第12話

 ドミニクの宿を出てそろそろ一時間が経過し、シオンとステラは予定通り再びそこへ戻ろうとしていた。

 エルリオと合流したのは、ちょうどその足が向かい始めた時である。

 シオンは、未だ決心しかねていそうな表情のエルリオを見て、


「アリスをどうするか決められなかったのなら、もう少し時間を取るか?」


 少し気遣うように声をかけた。

 しかし、エルリオは長い息を吐いたあとで、ゆっくりと首を横に振る。


「いや、不要だ」


 その言葉を聞いたステラが、痛ましそうな表情になって彼の前に立った。


「アリスちゃん、どうするんですか?」

「あの子には暫く辛い思いをさせることになるかもしれないが、ここから連れ出すことにする。アリスの振る舞いからあのドミニクとかいう人間に預けることも考えたが、何よりアリスは母親――私の妹のソフィアと共にいたいはずだ。ソフィアが収容所にいるのであれば、解放することでアリスの願いも叶う」


 エルリオの決断に、ステラは表情を引き締めて力強く頷いた。


「わかりました。私も微力ながらご協力します」

「恩に着る」


 その言葉通りに期待をしているかはさておき、エルリオは儚げな微笑を浮かべて礼を言った。

 話がまとまったところで、シオンたちは宿への歩みを再開する。


「しかし、これから、どうやって捕らわれた同胞を解放するつもりでいる?」

「街を散策しながら、この街の奴隷について聞き込みも俺とステラでしてきた。この街はそれなりに規模が大きいが、奴隷を扱っている店は二つしかないとのことらしい。まず一つは俺たちも見た奴隷市場、そしてもう一つは娼館だ。アリスはドミニクに買われて本当に運がよかった」


 それを聞いたエルリオが、歯噛みしながら悪態をつく。


「蛮族どもが……!」

「だが少し妙なことも耳にした」

「妙?」


 エルリオが怪訝になると、ステラが頷いた。


「奴隷市場にも、娼館にも、ここ一、二年、エルフは数えるほどしか出回っていないそうなんです。エルリオさんの話だと、エルフの人たちが大勢攫われ始めたのってここ数年の話なんですよね? 何だかおかしくないですか?」

「他の街に連れていかれたのではないか? 同胞を連れ去ったガリア軍は何もこの街に駐在する兵士だとは――」

「同じことを私とシオンさんも思って、すぐに教えてくれた人に訊き返したんです。すると、それはあり得ないって言っていました」

「なぜ?」

「ガリア公国の貴族たちは領地の縄張り意識が非常に強い。この国の貴族たちは数年に一度の選挙で自らが国の元首である大公になるため、領地の力を互いに競い合うように発展させていく。亜人の奴隷が合法であるこの国では、その獲得数も一つの指標に数えられるらしい」


 ステラに代わって、シオンが続きを話し出す。


「そしてこの街は、ガリアとログレスの国境付近にあり、他の都市と比べてもっともエルフの森と地理的に近い場所にある。いわば、ガリアの他のどの領主よりも、奴隷となるエルフを攫うのに有利な場所にいる状態だ。ここの領主がそれを見落としているとは考えにくいし、みすみす他の領主にエルフを譲ってやることもしないだろう、とのことだ」

「で、では、攫われた同胞たちは――」

「まだ収容所に大勢いると思われる」


 狼狽するエルリオに、シオンが断定するかのような口調で言った。


「ちなみに軍専属の娼婦にされている可能性はないそうだ。あの収容所は周辺こそ大量の兵士に囲われているが、実際に中に入るのは一日を通して片手で数えるほどらしい」

「スケベそうなおじさんが無駄に熱弁していました。軍人たちが独り占めしてるかと思って収容所の近くで数日張り込みしていても、全然人の出入りがなかったって。だから信憑性は高いと思います」


 それを根拠にするのはいかがなものだろう――と、シオンとエルリオは言いたげな顔をしつつも、収容所からエルフがほとんど出てきていないことが不自然であることには変わりなかった。

 しかし、解放することを考えれば、それはメリットでもあった。


「だが、収容所さえ解放してしまえば、ほとんどの同胞を救出できるということか」

「はい! 少し希望が見えてきましたね!」


 エルリオの表情に、初めて余裕の一端が生まれる。それを見たステラの顔にも微かな笑みが浮かべられていた。

 だが、その二人の傍らで、シオンだけは未だに――いや、より一層、眉間に深い皺を残していた。

 ステラがそれに気付く。


「シオンさん、どうしたんですか? お腹痛いんですか?」

「……ひとまずはドミニクの宿に戻ろう。まだ聞いておきたいこともある」

「大丈夫ですか? 我慢できます?」


 無論、ステラが心配しているようなことは、シオンに起きていない。

 だが、シオンは、そんなことを否定する気にすらならないほどに、溜飲が下がらない思いだった。

 奴隷としての市場価値が高いエルフたちを大勢連れ去ることができたのに、なぜ収容所に入れたままにしておくのか――彼がかつて騎士として様々な任務に就き、大陸各地を巡った時でも、そのような事例は今までに一度も目にしたことがなかった。







「さっきはどーも」


 そう言って手を振ってきたのは、エレオノーラだった。彼女はドミニクの宿の玄関前で、階段に腰を下ろしている。


「あれ、どうしたんですか? 中に入らないんですか?」


 ステラの問いに、エレオノーラは扉にかけられた“CLOSED”の文字を指差す。


「まだ閉まってたから、開店するまでここで待ってたんだ。もう歩くの疲れたし」


 そう言いながら、気だるげに欠伸をした。むにゃむにゃと涙目になりながら、エレオノーラはシオンたち一行を軽く見遣る。そこで、彼女の視界にエルリオが入った時、ふとその美麗な瞳が細められた。


「さっきはいなかったね、そこのエルフさん。お友達?」


 エレオノーラが、一目見ただけでエルリオをエルフと見破った。彼は布でその特徴的な耳と金髪を隠しているはずだが、いったいなぜ――


「それで変装しているつもりだったんだ。驚いてるみたいだけど、耳と金髪隠してもわかる人にはわかっちゃうよ。エルフって薄暗い森の中で過ごすことに目が慣れちゃってるから、こういう日の下にいると瞳孔が極端に小さくなるんだよね。実は今、目が痛くなったりして結構辛いんじゃない?」


 と、疑問に思った矢先に、回答が返ってきた。

 途端に、シオンの顔が険しくなる。しかし、エレオノーラはそれすらもどこか楽しげに眺めていた。


「ちょっと、そんな怖い顔しないでよ。折角のイケメンが台無しだよ」


 揶揄うような言動を受けても、シオンはエレオノーラの動き一つ一つを見逃さないよう、注視し続けた。最初会った時に目にした、太ももに巻かれた大量の弾丸――やはり、この女は普通の人間ではなかった。

 空気が急速に張り詰めていく。

 だが、


「別にそのエルフさんをどうこうしようなんてつもりは一切ないから安心して。ただ、見たところ奴隷じゃないみたいじゃん? だから、ちょっとした親切心のつもりで言っただけだよ。さっきアタシが言ったみたいな方法で見分ける人もいるから、気を付けてって意味で。この国の人たち、エルフを奴隷として扱うこと当然みたいに思ってるし。ま、アタシには関係ないからどうでもいいんだけどね」


 その言葉通り、心底どうでもよさそうに、エレオノーラはもう一度大きな欠伸をした。

 シオンとエルリオはまだ警戒を解いていなかったが、ステラは少しだけほっとしたように胸を撫で下ろす。その後で、シオンとエルリオの耳に口を近づけた。


「びっくりしましたけど、悪い人ではなさそうですよ?」

「……“バニラ”の言うことは信じられない」

「同感だ」

「シオンさん、私たちもその“バニラ”です」


 そんな短いやり取りをしている最中、不意に宿の扉が開く。中から出てきたのは、アリスだ。

 アリスは、エルリオの姿を見るなり、ぱあっと明るい顔になって駆け出してくる。その勢いのまま、伯父の懐に飛び込んでいった。


「また会ったね!」

「あ、ああ」


 エルリオは戸惑いながらも姪の小さな体を受け止めると、優しくその頭を撫でた。

 そこへ、シオンが、


「念のためアリスの瞳はあの女に見せないようにしろ。金髪と耳、あとはタグでエルフと思われるはずだ」

「承知した」


 エルリオに小さな声でそう伝えた。

 それから、シオンはステラを連れて先に宿へと向かっていく。その際に、一度エレオノーラの前で立ち止まる。


「先に入ったらどうだ? 疲れてるんだろ?」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」


 んー、と声を上げながら、エレオノーラが伸びをする。彼女は手荷物を拾って、宿へと入っていった。

 それを確認したあとで、シオンがステラを見遣る。


「俺の目の届かないところであの女と接触するな。最悪、アリスの正体がバラされる危険もある」

「は、はい……」


 ステラは、緊張した面持ちでしっかりと頷いた。

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