第47話

「うわぁ……」


 夜の常闇に向かって聳え立つ憩いの塔を見上げながら、ステラは感嘆の声を上げた。

 二人の騎士に案内されて――もとい、連行されるように、シオンたちは街で一番の高級ホテルに案内された。地上百メートル以上の高さを有する高層ビル、その丸々一つが、宿泊施設として機能していた。


「どうした?」


 シオンに呼ばれ、ステラはハッとして目の前に意識を呼び戻した。その後で、さらに何かに気付いたように、シオンとエレオノーラの間に立って、二人の顔を引き寄せる。


「あの、私、さっき、クラウスさんにマリーって名乗ったんです」

「わかった。合わせる」


 すぐにシオンが短く了承するが、エレオノーラは小首を傾げた。


「なんで偽名を?」

「いや、だって、私の素性がバレたら厄介なことになるかもしれないじゃないですか」

「むしろ好都合なんじゃない? 事情話したら、アンタのこと守ってくれるかもよ」


 しかし、無邪気なその提案はシオンが即座に否定した。


「その期待は持たない方がいい。ガリア公国の領主と教皇が繋がっていた以上、騎士団もログレス王国に敵対する立場にいる可能性がある」


 それを聞いたエレオノーラが、辟易したように肩を竦めた。


「ほんっと、アンタらってとんでもない奴ら敵に回してるよね。そんな調子で、王都で戴冠式なんてできるの?」

「……やるしか、ないです。そうしないと、苦しむ人たちがあまりにも多すぎるから」


 冗談交じりにエレオノーラは揶揄ったが、ステラは酷く落ち込んだように神妙な面持ちになった。十五歳の少女が見せるにはあまりにも重たい顔つきに、エレオノーラは気まずそうに顔を伏せた。そして、それ以上の茶々入れはせずに、黙ってホテルへ向かう。

 シオンとステラの二人だけになったところで、


「そう無駄に気負うな。何から何まで、すべてがお前の責任になるわけじゃない」


 シオンが、ステラの首の付け根あたりを軽く叩いて励ました。ステラは少しだけつんのめりながら、意外そうにシオンを見上げる。


「シオンさんがはっきりと励ましてくれたの、これが初めてかもしれないです」

「だから?」

「いや、珍しいこともあるなって」

「悪かったな」

「別に悪いなんて思ってないですー」


 互いにそんな軽口を交わしていた時、ホテルの正面階段の上で、アルバートが立ち止まって二人に振り返った。


「随分、親しい仲なんだな」


 そして、シオンにそう言った。

 不意な問いかけだったが、シオンは特に目立った反応も見せず、軽く肩を竦める。


「そう見えるか? これでもまだ出会って数週間しか経っていない」

「マリーさんとはどこで出会った?」

「俺が流れ着いた場所で偶然」

「そこからどうして、今一緒に旅をしている?」


 次々と質問を繋げてくるアルバートに、シオンはため息を零した。


「立ち話をしたくないからわざわざホテルに移動したんだろ。それとも、今ここで必要な話を全部済ませるか?」

「……君の言う通りだな。まずは、中に入ろう」


 プリシラとエレオノーラ、その後にシオンとステラ、アルバートが続く形でホテルに入った。

 ホテルに入ると、無機質な外観とは打って変わり、宮殿を彷彿とさせるロビーがシオンたちを出迎えた。豪奢で派手な内装に、ステラが、思わず、といった様子で目を輝かせる。

 王女なら、もっと豪華な内装を見たことがあるだろうに――そんなことを思いながら、シオンは、年相応にはしゃぐステラの姿を見守った。

 と、そんな時だった。


「なんだ? 当初の予定じゃあ、明日の正午まで処刑すんのは待ってやるって話じゃなかったか?」


 ロビーの奥から、アルバートたちと同様の白スーツを着た一人の男が姿を現した。金髪のオールバックに、銀縁の眼鏡をかけている。男は、人目もはばからず、堂々と煙草を吸いながらシオンに歩み寄り、煙が吐きかかる距離にまで近づいた。


「まさか、生きているてめえの顔をまた見るとは思わなかったぜ。相変わらず女々しい顔つきしてんなあ、おい」


 男は、口の端を微かに吊り上げながら、品のない声色でシオンにそう言った。

 シオンはというと、まるで目の前にいるその男のことなど、はなから眼中にないかのようにして、遠くを見ている。

 そんな態度が気に障ったのか、男が軽く舌打ちをした。


「シカトか? え?」

「誰だ、お前?」


 シオンが短くそう発すると、男の額に青筋が浮かび上がった。


「上等だ。今ここで死にたいのなら、お望み通りそうしてやるよ」


 男が低く唸りながら、目つきを鋭くした。シオンもそれに呼応するように、目の色に殺気を込める。

 一触即発の空気が漂うが、


「やめろ、ここをどこだと思っている。ユリウス、会って早々に相手を挑発するな」


 アルバートが二人の間に入って場を収めた。

 金髪の銀縁眼鏡の男――ユリウスは、小さく悪態をつき、近くの一人がけのソファにドカッと腰を下ろした。


「で、何でこいつをわざわざ連れてきたんだよ。しかも、余計なのが二人いるじゃねえか」


 面倒くさそうに顔を歪めながら、ユリウスはステラとエレオノーラを交互に見遣った。


「そこの乳のでかい女が“紅焔の魔女”か?」


 言われて、エレオノーラは眉間に深い皺を作り、目尻を嫌悪に吊り上げた。


「てめぇに軽口叩かれるほど仲良くなった覚えはねえよ、セクハラ眼鏡」


 普段よりも遥かに口の悪い切り返しをしたエレオノーラに、隣にいたステラが怯えた表情になって身を竦み上がらせる。

 次にユリウスは、そんなステラを見て、


「そっちは何だ? 事前情報にはなかったぞ。もしかしてシオン、てめえ、長い間投獄されたせいでついにロリコンになったか?」


 また煽るようなことを言ってきた。

 シオンは、不機嫌な表情を維持したまま、冷ややかな視線をユリウスに返す。


「そこにいるのは言葉を覚えたての猿か? ヒトの真似をするならもう少し知性のある言葉を使った方がいい」


 また空気が悪くなり、アルバートが大きなため息を吐いた。


「いい加減にしてくれ。ユリウス、君はもう喋るな」


 アルバートに咎められ、ユリウスはガラ悪く足を組みながら、そっぽを向いた。

 それから気を取り直すように、アルバートは改めてシオンに向き直った。


「シオン、こうして運よく互いに武器を構えることなく再会することができたんだ。少し話をさせてほしい」

「今更、話すことなんかあるのか? アンタたちのやることは、俺を捕まえるか、殺すことしかないだろ。少し前にプリシラからもそう言われた」

「その前に明らかにしておきたいことがある」


 シオンは、アルバートから向けられるすべてを見透かされているような、それでいて厳しい眼差しに、少しだけ不快感を覚えた。だが、ここで彼の申し出を断ることも、今のシオンにはできなかった。下手に話をはぐらかせば、アルバートたちは一層不信感を強め、ステラの正体にも気付くはずだからだ。

 シオンはそう思案した後で、目を伏せながら首を小さく縦に振った。


「わかった。手短に頼む」

「我々の宿泊中はラウンジの個室を貸し切っている。そこで話そう」


 アルバートに案内される形で、シオンは先導する彼の後ろについていった。

 それを他人事のように眺めていたエレオノーラだったが――


「貴様は私とだ、エレオノーラ・コーゼル」


 不意に、それまで置物のように黙っていたプリシラがエレオノーラに声をかけた。

 エレオノーラは、予想外のことに目を丸くさせる。


「え、なんで?」

「言ったはずだ、教会魔術師が黒騎士と同伴している事実だけでも我々は看過できないと」

「取り調べでもするつもり?」

「そうだ」


 即座に肯定したプリシラに、エレオノーラが軽く舌打ちする。

 その後で、エレオノーラもプリシラに案内される形でラウンジの奥に消えた。

 そしてこの場に残ったのは、


「何だよ、ガキ?」


 ステラと、ユリウスの二人だった。

 ステラが、恐る恐るといった様子でユリウスの方を見ると、彼は酷く凶悪な面構えでいた。


「な、何でもないですぅ!」


 ステラは、獣と一緒の檻に閉じ込められたような面持ちで、身を強張らせた。

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