもんじゃないね」


 エレオノーラが、自身が点けた焚火で両手を温めながらぼやいた。


「多分、こんなところでこんなことする人、私たち以外にいないと思います」


 焚火を挟んでその対面に場所するで、ステラは虚空を見つめつつ、心を無にしたような声で言った。


「しょうがないよねー。どっかの誰かさんが、走行中の貨物列車に飛び乗るなんて無謀な作戦取ったんだもん」


 エレオノーラが、嫌味たっぷりにシオンを横目で見た。

 シオンはというと、エレオノーラたちが囲む焚火から距離を取り、コンテナ内部の端で一人大人しく座っていた。


「ていうかさ、いつまでこれに乗ってるつもりなの? まさか、王都までずっとこの状態とか言わないでよね?」


 エレオノーラの言葉を聞いたステラが、げんなりとした様子でがっくりと項垂れる。


「アルクノイアから王都までは、丸一日汽車を走らせても着かないくらいには遠いはずですが……」

「最悪……」


 二人揃って溜め息を吐いた。

 そんな掛け合いにも気付いていないのか、シオンは一向に会話の輪に入ろうとしなかった。


「ねえ、シオン。次どうするか、真面目に考えないとまずくない? さすがにずっとコンテナの中にいるなんて、いくら何でも無理があると思うんだけど


 しかし、シオンはその呼びかけにも一切応じなかった。

 エレオノーラは、若干不機嫌に顔を顰めながら、大きく息を吸い込む。


「ねえ、ったら! 聞こえてんでしょ! これからどうするか、相談しない!?」


 それでもシオンは顔を俯けにしたまま反応しなかった。


「あいつ、機嫌でも悪いの?」

「さあ……」


 シオンの妙な雰囲気に、ステラも怪訝に首を傾げた。

 仕方ないと、エレオノーラが溜め息を吐いてシオンの方へ歩み寄る。そして、彼の肩に手をかけた。


「いい加減にしなさいっての。貨物列車に乗るって作戦考えたのアンタなんだから、ちゃんと次のこと――」


 言いかけて、突然、シオンが体勢を崩し、そのまま床に倒れた。

 思いがけない出来事に、エレオノーラとステラが揃って驚きの声を上げる。


「ちょ、ど、どうしたの!?」

「シオンさん!?」


 エレオノーラが急いでシオンを横に寝かせると、シオンは虚ろな瞳で視線を返した。その顔は異様に赤く、べたついた汗に塗れている。呼吸も荒く、肩で息をしている状態だった。

 シオンは、自分が倒れたことにも気付けなかったようで、ああ、と短く言って起き上がろうとする。


「すまない……ぼーっとしていた……」

「ぼーとしていたって――そんな倒れ方じゃなかったじゃん! しっかりしてよ!」


 エレオノーラが急いで肩を貸し、ついでにシオンの額に手を当てた。そしてその熱さに、目を大きく見開く。


「何、この高熱!」

「し、シオンさん、ひとまず休みましょう!」


 ステラがそう促したが、シオンは赤い双眸を震わせながら首を横に振った。


「そのうち治る……だから……」


 言いながら、生気が抜けるように静かになった。突然の脱力に、彼を支えるエレオノーラが慌てて重心の位置を整える。


「って、言ってる傍から意識失うな!」


 エレオノーラが呆れながら担ぎ直し、その傍らではおろおろとした様子で、ステラがシオンの顔を覗き込んでいた。


「シオンさん、どうしちゃったんでしょう? 風邪でしょうか?」

「こいつに限って、そんなことないでしょ。リズトーン出た時から様子がおかしいと思ったけど、やっぱり体に相当な負荷がかかっていたんだ。“悪魔の烙印”の効力を無視して“帰天”を使ったうえ、そのあとすぐに騎士と戦ったんだもん」


 溜め息混じりにエレオノーラが言った。


「ずっと無理していたんだと思うよ。魔術による身体能力の一時強化は、程度の差はあれ、かなりの負担を術者に強いるの。“天使化”も多分、その例外じゃない」

「負担っていうのは、具体的にどのような?」

「パッと思いつくのは、炎症反応かな。今のシオンも、体中が炎症起こしているせいで発熱しているんだと思う。そのうち治るって言っていたし、安静にさせていれば回復するとは思うんだけど――」


 エレオノーラは周囲を見渡し、芳しくない表情になった。


「こんなコンテナの中で、果たして体力を回復できるのかって話だね」


 何度目かわからない溜め息を吐き、項垂れる。


 そんな時、


「あれ? もしかして、この列車、減速してます?」


 貨物列車が速度を落としていることにステラが気づいた。それから間もなく、急ブレーキがかけられ、一気に車両が停止する。


 エレオノーラが舌打ちをした。


「ちょっとまずいかも。もしかしたら、ガリア軍か鉄道警察に通報されたのかもしれない」

「ど、どうしましょう!?」


 慌てるステラをよそに、エレオノーラは、よいしょ、と一声上げて、気を失ったシオンを肩と背中で担いだ。それからステラを見て、


「ステラ、悪いけど、アタシの荷物、代わりに運んでくれない? まずはここから出て、姿を隠すよ」


 荷物運びを頼んだ。だが、ステラは不満そうに顔を顰めた。


「え、エレオノーラさんの荷物を私が運ぶんですか? あれ、とんでもなく重いじゃないですか。私の力じゃ到底……」

「四の五の言わずにやる。アンタとシオンじゃ身長差があり過ぎて、こいつを肩で担いで運ぶことなんてできないでしょ? だったらアンタが荷物運びになるしかないじゃない」

「はい、仰る通りで……」


 しゅん、とステラはなって、大人しくエレオノーラの荷物を持ち始めた。それから一歩足を踏み出すが、荷物の重さに堪らず、額に青筋を走らせてしまう。


「ふおおおぉぉぉ……!」

「ちょっと、変な掛け声出さないでよ。いくら何でも大袈裟すぎるでしょ」

「い、いや……やっぱり、エレオノーラさんの荷物、相当重いですって……! 普段からこんな重たいものを平気な顔して担いでいるエレオノーラさん、実は相当なマッチョなんじゃ……!」

「んなわけないでしょ! そこまで言うんだったら、アンタがシオンを担いで――」


 エレオノーラはそう言いながらシオンの方へ顔を向けた。シオンは目を閉じ、小さな息切れを起こしながら意識を失っている状態だ。美貌ともいえるほどに整った端正な顔は、弱々しく儚げで、妙な色気を放っていた。少し体を寄せれば顔同士が接しそうなほどの至近距離でそれを見てしまい、エレオノーラは思わず顔を赤くし、すぐに視線を外す。


「エレオノーラさん? どうかしました?」


 それを訝しげに見ていたステラが首を傾げ、エレオノーラはハッとして前に向き直った。


「な、なんでもない。それより、さっさとコンテナから降りるよ」


 二人はシオンと荷物を担ぎ、急いでコンテナの車両から飛び降りた。貨物列車は、人の手がほとんど行き届いていない森林地帯を走っていたようで、線路の両脇には壁のようにして藪と木々が生い茂っていた。

 姿を隠すなら、絶好の条件である。


 エレオノーラとステラは、そそくさと森の中に入り込み、身を隠したうえで貨物列車の方を見遣った。

 すると、エレオノーラの予想通り、対向路線から鉄道警察と思しき列車がやってきた。


「間一髪だったね。シオンがこんな状態じゃあ、戦って振り切るなんてことも難しそうだし」


 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、エレオノーラとステラは、さらに森の奥へと歩みを進めた。

 とにかく、シオンを休ませることができる場所に出なければ――そう二人が考えていた時、


「あ」


ふと、ステラが小さく声を上げた。彼女はとある上空を指差し、エレオノーラの肩を叩く。


「エレオノーラさん、あれ」


 指し示した先には、一筋の煙が上がっていた。焦げ臭い感じもしないことから、山火事などではなさそうだ。

 ということは――


「もしかして、人がいるんじゃないでしょうか?」


 そう判断ができた。

 ステラの言葉に、エレオノーラも同意する。


「……人がいたところで、こんな辺鄙な場所にちゃんとした家屋があるとはあまり思えないけど。まあ、他にあてもないし、行くしかないか」

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