第29話

「王都方面へ向かう汽車はまだ暫く運休するみたいです。詳しいことは駅員さんも知らされていないようですが……」


 時刻が昼を過ぎた頃――買い物がてら街の路線情報を聞きに行ってくれたノラが、オーケンの家に戻って早々にそう教えてくれた。

 ダイニングでエレオノーラとお茶を楽しんでいたステラが、怪訝に眉を顰める。


「何かあったんですかね? 事故とか」


 カップから口を離したエレオノーラが、人心地が付いたような息を吐いた。


「さあ。ま、汽車が動かないなら動かないで、もうちょっとここでのんびりしようよ。一度出発したら次はいつゆっくり休めるかわからないんだし」

「いや、私たち、オーケンさんのご厚意でここに身を置かせてもらっているんで、無駄に長居は……」


 エレオノーラの図々しい言葉を受け、気まずそうにステラがオーケンを横目で見遣る。

 しかし、意外にもオーケンは気にした様子もなく、肩を竦めるだけだった。


「わしのことは気にしないでいい。部屋数だけは無駄に多い家だ。寝るなり休むなり、好きにしろ」


 オーケンの言質を得て、エレオノーラはしたり顔でステラを見た。


「オーケンさんもそう言っていることだし、お言葉に甘えようじゃないの。ってなわけで早速、お昼寝しようかな。オーケンさん、適当な部屋借りるね」

「ダイニング奥に並んでいる部屋なら寝具も整えてあるからすぐに寝られる。人間からしたら狭いかもしれないが、寝るだけなら問題なく使えるはずだ」

「ありがと」


 エレオノーラは小さく手を振って謝意を伝えたあと、ダイニング奥に並んだ無数の扉のうちの一つを開け、部屋の中に消えた。


 次に、オーケンがパイプを吹かしながら椅子から立ち上がり、腰を伸ばした。


「さて、わしはぼちぼち仕事に戻るとしよう。魔術師のお嬢さんみたいに、空き部屋は好きに使ってもらって構わない。休みたいだけ休むといい」


 オーケンはそう言い残し、地下へと続く階段を下りて仕事部屋に入った。

 続いて、


「私も、カルヴァンの様子を看ます。そろそろ包帯も変えてあげないと駄目なので」


 ノラも、カルヴァンが寝る部屋に消えた。


 そうして、ダイニングには、シオンとステラの二人だけになった。初めの出会いこそ二人だけであったが、こうしてまた、他に誰もいない状況になるのは、それ以来かもしれない。

 二人は一瞬、ハッとして、そんなことを同時に思い浮かべたような顔になった。


「……あ、あの、誰もいなくなったからこの際、なんですけど、聞いてもいいですか?」


 妙な沈黙を先に破ったのはステラだった。シオンはそれを無言で了承し、椅子に座りなおす。


「なんだ?」

「……シオンさんが、教皇を暗殺しようとしている理由です」


 シオンが、ぴくり、と反応する。


「余計な詮索をしない方がいいと思って、今まで訊きませんでした――いえ、怖くて、訊けませんでした。でも、やっぱり知らないわけにはいかない気がしてきたんです」


 ステラは、やけにまっすぐな視線でシオンを捉える。


「シオンさんは二年前の戦争で分離派に与していた騎士で、未だに教皇に怨みを持っているんですよね? だから、この旅で教皇に復讐するつもりなんだと、私は思っています。そしてそれは、私を利用して果たされるということも理解しています。正直、暗殺に自分が利用されるのは複雑な気分だし、復讐なんてやめてほしいと思っています。けど、それがこの旅の条件だし、必要以上に強く言うことはできません。でも、だったらせめて、その理由くらいは聞かせてもらえませんか?」

「教皇を死なせてしまったら自分の責任になるかもしれないと思っているのか? だったら気にしなくていい。俺が勝手にやったことにする。お前のことも、人質にして連れ回していたことにすればいい。余計なことは――」

「もうひとつ、訊いていいですか?」


 不意にステラがシオンの言葉を遮った。シオンが怪訝に眉を顰める。


「急にどうした?」

「教皇を殺したあと、シオンさんはどうするんですか?」


 瞬間、シオンの顔から表情が、すっ、と消えた。


「教皇を暗殺できたところで、そのあと普通に生活なんてできないですよね?」


 ステラの問いかけには答えず、シオンは黙ったままだった。


「……目的を果たしたら、シオンさんも死ぬ気なんじゃないんですか?」


 ステラはさらにそう続けた。

 シオンは、依然として感情を失った顔のままで、じっとステラを見据える。


「余計なこと訊いているとはわかっているんですけど、でも、やっぱり気になっちゃって……」


 シオンから放たれる異様な圧に気圧されるように、ステラの声は尻すぼみになった。

 そして、


「お前が女王になった後のことは、互いに関係のない話になる。お前相手でも答える義理はない」


 突き放すようにシオンが言った。シオンは逃げるように椅子から立ち上がり、ダイニング奥の空き部屋へと向かっていく。次いで、扉のドアノブを回したところで、軽くステラの方を振り返った。


「ここを出たら次はいつ休めるかわからない。お前も休めるときに休んでおけ」


 そう言い残し、扉の向こうへと姿を消した。

 ステラは軽く息を吐いて、天井を仰ぐ。


「……なんか、嫌だな」


 一人だけ広いダイニングに取り残され、天井の電球に群がる小さな虫たちに話しかけるように、ぽつりと呟いた。







 時刻が十六時を過ぎて、西の空が徐々に赤くなっていった。採掘音も穏やかになり、街の喧騒はピークの時と比べると鳥のさえずりが聞こえるほどに静かになっている。


 オーケンの家に来客があったのは、そんな時だった。


 不意に玄関の扉が叩かれ、またあの荒くれた炭鉱夫が来たのではないかと、少しだけ緊張が高まる。

 今、玄関から直通するダイニングにいるのは、夕食の準備を進めているステラとノラ、それに昼寝から起きたばかりのシオンだった。

 当然のように、シオンの表情が引き締まる。

 そして、玄関の扉が開けられ、入ってきたのは――一人のガリア兵の捕虜だった。他の捕虜の例に漏れず、ぼろぼろの軍服に身を包み、酷くやつれた様子でいる。両手首には枷が填められており、足には金属の重りが括りつけられていた。そのやせ細った体では、歩くことすらやっとなのだろう。酷く息を切らして、やや虚ろな瞳をしていた。


 ノラが、沈痛な面持ちでガリア兵に駆け寄った。


「カルヴァンに会いに?」


 ノラの問いかけに、ガリア兵は力なく頷いた。


「炭鉱夫たちに……見てこいと、言われて……俺たち、ガリア兵じゃないと、また揉めるからって……」


 ふらふらと歩みを進めながら、ガリア兵が家の中に入っていく。それをノラが支えながら、カルヴァンのいる部屋へと案内していった。

 そこへ、


「いいのか、炭鉱夫たちの見えないところでガリア兵同士を接触させて?」


 不意にシオンがノラにそう訊いた。

 ノラは少しだけ困った顔になったが、すぐに首を縦に振る。


「どのみち、捕虜たちはまとめて一か所に収容されていますから。それに、見ての通り、この人たちにはもう何かをどうこうする気力なんてないんです」


 そう言い残して、カルヴァンの部屋に入ろうとする。

 しかし、扉が閉まりかけた時、シオンがすかさず手を滑り込ませた。


「何でもないなら俺がいても問題はないな?」

「え? え、ええ……」


 突然の出来事に、ノラが驚いた。

 その一瞬だった。本当に僅かな、瞬きがされるかされないかくらいの間に、それまで弱々しかったガリア兵の瞳に、生気が戻ったかのような輝きがあった。

 シオンはそれを見逃さず、途端に眉間に皺を寄せる。


「俺がいると、何か不都合なことがあるのか?」


 威圧的に訊くと、ガリア兵は再び弱々しい態度になった。


「い、いや……俺は、ただ、あいつに、炭鉱夫たちからの伝言を……」

「何を伝えようとしている?」


 戸惑うノラを余所に、シオンは一歩も引き下がることなくガリア兵を問い詰めようとした。

 そこへ、カルヴァンがベッドから立ち上がって、覚束ない足取りで近づいてきた。


「おい、誰だか知らねえが、あまり同胞を責めないでやってくれねえか? アンタらログレスの人間からしちゃあ俺たちは敵だが、見ての通りぼろぼろだ。少しくらい恩情かけてやってくれや」


 カルヴァンの言葉に同意するように、ノラが睨むようにシオンを見る。

 それでもシオンは引かなかったが、カルヴァンが、ガリア兵の傍らに寄り添う形になった。


「そんな体でわざわざ悪いな。今日もこき使われたんだろ?」

「げ、現場監督が……明日、八番坑道の、後始末だって……」


 カルヴァンが体を支えると、ガリア兵は弱々しく伝言を残した。それを聞いたノラが、怒りに顔を歪める。


「カルヴァンは今日怪我をしたばかりなのに……!」


 そんな彼女の頭をカルヴァンは優しく撫でた。


「今回に限った話じゃねえよ。それに、お前らだって俺なんか早くここから追い出してぇはずだろ? よかったじゃねえか、厄介払いができて」

「またそんなこと言って……」


 ノラが頬を紅潮させながら言うと、カルヴァンもまた少しだけ笑顔になった。それから二人は、捕虜のガリア兵を再度見遣る。


「現場監督に伝えてくれ。ちゃんと明日の朝、仕事始まりには八番坑道に行くからってな」

「……す、すまない」

「いいってことよ。ほら、さっさと戻りな。あんまりぐずぐずしてると、また犬っころたちにサンドバッグにされるぜ」


 カルヴァンはそう言って、ガリア兵に早く戻るよう促した。

 これまでの一連のやり取りは、表面的に見れば、哀れな捕虜たちが互いに敵地で励まし合う健気な光景だったのだろう。

 だがしかし、訪問者のガリア兵は、カルヴァンと体を近づけた時に何かを手渡していた。

 そしてそれは、シオンとノラの死角で、密かに行われていた。

 当然、シオンとノラは、そのようなやり取りがされていたことなど、この時は知る由もなかった。

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