第48話

「何か飲むか?」


 アルバートに訊かれたが、シオンは首を横に振った。

 ラウンジの個室には、中央に丸いテーブルが一つあり、一人掛けのソファが対面にそれぞれ一つずつ置かれていた。壁の南側は全面ガラス張りとなっており、そこからの景色にはアルクノイアの夜の海が広がっていた。


「さっさと話したいことを言ってくれ」


 シオンがソファに腰を下ろすと、アルバートもそれに倣って対面に座った。


「シオン、君はこれから何をしようとしている?」

「そんなこと、明日捕まえた時にでも聞けばいいだろ。それとも、取り逃がした時の保険か?」

「逃がすこともそうだし、最悪、君をこの街で殺してしまうことも考えられる。理由としては不適当か?」


 シオンは面倒くさそうに顔を顰めた。


「教皇の暗殺だ。これで満足か?」

「何故そんな大それたことを――と、いいたいところだが、正直なところ、そこまでは我々も容易に想像ができていた。君が酷く教皇猊下を恨んでいることは、騎士団に所属する者であれば、知っていて当然だからな」


 そう言ってアルバートは身を乗り出し、テーブルの上に両肘をついて拳を組んだ。


「次に我々――いや、私個人から君に訊きたいことがある」

「引っかかる言い方だな。何を知りたい?」

「何故、君は戦争前に、あんな凶行に走ったんだ?」


 アルバートの問いを聞いたシオンの眉間に、深い皺が作られた。


「教皇派と分離派の争いなどと世間では言われているが、“アレ”の実態は大義名分を口実にしたただの弾圧だった。教皇勅書が発行されたことで騎士団はあらゆる決定権を失い、教皇庁の命令のままに君たち分離派の騎士を討つことになった。私はあの争いを、騎士団分裂戦争なんて一言で済ませるものにしたくはない。何故、私たちが仲違いをしてまで殺し合いをしなければならなかったのか――それを明らかにしたいんだ」

「アンタ、仮にも教皇派として戦った騎士だろ。今言ったこと、教皇の前で言えるか?」

「揶揄わないでくれ。今、君にこうして私的に接触しているだけでもかなり綱渡りなんだ。頼む、答えてほしい」

「悪いがアンタを信用できない。だから、何も答えたくない」


 そう拒否すると、アルバートは静かに目を伏せた。それから少しの間を置いて、徐に口を動かす。


「私を信用できないのではなく、“彼女”に酷い仕打ちをした教会を許せないから話したくないのでは? とどのつまり、君が“あんなことをした”理由もそこに通じていると私は考えている」


 二人の間を流れる空気が、一気に張り詰めた。

 居心地の悪い無音の状態が暫く続いたが、


「二度とその話に触れるな」


 シオンが、恐ろしいまでに無感情な声色で、低くそう呟いた。


「アンタと俺が戦えば、普通に考えればまずアンタが負けることはないだろう。だが、それ以上余計なことを喋るなら、俺は“本気でアンタを殺しに行く”」


 抑えきれなかった怒りの感情が可視化されたかのように、シオンの身体から“帰天”による微かな発光現象が起こった。


「……それだけ強い言葉を使うということは、冗談ではないようだな。諸々、ぞっとしない話だ。肝に銘じておく」


 アルバートは小さく溜め息を吐いて顔を顰めた。そのあと、気を取り直すようにして椅子に座り直し、改めてシオンを見据える。


「では、最初の質問に戻ろう。教皇の暗殺を目的にしているようだが、具体的にどうするつもりだ?」

「言うと思うのか?」

「いや、思わない。だから次は少し訊き方を変える」


 アルバートは再度前のめりになり、テーブルに両肘をついた。


「シオン、マリーさんは何者だ? 君が意味もなくあのような少女を連れ回しているとは思えない。目的が教皇暗殺であれば、あの少女がその鍵になっているのでは?」

「仮にあいつが鍵だったとして、それを今ここで言うと思うのか?」

「そうだな。だが、今の君の反応で、そうであることの裏付けがある程度取れただけ良しとするさ」

「どういう意味だ?」


 シオンが訝しげに訊くと、アルバートは少しだけ得意になった顔で肩を竦めた。


「君たちが大煙突のところに来る前に、マリーさんと少し話をした。どうやら、あまり隠し事が得意な方ではないようだな。私の質問に嘘は言わなかったようだが、曖昧で不確実なことをよく返答していた。恐らく、自分の身分や立場を知られたくないのだろう」


 話を聞きながら、シオンは眉一つ動かさず、アルバートをひたすら睨みつけた。


「そんな怖い顔をしないでくれ。余計な詮索はしていない、ただ世間話をする中でそう思っただけだ。だが、マリーさんが、今非常に不安定な状況にあるこの国において、貴族以上の影響力を持つ人物なのだろうとは、キミの反応を見ても予想できたよ。勘の域はでないけどね」


 そう言って立ち上がったアルバート――直前まで穏やかな微笑を浮かべていたが、次にシオンを見遣った時には、表情は冷たく、厳しいものになっていた。


「シオン、悪いことは言わない、彼女を悪事に加担させるようなことはするな。あんないたいけな少女を利用して他者の命を計画的に奪うなど、外道以外の何者でもないはずだ。君もかつて騎士であったのなら、その矜持は捨てないでほしい」


 シオンが、アルバートから視線を逸らす。その目つきは依然として険しく、鋭かった。

 そうやって不満げに黙るシオンを見かねたように、アルバートが傍らに立つ。


「一つ、余談だ。円卓の議席番号、ⅩⅢ番は未だに君のものだ。円卓は、君の命が尽きるその時まで、議席ⅩⅢ番を君のものにしておくと決定した。この意味がわかるか?」


 シオンは答えず、沈黙を保った。それには構わず、アルバートはさらに続ける。


「咎人として黒騎士になったとしても、君には騎士としての矜持を持ち続けてほしいとの願いを込めてのことだ。議席持ちの総意として可決された」

「騎士の矜持なんて聞こえのいい言葉を使って、ただ行動を制限するための呪いをかけたようにしか聞こえないが」

「そう感じたのなら、まだ君の中に矜持はあるようだな」


 アルバートはそこで力なく笑い、扉に向かって踵を返した。


「プリシラから話は聞いたと思うが、明日の正午にあの大煙突の前で我々は待っている。そこに君が大人しく来てくれることを願うよ」


 そして、扉に手をかけて開こうとした――その時だった。


 突如として、ホテルのロビーから悲鳴が湧き上がる。それを掻き消すようにして、慌ただしく何者かが大勢侵入してくる足音が続々と聞こえてきた。

 シオンは咄嗟に立ち上がり、アルバートを見遣る。アルバートが軽く頷くと、シオンもそれに同調した。

 勢いよく開けられた扉から、二人の騎士が駆け出す。

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