第31話
夜中にカルヴァンが突然部屋に訪れた時は驚いた。
その時のノラは、今まで彼から訪ねてくることがなかったために、まるで宇宙人を目の当たりにしたかのような反応をしてしまった。
だが、カルヴァンはそんなノラにいちいち何か反応することもなく、強引に腕を掴んでオーケンの家から連れ出した。
戸惑うノラがようやく状況を整理して落ち着きを取り戻したのは、二人が初めて出会った薬草栽培用の畑に足を踏み入れてからだった。
「ま、待って! カルヴァン!」
ノラは勢いよく腕を振りほどいた。直後にカルヴァンが振り返り、お互いに息を切らしながら見つめ合う。
満月の映える、林の木々がぽっかりと抜けている場所の畑で、亜人の少女と、人間のガリア兵が対峙するような形になった。
「……さっき、オーケンさんの家を出る間際に言ったことは本当なの?」
呼吸を整えたノラが、痛ましげな面持ちでそう訊いた。
カルヴァンは表情を変えずに頷く。
「ああ。あと一時間もしないで、本国から第八旅団がこの街に送られてくる」
それを聞いたノラが、すぐに踵を返そうとした。だが、カルヴァンが許さない。彼は傷ついた体で、辛うじて動かせる右腕でノラの肩を掴んだ。
そして、ノラはそれをすぐに振り払った。
「街の皆に知らせないと!」
「無駄だ!」
呼び止めるようにして、カルヴァンが叫んだ。
「む、無駄、って――」
「もう間に合わない。この街は、この国の他の街と同じようにガリアに取り込まれる」
「一年前と同じように、また街の皆で応戦すれば――」
「次に来る第八旅団は俺のいた隊とは比較にならない兵力を持っている。炭鉱夫のライカンスロープがたかだか数千人いたところで、どうにかなる話でもない」
カルヴァンのやけに落ち着いた声色は、それが真実であることを間違いなく裏付けていると、ノラは思った。だが、自身もこの街の住人である以上、カルヴァンの言うことを素直に聞くわけにはいかなかった。
「じゃ、じゃあ、何で私をここに連れてきたの?」
「お前を死なせたくない」
カルヴァンの凶行を咎めるように言うと、ノラにとってはあまりにも予想外で、驚くほどに素直な言葉が返ってきた。
ノラがその真意を問う間を与えずに、カルヴァンはさらに続ける。
「ガリア公国軍第八旅団の旅団長――ガストン・ギルマン准将は、今回の侵攻作戦でリズトーンにいる亜人全員を一掃するつもりだ。あの街で今日の夜を過ごした者は誰も生き残らない」
獣の耳と尻尾を緊張させながら、ノラは眉を顰めた。
「何で貴方にそんなことがわかるの?」
ノラの疑問に答えるようにして、カルヴァンは懐から一枚の小さな紙切れを取り出す。
「夕方、同僚が俺を訪ねてきただろ。その時に今回の指示がまとめられたメモを受け取った」
「指示って、貴方たちずっと炭鉱で働かされていたでしょう? そんなのどうやって?」
「半年ほど前から、軍用通信と同じ信号規則を使って、音や光で街の外から情報が送られていた。ガリア軍は半年前からこの街を囲う山の周辺に潜伏して、捕虜の俺たちに情報を渡していたんだ」
にわかには信じられなかったが――腐っても彼は一国の軍人である。ノラはそのことを思い出すようにして、沈痛な面持ちで奥歯を噛み締めた。
「私を騙していたの?」
「騙していたわけじゃない。だが、黙っていたことは謝る。だからこそ、今こうしてお前を連れ出した!」
理由になっているような、なっていないような回答に、ノラの表情はますます怪訝になった。
「……何で、私だけ?」
「お前には世話になった。敵国の軍人なのに、お前だけが俺たちをここでヒトとして扱ってくれた」
「オーケンさんだっているじゃない」
「あのドワーフは気の毒だが連れていけない。ガリア本国に行けば、ドワーフはそれこそヒトの扱いを受けない。お前だって亜人なら知ってるだろ? ガリアは、エルフ、ライカンスロープ、ドワーフの順で亜人を格付けして強い差別をする。あのドワーフのおっさんを一緒に連れていったところで、文字通り工場の歯車と同じ扱いを受けるだけだ」
カルヴァンは、自分こそが正しいことを言っているといった顔で、一歩踏み出した。
「お前はこれから俺と本国に行って、新しい生活を始めるんだ。大丈夫だ、お前はライカンスロープだから、俺が所有権を国に提出すれば奴隷でもちゃんと人並みの生活を送ることができる。性奴隷にされるエルフみたいなことにはならない。俺と一緒にいれば――」
「貴方の言っていることが理解できない……」
ノラはそれを拒絶して、慄いた顔で後退った。
「なあ、わかってくれよ。俺はお前に恩返ししたいんだ。死なせたくないんだ。ここにあと数時間もいれば、亜人は――あの街の住人は例外なく全員殺されちまう」
「だから私を貴方の奴隷にするの?」
震える声で訊いたが、対するカルヴァンはいたって平然とした表情のままだ。根本的に、亜人に対する価値観が違うのだろう。
亜人は奴隷であって然るべき存在――カルヴァンの話は、そのことを根底に置いたようにしか展開されなかった。
一年近い日々を共に過ごし、異性として好意を抱くまでに心を通わせることができたと自負していたが――どうやらそれは勘違いに近いものだったと、ノラは思った。
ノラは、悔しさに唇を強く噛み締め、スカートの裾を強く握りしめる。
一方で、ノラの言わんとしていることを察しつつも、思い通りにならないことに苛立ちを覚え始めたのか、カルヴァンの眉根に深い皺が寄せられた。
「それが一番確実なんだよ。お前だって、俺のこと――」
荒めの語気でそこまで言いかけて、突然、街のある方を見た。すると間もなくして、林の木々から人影が一つ現れる。
一本に結った黒長髪に整った顔立ちの長身の青年、シオンだ。
シオンは、カルヴァンを見るなり、短いため息を吐く。
「腐っても軍人、やはり裏で何かしらの工作活動はしていたか」
近づいてくるシオン――それに向かって、カルヴァンが懐から拳銃を取り出して突きつけた。
「なんだてめぇは?」
カルヴァンのその声は、軍人というより、チンピラといった方が適切だった。
しかし、シオンは顔色一つ変えることなく、淡々と歩みを進める。
「何故ガリア軍はこのタイミングで街を襲撃することにした?」
シオンがそう問いかけた刹那、乾いた発砲音が鳴る。
そして、瞬き一回分にも満たない僅かな瞬間に、いつの間にかシオンがカルヴァンの拳銃を握っていた。それにカルヴァンとノラが驚く前に、拳銃がシオンの手の中で握り潰される。
ここでようやくカルヴァンが反応し、シオンの人間離れした身体能力に慄きながら地面に尻もちをついた。
「て、てめぇ、普通の人間じゃないのか……!」
「答えろ」
赤い双眸で見下すシオンに、カルヴァンは軍人らしからぬ怯んだ顔つきで歯噛みする。
「し、知らねえよ……お、俺は、ただ指示を受け取っただけだ……!」
「何の指示だ?」
「て、“定刻、二三三〇までに撤退準備を完了せよ”――俺たち捕虜はそう命令を受けた。め、メモが、夕方に仲間から受け取ったメモが、ズボン右ポケットに入っている……!」
シオンはすぐさまカルヴァンの右ポケットに手を入れ、紙切れを取り出した。そこには確かに、彼の言った通りの言葉が拙い大陸語の文字で書かれていた。
「ガリア軍はここで何をしようとしている?」
カルヴァンは険しい表情のまま鼻を鳴らした。
「同じことを何度も言わせんな。ギルマン准将はリズトーンを一度ゴーストタウンにするつもりなんだよ。街の亜人を皆殺しにして、ここを資源採掘の拠点にすることを計画してんだ」
その直後だった。
突如として、夜の闇が眩い光によって切り裂かれる。同時に怒るのは轟音――それは、耳の鼓膜を破りかねないほどの激しい“雷鳴”だった。
今宵は星空であるにもかかわらず、雷が起きたのだ。
ノラとシオンがそれに驚いている傍らで、カルヴァンが何かを諦めたように顔を伏せた。
「……今の雷を見たろ。あれ、ギルマン准将の魔術だ。あんなことをする化け物を相手にして、生き残れるはずがない」
「教会魔術師か?」
カルヴァンは頷いた。
「それだけってわけじゃない。ギルマン准将が率いる第八旅団は、ガリア軍屈指の精鋭が集められた武闘派集団だ。構成員が漏れなく人体の一部を機械化した“強化人間”な上に、戦闘用に調教した魔物も多数従えている。何より、ギルマン准将本人が、自ら前線に立つほどの豪傑だ。教会魔術師であり、強化人間でもある――“機械仕掛けの雷神”の二つ名を与えられた、騎士に匹敵する戦闘力を持つガリア最強の兵士だ。第八旅団は殲滅部隊として動く。今まで攻め込まれた場所は、赤子一人生き残った試しがない。俺たち捕虜が受け取った指示も、第八旅団の侵攻に巻き込まれないようにするための、“ただの配慮や恩情”の類だ」
「それでお前は、恩人のノラだけは助け出そうとしたのか」
どこか素直になり切れていない様子で、カルヴァンは無反応だった。
シオンが再度、カルヴァンの胸倉を掴む。
「軍はどこから攻めてくる?」
「あ?」
「さっさと言え」
抑揚の欠いた、やけに落ち着いたシオンの声色に、カルヴァンは恐怖心を抱いたように唾を飲み込んだ。
「し、詳細は知らねえが、この街は山に囲まれた盆地だ。多分、街で唯一の入り口になる線路側から来るんじゃねえのか? 第八旅団は真正面から攻め込むことを目的に編成されている。それしか考えられねえ」
「……列車の運行を止めていたのは、この件も絡んでいそうだな」
吐き捨てるように言って、シオンはカルヴァンを解放した。それからすぐに、街の方へ向かって駆け出す。
そして、その後を追うように、ノラも走り出した。
その背中に、思わずといった表情でカルヴァンが手を伸ばす。
「お、おい!」
ノラが足を止め、振り返る。
しかし、その表情にはかつて彼に向けていた慈愛の感情はなかった。
「私、貴方とは一緒に行けない」
そう言い残し、街へと駆け出していった。
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