第27話
ステラとシオンがオーケンの後に続いて入った部屋には、件のライカンスロープの少女――ノラと、捕虜のガリア兵がいた。ガリア兵はベッドの上で仰向けに寝ていたが、
「気色の悪い亜人が、俺に触れるな!」
看病するノラに対して、酷い悪態をついていた。だが、ノラは慣れた様子でガリア兵の治療を続ける。
「まだ骨折も治ってないじゃない。大人しくしてて」
ノラが淡々として言うと、ガリア兵は観念したように動きを止めた。クソ、と短く吐き捨て、天井を仰ぐ。
そこへオーケンが近づいた。
「今日も手ひどくやられたな。挑発するのを止めたら少しはマシになるだろうに」
嘆くように言ったが、ガリア兵は舌打ちをして顔をそむけた。
「ドワーフに説教される筋合いはない」
「なら怪我するのを止めてもらえるか? いつまでここに通い詰める気だ?」
「そこのライカンスロープの女が頼んでもいないのにいつも運ぶだけだ! 俺が言っているわけじゃない!」
「なら、ノラに一言礼を言ってやれ。お前さんが今こうして生きていられるのは、この子のおかげだ」
「恩着せがましい亜人が――痛っ!」
ガリア兵は、再度悪態をつこうしたが、痛みで顔を歪めた。
見ると、ノラが彼の折れた腕に新しい添え木を巻き付けていたところだった。
「勝手に治療されたくなかったら、もう無駄に怪我をしないで。貴方が何と言おうと、私は怪我人を放っておかないから」
「……それを言うなら、この街の連中に言えよ。今日は怪我をする間もなく、坑道の崩落に巻き込まれて死んだ奴が二人いるんだぞ」
ぼそりと、明確な不満を声色に孕んでガリア兵は呟いた。ノラは一瞬、包帯を巻く手を止めたが、すぐにまた再開する。
「貴方たち捕虜の扱いを改善できないか、また聞いてみる。だからもう、無茶なことはしないで」
ガリア兵は無言のままだった。
一連のやり取りを見ていたステラが、不意にシオンに耳打ちをする。
「何だか、色々と複雑そうですね。今回、初めてここにガリア兵が運ばれたってわけでもなさそうですし……」
シオンもそれに無言で同意して、少しだけ面倒くさそうな顔になった。
「この国の情勢を鑑みれば、こうしたことが起きても不思議じゃない」
そんな時だった。
玄関の方から、何やら荒々しい物音が聞こえた。扉を乱暴に開ける音、それから、数人の靴音だ。
勢いよく、部屋の扉が開かれる。
「邪魔するぜ」
入ってきたのは、ライカンスロープの男三人だった。厚手のオーバーオールを見る限り、彼らもまた炭鉱夫なのだろう。それにしてはガラが悪いと、ステラは思ったが、そんなことは口には出せず、大人しくシオンの背中にさっさと隠れた。
男たちを見たノラとオーケンの表情が、一気に険しくなる。
「毎度毎度ご苦労なこったな。まあ、お前らのおかげで、こうしてこいつらをまたこき使えるってもんだ。初めは何でガリア兵を治療するんだと苛立ったもんだが、今では体のいい労働力の確保に感謝してるぜ」
「何をしに来たんですか?」
ノラが眉を吊り上げると、炭鉱夫はなれなれしく彼女の肩に手を回した。
「そんな邪険にするなよ。ノラ、お前はもう充分によくやったよ。こんな穴倉で病院まがいのことなんかしてねえでよ、また看護師としてちゃんと働けや」
そう言われたノラは、勢いよく炭鉱夫の腕を払った。
「貴方たちが捕虜を無駄に痛めつけなければ済む話です。そうすれば、私だって病院で正規の看護師として働き続けていました」
ノラの回答に、炭鉱夫たちがゲラゲラと笑い始める。
「相変わらず勇ましいこと言うじゃねえか。俺も怪我して、体の隅々まで面倒見てもらいてえな。優しくしてくれよ?」
それを横目で見ていたガリア兵が、軽く鼻を鳴らした。
「盛るなら人のいないところでやれよ、獣が。見苦しいんだよ」
途端、炭鉱夫たちの目つきが急変した。文字通り、血肉に飢えた肉食獣のような双眸がガリア兵に向けられる。
「瀕死の“バニラ”が随分と元気になっているな。よほど、ノラにいい看病をしてもらったらしい」
「てめぇが期待しているようなことは何一つされていないけどな。下の世話されたかったら、母ちゃんのいる実家に帰りな、犬っころ」
炭鉱夫が近くの家具を蹴り飛ばした。人間、エルフ、ドワーフ、ライカンスロープ――大陸に住まう四種族のうち、もっとも膂力が強いとされるライカンスロープの蹴りは、吹き飛ばした家具を原型なく粉砕した。
「てめぇを引き取りに来たが、気が変わった。今ここで息の根止めてやるよ」
全身から殺意を放って、ベッドで横になるガリア兵に近づく炭鉱夫。それをノラが止めようとした。
「待ってください! お互いに煽り合った末に殺しなんてやめてください!」
「うるせえ!」
炭鉱夫がノラの腕を振り払うと、彼女の身体は勢いよく部屋の壁に叩きつけられた。ガリア兵が、思わずといった様子で上体を起こす。
「おい、てめぇ! 同じライカンスロープだろ! 何しやが――」
そう言いかけたところで、ガリア兵は、炭鉱夫に首を鷲掴みにされて持ち上げられた。
「こっちがちょっと優しくしたらつけ上がりやがって。これだから“バニラ”は気に食わねえんだ。中途半端に生きているから、ノラがいつまでたってもてめぇらみてえなカスを相手にしなきゃならねえ。だったら、いっそここで殺しちまった方が色々と手っ取り早く話が進む」
炭鉱夫の腕に、太い青筋が浮かび上がる。それに呼応するようにして、ガリア兵から苦悶の声が上がった。
「いい声出すじゃねえか、“バニラ”のガリア兵が」
「やめて! それ以上やったら本当に死んじゃう!」
ノラが嘆願するが、炭鉱夫は聞く耳を持たない。
熊の筋力とタメを張れるほどの力が、ガリア兵の首に徐々にかけられていく。
そして――
「その辺にしろ。ここは戦場でも何でもない。ただの殺人犯になるつもりか」
シオンが、ガリア兵の首を絞める炭鉱夫の手首を掴んだ。
「シオンさん……」
ステラが、ほっとした声を上げる。
一触即発の空気が流れるが、炭鉱夫はすぐに嘲るような笑みを浮かばせた。
「“バニラ”が何の真似だ? てめぇもガリア兵か?」
「違う。とにかく、その手を離せ。このガリア兵は戦うどころか、まともに身動きすらできない。今ここで嬲り殺しにしたところで、ただの浅ましい自己満足にしかならないぞ」
シオンの言葉に、炭鉱夫たちの顔が憤怒に歪んだ。
「おい、口には気を付けろよ! “バニラ”風情が、何を偉そうに――」
そこまで言いかけて、炭鉱夫の顔色が変わった。
次の瞬間には、炭鉱夫の手からガリア兵の首が解放された。
それから間もなくして、炭鉱夫が苦悶の表情を浮かべるようになった。
「な、なんだ! てめぇ、“バニラ”じゃないのか!?」
シオンはいつもの無表情のまま、炭鉱夫の腕を掴んでいるだけだった。しかし、そこから“聞こえる音”は穏やかなものではなく、まるで大蛇が子羊の身体を締め付けているかのような音だった。
しかもそれが、人間が片手で、屈強な亜人の腕を握るだけで起きているとなれば、その異常事態に、この場に居合わせた誰もが驚愕の表情になった。
「ぬあっ!」
やがて、炭鉱夫は命乞いをするように両膝を付いた。そこでようやく、シオンは手を離した。
炭鉱夫は荒い息遣いで、シオンを見上げる。
「て、てめぇ――」
しかし、炭鉱夫の顔に迫力は一切なく、あたかも捨てられた野良犬が強者に遠吠えするかのような有様だった。
炭鉱夫は強く歯噛みして、勢いよく立ち上がった。
「行くぞ!」
そして、取り巻きの他のライカンスロープを連れて、早々にオーケンの家から出ていった。
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