第10話

「あの、シオンさんは、アリスちゃんのことどうするべきだと思いますか?」


 エルリオが、少し一人で考えたいと言って別行動を取った直後に、ステラがそう訊いてきた。シオンは歩みを止めずに彼女を一瞥し、徐に口を動かす。


「さあ。俺には判断できない」

「またそんな冷たいことを……」

「決めるのはエルリオとアリス本人だ。無責任なことを外野からとやかく言うつもりはない」

「確かにそうですけど……」

「逆に訊くが、お前はどうしたらいいと思う?」

「私は、わかりません……」

「俺も同じだ。今はまだドミニクのお陰で安全な暮らしができているみたいだが、いつまた奴隷的な扱いを受けることになるかわからない。それならいっそ、過酷な旅にはなるだろうが身内と一緒にログレス国内で放浪する方がいいかもしれない――いずれにしても、これは当事者が決めないと駄目なことだ」


 シオンがそこまで言うと、不意にステラが足を止めた。


「……どうして、エルフだけこんなにも辛い選択を迫られるんでしょう」


 彼女のその言葉は、シオンに訊いているというよりは、思わず声に出してしまった、といった感じだ。


「この手の話はエルフに限った話じゃない。大陸に住まう亜人全般に言える。エルフ、ドワーフ、ライカンスロープ――この大陸ではいつの時代も、少数派の彼らが俺たち人間によって過酷な生き方を強いられてきた。……だが、ひとつお前には忘れないでほしいことがある。その長い大陸史における人種の扱いに一石を投じたのが、お前の祖先だ」

「え?」


 シオンが言うと、ステラが意外そうな顔になった。


「それまで当然のようにして成り立っていた亜人の奴隷制度を先駆けて撤廃したのが、ログレス王国だ。だからエルフたちは、ログレス王国の領土内に独立自治区を持つことができたと言ってもいい。自分の国、まして先祖の偉業なのに知らなかったのか?」

「し、知りませんでした……」

「女王になる前に、お前は真面目に勉強した方がいいな」

「はい……」


 シオンの苦言に、ステラが返す言葉もないといった様子で縮こまる。

 だが、その後で、


「でも、その話を今ここで聞けてよかったです。ご先祖様にできたのなら、きっと私にも同じことができるんじゃないかって思えてきました」

「どういう意味だ?」

「私が頑張れば、またエルフの人たちに安心して過ごせる環境を提供できるかもしれないって思ったんです。そうすれば、エルリオさんもアリスちゃんも、アリスちゃんのお母さんも一緒に仲良く暮らせます。王族だからって、この考えはちょっと傲慢ですかね?」


 ステラはそう言って、少しだけ気まずそうに苦笑する。

 しかし、シオンは小さく首を横に振った。


「亜人たちがそれを聞いてどう思うかはわからないが、ログレス王国の次期女王がそういう志を持っていること自体はいいんじゃないか」


 背を押すようなシオンの言葉を聞いて、ステラは少しだけ気恥ずかしそうにしながら頭の後ろを掻いた。

 それから二人は、徐に歩みを再開しようとする。

 と、そんな時だった。


「ねえ。そこの二人、ちょっといい?」


 突然、何者かが声をかけてきた。妙に気だるげな、若い女の声だ。

 二人が揃って声の方を見ると、そこには女が一人立っていた。歳は二十前後で、シオンより少し年下くらいに見える。童顔ながらも非常に整った容姿をしており、薄い桃色がかかった髪を耳より少し高いところで二つに分けて縛っている髪型が特徴的だった。フリルの付いたブラウスに、スリットの入ったスカート――自分のスタイルに自信があるのか、コルセットで強調された体のラインは、その気がなかったとしても目のやり場に困るほどに艶麗だった。

 だが、彼女の美しさ以上に目を引くのは、その手荷物だった。一つは、どこにでもある革のスーツケースで、問題は、もう一方の荷物だ。彼女の身長ほどもある縦長のスーツケースで、およそこのような美麗な女が持ち歩くには、あまりにも物々しく、違和感しかなかった。


「宿屋に行きたいんだけど、手ごろなところ、知ってる?」


 眠たそうな顔をしていて、声にもあまり張りはなかったが、きっとこれが彼女の普通なのだろう。

 戸惑いながらも、ステラが対応する。


「えっと、どの宿でもいいですか?」

「いいよ。早く休みたいから」


 相当疲れているのか、無気力な声質で答えてきた。

 ステラはいったんシオンの方を見る。


「シオンさん、この人、ドミニクさんの宿に案内してあげませんか?」

「むしろ俺たちはそこしか案内できないだろ。他の宿も知らないし」

「さっきは珍しく褒めてくれたと思ったら、急にまた塩対応になりましたね」


 ステラが大げさにしかめっ面をすると、シオンは軽く肩を竦めて応じた。それから、ステラは女に歩み寄り、宿のある方角を指で示す。


「あっちに宿があります。一階が酒場になってる建物です。十五時にならないと受け付けてくれないみたいなので、少し待ってから行くといいですよ」

「さっき通り過ぎたけど、あそこ宿屋だったんだ。ありがとう、助かるよ」

「いえ、困った時はお互い様です。私はステラって言います。あっちの怖い顔した人はシオンさんです」


 ステラがそう言って手を差し伸ばす。女は、その気だるそうな表情を少しだけ緩め、口元に小さな笑みを見せて握り返した。


「エレオノーラだよ。よろしくね、二人とも」


 そう言ったエレオノーラの顔を見て、ステラは思わず頬を赤らめる。容姿とスタイルもさることながら、どこか儚げでダウナーな雰囲気が、彼女のことをより一層妖美に見せていたのだ。

 ステラが手を放すと、エレオノーラは荷物を手に取って宿の方向に歩みだす。その背中を見つつ、ステラはどこか気恥ずかしそうに頭の後ろを掻く。


「な、何か、綺麗な人を目の前にすると照れちゃいますね」


 同意を求めるようにシオンの方を振り返ったが、彼は彼で別の印象をエレオノーラに持っていた。険しい目つきをして、いかにも不審者を相手取るような面持ちでいる。


「どうしたんですか? いつにもまして深い皺を眉間に寄せて?」

「あのエレオノーラとかいう女、スリットから覗く太ももに弾丸を巻き付けていた」

「弾丸って……何かの見間違いじゃないですか? ていうか、シオンさん、意外と目ざといですね」

「いや、間違いない。しかもかなりの大きさの口径だ。少なくとも拳銃レベルで扱えるようなものじゃない」

「何かのファッションなんじゃないんですか?」

「……だといいけどな」


 ステラの言葉にあまり同意していない声色で返事をしつつ、シオンは街の中の散策を再開した。

 そろそろ、エルリオとも合流しなければ――二人は歩みを少しだけ速めることにした。

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