第33話
「駄目です……街の皆、誰も避難しようとしてくれません……!」
息を切らしながら、戻ってきたノラが悲痛な表情を見せた。オーケンの家の前に集まった一同――シオン、ステラ、エレオノーラ、オーケン、そして合流したノラが、“ある程度予想していた事態”に揃って顔を顰める。
ガリア軍が攻めてくる――その事実を街の住民に伝えても、誰もそれに応じた危機感を抱かなかったのだ。
落雷による火災の鎮火を終えた炭鉱夫たちは急遽集会を始めた。ノラから伝えられたガリア軍の侵攻を耳にして、彼らはその対抗策を取ることにしたのである。
一国の旅団規模の軍勢がこの街に押し寄せてくる――しかし、街の住民は、揃ってこう口にしたのだ。また一年の前のようにやればよい、と。
「一年前とは違うって言っても、誰も聞く耳を持ってくれなくて……」
焦りと嘆きで取り乱しかねないノラの背中を、ステラが優しく支える。
シオンは両腕を組み、わかり切っていたように小さく嘆息した。
「だろうな。一度うまくいった実績があるせいで、また同じようにうまくいくと思い込んでいるんだろう。フィジカルの面でも、どう考えてもライカンスロープに分がある。そう判断するのもおかしくはない」
その評価を聞いて、ステラは不安そうに眉を顰めた。
「侵攻してくるのは“強化人間”っていう兵士なんですよね? ライカンスロープよりも強いんですか?」
「俺もあまり詳しくはないが、知っている限りでは、その膂力は生物の域を超えているらしい。十人も揃えば騎士一人を肉弾戦で倒せるとは聞いている」
「そ、そんな人たちが大量に押し寄せてくるんじゃ、シオンさんでも相手にならないじゃないですか!」
「だからさっきから言っているだろ、逃げた方が得策だと」
今更か、と苛立ち気味にシオンが少しだけ声を張った。
「しかも強化人間の兵士だけじゃなく、今回は魔物も付いてくるときた。到底、俺一人じゃ捌ききれない」
「じゃあ、どうすれば……」
ステラが訊くと、シオンはエレオノーラを見遣った。エレオノーラはエレオノーラで、少し前に皆から距離を取り、何やら淡々と魔術で周囲の物の配置や地形を変えている。
「エレオノーラに頼るしかない。エレオノーラの魔術なら広範囲を強力な火力で焼き払える。強化人間はともかく、魔物の軍勢であれば容易に対処できるはずだ」
「魔物はそうとして、強化人間はどうするんですか? ガストン・ギルマンっていう凄く強い人もいるんですよね?」
その問いに、シオンは露骨に視線を明後日の方に向けた。一瞬の間を空けた後で、
「……何とかする。いざという時に取るべき手段も、一応はある」
喋りたくなさそうな声色で、ぼそりと呟いた。
らしくないシオンの反応に、ステラは思わず小首を傾げた。だが、彼女に何かしらの反応を示す前に、シオンはその場から移動してしまう。
彼が向かった先は、仏頂面で魔術を行使し続けるエレオノーラのもとだった。
エレオノーラは横目でちらりとシオンの姿を確認したが、それ以上、何か応えることはしなかった。シオンが気を遣うように静かに近づく。
「準備にあとどれくらいかかりそうだ?」
「十五分もかからないくらい」
ぶっきらぼうな答えには、確かな不満が含まれていた。
エレオノーラの魔術によって、隣接する家屋同士の隙間が、土や岩によってみるみるうちに埋められていく。街の入り口となる駅から中央区に向かって、一本道の通路が作られたような状態だ。
「アンタの作戦、当てになるの?」
エレオノーラが、不意にシオンへそう尋ねた。シオンはそれを、芳しくない面持ちになって首を横に振る。
「わからない」
「頼りにならない男だね。まあ、アタシも同意見だけど」
「俺の考えた対抗策も、あくまで“俺がガリア軍ならこうする”という前提ありきで立てたものだ。まして、国軍が考える戦略や戦術、作戦には疎い。正直なところ、うまくいく自信はまったくない」
「騎士は脳筋ばかりってこと?」
エレオノーラが呆れたように皮肉を言ったが、シオンは真面目な表情のまま軽く目を伏せた。
「中らずと雖も遠からず。実際、騎士の強さは圧倒的な個の戦闘能力に依存している。何か事を起こすにしても、その機動力と火力を活かした拠点制圧にしか投入されることがほとんどなかった」
「なるほど。攻めることは得意でも、守ることは苦手ってことか」
「そうだな。だからこそ、今この場面ではお前の力が何よりの頼りになっている」
エレオノーラは胡乱げに顔を顰めた。
「お世辞のつもり?」
「本心だ」
「あっそ」
吐き捨てるように言って、エレオノーラは再び魔術の行使に集中し始めた。身の丈ほどもある長大な銃を杖に見立て、地面に突き刺す。そのたびに、周囲の地面が生き物のようにして形を変えていった。
「最初の雷なんだけどさ、あれ、何のためにやったと思う?」
唐突にエレオノーラが言った。
「できるだけ街の住人を家屋から外に出しておきたかったんだろう」
「なんで?」
「蜂の巣が欲しい時に、蜂に居座られたままだと面倒だと考えるはずだ」
「は?」
シオンの見解を聞いて、エレオノーラが眉を顰めながら首を傾げた。
「あくまで想像だが、ガリア軍はこの街を資源採掘の場として手に入れることを望んでいる。設備や環境は可能な限りそのままにしておきたいと思うはずだ――となれば、奴らにとって邪魔なのはここの住民。住民を一人ずつ始末するのに、家の中をいちいち開けて回るのは効率が悪い。それも、魔物を使うとなればなおのことだ。下手に魔物に任せれば、家屋や施設を無駄に破壊することになる」
「だから、騒ぎを起こすようなことをして、住民の動きを活発にさせたってこと? 外に出させれば、あとは魔物が勝手に刈り取るから」
「ああ。俺ならそうする」
「本当、獣狩りをする要領ね」
辟易してエレオノーラが肩を竦めると、シオンはさらに続けた。
「恐らく、ガリア軍は魔物が住民を襲撃している間に、本隊となる強化人間たちを街の周囲に展開して取り囲むはずだ。街から逃げる住民たちをそこで仕留めるためにな」
「だから、尖兵隊となる魔物たちを正面に誘導して、アタシの魔術で根こそぎ焼き払う、と。そうすれば、後続の強化人間たちは街を取り囲まず、魔物たちの代わりに正面から街に侵攻してくるってわけね」
「ああ。街を囲われなければ、住民たちをその間に外へ逃がすことができる。結果的に街を放棄することになるが、これでステラの望みは最低限叶えられるはずだ」
シオンの考察に、エレオノーラは難色を示すように口元を微かに歪ませた。何か渋いものを食べたかのように、顔を顰めさせる。
「どうした?」
シオンが訊くと、エレオノーラは魔術を行使する手を少しだけ休めた。
「ねえ、アンタはさ、ステラに何を――期待してんの?」
その言葉には一瞬妙な間があったが、シオンはそれに気付いているかいないのか、
「俺の目的を果たすために必要不可欠な人間。そうとしか思っていない」
即答して、目つきを鋭くした。
エレオノーラが、後頭部を掻き毟って溜め息を吐く。
「そう。アタシから見たらそんな感じはしないけど、とりあえずはわかった」
そう言って彼女は、再度銃を地面に突き立て、魔術の行使を再開する。また、地面が生き物のようにしてうねり始めた。
そうして、即席の誘導路が完成した。エレオノーラが作ったこの誘導路は、街の唯一の入り口となる駅舎から、街の中央部分まで大きな道一本で構成されている。リズトーンは山に囲われた高所に位置する街――魔物を引き連れた旅団クラスの大人数が入り込むとなれば、まずここまでの移動手段に汽車以外を選ぶことはないだろう――そうシオンは予想した。
エレオノーラが大きな息を一つ吐いて、シオンに振り返る。
「言われた通りやったけど、本当に引っかかる? 何か露骨すぎない?」
「露骨な方がいい。先に送ってくるのは間違いなく魔物だ。知能の低い魔物は必ず通りやすい道を選ぶ」
「まあそうかもしれないけど――あ、そうそう。ちゃんと“仕込み”もやったから、抜かりなく」
エレオノーラが肩を竦めると、シオンは神妙な面持ちになって彼女の前に立った。
「な、なに?」
「魔物を焼き払ったあとのこと、頼んだ」
「……ステラたちを連れて街の外に逃げるって話?」
シオンが頷く。
「ああ。俺が殿をやってできるだけ時間を稼ぐ。その間に、山奥へ避難させてくれ」
「アンタは死ぬ気なの?」
「まさか。俺も逃げるつもりだ」
「どうやって?」
「一つ訊いていいか?」
逆に質問を返したシオンに、エレオノーラは訝しそうに眉根を寄せる。
「な、なに?」
「“悪魔の烙印”には魔術の抑制効果があるって前に言っていたな?」
「そうだけど」
「それがどれだけの効力なのかわかるか?」
「どれだけの効力……いや、そこまではまだわかっていない。ただ間違いなく、“騎士の聖痕”から発動される魔術を抑えているってことしか」
エレオノーラの回答に、シオンは軽く息を吐いて少しだけ無念そうな表情になった。何故そんな反応をしたのかと、エレオノーラはますます怪訝な顔つきになったが――すぐにハッとした。
「あ、アンタ、もしかして――」
「シオンさん、エレオノーラさん!」
エレオノーラがシオンに何かを訊こうとした矢先、ステラが駆け寄ってきた。
ステラは二人の前で止まると、両膝に手をついて呼吸を整え、早口で喋り出した。
「今さっき街の人が、駅にガリア軍の軍用列車が到着したって言ってました! それを聞いた炭鉱夫たちが、一斉に駅に向かって行ったようです!」
「始まったか」
シオンが言って、エレオノーラを見遣った。
「エレオノーラ、お前、人を殺したことはあるか?」
突然の問いかけに、エレオノーラは少しだけ面食らった顔になる。だが、すぐに表情を引き締めて――どこか郷愁を帯びたような目つきをした。
「……あるよ。昔、小国同士の紛争で兵器として駆り出されたことあるから」
シオンは、申し訳なさそうな、安心したような、複雑な表情を返す。
「お前が相手取るのは基本的には魔物だが、いざという時は頼んだ」
「わかってる」
エレオノーラはつまらなそうに肩を竦めて応じた。
続けてシオンはステラに話しかける。
「ステラ、お前はノラとオーケンと一緒にいろ。炭鉱夫たちが敵わないと判断した時、そこで初めて住民たちは一斉に逃げ出す選択肢を取るはずだ。その時に、ノラたちと一緒になって可能な限り誘導してくれ。あとでエレオノーラを合流させる」
「わかりました」
ステラが返事をした直後、駅舎の方からいくつもの雄叫びが上がった。
獣のような咆哮――ライカンスロープたちの鬨の声が、夜の空気を勇ましく震わせた。
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