第46話

 ステラとの待ち合わせ場所である大煙突までの移動中、ふと、シオンは背後に気配を感じて振り返った。日はすでに落ちており、等間隔で配備された街灯だけが視界の頼りだった。


「あれ、まだ着いてなかったの?」


 そこにいたのは、どこか不機嫌そうなエレオノーラだった。


「金下ろすのに、結構な時間がかかったな」


 シオンが言うと、エレオノーラは大きな溜息を零した。


「銀行がめっちゃ混んでてね。営業時間終了間近だったから、滑り込みの客が多かったみたい。ていうか、アンタこそまだ待ち合わせ場所に着いてないじゃん。何してたのさ? ステラは? アタシの荷物は?」


 シオンは一瞬、言うべきかどうかを思案した後で、


「騎士と接触した。俺を捕まえに来たらしい」


 端的にそう答えた。

 エレオノーラが、自身の荷物ことなど忘れたように血の気を失い、顔を顰める。


「マジ?」

「ああ」

「ど、どうすんの?」


 シオンは軽く目を伏せた。


「あいつらの言うことに従うつもりはない。だが、このままだとステラを確実に巻き込むことになる」

「アタシも巻き込まれるんだけど」

「お前は自分から巻き込まれに行ったようなもんだろ」


 シオンの苦言に、エレオノーラが大袈裟に両手を上げて抗議した。

 それには構わず、


「とにかく、俺の目的はステラを王都に送って戴冠式を開催させることだ。俺が同伴しなくてもそれが叶う手段がないか、今考えている」


 シオンはそう言ったが、エレオノーラが嗤笑気味に鼻で笑った。


「そんな手段がないから、アンタがあの子を守りながら王都まで行くんでしょうが」


 ふと、シオンはエレオノーラのことを真剣な眼差しで見た。唐突な熱い視線に、エレオノーラが怯むように一歩後退する。


「な、なに?」

「俺がステラと一緒にいられなくなった時は、お前があいつを王都まで届けてやってくれないか?」

「はぁ!?」


 突拍子もない申し入れに、エレオノーラが声を荒げた。


「身勝手な奴だって思っていたけど、度が過ぎるっての! 大体、アタシがアンタたちに同行しているのは、アンタの“騎士の聖痕”が目的なんだから! アンタが騎士に捕まった時点で、こっちは何の見返りもないって話なの!」

「捕まる気はない。目的を果たした時に、ちゃんと背中を好きなだけ見せる」

「却下。アンタが言う目的を果たすって、戴冠式が開催されることでしょ? そんなのいつまで待てばいいのさ」

「だから、お前がステラを王都に届けて――」

「ああ、もう! 話が嚙み合わない、イライラする!」


 エレオノーラは、激しい剣幕でシオンに詰め寄った。


「はっきり言う! アタシは、アンタたちにそこまで義理立てしてやる必要性が何一つない! 以上!」


 シオンが少しだけ残念そうな顔になる。


「騎士が怖くて魔術師をやっていられるか、とか何とか威勢のいいこと言っていなかったか?」

「今回の話は割に合わない。アンタの背中を見るために、何でアタシがステラを守りながら王都にまで届けないと駄目なのさ。それに、結局アンタが騎士に捕まったりでもしたらそこで話は終わりじゃん。なに一方的に都合のいいこと言ってんのさ」


 シオンは諦めたよう溜息を吐いた。

 それを見たエレオノーラは、苦虫を嚙み潰したような顔になった。


「いや、ため息つきたいのはこっち」


 彼女はそのままシオンの横を通り過ぎ、大煙突の方角に歩みを進める。


「とにかく、アンタが言い出したことなんだから、ちゃんと責任取りなさい。騎士がアンタのこと狙っているなら、その騎士をどうにかして、ステラを王都まで送り届けるくらいのことやんなさいよ」


 激励するような、呆れるような、そんな言葉を最後にエレオノーラは残した。


 それから数分して、二人は待ち合わせ場所の大煙突の前に到着した。

 時刻はすでに十八時を回っていたが、未だに周辺の工場からは蒸気を吹く音と、鉄がかち合う機械音が絶えないで起こっている。


 とある道の一角を曲がったところで、シオンはステラと思しき小柄な人影を目にした。ほぼ同じタイミングでエレオノーラもそれに気付いたようで、ステラに声をかけようとする。


 だが、シオンが咄嗟に彼女の腕を引いて物陰に無理やり隠れさせた。

 エレオノーラが驚く間もなく、彼女の口はシオンの手で塞がれる。エレオノーラが抗議の視線を送るが、シオンはただならぬ雰囲気で表情を険しくしていた。


「まずいぞ。ステラと一緒にいる男、円卓の議席持ちの騎士だ」


 エレオノーラが、自身の口を塞ぐシオンの手を無理やり振りほどく。


「ちょっと、いきなり何すん――って、騎士!? それに、円卓って何?」

「円卓は総長、副総長を含む十三人の騎士から構成される騎士団の最高幹部だ。その構成員の一人が、今ステラと接触している」

「何でそんな偉い奴がこんなところにいんのさ」

「恐らく、俺を捕まえるために派遣されたんだろう」


 シオンの言葉を聞いたエレオノーラが、眉唾そうに首を傾げた。それから彼女は、物陰に身を潜めながらこっそりとステラを見る。すると、そこには、ステラの他に、鳶色の髪をした青年が一人立っていた。


「脱走した黒騎士一人捕まえるのにわざわざそんな重役を繰り出すわけ? 騎士団って、もしかして暇なの?」


 軽口のように言ったエレオノーラだったが、一方のシオンはいたって真面目な面持ちで、物陰からステラとその騎士を注視していた。


「円卓の議席持ちは騎士団の中でも例外なく上位の戦闘力を持つ。確実に俺を捕まえるために、あいつを寄越したんだ」

「だから、何でわざわざそんな強い奴が赴いてんのさ。脱走した騎士の後始末くらい、下っ端にやらせればいいじゃん」

「俺がもともと円卓の議席持ちだったからだ。同等以上に間違いなく戦える騎士を当ててきたんだ」


 シオンの唐突な告白に、エレオノーラは驚きながら顔を顰める。


「アンタ、そんな偉い奴だったの?」

「一応な。議席番号はⅩⅢ番、もっとも、席に着いていた期間は一年もなかったがな」


 思い出したくないことだったのか、シオンは言いながら歯噛みした。

 そんな時だった。


「そのまま、アルバート卿の前に姿を現していただいてもよろしいでしょうか?」


 突然、冷たい声がシオンの後方から起こった。驚きで目を見開くシオン――彼の首筋には、長槍の刃が背中越しに向けられていた。

 いきなりの出来事に、エレオノーラが腰を抜かしたように尻もちをつく。

 シオンはすぐさま平静を取り戻して、


「プリシラか」


 そう訊いた。

 その言葉通り、シオンの背後にいたのは、銀髪の女騎士――プリシラだった。


「正直、貴方には少しだけ失望しました。こうも簡単に背中を取れるとは思ってもいなかったゆえ」

「俺が黒騎士になった時点で、お前は失望しきっているだろ。それに、二年近く投獄されていたんだ。勘もそれなりに鈍る」


 シオンの言葉を、プリシラは表情一つ変えることなく聞いていた。しかし、槍を握るその手には、一層の力が込められている。


「左様ですか。それはともかく、私の言葉を聞いていただけますでしょうか? 貴方にはこのまま、アルバート卿と話をしてもらいます」

「話す? 今更あいつと話すことなんてあるのか?」

「内容については私の与り知らぬところです。ですが、アルバート卿は貴方との対話を望んでいます。もし聞いていただけない場合は――」


 プリシラはそこまで言って、エレオノーラに刃先を向けた。


「そこの女を殺します」

「いや何で!? アタシ全然関係ないじゃん!」


 そう言ったエレオノーラだが、どういうわけか、プリシラの声色には確かな怒りが込められていた。


「“紅焔の魔女”、エレオノーラ・コーゼル――教会魔術師である貴様が、何故黒騎士と一緒にいるのかは知らないが、その事実だけでも我々騎士団としては看過できない事案だ。知らぬ存ぜぬを決められると思うな」


 エレオノーラが手で顔を覆いながら、空を仰いだ。


「ばれてーら……」


 観念して、エレオノーラはがっくりと項垂れる。

 その直後、不意にシオンたちに近づく人の気配があった。

 シオンがそこを見遣ると、


「あれ、シオンさんとエレオノーラさん? こんなところで何してるんですか?」


 ステラと、


「……アルバート」


 美貌の青年騎士――アルバート・クラウスの姿があった。

 シオンが警戒して身構えると、アルバートは眉間に深い皺を寄せた。


「まさかとは思ったが、君がマリーさんの同伴者だとは。加えて、高名な教会魔術師、“紅焔の魔女”も一緒ときた」


 アルバートは、エレオノーラとシオンをそれぞれ一瞥して、すぐに踵を返す。


「こんな道端で長話もなんだ。ひとまず、我々が宿泊するホテルまでご同行願おうか」


 それを聞いたエレオノーラが、シオンの身体を引き寄せて彼に耳打ちする。


「ちょっと、アンタ、元円卓の一員なら強いんでしょ? この状況なんとかしなさいよ! 騎士二人くらい、どうにかできんじゃないの?」


 しかし、シオンは間髪入れずに首を横に振った。


「無理だ。後ろにいる女騎士、プリシラだけならどうにかできたが、アルバートを相手にするのは厳しい」

「なんで?」

「アルバート・クラウス、円卓の議席番号Ⅶ番に座る騎士――あいつは俺より強い。よりにもよって、あいつが俺を追っていたとは」


 つまり、シオンたちには、初めからアルバートの言葉に従うしか選択肢がない状態だった。

 悔しそうにするシオンと、それを見てますます血の気を失うエレオノーラ――そんな二人を、ステラは不思議そうに眺めていた。

 どうやらステラは、アルバートが何者であるかを、まだ知らないようである。

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