第28話
ライカンスロープの炭鉱夫たちをシオンが追い払ってから三十分ほどして、オーケンの家はようやく落ち着きを取り戻した。負傷したガリア兵も眠りにつき、先ほどまでの騒動が嘘のように静かになった。
シャワーを終えたエレオノーラも戻ってきて、一同は揃ってダイニングの長テーブルに着席していた。
ノラには、オーケンが立ち合いのもと、ステラから色々と事情を話した。ステラがこの国の王女であることにノラはかなり驚いていたが、余計な詮索をすることなく、すぐに受け入れてくれた。無論、ステラと、シオンの正体については、他言無用でいてくれるとのことである。先ほどの騒動を早々に収めた恩義もあるのだろうが、偏にノラの人柄の良さがあってのことだろう。
敵国の軍人、まして亜人を奴隷にすることに何の抵抗もない人間を当たり前に看病できる気高い精神を持つ彼女であれば、そのくらいの配慮は造作もないことなのかもしれない。
「今日はありがとうございました。怪我人の搬送だけでなく、暴漢まで追い払ってもらって」
神妙な面持ちで言ったノラに、ステラは気を遣って両手を振った。
「そんな、気にしないでください。私たちが勝手にやったことなので」
「しかもまさか、手を差し伸べてくださったのがこの国の王女様だなんて――不謹慎かもしれませんが、少し感激してしまいました」
「まあ、今はただの放浪者みたいなもんですけどね」
称賛とも汲み取れる不意な言葉に、ステラは照れ隠しで頭の後ろを掻いた。
それを見たノラが、少しだけ嬉しそうに笑う。ライカンスロープ特有の獣の耳が、本人の意思に反応するようにして、小さく揺れた。
「ところで、ノラさんはどうしてまた看護師を辞めてまで捕虜のガリア兵の治療をしようと思ったんですか?」
ステラが訊くと、ノラは少しだけ顔をそむけて答えづらそうになった。その様子にステラが首を傾げていると、僅かな沈黙を破るようにしてノラが口を開く。
「そ、それは、私も、オーケンさんと同じで――人間とはいえ、無意味に傷つくところを見るのが嫌で……」
しかし、どこか落ち着きがない。ステラは真意を確認するように、今度はオーケンを見遣る。だが、オーケンは軽くパイプを吹かすだけで、我関せずといった素振りだった。
再び、妙な無言の間が空く。
そんな時だった。今まで黙って濡れた髪の毛をタオルで拭いていたエレオノーラが、不意に何か気づいたように、顔を顰めた。
「もしかしてさ、アンタ、その捕虜に惚れてんの?」
そんなことを口走り、場の空気がますます凍り付く。
「エレオノーラさん! いきなりなんてこと言うんですか!」
「いや、何となく……女の勘ってやつ?」
ステラが諫めて、エレオノーラは苦笑しながら宥めた。
すぐさまステラはノラへと向き直り、愛想笑いをする。
「す、すみません、ノラさん。急に変なこと言ってしまっ――」
しかし、ノラはそれを肯定するかのように、頬を紅潮させていた。その愛らしい獣の耳は、彼女の心中を表現するかのように、穏やかに寝かせている。
「ま、マジですか?」
「ほら、当たったじゃん」
驚くステラに対し、エレオノーラがしたり顔で見返す。
ステラは、改めてノラに向き直った。
「あのガリア兵はこの街に攻めてきた張本人なんですよね? それが、どうして……」
信じられない、といった顔をするステラに、ノラは少しだけ複雑そうな面持ちになった。
「そう、ですよね。おかしいですよね、こんなの。ライカンスロープが、人間のことを好きになるなんて」
「い、いえ、種族うんぬんに関してはそんなことない、と思いますけど……」
自信なさげにステラが視線を泳がせる。
ノラはそれを見て微笑した。
「いいんです。亜人が人間のことを好きになるなんて、どう考えても普通じゃありませんから」
寂しそうに言って、ノラは軽く目を伏せた。
そこへ、髪を乾かし終わったエレオノーラが、髪をいつもの二つ縛りに結いながら口を開く。
「アタシは直接見たわけじゃないけど、その捕虜のガリア兵、助けたアンタらに酷い悪態ついてたみたいじゃん。どうしてまたそんな奴を好きになんてなったの? そいつがたとえアンタと同じ亜人だったとしても、好きになる要素なんてない思うけど」
ノラは軽く口を噤んだ。それから少しの間を置いて、徐に話し出す。
「何もかもが、偶然でした。一年ほど前にガリア軍がこの街にやってきた時、私はまだ看護師で、街から少し離れた場所にある病院の畑に薬草を取りに行ってたんです。その時に、この街に住む男の人たちに襲われそうになったんですが、近くに彼が斥候として潜伏していて、助けてくれたのが出会いでした」
それを聞いたシオンが、感心するような、呆れたような顔になる。露骨にここまで表情を崩すシオンは珍しかった。
「見ず知らずの亜人を助けるためだけに、軍の作戦を放棄したのか」
「……はい、結果的にそうなりました。彼が私を助けたせいで、ガリア軍は当初予定よりも早く街に進軍する羽目になったそうです。そのせいもあってか、ただでさえ兵装が不十分だったガリア兵たちは、事前の準備もままならない状態で街に攻め込むことになりました」
「何とも言えない話だ。アンタは間接的にこの街を救ったことになるが、代わりに自分を助けてくれたガリア兵を無駄に苦しめることになったのか」
シオンが言うと、ノラは同意するように表情を険しくした。
「怪我の治療も、捕虜になってしまったことをただ不憫に思うだけで、罪悪感と恩返しから始めたものでした。初めこそお互いにキツく当たったりしましたけど、段々と自分のことも話すようになってくれて……。それにあの人、普段は私たち亜人に対して憎まれ口を叩いているんですけど、一対一で話す時とかは結構普通に会話してくれるんです」
「んで、そうこう係る時間が長くなるうちに、好きになっちゃったと?」
エレオノーラが止めを刺すと、ノラは気まずそうに顔を赤らめながら頷いた。
ステラが、おお、と感嘆の声を上げる。だが、すぐに胡乱げな顔つきになった。
「でも、やっぱりガリア兵のさっきの態度見てたら、中々信じられないです。思いっきり亜人のこと馬鹿にしてたじゃないですか。許せないんじゃないですか?」
すると、ノラは、ふふ、と小さく笑った。
「多分、彼――カルヴァンは、亜人どうこうの前に素直な性格じゃないんです。お礼はまだ一度も言われたことないですけど、治療が終わって元気になったあとは、必ずいつもこの家の前に花を置いてくれるんです。前に私が花が好きだって言ったこと、覚えてくれたみたいで」
ノラはそう言いながら幸せそうな顔になった。
それを見たエレオノーラが鼻を鳴らした。
「何だ、順調に惚気てんじゃん」
「の、惚気てるだなんてそんな」
焦りながらも強く否定しないノラを見て、エレオノーラはますます嫉妬するような顔に、ステラはニヤついた顔になった。
そうやって恋愛話に女性陣が花を咲かせる一方で――シオンだけが、いつもの気難しい顔つきのままだった。
「アンタは、そのカルヴァンとかいうあのガリア兵を信用しきっているみたいだな。いつかまたここを襲うために、怪しい動きとかは見せていないのか?」
水を差すようなことを言って、旅仲間の女二人から厳しい視線を同時に受けることになった。
「シオンさん、そんな言い方はよくないと思います。折角、女の子が好きな人の話して幸せそうなのに」
ステラがぷんすかして不満を言った。
シオンはそれを無視して、ノラを真剣な表情で見遣る。すると、ノラは目を逸らしてしまった。
「……ない、と思います」
それから、口の中で掻き消えそうなほどにか細い声でそう応じた。
シオンの眉間にますます深い皺が刻まれていくが、そんな彼の額を、エレオノーラが中指を弾いて打った。ぺち、と間抜けな音が鳴る。
「会ったばかりの女の子に詰めるような尋問しない。アンタ、イケメンのくせにモテないでしょ?」
エレオノーラが揶揄うと、シオンは大きな溜め息を吐いてテーブルを立った。
それを、エレオノーラが厭らしくニヤついた顔つきで見遣る。
「もしかして怒った? 図星?」
「シャワー浴びてくる」
いつも以上にぶっきらぼうな返事を聞いて、ステラとエレオノーラは揃って笑い声をあげた。その傍らで、ノラが少しだけ笑顔を取り戻す。
長テーブルの離れたところで一連の会話を聞いていたオーケンが、やれやれと首を横に振っていたが、賑やかなのが久しぶりだったのか、どこか楽しそうにしてパイプを吹かしていた。
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