第26話
オーケンの家の中央部分はダイニングになっていた。この家の中で一番広い部屋だとオーケンは言っていたが、人間であるステラたちから見てはあまりそうだと思えず、それはドワーフ基準の話なのかもしれない。人間の成人が五人も入れば窮屈と感じるほどの広さしかないのだ。天井も低く、長身のシオンがぎりぎり頭頂部を擦りつけないでいられるくらいの高さしかない。
しかし、何の見返りも求められずタダで休憩させてもらっている身としては、間違っても不平不満などは言えなかった。
ステラは、ダイニングの長テーブルに着席し、正面に座るシオンを白い目で見遣った。
「驚かさないでください。私、てっきりシオンさんとエレオノーラさんがいつの間にか“そういう関係”になったのかと邪推しちゃいましたよ。今日からどんな顔してお二人と話せばいいか、さっきまで真剣に考えちゃいました」
「エレオノーラの目的はお前も知っていただろう。確かに、いきなりあんな光景見たら勘違いするのも無理はないが」
「まあ、変な過ちさえ犯さなければなんだっていいですけど。ただ、いい年した男女なんですから、風紀と節操のある振る舞いを心がけてくださいね」
「だから――いや、もういい。俺だけ言われるのも癪だ。後で同じこと、エレオノーラにも言ってくれ」
「当然です」
ステラは、ふんすっ、と鼻息を荒げて同意した。
エレオノーラは今シャワーを浴びている最中なのでこの場にはいなかったが、念のため後で釘を刺しておくべきだろうと、ステラは意気込んだ。
そんなステラの隣で、不意にシオンが、彼女の服を見ながら小首を傾げた。
「ところで、お前、その服はどうした?」
ステラの恰好は、今まで来ていた動きやすそうな革の軽装ではなく、作業用のワンピースだった。ノラというライカンスロープの少女が着ていた服の色違いである。
「これですか? 私の服、酷く汚れていたので洗濯してもらうことになりました。乾くまでこれ着てくださいってノラさんが。あ、ノラさんっていうのはさっきのライカンスロープの女の子です」
「エレオノーラに魔術で汚れ飛ばしてもらえばすぐだろ。いつまでその恰好でいるつもりだ?」
「い、いいじゃないですか、たまにはこういう服着たって。私だって女なんです。お洒落したいんです」
「お洒落って……それ、作業用のワンピースじゃ――」
「いいんです! 久しぶりにスカート履きたかったんです!」
シオンが今一つ理解できないと顔を顰めたが、ステラは頬を膨らませてそっぽを向いた。
そんなやり取りをしていると、ダイニングにオーケンがやってきた。工務用のエプロンを外したあとで、ドカッ、と長テーブルの椅子に腰を下ろす。
「ようやく仕事が一区切りついた。今更になるが、まずは自己紹介をしておこうか。見ての通り、わしはこの街で鉱石加工を営んでいるドワーフだ。名前はオーケン、歳は見た目通りで六十歳ほどだ。わしらドワーフは人間でいうところの老年期が早く来る上に長いからな。年齢を言わないと話が噛み合わないことがあるが、わしに限っては大丈夫だ。見た目通りのジジイを相手にしていると思って構わん」
オーケンはそう言って、パイプに火を点けた。白い髭を煩わしそうにかき分けながら、ゆっくりと煙を吹かす。
「で、お宅らはいったい何者だ? 休ませてやってるんだ、素性くらい話してもらわんとな」
ステラがシオンを見て、どう答えるべきかを目で訴えた。シオンは同じく視線で頷いて、口を開く。
「俺たちは――」
「最初に言っておくが、余計な嘘はつかないでもらえるか。お前たち三人とも、一般人というわけではないだろ。黒髪の兄さんからは教会の狗たちと同じ臭いがするし、赤毛の娘さんからは王族の臭いがする。今ここにいないもう一人の娘さんからは強い魔術の臭いがした」
すかさず、オーケンが釘を刺すように言った。ステラが驚き、思わず息を呑む。
「に、臭いっていうのは――」
「わしらドワーフは鼻が利く。昔嗅いだことがある臭いは根強く記憶される。こうして臭いの強い煙草で時々鼻を誤魔化さないと落ち着かないくらいにな」
オーケンはパイプを吹かし、再度、ステラたちを見遣った。
「厄介ごとを持ち込まれるのには慣れているが、余計な地雷をわざわざ踏みたくない。正直に話してもらおう」
シオンとステラは無言で軽く顔を見合わせる。
二人は、間もなくして、他言無用を条件に、オーケンに自分たちの素性を話し始めた。ステラが王女であること、シオンが黒騎士であることを主軸に、これまでの経緯をできるだけ簡潔に伝える。
二人が一通り話し終えたところで、それまで黙って聞いていたオーケンがパイプの葉を取り変えた。それからまた火を点け、大きく吹かす。
「……話だけを聞くとにわかには信じられないが、お宅らの臭いを嗅いだ限りでは本当のことなんだろう。この国の主権を取り戻すために王女様が王都へ向かっている、か。なかなかにご苦労なことだな」
「この話は亜人であるオーケンさんにとっても悪い話ではないと思います。このままガリア公国にこの国が支配され続ければ、亜人たちは奴隷として扱われるはずです」
「そうだな。それは間違いないだろう。この街の亜人たちに話してやれば、喜んでお宅らを支持するだろうな」
「本当ですか!?」
ステラは思わず明るい声を出した。だが、その一方で、オーケンはどこか物悲しそうな顔をしていた。ステラが女王になり、ログレス王国が再度大国としての威厳を取り戻すことができれば、亜人にも大きな恩恵が与えられるはずだというのに――オーケンがあまり嬉しそうではないことに、ステラは首を傾げた。
そんな時、不意にシオンが、
「俺からも質問させてほしい。この家、やけに部屋数が多いが、住んでいるのはアンタだけなのか? 街に入ってからライカンスロープはよく見たが、他にドワーフはいないのか?」
オーケンにそう訊いた。
オーケンは少しだけ渋い顔になり、パイプを吹かす。
「この街のドワーフは、もうわししかおらんよ。他の奴らは全員どこかに行っちまった」
「何故? それに、ドワーフがいなくなって、製鋼や鉱石加工ができるのか?」
「商売の話なら心配無用だ。今は機械技術が発達している。ドワーフが扱ったものより質は落ちるが、売り物にできる程度の金属はライカンスロープたちだけでも精製できている」
「ドワーフがいなくなったのはそれが原因か? 機械のせいで自分たちの技術が不要になったと――」
「まあ、そう考える奴も中にはいたが、それが決定打になったわけじゃない」
シオンとステラは、ますます怪訝な顔になった。
「じゃあ、いったい何が?」
「理由は大きく二つある。一つは、ガリア兵がここに攻め込んできたことだ。血の気の多いライカンスロープたちが一度追い払ったものの、またいつやってくるかわからない。ドワーフは体が小さいせいか、極端に争いごとを嫌う習性がある。今のうちに安全な場所を探して、そこで新しい生活を始めることを選んだ奴も少なくない」
納得できる理由に、ステラは大きく何度も頷いた。一方で、シオンは腕を組み直し、表情をさらに険しくした。
「もう一つの理由は?」
「お宅らも関わった件さ。捕虜のガリア兵の扱いを見たんだろう? あれを見て、ライカンスロープに嫌気がさした奴が大勢いてな。捕虜にするまではよかったんだが、捕虜を使って敢えて危険な仕事をさせたり、見世物にするのに同胞たちは強い嫌悪感を示していた。ライカンスロープたちの言い分としては、ガリア人も亜人を奴隷にしているから許される行為だと言っていたが、日に日にエスカレートしていく行為にいよいよ耐えきれなくなったようだ。ドワーフは争いを好まない、平和主義者が多いからな」
「ドワーフとライカンスロープとで仲違いしたのか?」
「そこまで大袈裟な話じゃないが、夜逃げするように同胞たちはこの街から出ていったよ。初めこそライカンスロープたちは悪態をついていたが、ドワーフたちの仕事の大部分が機械で代替できるとわかった今となっては、そんなことがあったことすら忘れているように振舞っている」
「なるほど」
オーケンの話にシオンは納得した。
「ステラの話を聞いてアンタがあまり芳しい反応をしなかったのはそれが原因か。ステラの存在を知れば、ライカンスロープたちはさらに息巻いて捕虜のガリア兵たちに酷い扱いをしかねない。アンタはそれを危惧しているんだな?」
「平たく言えば、そういうことだ。わしもその平和主義者のドワーフだ。ガリア兵はわしらを虐げる立場の人間とはいえ、無駄に嬲られて死ぬ姿を見るのは気分のいいものじゃない」
それを聞いて、ステラはハッとした。
「ガリア兵の捕虜がここに運ばれるのも、それが理由ですか? 放って置いたら、そのまま死んでしまうから……」
「いつどこで死んでもおかしくない軍人、まして敵の命を救おうとするのは愚かだと思うかね? まあ、今まさにその敵に追われている立場のお嬢さんからしてみれば、理解し難い行為かもしれんな」
「そ、そんなことないです!」
ステラが椅子から立ち上がって、声を張り上げた。その姿に、オーケンは目を丸くさせる。
「確かに、ガリア兵は怖いし、憎いです。ここに来るまでに、エルフが酷い目に遭っているところも見ました。それを許すつもりもありませんし、ましてこのままこの国を好き勝手にさせたくないです。でも、それでも、それとこれとは、違う気がします……」
最後の方の声量は自信なさげに小さくなったが、それでも、オーケンはステラのその言葉に一定の理解を示したようだった。髭で覆われた口の端を微かに歪めて、どことなく嬉しそうな面持ちになる。
「被害者は免罪符をぶら下げた暴徒であってはいけない、ということか」
それから、オーケンはパイプを手に立ち上がった。
「お嬢さんがこの国の王様になるのなら、個人的には大いに支持しよう。だが、今言ったような考えをよしとしない連中は国内に大勢いるはずだ。女王になったお嬢さんがどこまでそんな奴らを説得させることができるか、これから楽しみだな。もちろん、今のは皮肉でも何でもない、わしの本心だ」
オーケンはそのままダイニングの扉の方へと向かった。
「だが、この街では不用意にその考えを表に出さない方がいい。無駄に目を付けられれば、わしやノラのように生き辛くなるだけだ」
「あの、どちらに?」
「ノラと、ガリア兵の様子を見てくる。いつも通りなら、そろそろ騒がしくなる頃だ」
これからまた一仕事を始める、といった様子で、オーケンは腰を軽く叩いた。
ステラは、これから何が起こるのかを尋ねるようにしてシオンを見遣るが、彼もまた軽く肩を竦めるだけだった。
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