第11話

 ドミニクは、自身の宿にフレデリックを招き入れると、そのまま一階酒場の適当なテーブルに座らせた。護衛の兵士二人が、テーブル端に銃を構えて立つ。

 その物々しい雰囲気に、アリスは酒場のカウンターに隠れて息を潜めた。


「さっきいた妙な三人組はお前の知り合いか? 随分と親しげに話し込んでいたようだが?」

「アンタには関係ないでしょう」

「ふん、無愛想な店主だ。客には茶の一つでも出してもらいたいもんだね」

「アンタは客じゃないからな」


 ドミニクの返しに、フレデリックが額に青筋を浮かばせる。


「私はこの街の領主だぞ。言葉は慎重に選べ」

「そいつは悪かった。あまり育ちのいい方じゃないんでね」


 一触即発の空気が酒場に漂うが、先に折れたのはフレデリックの方だった。彼は軽く鼻を鳴らすと、テーブルに片肘をついて足をテーブルの外に投げ出す。


「まあいい、お前と口喧嘩をしに来たわけじゃないんだ。さっさと本題に入らせてもらう」


 フレデリックは懐から葉巻を取り出し、手早く火を点けて口から紫煙を吐き出す。


「私からの手紙は読んでくれたな? あれに書いてあった通り、お前が買い取った奴隷のガキはこちらに引き渡してもらう。もちろん、お前が支払った分の額はちゃんと渡す」

「その手紙の返信にちゃんと書いたはずだ。いくら積まれたってアリスをアンタんところに戻すつもりはないってな」


 ドミニクが威嚇するような顔つきで言うと、フレデリックは葉巻を吹かしながら愉快そうに笑った。


「おいおい、勘違いしないでくれ。これは領主としての――“お国”からのお達しだ。ただの奴隷売買の話じゃない」

「なら、ちゃんと説明責任を果たしてくれませんかね。こっちとしても、そうほいほいと手放す道理はまったくないんだよ」

「まったく、何をそんなにあのガキにこだわるのか。よほど“具合”がいいと見える。もう玩具一つに駄々をこねる年齢じゃ――」


 途端、フレデリックの身体が勢いよく吹き飛んだ。ドミニクが、その巨体から発せられる力を存分に使って、拳による渾身の一撃を見舞ったのだ。

 護衛の兵士たちが、一斉にドミニクに向かって銃を構える。酒場のカウンターの陰では、アリスの小さな悲鳴が聞こえた。


「悪いがもうこれ以上アンタとは会話する気になれない。それに、そろそろ宿屋の開店時間だ、お引き取り願おう」


 ドミニクが怒気を込めて言うと、フレデリックは切れた口から出た血を拭いながら、さも予想通りであったかのように不気味な引き笑いをする。


「……ドミニク、この際だ。そもそもこの話を持ち掛けた、決定打となるいいことを教えてやろう」


 フレデリックはそこまで言って、一度上半身を起き上がらせる。


「収容所に入れられたエルフたちは、奴隷市場に出回る前に、一度必ずその健康状態を検査される。持病を持っていたり、すぐ死ぬような奴を市場に出したところで意味がないからな」

「何の話だ?」


 ドミニクが低い声で唸るが、フレデリックは意も介せずに淡々と服の汚れを払う。


「その時に血液検査をするんだ。まあ、エルフは人間よりも遥かに強靭な肉体を持っているから、病気を持っていることなんて滅多になく、いつもなあなあで済まされるんだが」


 それからフレデリックは、落とした葉巻を拾い上げて徐に咥え直した。まずは一服して、ドミニクに近づく。


「しかし、だ。つい最近、うちに教会魔術師の研究者たちが数人やってきてな。そいつらがこれまでの奴隷たちの血液検査の結果を興味本位に調べたんだ。するとどういうことだ、あのアリスとかいうガキ、とんでもない代物であることがわかったんだ」

「何が言いたい!? さっさと――」

「あのガキはハーフエルフだ」


 フレデリックが、そうドミニクに耳打ちをした。ドミニクは目を見開き、そのまま硬直してしまう。


「これで私があの子供を引き取ろうとする理由がわかっただろう? このままだと、お前もただでは済まないはずだ。無論、お前とて騎士団のような化け物連中に命を狙われたくはあるまい? 私は一領主として、国民の安全を守るためにこの提案をしてやっているのだ」


 フレデリックは口に含んだ紫煙をドミニクの顔に吹きつけた。それでもドミニクは、石像のように固まったままだ。


「まあ、こうして領主である私自ら赴いてまで忠告はしてやったんだ。あとはお前の好きにするといい。余生の短い老いぼれに、今更どうこう言うつもりはない」


 フレデリックは葉巻を酒場の床に投げ捨て、踵を返す。その後に、兵士たちも続いた。


「私が話したかったことは以上だ。お前が聡明であることを願うよ」


 そう言い残して、フレデリックが店から出ていく。

 数秒の静寂――カウンターの陰から、アリスが出てきた。アリスは不安そうな面持ちで、ドミニクへ近づく。


「あ、あの、ご主人様……」


 ドミニクが、そのか細い声を聞いて意識を取り戻した。すぐに、足元にこぢんまりと佇むアリスを見て、


「あ、ああ。どうした?」


 彼女の頭を、熊のような大きな手で撫でる。

 アリスはむず痒そうな顔をしながら顔を綻ばせ、改めてドミニクを見遣る。


「アリスは、ご主人様と一緒がいいです。それと、いつかお母さんとも一緒になれると、いいと思ってます」


 その言葉を聞いたドミニクが、酷く辛そうな顔になった。ドスン、と椅子の上に体を預け、片手でその髭面を静かに覆う。


「ご主人様?」


 アリスが小首を傾げても、ドミニクは黙って、暫くそうしていた。

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