第13話

 ドミニクの宿屋にある一階酒場にて――時刻が十八時半を回った時、長テーブルに腰をかけるステラが唐突に首を傾げた。


「そういえば、ここって十八時から酒場が始まるんじゃないんでしたっけ?」


 一向に客が入ってくる気配がないことを疑問に思ったのだ。

 ドミニクは料理を運びながら、


「アリスが家族と再会できた記念だ。今日はゆっくりさせてやりたいと思ってな、お前さんらの貸し切りにしたよ。宿もな」


 妙に静かな声で答えてきた。

 ステラは、なるほど、と言って隣にいたアリスを見る。


「よかったですね、アリスちゃん」

「うん! ご主人様、ありがとうございます!」


 アリスの笑顔を見て、何故かドミニクは表情を暗くしてすぐに離れていった。アリスの正面に座るエルリオが、不意に立ち上がってその後を追おうとする。だが、


「エルリオ、アンタはアリスの傍にいてやれ。今後のことは俺から話しておく」

「……わかった」


 シオンがそれを止めて、代わりにドミニクのいるカウンターへと向かっていった。

 シオンはカウンター越しにドミニクの前に立つと、少しの間を空けて徐に口を動かした。


「アリスのことだが、エルリオに引き渡してほしい」

「また唐突に切り出してきたな」

「ここに戻ってすぐに話すつもりでいたが、あの時はエレオノーラがいたからな。すぐにアリスの話をできなかった」

「そういえば、あの姉ちゃんはお前さんたちの連れじゃないのか? 早々に宿取って今の今まで部屋からずっと出てこないが」

「偶然この街で会っただけだ。相当疲れていたみたいだから、大方部屋に入って即行で寝たんだろう。それより、アリスの件だ」

「……奥で話そう」


 ドミニクはそう言って、カウンター奥へとシオンを案内する。そこは裏口扉のある食材置き場で、ドミニクは壁際に並べられた木箱の一つに腰を掛けた。


「アリスを連れていくなら、今夜、すぐにでも連れていってくれないか?」

「何故?」

「お前さんは、アリスのこと、どれだけ知っている?」


 引っかかる言い方に、シオンは顔を顰めた。だが、その意図は把握できている。


「あの子と一緒にいるうえで“知っておかなければならないこと”は知っている。あのエルフ――エルリオから聞いた」

「ということは、あの子がハーフエルフであることは知っているみたいだな」

「アンタ、あの子がハーフエルフであることを知っていて自分のもとに置いていたのか?」


 ドミニクは首を横に振る。それから視線を床に落とし、ぐったりと項垂れた。


「今日、フレデリックという領主がここに来ただろ。奴が、教えてきた」

「なるほど……あの領主もアリスを狙っているのか」


 ドミニクは頷く。


「ああ。今日は大人しく引き上げたが、いつ強硬手段に出てくるかわからない。それに、アリスがハーフエルフであることに気付いたのは、子飼いの教会魔術師の研究者だったそうだ。教会関係者が知ったのなら、いずれ教会にもその情報が伝わって、騎士団がここに送られてくる」

「――教会魔術師の研究者?」


 話を聞く中で、シオンは気になった部分を咄嗟に口に出した。意外な部分に食いついたシオンに、ドミニクが眉を顰める。


「どうした? 何かおかしいこと言ったか?」

「いや、研究者がこの街に何のためにいるんだと思って」

「さあな。貴族様の考えることなんて俺ら平民にはわからんよ。そんなことより――」


 ドミニクが木箱から立ち上がった。


「アリスのこと、頼めるか? 必要なものはこれから俺が準備しておく。夜は防壁の扉を閉められるが、街の外に出るための抜け穴が――」

「いや、今日はさすがに無理だ」

「なんでだ?」

「俺たちはアリス一人だけを連れ出しに来たわけじゃない。この街に囚われているエルフ全員を解放するつもりでいる」

「しょ、正気か?」


 シオンの言葉に、ドミニクが上ずった声で驚いた。しかし、シオンはいたって真面目な顔で頷く。


「ああ。どうやって解放しようか、今も悩んでいる」

「とんでもない若造だな……。俺の若い頃でも、そんな無茶、考えたこともなかった」

「俺が言い出したわけじゃないがな。ともかく、今日はどのみち無理だ。明日、一度エルリオと話してから決めたい。最悪、エルリオとアリスの二人だけ外に連れ出すことになるかもしれない」


 シオンが言うと、ドミニクが呆れた顔で溜め息を吐いた。


「わかった。だが、アリスの件に限ってはあまり悠長なことを言っていられないということは忘れないでくれ」

「ああ、わかっている」


 そう言って、シオンはステラたちのいるテーブルへと戻っていった。続けて、ドミニクが追加の料理を運んでいく。

 アリスは、ステラとエルリオに挟まれ、とても幸せそうに笑っていた。願わくば、この笑顔が永遠に守られるように――







 宿の一階奥に、従業員の生活スペース――ドミニクとアリスの私室がある。今日はドミニクの計らいで、アリスはエルリオと一緒の部屋に寝ることになった。

 シオンとステラもそれぞれ宿の部屋を借りて、今晩はここで一泊することにした。

 時刻は午前二時を回った頃――街の喧騒もなくなり、夜の静寂が皆を眠りへといざなった――その時だった。

 唐突に聞こえたのは、複数台の車が近場で停車する音――シオンはそこで瞬時に目を覚ました。体を起き上がらせ、暫く意識を耳に集中させる。

 それから一分とせずに、扉が蹴破られる音と、複数の発砲音が鳴った。その微かな隙間を縫うように、アリスの叫び声が一瞬聞こえる。

 シオンはベッドから跳ね起き、部屋の窓から地上へ降りた。そのまま裏口へと回り――


「エルリオ! アリス!」


 目にしたのは、血を流してぐったりとしているエルリオと、そんな彼にしがみつくアリスが、黒づくめの集団に車の中に押し込められている場面だった。直後に、車が走り出す。

 シオンが、騎士の強靭な脚力を使って一気に距離を詰め、車の後ろに辛うじて片手を引っかけた。だが、不意に車の中から窓越しに銃弾が放たれ、掴んでいたリアバンパーを車体から剝がされてしまう。

 シオンの身体は路上へと放り出され、近くの街灯に激突して止まった。


「クソ!」


 短く悪態をついて、いったんドミニクの宿に戻ることにした。

 おおよそ人の走力は思えない速度で路地を駆け抜け、すぐさま裏口から宿に入る。電灯のスイッチを入れ、そこで見たのは――


「ドミニク!」


 自らの血だまりに沈む、ドミニクの姿だった。

 脈を取ると、辛うじて生きているといった状態だ。シオンがいることに気付いたドミニクが、血をあぶく口を必死に開閉させる。


「あ、アリスが……!」

「わかってる。喋るな」


 シオンが、ドミニクの傷口を見る。腹と胸に弾丸が撃ち込まれており、弾は貫通していないようだ。傷口から溢れ出る血をシオンが手で強く押さえるが、一向に収まる様子がない。

 そこへ、ステラがやってきた。


「あの、何か大きな音がして――」


 瞬間、凄惨な現場を見て、息を詰まらせるような短い悲鳴を上げた。ステラは口を両手で押さえ、腰が抜けたようにへたり込む。


「ステラ!」


 突然、シオンに声をかけられ、ステラは涙目になりながら体を上下に跳ねさせる。


「包帯でも寝具でも何でもいい。清潔な布――止血できるものを持ってきてくれ!」

「え、あ、あの――」

「早くしろ!」


 シオンが言って、ステラが駆け出した。

 それからステラは、どこからか大量の清潔なベッドシーツを見つけて、シオンたちのところに戻ってきた。シオンはそれを乱暴に破ると、ドミニクの患部に巻き付けていく。だが、唐突にその手を止めた。

 ステラが、顔を顰める。


「ど、どうしたんですか?」

「――死んだ」


 シオンの短い回答に、ステラがふらふらと後退しながら壁に背をぶつける。そのまま、糸を切らしたように床に座り込む。

 シオンはそんな彼女を無視し、淡々とドミニクの体を静かに横たわらせた。その上にベッドシーツをかけたあとで、ステラを見遣る。


「エルリオとアリスが連れ去られた。場所は恐らく領主の館か、収容所――今から俺はそこに行く」


 シオンに声をかけられ、ようやくステラは意識を呼び戻した。


「え、でも――」

「もう考えている時間がない。今、エルリオを失えば、エルフたちは今度こそ路頭に迷うことになる。できれば取りたくない手段だったが、領主を締め上げて収容所を無理やりにでも解放させる」


 そう言って、シオンは踵を返した。その後を、ステラが慌てて追いかける。


「待ってください! 私も――」

「お前はここにいろ。収容所を解放した時はかなりの騒ぎになるはずだ。その時に合流してくれ」

「奴隷市場や娼館にいるエルフたちは――」

「諦める。街にいるエルフ全員の解放を期待していたエルフたちには俺が殴られておく」

「そんな!」


 一階酒場に出たところで、ステラがシオンの前に飛び出た。


「なら、奴隷市場と娼館のエルフたちは私が行って何とかします!」

「駄目だ。お前、自分が敵国にいる認識は持っているのか? 一人で勝手なことをすれば、最悪、お前も死ぬことになるぞ」


 シオンに言われて、ステラは言葉を詰まらせた。


「全部は救えない。それだけは覚えておいてくれ」


 ステラが、両拳を強く握りしめて顔を伏せた。打ちひしがれるようにして体を震わせ、立ち尽くす。

 シオンは、短いため息を吐いて、軽く頭を横に振った。その後で、宿を出ようとした時――


「ねー、さっきからうるさいんだけどー」


 エレオノーラが、吹き抜けの手すり部分に寄りかかって見下ろしながら、寝間着姿で訊いてきた。二つに縛っていた髪は下ろしており、目は寝起きでしょぼしょぼしている。


「何かあったのー?」

「俺たちと一緒にいたエルフと、ここで奴隷として働いていたエルフの少女が連れ去られ、宿の主人が殺された」

「え、何それ? やばくない? ていうか誰がそんなことしたの?」


 エレオノーラが、少し目を覚ました声色で言ってきた。

 シオンは、答えるかどうか一瞬悩んだ後で、


「恐らくこの街にいる貴族の領主だ。宿の主人と、色々もめていたらしいからな」


 少し濁した回答をした。それを聞いたエレオノーラが、興味ありげな視線を送ってくる。


「ふーん。で、アンタたちはこれからどうするの?」

「連れのエルフを取り戻しに行く。アンタも、これ以上巻き込まれたくなかったら、今のうちに――」

「あ、じゃあちょっと待って。アタシも行く」

「は?」


 思わぬ言葉が投げかけられ、シオンとステラは揃って間抜けな声を上げてしまった。


「アタシ、ここの領主に用があってこの街にきたんだ。そんなやばい奴だったら関わりたくないから、明日会いに行く前に見ておきたいなと思って」

「お前、何者――」

「着替えてくるからちょっと待ってて」


 マイペースな様子で、エレオノーラは踵を返そうとした。


「そんなの待っていられるか。俺は先に追いかける」

「アタシが行かないと、色々と丸く収まらないと思うけどー?」

「どういう意味だ?」


 シオンが訊くと、エレオノーラはひらひらと左手を軽く振って微笑んで見せた。


「だから、ちょっと待っててね」

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