第25話
死にかけのガリア兵を、ステラは、見ず知らずのライカンスロープの少女と一緒になって運んだ。周りから奇異な目で見られていることなど意にも介さず、二人は淡々とガリア兵を担いで歩みを進めた。そのすぐ後ろには、呆れた顔で見守るシオンとエレオノーラがついている。
ライカンスロープの少女の案内で辿り着いたのは、街の中央から少し外れた場所にあった、穴倉の住居だ。岩壁を削り取った家で、お世辞にも人が住む場所とは思えないほどに粗雑な造りだった。
ライカンスロープの少女は、その家の入口と思しき隙間だらけの木製の扉を開ける。
「オーケンさん! すみません、お願いします!」
少女の声色は緊迫していたが、妙にこなれた雰囲気もあった。
穴倉の中は薄暗く、頼りになるのは壁に立てかけられたランタンの灯りだけだった。
そんな曖昧な光の境界の最中から、少女の叫びから少し遅れて、ぬるっと小柄な人影が現れる。
「またか。ノラ、今月で何度目だ?」
そう言ったのは、老いた風貌をした小人だった。身長は一二〇センチほどしかない。しかし、恰幅は非常によく、老人のような風貌の割には筋骨隆々としていた。革の作業用エプロンは酷く汚れており、つなぎの作業着も糸のほつれが目立っている。
「ドワーフ!?」
ステラが、思わずといった様子で声を上げた。
オーケンと呼ばれたドワーフは、その太い眉をぴくりと動かして、顔を少しだけ顰める。
「今日は客人付きか。しかも人間が三人も来るとはな」
その言葉に、ライカンスロープの少女――ノラが、どう対応したらいいか、困惑して言葉を詰まらせる。
そんな彼女に助け舟を渡すように、
「わ、私たちは偶然この街に立ち寄ったんです!」
ステラが声を張った。
じろりと、オーケンはステラたち三人を見遣る。少しだけ空気が張り詰めるが、オーケンはすぐに顎をしゃくった。
「まずはそのポンコツガリア兵をいつもの場所に寝かせろ。その後はすぐに体を拭いてやれ、酷い臭いだ。家畜小屋の中にでも突っ込まれたのか?」
「ありがとうございます」
ノラはそれだけ言い残して、オーケンの指示した部屋へガリア兵を運び入れた。ステラも連れられて、一緒に部屋に入る。
シオンとエレオノーラが、ぽつんと家の玄関口に取り残される形になった。
そこへ、
「家に入るならさっさと入って扉閉めてくれ。あまり日の光は好きじゃないんだ、わしらドワーフは」
オーケンが文句を投げる。
二人はすぐに家の中に一歩足を踏み入れ、扉を閉めた。
「すまない、いきなり押し掛けるような形になった。あの怪我人を置いたらすぐにここから出ていく」
シオンが言うと、オーケンは怪訝に眉を顰める。
「お前さんたち、連れの娘が言った通り、この街の人間じゃないな? だからといって、旅行客という感じでもなさそうだ」
「この街には偶然立ち寄った。すぐにでもこの街を出発したいんだが、駅から暫く汽車が出な――」
「暇つぶしに人助けか? 酔狂な奴らだ」
オーケンが遮るように言って、話を終わらせた。シオンとエレオノーラは顔を見合わせて小首を傾げたあと、再度、目の前の気難しそうなドワーフに向き直る。
「そんないきなり不機嫌にならないでよ。アタシらも急に押し掛けて悪いとは思ってるけど、うちの姫様が――」
「別に気にしていない。ここに厄介ごとが持ち込まれるのは、いつものことだ」
そう言ったオーケンの表情は、誰の目から見ても本心と思わせるほどに、達観していた。
そうこうしている内に、ステラが部屋から戻ってきた。一仕事終えたといった様子で、とてもいい汗を流している。
「シオンさん、エレオノーラさん、お待たせしました。我儘に付き合わせてしまってすみま――」
「クサっ! ステラ、アンタ、うんこ臭い!」
「し、失礼なこと言わないでくだ――うわ、ほんとだ! 臭い!」
豚の糞尿塗れだったガリア兵に触れていたのだから当然だろうと、シオンが遠目で見ながら鼻をつまんでいた。
そんなやり取りを三人でしていると、オーケンが険しい顔で、
「うちからそんな小汚い恰好をした人間の娘が出てきたと知られたら、変に誤解される。こんな穴倉でよければシャワールームがあるから、適当に浴びてこい」
そう言ってくれた。
ステラの表情が、途端に明るくなる。
「ありがとうございます! シオンさん、エレオノーラさん、ちょっと待っててください!」
意気揚々として、ステラは駆け出した。思えば、ガリア公国のルベルトワを出てから今までの約一週間、まともに体を洗っていなかったなと、シオンとエレオノーラは同時に気付いた。
それが顔に出ていたのか、オーケンがさらに呆れの深い溜め息を吐く。
「休みたいのなら好きにするといい。どうせここには誰も近寄らない。無駄に広いこの家の設備、好きに使え」
当面の憩いの場が決まった喜びの一方で、シオンとエレオノーラは少しだけバツが悪そうに頭を軽く下げた。
※
「ステラが上がったら、次、アタシがシャワー浴びるけど、いいよね?」
オーケンに案内された部屋には、丸い窓が一つと、小さなベッドが一つ置かれているだけだった。人が住まうにはいささか粗末な造りであったが、無料で休めることを考えれば、文句は言えないといった感じだ。
そんな部屋の中で――エレオノーラが二つ縛りの髪を解きながらシオンに振り返る。シオンは、丸い窓から街の景色を興味深げに眺めていた。
「何でそんなおセンチな顔してんの?」
エレオノーラが揶揄うと、シオンは冷めた視線を返して、ベッドに腰を掛けた。
「何も思うことはない」
「そんな風にはあまり見えないけど」
少しだけ厭らしい笑みを浮かばせて、エレオノーラはシオンの隣に座る。
「まあ、アンタが何考えてるかなんて、どうでもいいんだけどね」
肩を竦めて、何かを試すような口調でエレオノーラが言った。対するシオンは、彼女以上に、興味も関心もなさそうな顔をしていた。疲れているのか、それともこれから先のことを考えているのか――いずれにせよ、シオンの赤い双眸には、今この粗末な部屋の中は映っておらず、どこか別のものを見ているような雰囲気があった。
「でも、当ててみようか?」
唐突なエレオノーラの提案に、シオンが意識を呼び戻したかのように彼女の方を見遣る。
「ステラのこと考えてたんじゃない?」
「違う」
「あら」
しかし、いつもの無表情で、あっさりとシオンは否定した。
「じゃあ、そんな真面目な顔して何考えてたの?」
「別に何も」
「嘘つけ」
エレオノーラは上半身を後ろに倒し、ベッドの上に仰向けになった。
「さっきのステラとのやり取りで、色々考えちゃったんじゃないの? 詳しいことはあえて訊いてないけど、アンタ、この旅で教会に復讐するつもりでしょ? 騎士団分裂戦争に負けた腹いせにさ。立場も権力も奪われたうえ、黒騎士なんて騎士にとって不名誉極まりない称号を与えられたんだもんね。やられたからやり返す――これを遠回しにステラに否定されて、迷っちゃった?」
「それはない」
「そう? アンタって何考えてるかわかんないくらいに表情が全然変わらないと思ったけど、よく見ると眉間とか目つきでちゃんと人並みに感情表現してるよね。さっきアンタとステラが話してた時、少しだけ寂しそうな顔してたから」
「よく見てるな」
「それほどでも」
エレオノーラは冗談めかして得意げに言って、微笑する。その後で、勢いよく上体を起こした。
「まあ、それはそれとして――」
不意に、エレオノーラがシオンの背中に手を伸ばしてきた。
「そろそろ、アタシの目的も果たさせてほしいんだけど」
無駄に艶っぽく指を立てて、エレオノーラはシオンの背中をなぞる。そんな彼女を、シオンは胡散臭そうな目で見遣った。
「何だ、その手つき?」
「ノリ悪いなー。くすぐられて面白い反応すると思ったのに」
「“騎士の聖痕”を見たいなら、そう言え」
「はいはい。じゃあ早速、背中見せてもらえますかねー。ステラがシャワーから帰ってくるまで、軽く調べちゃお」
シオンはジャケットとインナーをさっさと脱ぎ、上裸の状態になった。
「どうすればいい?」
「ベッドにうつ伏せになって」
続けて、その指示通り、ベッドにうつ伏せになった。そして、エレオノーラがその上に腰を下ろす。ちょうどシオンの臀部を跨ぐような体勢になった。
それからエレオノーラは、シオンの背中の印章を指で徐になぞった。
「……本当に黒騎士なんだね」
“騎士の聖痕”に重ねられた“悪魔の烙印”を見て、エレオノーラはぼそりと呟いた。それまで話に聞いてはいたものの、いざそれを証明するものを目の当たりにし、改めて衝撃を受けての反応だった。
「ああ。でもまさか、教会魔術師にこうしてまじまじと観察されることになるとは思わなかった」
シオンの言葉に、エレオノーラが同調するように笑った。
「それはアタシもだよ。まさか“騎士の聖痕”を調べるのに、“悪魔の烙印”付きの黒騎士の背中を見ることになるなんてね。今まで色んな印章を調べたり勉強したりしたけど、こんなレアもの目の当たりにしちゃうと、さすがにちょっと興奮してきたかな」
そう言って、エレオノーラはシオンの背中を愛おしそうに両手で撫でまわした。シオンの顔が、若干、不快に歪められた。
「おい、何だその手つき。さすがに少し気持ち悪――」
そのタイミングで、ガチャリ、と部屋の扉が開けられた。続いて、タオルを首にかけたステラが、濡れた髪を拭きながら入ってくる。
「シャワーお先に頂きましたー。いやー、久しぶりに浴びると、心身ともに生き返った感じが――」
と、言ったところで、ステラは固まった。
ステラの目には、ベッドで横たわる男女が映っている。上半身裸のシオンに馬乗りになって跨るエレオノーラ――何も知らない人間が見れば、“そうした行為”が今まさに始まろうとしている場面に思うだろう。
それに気付いたシオンとエレオノーラが、揃って、あ、と間抜けな声を上げた。
しかし、
「す、すみませんでした! わ、私、おおお、お二人がそんなことになっているとは――」
「いや、違う!」「待って、これは違うの!」
ステラが顔を真っ赤にしながら、慌てて部屋から出ていった。
同時に否定するも、逆に“それ”を認めてしまっているような雰囲気になってしまい、シオンとエレオノーラは何とも言えない顔になって硬直した。
「……後でちゃんと釈明しよう」
「……うん」
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