第32話

 シオンとノラがリズトーンの街に戻った時には、すでに辺りは騒然としていた。もうすぐ日付が変わろうとしているにも関わらず、住民たちが外灯を頼りに不安げな面持ちで外に出ていたのだ。無論、先の雷を不審に思ってのことである。今宵は晴天の星空だが、その時に起きた雷は、嵐に起きるそれ以上のものであったからだ。

 雷は街のいくつかの建物に落ちたようで、小火騒ぎにもなっていた。石炭に引火させまいと、炭鉱夫たちが総出で消火活動に当たっている。

 それらを尻目に、シオンとノラはオーケンの家へと入った。するとそこには、ステラ、エレオノーラ、オーケンがダイニングに集まっていた。ステラとエレオノーラについては、身支度を終えていつでも出発できるような状態だ。

 シオンが入ってくるなり、エレオノーラが険しい顔になって椅子から立ち上がる。


「さっき大きな雷が鳴ったんだけど、あれ、自然に起きたものじゃない。かなり強力な魔術で作られた雷だった」


 シオンは彼女の前に立った。その表情は、いつになく切迫している。


「エレオノーラ、ガストン・ギルマンという教会魔術師を知っているか?」


 その問いに、エレオノーラは怪訝な顔で頷いた。


「し、知ってるけど……。銘は“機械仕掛けの雷神”――ガリア軍の准将でしょ?」

「そいつが率いる軍隊がもうすぐこの街に攻め込んでくるらしい。さっきの雷も、そのギルマンとかいう教会魔術師の仕業だ」

「じょ、冗談でしょ?」


 シオンの言葉に珍しく慌てるエレオノーラ――騎士を相手取った時でも、ここまでの狼狽はなかった。シオンは表情を引き締めて首を傾げる。


「珍しいな、お前がそんな慌て方をするなんて」

「ガストン・ギルマンはアタシたち教会魔術師の中でも超武闘派の魔術師よ。おまけに人体を機械で改造した強化人間――大げさかもしれないけど、騎士と同等以上に渡り合える数少ない魔術師だよ」

「カルヴァンの言っていたことは本当みたいだな」


 シオンが忌々しそうに軽く溜め息を吐く。

 そこへ、ステラもやってきた。


「ガリア軍の准将ってことは、もしかして、私を捕えに?」


 また何かやらかしてしまったのか――そんな不安を孕んだ瞳で、シオンを見遣る。だが、彼はすぐに首を横に振った。


「いや、関係ないだろう。今回の進軍はあらかじめ計画されていたみたいだからな。そんな時にこの街に来た俺たちも運が悪い」

「で、でも、何で准将クラスの人がこの街に?」

「一年前のリベンジだろう。これだけの規模の資源採掘場だ。ガリアとしても、どうにかして手に入れておきたいはずだ」


 ステラの疑問にシオンは短く答えて、すぐにエレオノーラを見遣った。


「あと一時間もしないで強化人間と魔物で構成された旅団規模の軍勢がここに来る。すぐにこの街から立ち去るぞ。もしガリア軍と遭遇した場合は交戦になる可能性が高い。いつでも魔術で応戦できるようにしてくれ」

「がってん」


 そう言ったことが当然のことのようにして、二人は準備を始め、オーケンの家から出ようとした。

 それを、


「待ってください!」


 ステラが声を張り上げて止める。

 シオンとエレオノーラは立ち止まったが、ステラの方には振り返らなかった。


「シオンさん、詳しく聞かせてください。どうして准将クラスの人がそんな大軍を率いてくるんですか?」

「さっきも言っただろ。この街を資源採掘の拠点として――」

「この街の人たちはどうなるんですか?」


 まどろっこしいやり取りを省略するようにして、ステラは毅然と言った。シオンの顔が、少しだけ強張る。


「ここから逃げるってことは、ここにいる人たちを見捨てるってことですよね?」


 それにシオンが答える前に、エレオノーラが一歩前に出た。


「ステラ、アンタ、そろそろ自分の立場を理解しなさいよ。なんでアンタが王都を目指しているのか、よく考えてから――」


 そこまで言いかけて、エレオノーラは口を閉ざした。

 シオンが、手を軽く挙げて制止したのだ。


「よく聴け。状況はかなり悪い。これからここに来るのは殲滅部隊だ。住民全員を殺すつもりで進軍が開始される。今ここで、ガリア軍の旅団と鉢合わせるようなことになれば、ここで死ぬことも充分に考えられる」


 ステラはじっとシオンを見据えていた。


「お前はこの国の最後の希望だ。アリスの無念、エルリオたちエルフの期待――ひいては、この国の未来が、お前の動向にかかっている。今ここで――」

「今も先も、私にとっては同じログレス王国です」


 ステラはそう言い切って、突然、両膝を地面につけた。首を垂れ、黒騎士と魔術師に向かって跪く。

 シオンが表情を顰めると同時に、エレオノーラが目を丸くさせた。


「ちょっと、アンタ、今自分が何してんのかわかってんの? やめてよ、一国の王族がそんな軽々しく跪くなんて――」

「シオンさん、エレオノーラさん、お願いします。この街を助けてください」


 静かに懇願するステラの言葉を聞いて、エレオノーラは困惑した顔で、助けを求めるようにシオンを見遣った。

 シオンは渋い顔のまま目を伏せ、小さく嘆息する。


「ギルマンが率いる軍勢は旅団で、相当な兵力と規模になるはずだ。たとえ俺がいたとしても、勝算はあまり望めないぞ。お前の旅もここで終わる可能性がある」

「……わかっています」


 ステラのその言葉は小さく低い声色だったが、確固たる意思を孕んでいた。

 観念したように、シオンは天井を仰ぐ。それからエレオノーラを見た。


「悪いな、エレオノーラ。お前だけでも逃げるといい」

「はぁ!? アンタまで何言い出してんの!?」

「ここにいれば生き残れるかどうかもわからない。ほとんど成り行きで付き合わせているお前をこれ以上巻き込めない」

「アタシとの約束はどうなるのさ!? てか、アンタたちそれぞれにも旅の目的がちゃんとあるんでしょ!? なのに何でこんな……!」


 血相を変えて声を張り上げるエレオノーラ。それに対して、ステラはやけに落ち着いていた。跪いた体勢のまま、自嘲気味に一度口を固く噤み、徐に動かす。


「この街の人たちを見捨てて旅の目的を果たしても、きっとそれは私の望んだ結果にはならないと思うから……」


 弱々しい声で発せられた回答に、今度は逆にエレオノーラが言葉を詰まらせた。

 シオンは、そんな彼女に対して、軽く肩を竦める。


「だそうだ。このままだと、こいつ一人だけでもここに残りかねない。俺は付き合うことにした」


 しばしの沈黙――それから、エレオノーラは勢いよく椅子を蹴り飛ばした。


「信じらんない! どいつもこいつも好き勝手なことばかり言いやがって! 頭悪すぎだろ!」


 それから、縦長のスーツケースから銃を取り出す。乱暴にガシャガシャと状態を整え、弾丸となる可燃物を装填し始めた。


「ヤバくなったら、誰がどうなろうと、アタシはすぐに逃げるからね! それまでは、付き合えるところまでは付き合う!」


 癇癪起こしたように吠えているが、エレオノーラも協力する意思を示した。

 ステラは面を上げ、自身の願いを聞き入れてくれた二人を改めて見遣る。


「ありがとうございます……!」


 そして、震える声を出しながら、もう一度だけ首を垂れた。

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