第30話

 三十人強いたガリア兵たちのほとんどが意識を失った状態で、ホテルのロビー床に伏している。一命こそ取り留めているものの、手足を欠損している者が半数以上だ。周囲の柱やカーテン、ソファ、テーブルには、弾痕と共に血飛沫の赤い斑点が数多く残されている。


「ガリア兵が何故このホテルを襲撃しに来た?」


 アルバートが、捕縛したガリア兵の一人に向かってそう訊いた。そのガリア兵は、いったいどういう原理なのか、一見すると何もないところでマリオネットのように宙ずりの状態にされている。不可解かつ不気味な光景に、ホテルのスタッフや客などは、脅されていた時よりも遥かに怯えた表情でその身をロビーの片隅で縮こませていた。


「お、お前たち、な、何者だ……?」


 息も絶え絶えといった様子で、ガリア兵がか細い声で逆に訊き返してきた。

 アルバートは険しい表情を崩さぬまま、


「我々は騎士だ。大陸の平和と秩序を守る身分として、どうにも今回の件は見過ごせなかった。それと、こちらにも事情があってね。少々手荒だったが、早々に鎮圧させてもらった」


 淡々と答えた。

 するとガリア兵は何やら納得がいかない顔になって顔を顰める。


「は、話が、違、う……」

「話が違う?」


 咄嗟にアルバートが首を傾げたが、ガリア兵は最後にそう言い残して、それきり気絶してしまった。

 アルバートは鳶色の髪を左右に揺らしながら小さく嘆息する。


「少々、やり過ぎてしまったか」


 周囲を見渡して、改めてその言葉通りだと実感する。誰一人殺していないとはいえ、それなりの出血をしながら床に伏したまま沈黙する大量のガリア兵――巻き込まれた一般人たちは、アルバートを化け物か怪物を見るようにして怯えている。


「事後処理を引き受けたはいいが、これは少し時間がかかるかもしれないな」

「お困りのようなら、手を貸しましょうか?」


 不意にロビーに響いた声に驚き、アルバートは長剣を構えながら振り返った。

 そこにいたのは、血塗れのソファに足を組んで座る一人の男――騎士団副総長、イグナーツ・フォン・マンシュタインの姿だった。額の真ん中で分けた黒い長髪の隙間から覗かせる冷たい表情は穏やかではあったが、特別何かを思っているようなものでもなさそうで、仮面を付けているような不気味さがあった。


「イグナーツ卿? いつからこちらに?」


 イグナーツは優雅な所作で煙草に火を点け、まずは一服した。それから、徐に口を動かし始める。


「ついさっきです。貴方たちが大暴れし終わったくらいですかね。それにしても、随分とまた派手にやりましたね」


 どこか楽しげに、かつ呆れるように言ってきた。

 アルバートは若干顔を顰める。


「混乱に乗じて黒騎士が我々から逃亡を図ろうとしていましたので、少々強引に事を治めてしまいました」

「まだ誰も死なせていないようですが、大丈夫ですか? あそこの両腕欠損している兵士たちなんか、出血多量で死んでしまうのでは?」

「彼らの両腕を切り落とした張本人であるユリウスが直後に止血済みです。もっとも、断面を“潰す”ような荒っぽいやり方でしたが……」


 アルバートが苦言を呈するように言うと、イグナーツは愉快そうに軽く笑った。


「よほど機嫌が悪かったとみえますね。まあ、それならさっさと救護車を呼んであげましょうか。折角の命です、大切にしてあげないと――あー、失敬、スタッフさん」


 イグナーツが何気なく声をかけたのは、ホテルの女性スタッフだった。フロント側の壁で、今にも失禁しそうな顔で震えていたが、声をかけられたことで一層その表情に恐怖の陰りが落ちる。


「病院に電話して、救護車を呼んであげてください。あ、そういえばここはログレスで、彼らはガリアの兵士――呼んだところで助けてくれるんですかね。ログレス王国民は随分とガリア兵士を嫌っているようですが」


 ふと思いついた疑問を独り言のように発し、勝手に小難しい顔になった。そこへアルバートが歩み寄る。


「イグナーツ卿、ガリア兵が何故ここを襲撃したか、教えていただけますか?」

「まるで私がその問いの答えを知っているかのような訊き方ですね」


 イグナーツが煙草を吹かす。


「まあ、知っているんですけどね」

「貴方から事前に提供いただいた情報には、黒騎士シオンと同行しているのはエレオノーラ・コーゼルだけとありました。ですが、今日実際に接触した際には、もう一人、人間の少女が一緒にいました」

「それで?」

「ガリア兵たちは、シオンたちが入って間もなくこのホテルにやってきました。それに、その少女だけエレオノーラ・コーゼルと違って素性を押さえられていない。さらに、シオンは教皇暗殺を旅の目的としており――その手段に、件の少女が利用されているのではと私は考えました。勘の域はでないですが、この襲撃も、あの不明点の多い少女に起因しているものではないでしょうか?」

「さすがはアルバート卿、中々に鋭い勘を持っていらっしゃる」


 軽く讃えて、イグナーツは足を組み直した。


「ガリア兵が血眼になって探しているのは、このログレス王国の王女――ステラ・エイミス。貴方が見たというその少女こそが、まさしくその人です」


 アルバートは少しだけ驚いた顔になったが、すぐさま表情を引き締めた。


「それなりの地位を持った人物だと予想はしていたが、まさか王女だとは……。何故、そんな重大な事実を我々に隠していたのですか?」

「隠していたつもりはないですよ。必要のない情報だと思ったので、伝えなかっただけです。貴方たち三人に与えられた任務は黒騎士の捕獲、あるいは討伐です。王女とはいえ、戦う力のない少女。黒騎士の傍にいたところで、貴方たちの作戦行動には何の影響もないでしょう」


 つまらない質問を小馬鹿にするような笑みを浮かばせながら、イグナーツはソファから腰を浮かした。立ち上がる間際、床に滴る血糊を人差し指で掬い上げる。


「それとも、知らないことで何か不都合なことでもありましたか? あ、いや、やはり貴方の言う通り伝えるべきだったかもしれませんね。知っておけば、事を有利に運べたかもしれません。黒騎士にとって彼女は教皇暗殺を実行するうえでの最重要人物です。最優先で保護対象にするはずなので、図らずとも彼の足枷になる。人質にでもすれば――」

「そういうことを言いたいのではありません」


 やや語気を強めて、アルバートが遮った。イグナーツは愉快そうに軽く笑って、血糊を使って人差し指で柱に何かを描き始める。


「では、何を言いたいので?」

「このログレス王国は今非常に不安定な状態です。消息不明となっていたステラ・エイミスが今こうして再びこの国に現れたとなれば、その身柄は我々騎士団で保護するべきではありませんか?」

「何故です?」

「ガリア兵たちが彼女を探しているのは、名実ともにログレス王国の実権を掌握するためでしょう。だが、実際にそんなことになれば、大陸諸国からの反発は免れません。下手を打てば、大陸全土が戦火に見舞われることになります」

「そうですね、下手を打てば大変なことになるという点については私も同感です」

「であれば!」

「ですが、それが、イコール、ステラ・エイミスを保護することで回避できるわけではないです」


 イグナーツが柱に描いていたのは、巨大な印章だった。その手を止めないまま、さらに続ける。


「ステラ・エイミスが国内で女王の即位を表明し、戴冠式を経て名実ともにログレス王国の国家元首であると大陸諸国から認められれば、ガリア公国は撤退をやむを得ないでしょう。ガリア公国のこの侵略まがいの行為は、あくまで隣国の国家元首不在における代理統治を大義名分としていますからね。こうすれば、貴方の言う最悪のシナリオは回避できます」


 イグナーツが言って、アルバートは何かに気付いたようにハッとする。


「戴冠式……まさか、シオンはその時に教皇を――」

「まあ、そうでしょうね。今の教皇猊下は非常に用心深い。警備には常に円卓の騎士を数名仕えさせ、滅多に教皇庁から出てくることがない。だから、黒騎士は戴冠式の場を利用して、教皇暗殺を企てようとしているのでしょう」


 柱に綴っていた印章が完成した。途端、ロビー中が怪しく光り出し、まるで部屋全体が生き物のであるかのようにして壁や床の破損が修繕されていく。


「ちなみに、教皇猊下はすでにそのことを勘付かれています。なので、猊下はガリア公国と一緒になって、ステラ・エイミスの戴冠式を阻止する方向で色々手を回しているようです。私も、猊下からそう言われているうちの一人です」

「な!?」


 アルバートは言葉を失うように驚くと、イグナーツが肩を竦めて笑った。


「ああ、安心してください。ガリアとは違って、王女を捕まえたり亡き者にしようなんて一切考えていませんよ。私とて人間です、教皇猊下の意向があるとはいえ、あのようないたいけな少女の命を奪ってはさすがに目覚めが悪い」


 ホテルのロビーは、イグナーツの魔術によってすっかりと元の装いに戻っていた。元に戻っていないことと言えば、横たわる兵士たちと、怯えるスタッフと客の姿だ。


「さらに言うと、教皇猊下はガリア公国がログレス王国の実権を握ることに肯定的です。その一方で、あえて大陸全土を巻き込んだ戦乱の世にしたいとも思っていません。猊下としては、ガリア公国がログレス王国を支配するようになるのを、できるだけ穏便に済ませたいとお考えのようです。というわけで、結果的に、ステラ・エイミスが女王になろうがなるまいが、最悪の事態は回避される方向に動くでしょう。仮に我々騎士団が彼女を保護した場合、そのまま幽閉されることになると思いますよ。まあ、貴方がそうしてくれるなら、私としても大変有難い限りです。ステラ・エイミスの妨害について考えなくてよくなりますからね、仕事が楽になります」


 イグナーツは踵を返し、アルバートとすれ違いざまに彼の肩に手を置いた。


「さて、貴方の質問には答えてあげました。お掃除も終わったことですし、諸々の事後処理と、黒騎士についての任は引き続きお任せしますよ」

「お待ちください。イグナーツ卿、貴方は何をしようとしているのですか?」

「教皇猊下の意向に則って動いているだけですよ。ステラ・エイミスの件に関しては、まあ最悪、王都に着きそうになった時にでも考えればいいと思っています。教皇としては、戴冠式さえ開催できなければよいそうなので。“保険”もかけてありますしね」


 その言葉を受けて、アルバートは眉間に深い皺を寄せて黙りこくった。

 そんな時、ふとイグナーツが、ああ、と声を上げて少しだけ振り返る。


「黒騎士の追跡にはユリウス卿とプリシラ卿を向かわせたようですが、あの二人で大丈夫ですかね? シオン・クルスは仮にも円卓の議席ⅩⅢ番に座す騎士です。私の見立てだと、とてもではないですが取り逃がす未来しか見えませんね」


 賭博の予想を言い当てるかのようにして、楽しそうにそう言い残した。

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