第45話

「ふおおおぉぉぉ……!」


 額に青筋を浮かばせながら、ステラは鼻息を荒げた。

 想像以上に重かったのだ、エレオノーラの荷物が。

 手提げのスーツケースでおよそ三キロ、肩掛けの縦長のスーツケース――魔術を使うための特殊なライフルが入ったそれが十キロ。そして、普段から背負っている背嚢がおよそ八キロ。

 合計二十一キロが、ステラの華奢な身体に負荷をかけていたのだ。


「え、エレオノーラさん、何で、普段から、こんな重いものをあんな涼しい顔して……」


 まるで大根を引き抜きながら歩みを進めるステラを、周りの通行人は揃って怪訝な顔で眺めていた。


「魔術とかで、軽く、できるんだろうか……!」


 もしそうだとしたら、是非とも習っておきたいと、心の底からステラは思った。力みながら珍妙な声を上げつつ、どうにかして大煙突へと向かおうとする。

 そんな時だった。


「ちょっと、そこの」


 不意に呼び止められた。

 ステラは苛々しながら、声のした方を振り返った。

 そこにいたのは、濃い青色の軍服を纏った二人の兵士――ガリア兵だった。ステラは瞬く間にその顔から血の気を失わせる。


「こんな道のど真ん中で何をしている? 随分と大荷物のようだが?」


 一人で大荷物を抱えて気張っている姿が、さすがに不審に思われたようだ。

 ステラは鳥打帽とマフラーを深く身に付け直し、ガリア兵に向き直った。


「す、すみません。連れとはぐれてしまって、三人分の荷物を今こうして必死になって運んでいたんです」


 ステラが小声で言うと、ガリア兵たちは互いに顔を見合わせて肩を竦めた。


「かなり重そうな荷物のようだが、中には何が入っている?」

「大したものではないです」

「大したものではないとは?」

「ちょっとした旅の日用品です」


 その言葉を使うには、あまりにも大袈裟すぎる手荷物だと、ステラは自分で思った。それはガリア兵たちも同感だったようで、


「中身を調べさせてもらっても?」


 即座にそう切り返してきた。自分の背嚢だけならいざ知らず、ステラが運ぶ荷物の中にはエレオノーラの銃が入っている。到底、一般人が持ち運ぶようなものではない。見られたら、どんな疑いをかけられるか。

 ステラは荷物を隠すようにして、それらの前に立つ。


「いや、ちょっと! 私、こう見えて立派な女なんですよ! そんな見ず知らずの男の人たちに手荷物の中身、見られたくないです!」


 大げさに言ってみたが、正直、苦し紛れだった。

 その演技がよほど下手くそだったのか、ガリア兵たちがいよいよ目つきを不審なものにしている。


「悪いが、こちとら仕事でね。最近は制圧したログレス軍の残党がテロまがいの活動をしている状態で、我々としても可能な限り不審な者を調べておきたいんだ」


 もっともらしいことを言ってはいるが、ここはもとよりログレス王国であり、他国の軍属であるガリア兵に治安を守ってもらう謂れはない。

 ステラがそんな理不尽に顔を顰めた矢先、


「……テロリストはそっちだろうが」

「侵略者がどの口ほざいてんだか」

「盗人猛々しいとはまさにこのことだな」


 と、道行く人混みの中からそんな声が聞こえてきた。どうやら、ガリア兵のこの横暴な行動には、ログレス王国の民も強い怨みを持っているようだ。

 途端、ガリア兵たちが怒りに顔を歪めた。


「おい、誰だ!」

「今ふざけたことを言った奴ら、すぐに前に出ろ!」


 銃を手に取ったガリア兵たちが怒号を飛ばす。

 それを見たステラが、咄嗟に前に出た。


「ま、待ってください! 荷物の中なら見せますから! どうか、ここは穏便に――」

「お前は黙ってろ!」


 ガリア兵の一人が、ステラに激しい剣幕で怒鳴りつけた。

 ステラが思わずたじろぎ、びくりと体を震わせる。


「さっさと出てこい! さもなくば、ここに居合わせている全員を収容所に連行するぞ!」


 ガリア兵の言葉に、周囲の人々が一斉にこの場から離れていこうと駆け足になった。

 しかし、そうはさせないと、ガリア兵が容赦なく小銃を構え、銃口を人々に向ける。


「こいつら!」


 群衆の中から悲鳴が上がり、場は騒然となった。

 そんな時、


「私だ」


 ふと、落ち着いた若い男の声が人ごみの中から起こった。

 ステラとガリア兵が、そろって声の起きた場所を見遣る。

 そこにいたのは一人の青年だった。それも、小奇麗にまとめられた鳶色の髪と、透き通るような空色の瞳が特徴的な美青年である。シオンとは対照的な印象を与える美形で、こちらの方が女性受けはいいだろうなと、不謹慎ながらにステラは思った。例えるなら、童話の中からそのまま飛び出してきた王子様――あまりにも現実離れに整った容姿と落ち着いた雰囲気に、この緊迫した事態にも関わらず、ステラも思わず見惚れてしまった


「貴方たちに暴言を吐いたのは私だ」


 美青年は臆した様子も見せず、どこか事務的にそう言った。

 そのすかした振る舞いが気にくわなかったのか、ガリア兵たちが息巻いて彼に詰め寄った。


「お前が?」


 ガリア兵が眉を顰める一方で、美青年は彼らの目の前に堂々とした佇まいで立つ。


「ああ。だからこれ以上、この場にいる人たちを怯えさせるようなことはしないでくれ」

「随分と偉そうな奴だな。お前、俺たちを怒らせたらどうなるか、わかっているのか?」


 顎をしゃくり上げて恫喝してくるガリア兵に、美青年は顔色一つ変えなかった。


「すまないが、わからない。どうなる?」

「いい度胸だ。ボコボコにしてやるから覚悟しておけよ」

「それは、私に暴力を振るうということか?」

「いや、暴力じゃない。正当な取り調べだ。この街の平穏を脅かす発言をした不届き者に、相応の仕打ちを与えないとな」


 美青年の表情がそこで初めて変わった。相手を小馬鹿にするような、冷ややかな顔つきだった。


「貴方たちは見たところガリア軍の兵士だと見受けられるが、何故、このログレス王国でそのような活動を行える? 」

「ああっ!?」

「ガリア軍が他国の治安維持活動に参加するなど、今この場で起きたこととその言葉だけを受けた限りでは、横暴な内政干渉に聞こえるが?」

「こちとら上から正式な許可を貰ってやってんだよ!」

「上というのは、ガリア軍の上層部か? いずれにせよ、ログレス王国内でガリアの軍人が治安維持活動をする理由にはならないと思うが?」


 ガリア兵たちはいよいよ怒りが抑えられないように激しい剣幕になった。


「てめぇ! いい加減にしないと本気で連行するぞ!」

「好きにするといい。ただし――」


 美青年はさらに続ける。


「ガリア軍がログレス王国にこうして駐在していられるのは、あくまで国家元首不在を名目にした代理統治のお陰だ。治安維持を名目に、ガリア軍がログレス王国の民をむやみに傷つけていいなど、何一つ国際的に約束されているわけではない。下手を打てば、貴方たちの行動を引き金に教会が動くことも考えられる。そうなれば――」

「クソが! もういい!」


 美青年の言葉を途中で遮り、ガリア兵たちは捨て台詞を吐いて立ち去った。直後、周りの民衆たちから歓声が上がる。

 それを見たステラが、ほっと胸を撫で下ろすと、


「大丈夫でしたか?」


 美青年が話しかけてきた。

 予期せぬ声掛けに、ステラが面食らって慌てて距離を取る。


「え、あ、はい! 大丈夫です! ありがとうございます!」

「それはよかった」


 物腰の柔らかい、紳士的な態度に思わず頬を染めてしまうステラ――だが、すぐさま表情を引き締めて荷物を手に取った。


「あっと、すみません! 助けていただいて何ですけど、私、ちょっと行く場所があって!」


 そう言って、改めて体に力を込める。


「ふんぬっ!」


 ステラは、どうにかして持ち上げたスーツケースを、ほぼ引きずるようにして歩みを進める。

 そこへ、美青年が不憫そうな眼差しを向けて駆け寄った。


「あ、あの、大丈夫ですか? もしご迷惑でなければ、目的地まで私が運びますが」

「いえ、お、おかまいなくぅ!」


 そう言って、ステラは気味の悪い気合の掛け声と共に、凄まじい形相で荷物を持ち上げた。

 しかし、その様子を見ていた美青年が、苦笑しつつもすかさずステラから荷物を取り上げた。


「これはさすがに、見過ごす方が心が痛みます。どうか、お節介をさせてください」


 ステラが観念し、恥ずかしそうに力なく笑う。


「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」


 心底申し訳なさそうに、ステラは頼んだ。

 そこへ、美青年から手が差し伸べられる。


「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私はアルバート・クラウスと申します。名乗りもせず、色々と不躾に申し訳ない」

「いえいえ、とんでもないです。私は――」


 このわずかな一瞬、いつかシオンが言っていた言葉を思い出した。

 本名をむやみやたらに名乗るな――もし、この美青年が、実は自分の敵側の人間だったら――そんな一抹の不安が過ぎり、


「ま、マリーっていいます。こちらこそ、助けていただいてありがとうございます……」


 と、ステラは咄嗟に思いついた偽名を名乗ることにした。

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