第53話

 全長四百メートル、最大幅百メートル、高さ五十メートル――月光の下に闇夜の雲海を航走するのは、騎士団が保有する大型空中戦艦“スローネ”だ。座天使の名を冠したそれは、巨獣の鳴き声を彷彿させる低いエンジン音で寒空を震わせながら、海中を遊泳するクジラのような趣で飛行している。その白銀の船体は、それが戦を目的に造られたことを忘れさせるかの如く、星々の光をすべて映し出すほどに美麗な光沢を纏っていた。棺を彷彿とさせる形状こそ対峙する者にとって不吉を思わせる特異な要素であったが、総じて、座天使の名の通りに目を奪われるほどに荘厳で煌びやかであった。


 これほどの巨大な空中戦艦、操舵するための設備も相当なものであろうと、誰もが思うはず――だが、船内のブリッジは、羅針盤、通信機の類はおろか、操舵装置すらも存在しない、無機質なものであった。

 そこに存在するのは、床と天井いっぱいに描かれた巨大な印章――そして、その中央に佇む老騎士だけだ。白の戦闘衣装を身に纏い、白髪を後ろに流すようにまとめた規律正しいその姿には、齢六十に相応しい気品と落ち着きがある。

 老騎士は、両手を腰の後ろで組み合わせ、魔術によって自身の正面に映し出された仮想の周辺風景をじっと眺めていた。


「ご協力に感謝いたします、ヴァルター卿」


 老騎士――円卓の騎士、議席Ⅳ番ヴァルター・ハインケルの背に、若い男の声がかけられた。


「気にするな。暫くこの機体を動かす機会もなかった。ちょうどよかったと思っている」


 柔和かつ明瞭な声でヴァルターが答えると、控えめな一礼をしてブリッジへと入ってきたのは、円卓の騎士、議席Ⅶ番――アルバート・クラウスだった。

 ヴァルターと同じく白の戦闘衣装を纏うアルバートが、ブリッジ中央へと歩みを進める。


「そう言っていただけると、こちらとしても気が楽です」

「だが、任務失敗の尻ぬぐいにこんな老人を付き合わせることには、それなりの苦言があるがな」


 チクりと、ヴァルターが言った。アルバートは苦笑して軽く目を伏せる。


「返す言葉もございません」

「やはり、シオンは一筋縄ではいかなかったか?」

「色々と予想外のことが起こったものでして――次こそは、万全の状態で臨みますよ」

「その口ぶりからして、お供の二人は使えなかったと察する」


 ヴァルターの辛辣な言葉に、アルバートはさらに顔を渋くした。


「ユリウスとプリシラも優秀な騎士です。ですが今回に限っては相手が悪すぎました。シオンは円卓の議席ⅩⅢ番を与えられた騎士です。その戦闘能力は言わずともご存じでしょう」

「そんなことはわかっている。私が言いたいのは、敢えて旧知の仲を討伐に向かわせるなど、正気の沙汰とは思えんということだ。顔馴染みを連れていけば、戦闘を放棄して大人しく投降するとでも思ったのか? それとも、私が知らないだけで、君が悪趣味なだけか?」


 ヴァルターの質問を受けて、アルバートは弱々しく笑う。


「私が悪趣味かどうかはさておき、前者の通りです。あわよくば、シオンとの戦闘を回避できないかと苦心した人選でした」

「シオンを手にかけるのは気が引けるか? それとも、シオンに勝つ自信がないのか?」


 ヴァルターは自分で言って、すぐに馬鹿なことを訊いたと、鼻を鳴らした。


「後者はあり得んか。シオンと同じく“帰天”を使える君だからこそ、この仕事を任されたのだからな」


 しかし、アルバートは徐に首を横に振る。


「私が勝てると確実に言えるのは通常状態での話です。本気になった彼――お互いに“天使化”した状態で戦うことになった場合は、正直、わかりませんね」

「二年前の戦争の時も、君と、Ⅴ番と、Ⅵ番の三人がかりで、ようやく暴れるシオンを戦闘不能にすることができたのだからな。まあ、そう思うのも無理はない」


 ヴァルターは小さく笑って、不意に振り返った。


「ところで、騎士団本部では近々円卓会議が実施されるらしい。君にも通知はいったか?」

「ええ。参加できない旨を伝えたら、議題とその詳細、採決時の投票の回答を求められました。回答はすでに送付済みです。ですが、あの議題は――」

「結果的に、君の人選は最良の選択になるかもしれんな。面白くなってきたじゃないか」


 そう言って、ヴァルターは再び正面を向いた。

 年甲斐もなく楽しそうな笑みを浮かばせる老騎士を見て、アルバートは苦笑気味に肩を竦める。








 空中戦艦スローネの休憩室にて、ユリウスとプリシラは白の戦闘衣装を身に纏った状態で待機していた。

 プリシラは部屋の隅の椅子に腰かけ、一枚の写真を黙って見つめている。写真には、四年前のプリシラと、シオンの姿が映っていた。お互いに、まだ幼さの残る十代後半――師弟関係だったあの頃に、微かな郷愁を巡らせていた。


「そんな溜め息吐くくらいなら、この仕事断ればよかったじゃねえか」


 簡易ベッドの上に寝そべるユリウスが、煙草を吹かしながらそう言った。

 途端に、プリシラの目つきが横一線に揃えられた前髪の奥で鋭くなる。


「余計なお世話だ。貴様には関係ない」

「関係ないってことはないだろ。てめぇのせいで任務が失敗するなんてことも容易に考えられるからな。シオンさまー、私にはできませーん、ってな」


 揶揄い混じりにユリウスが言ってみたが、プリシラの反応は彼の予想に反してしおらしいものだった。


「貴様は平気なのか?」

「あ?」


 不意なプリシラの質問に、ユリウスが間抜けな声で訊き返した。


「貴様も、シオン様とは幼少期からの付き合いがあるのだろう? なのに、仕事と割り切って、殺すことができるのか?」

「ああ」


 即答したユリウスに、プリシラは言葉を詰まらせる。

 ユリウスは一度煙草を咥えて、大きく吹かした。


「もともと気に食わねえ奴だとは思っていたし、この任務はいい機会だとすら考えている。それに――」


 そこでユリウスは簡易ベッドから立ち上がり、煙草を再度咥え直した。


「あいつは俺の弟子を戦場で殺したんだ。その落とし前は、ちゃんと付けさせねえとな」


 そのまま灰皿へと移動して、短くなった煙草の火を消した。続けて新しい煙草を取り出し、オイルライターで火を点ける。


「戦争っつー特殊な環境で戦闘員が一人死んだところで復讐もくそもねえが――それでも俺は、あいつを許すつもりはねえよ。必ずこの手で殺してやる。アルバートは俺らに違うことを期待しているみたいだけどな」

「……そうか」


 空虚な顔で話すユリウスに、プリシラはその一言だけを返した。

 そして、写真のシオンを見つめ――懺悔するかの如く、僅かに顔を顰めて目を閉じた。







 ログレス王国とガリア公国の北部に隣接する大国――アウソニア連邦。そこに騎士団本部は存在した。巨大な白い石柱と見紛うほどに異様な造形をした高層建築物であり――その上層階に、円卓専用の会議室がある。

 会議室へと続く長い廊下を渡った先にある扉を開くと、これまた無機質な半球状の大部屋が姿を現した。中央には、巨大な円卓が備えられており、周囲にはⅠからⅩⅢの番号が刻まれた椅子が配置されている。そのうち、ⅩⅢの椅子にだけ白い布が被せられ、座ることが許されない状態となっていた。


「お待ちしておりました。レティシア様、セドリック様」


 円卓にはすでに二人の騎士が座していた。

 一人は、議席Ⅱ番にして騎士団副総長――イグナーツ・フォン・マンシュタイン。黒い長髪に冷たい瞳をした色白長身の男。

 もう一人は、議席Ⅲ番――リリアン・ウォルコット。絹のような長い銀髪を持ち、人形染みた端正かつ希薄な顔を持つ、十代後半の小柄な少女。

 リリアンは椅子から立ち上がり、今しがた入室した騎士たちに軽い会釈をした。


「招集をかけておきながら、随分と集まりが悪いな」


 そう不満を漏らしたのは、リリアンとは別の女騎士だ。

 議席Ⅴ番――レティシア・ヴィリエは、ショートカットにまとめられたブロンドヘアーを軽く靡かせ、青く鋭い瞳をイグナーツへと向ける。


「俺たち二人については現地参加が必須だった。文句を言っても仕方あるまい」


 若干の憤りを見せるレティシアをそう宥めたのは、彼女の隣にいる褐色肌の大柄な男の騎士だ。

 議席Ⅵ番――セドリック・ウォーカーは、静かに黒のサングラスを上げ直した。


 二人の騎士の到着を、イグナーツは椅子に深く腰掛けたまま歓迎した。


「お忙しいなか、御足労いただきありがとうございます、レティシア卿、セドリック卿。ご不満は会議後に聞きますので、まずは着席いただけますか?」


 言われるまでもなく、と、二人は早々に自分の議席に着席した。その直後に、リリアンも席に座る。

 空席が目立つ円卓を前にして、今度はイグナーツが組んでいた足を解いて徐に立ち上がった。


「さて、時間が惜しいのでさっさと会議を始めてしまいましょうか。早速、本日の議題について話したいところですが、その前に――」


 イグナーツはそこで、レティシアとセドリックの方へ視線を送った。


「Ⅴ番とⅥ番のお二人に、次の任務を伝えておきます」


 唐突な話に、レティシアが不機嫌そうにイグナーツを睨みつけた。


「私たちはまだ別件で動いている最中だ。他を当たれ」

「勝手ながら、お二人が遂行中の任務はすでに後任に引き継いであります。貴女も、小国同士の小競り合いの仲裁に飽き飽きしていた頃でしょう?」


 不本意ながらその通りだと、レティシアが鼻を鳴らして視線を外した。

 次にセドリックが口を開く。


「随分と急な話だが、俺たち円卓を二人も遣わせるとなると、新しい任務も相当な厄介事と思われるな」

「ご安心を。小国同士の小競り合いよりかは、幾らか楽しめると思うので」

「そこまで言うなら期待しよう。それで、次に我々は何をすればいい?」


 セドリックが楽しげに口の端を吊り上げると、イグナーツもまたそれに応えるようにして小さな笑みを口元に浮かばせた。


「逃走した黒騎士を追ってください。お二人にとっては、浅からぬ因縁がある相手でしょう。やりがいがあるのでは?」


 その言葉に、レティシアとセドリックは無表情になって固まった。

 イグナーツはさらに続ける。


「つい先ほど、ガリア公国からクレームが来たようでしてね。黒騎士が、ガリア公国軍の将校と交戦し、殺してしまったようなのです。まあ、とどのつまり、これ以上被害が広がる前に騎士団の汚点をさっさと始末しろ、と仰りたいようです、“お偉い方”は」

「その“お偉い方”は、ガリア公国の方か? それとも、“私たち”の方か?」


 勘ぐるような、それでいて挑戦的な笑みを浮かばせながら、レティシアが鋭い視線をイグナーツへ向けた。イグナーツはそれを楽しむかのようにして、


「“両方”です」


 と、端的に答えた。

 セドリックもそれを聞いて、口元をさらに緩ませる。


「確かに、色んな意味で楽しめそうな仕事ではあるな。それに、シオンを相手にするのはやぶさかではない」

「二年前の戦争では私とお前、それにアルバートを加えた三人がかりでようやく生け捕りにしたな。今回もまさか、生け捕りにしろというわけではないな?」


 レティシアが訊くと、イグナーツは軽く肩を竦めた。


「お任せします。お二人は会議後、早々にログレス王国へと向かってください。そこで、現地にいる議席Ⅳ番ヴァルター卿、議席Ⅶ番アルバート卿と合流してもらいます。あとのことは、彼らから話を聞いてください」

「生死問わずと言ってほしいところだな。“帰天”を使えるシオンを生け捕りにするのはさすがに骨が折れる。それはさておき――」


 そこで不意にレティシアが話を区切った。


「ガリア公国にログレス王国、それに、“私たちの方のお偉い方”と、きな臭い単語が続々と話に出てきたが、いったいこの大陸で何が始まろうとしている?」


 彼女に問われ、イグナーツは再度、その青白い顔に微笑を浮かばせた。


「そうですね。その問いに応えるためにも、この流れで本題に入ってしまいましょうか。本日の議題は――」







 アウソニア連邦国内の騎士団本部から数百キロメートル離れた場所に、聖王教の総本山――教皇庁は、白亜の大宮殿の如く屹立していた。

 あと数分で日付が変わる深夜の時間帯――並のコンサートホールでは到底及ばない広さを持つ人気のない身廊に、数人分の靴音がカツカツと歯切れよく響いていた。

 眼鏡をかけた初老の男が、両脇に二人の護衛を付け、早足に歩いていたのだ。何かに酷く憤っており、その皺まみれの顔に一層の深い皺を刻んでいる。


「教皇猊下! 教皇猊下はいらっしゃるか!?」


 初老の男が、身廊の先にある主祭壇に向かって吠える。

 すると、主祭壇にて一人佇む白い影が、重々しく動き始めた。


「ガリア大公、こんな遅くに何用で?」


 白い祭服に身を包んだ男が、徐に面を上げた。

 聖王教会教皇アーノエル六世ガイウス・ヴァレンタイン――齢四十二にして大陸の最高権力者へと上り詰めた男である。聖職者とは思えぬほどに厳格かつ精悍な顔立ちで、ネコ科の動物のような金色の双眸には野心的な灯を宿していた。

 その威圧的で大柄な体躯に圧倒され、初老の男――ガリア大公カミーユ・グラスは、思わずといった様子でたじろいだ。

 だが、すぐさま先ほどまでの威勢を取り戻す。


「何か用、ではない! いったい何を考えておられるのだ!?」


 まくしたてる老人に辟易した顔で、教皇は眉を顰めた。


「話が見えませんな。もう少しわかりやすくご説明願おうか」

「黒騎士の件だ! ルベルトワで好き勝手に暴れられただけではなく、我が軍が誇る教会魔術師の将校をも奴に屠られた! ガリアばかりがいいように損害を被っている! この落とし前、いったいどうしてくれるのか! 騎士団をコントロールするのも猊下のお役目であろう!」

「騎士団はすでに黒騎士討伐の任に赴いておりますが」

「それが機能していないと申しているのだ!」


 唾を吐き散らしながら青筋を立てるガリア大公に、教皇の眉がぴくりと動いた。


「大体、ルベルトワの件に至っては、わしの与り知らぬところで領主と密約を交わしていたと言うではないか! いかに猊下といえども、これ以上の勝手は――」

「騒がしい老人だ。それを引き合いに頭に血を昇らせているのなら、貴様らの侵略まがいの行為が、何故今なお不問となっているのか、よく考えてほしいものだな」


 教皇の言葉に、ガリア大公が怯む。


「ルベルトワの件は気の毒だが、将校を討たれたことについてはお前たちの落ち度だろう。私が認めたのは、あくまでログレス王国の代理統治だ。貴国が勝手に軍事力を以てしてのジェノサイドに取り掛かり、そして勝手に失敗した。それだけの話だ」

「し、しかし、これ以上、黒騎士に邪魔をされては――」

「好きにさせておけばいい。奴がどれだけ暴れまわろうが、“辿り着く結末”に何も変わりはない」


 淡々と言いくるめられ、ガリア大公は尻込みするように大人しくなった。


「猊下がそこまで言うのなら……。だが、本当に、頼みましたぞ。我々の計画の成就、必ずや果たしてくだされ。そのための協力は、我々も惜しまぬゆえ」


 それを聞いて、教皇は打って変わり、再び穏やかな顔つきをした。


「ええ、ご安心を。この大陸に真の平和をもたらすことを、約束いたします」

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