第24話

「ここも駄目」


 宿から出たエレオノーラが、げんなりした顔で首を横に振った。ここで五件の宿に宿泊を断られたことになる。朝日はすでに山頂よりも高い位置に顔を出しており、このペースだと昼までに休むことができなさそうだ。

 シオンは、やや諦めた様子で腕を組む。


「街全体の生活リズムが早朝を軸にしているから期待したんだが、さすがにこんな朝っぱらから人を入れる宿屋はなかったか。ステラ、お前は疲れていないか?」


 そう言って、シオンはステラの方を振り返った。だが、ステラは彼に背を向ける形で、少し離れたところに立っていた。怪訝に思ったシオンとエレオノーラが、その傍らに近づく。


「何かあったのか?」

「え? あ、いえ」


 話しかけられたことに驚いた反応を見せながら、ステラは否定した。シオンとエレオノーラはそれを言葉通りに受け止めず、少女の視線の先を追う。

 そこには、三人のガリア兵が、裸足を鎖で繋がれたまま、ライカンスロープによって坑道へと案内されている姿が映っていた。

 亜人の奴隷化が今なお合法であるガリア公国の兵士たちが、こうしてその亜人から奴隷同然の扱いを受けていることは、さぞ屈辱に思っていることだろう。だが、当のガリア兵たちは、怒りや恥辱を表現する気力すら失っているのか、その顔から一切の生気を消して、まるで亡者のようにライカンスロープたちからの怒号を黙って受け入れていた。


「これじゃあ、何も変わらない……」


 ステラが顔を顰めながら呟いた。シオンがそれを隣で見ていると、


「あ、ど、どうしました?」


 意識を呼び戻したように、彼女はハッとした。

 シオンは、ガリア兵たちの方を再度見遣る。


「……間違っていると思うか?」


 その問いかけに、ステラはきょとんとした顔になった。


「やられたらやり返す――そう思うことは、お前にとっては不自然か?」


 再度、シオンに訊かれて、ステラは顔を俯けた。


「間違っているとは、思わないです。私だって、嫌なことをされたら、やり返したくなることはあります。それが命の駆け引きだったら、なおのことだと思いますし……」


 そう言ったステラの視線は、まるで蟻の行進を追うようにして泳いでいた。


「でも、それでも――それと同じくらいに、不快感も生まれてきます。やられたからって、相手に同じことをしてもいいということには、ならない、と思います……」


 最後の方は、自信が抜けていくように尻すぼみな声だった。

 シオンは、軽く目を伏せ、同意するとも、否定するとも言えない表情になる。


「余計なことを訊いたな。悪い、忘れてくれ」


 それだけを伝えて、踵を返す。シオンのそれは、まるで、誤魔化すような、逃げるような足取りだった。

 ステラがそれを不思議そうな顔で見ながら、静かにその後を追う。

 一歩遅れてエレオノーラも後ろを追いかけ――少しだけ早足になって、シオンの傍らに付いた。


「アンタって、そんなに気を遣うタイプだったっけ?」

「何の話だ?」


 シオンが前を向いたまま訊き返すと、エレオノーラは肩を竦めた。


「別に。ステラには妙に優しいなって思って」

「どういう意味だ?」

「気にしないで。ただ何となく、そう思っただけだから」


 シオンが若干不機嫌そうになったタイミングで、エレオノーラは話を終わらせた。

 そんな時だった。


「またてめぇか!」


 野太い怒号が響き渡った。自身が叱られているわけでもないのに、咄嗟にステラが身を縮こまらせる。


 怒号の発生源には、ガタイのいいライカンスロープの炭鉱夫が一人と、若いガリア兵の男がいた。

 若いガリア兵は、ぼろぼろの状態で蹲っていた。その近くには、手押しの運搬台車が横向きに倒れ、そこから零れた大量の砂が広がっている。どうやら、運搬作業中に倒れこんでしまったようだ。

 若いガリア兵は、息も絶え絶えといった様子で、地面から体を引き剥がそうとしていた。

 それを、ライカンスロープの炭鉱夫が苛立った顔で見下す。


「オラッ、さっさと立てや! ガリア軍は根性なしばかりなのか!? ああ!?」

「……獣の鳴き声がうるせえな」


 若いガリア兵の弱々しい悪態に、炭鉱夫はいよいよ怒りで激しく顔を歪めた。


「“バニラ”が吠えるじゃねえか! いい度胸だ! 泣く子も黙るガリア兵様の根性、ここで見せてみろや!」


 丸太のように発達した炭鉱夫の足が、若いガリア兵のみぞおちに勢いよく吸い込まれた。

 ガリア兵の身体は蹴りの衝撃で地面から大きく浮き上がり、音を立てて再度地面に突っ伏す。だが、その矢先に、また炭鉱夫が蹴り上げた。

 そんな光景に、いつの間に集まったのか、周りのライカンスロープたちが囃し立てるように歓声を上げる。


「どうした、さっさと立ち上がれよ! オラぁ!」


 そのひと蹴りで、ガリア兵の身体は大きく吹き飛んだ。

 ガリア兵は生々しい音を立てて地面に全身を打ち付けた。しかし、それでも必死に立ち上がろうとした。まさしく、生まれたての小鹿と形容するしかないその有様に、周りのライカンスロープはさらに沸いた。


「見ろよ! こいつ、人間の振りした小鹿ちゃんじゃないのか? これじゃあどっちが獣かわかりゃしねえ!」


 炭鉱夫の皮肉に、ドッと笑い声が起こる。

 それを見ていたシオンたち三人――シオンは、その光景をただただ真正面から見据えていた。エレオノーラも、特に珍しいことではないと、無表情で眺めている。ステラだけが、いたたまれないように、視線を外して、唇を噛み締めていた。


 炭鉱夫が、ガリア兵の首根っこを片手で掴み上げる。


「てめぇはもう用済みだよ。せめて最期は豚の餌にでもなって役に立てや」


 炭鉱夫は力任せにガリア兵を近くの家畜小屋へと投げ入れた。中にいた豚たちが驚いてその場を離れ、そこにガリア兵は頭から突っ込んだ。周囲に、糞尿で湿った藁が勢いよく飛び散る。


「仕事に戻ろうぜ!」


 炭鉱夫が号令を上げると、住民たちは続々とそれきり興味を失って各々の仕事に戻っていった。


 そして、豚小屋の周囲から人気がなくなった時、ステラが駆け出そうとする。

 だが、


「待て。お前、何するつもりだ?」


 シオンが彼女の肩を押さえる。

 ステラは驚いた顔で彼に振り返った。


「何って、あの人、手当てしないと」

「それを何でお前が助ける? あいつはガリア兵だ。お前の敵だぞ」

「だからって――」

「一時の感情に流されるな。今までだってガリア兵が死ぬ瞬間を何度も見てきただろ」

「でも――」


 そこまで言いかけて、ステラはその先を飲み込んだ。シオンの言わんとしていることを無言で理解し、頭を冷やしたように、大人しくなる。


「……すみません。また、無責任なことしようとしました」

「お前が優先するべきことは他にある。誰がどこで何を見ているかわからない状況だ。今ここで、不用意に目立つようなことはしない方がいい」

「はい……」


 ステラが頷いて、シオンは安堵の息を吐いた。

 そんな時、不意にエレオノーラが、シオンの肩を叩く。


「なんだ?」

「何か、ステラと同じこと考えている子がいるみたいだけど」


 エレオノーラが指差した先には、家畜小屋で虫の息になっているガリア兵に、誰かが駆け寄っている姿があった。

 粗末な作業用のワンピースを着た、ステラと同年代くらいの少女――その娘もまた、ライカンスロープだった。頭頂部の左右からキツネを彷彿とさせる耳を携え、髪と同じ栗色の尻尾をスカート部分の裾から覗かせている。

 ライカンスロープの少女は、ガリア兵に駆け寄ると、片方の肩を担いで、急いでどこかへ運ぼうとしていた。


 そして、


「シオンさん、ごめんなさい」


 ステラがそれに加わり、ガリア兵のもう片方の肩を担いだ。


 シオンとエレオノーラは当然として、ライカンスロープの少女も驚いた顔になる。

 だが、少女はステラに何かを訊くこともなく、黙ってその協力を受け入れた。

 シオンとエレオノーラは、揃って溜め息を吐き、眉間を手で押さえる。


「面倒なことにならないといいけど」


 エレオノーラのその希望が叶うことはないと言いたげに、シオンは渋い顔になった。

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