第5話
もはやそれは戦というより、一方的な狩りと化していた。
指揮官と、主力である教会魔術師を失ったガリア軍の兵士たちは、それこそ蜘蛛の子を散らすようにして退散を始めた。
だが、それをシオンは許さず、誰一人としてこの場から逃がすことはなかった。
黒騎士が飛びかかれば一人が死に、黒騎士が引き金を引けばまた一人が死に、黒騎士が銃剣を投げればまた一人が死に――シオンが行動ひとつ起こすたびに、兵士が確実に屠られていったのだ。
時間にしてものの三十分――最後の兵士の背中に銃剣が投擲されたことで、平野には再び静寂が取り戻される。
ガリア軍の小隊ひとつが、生身の人間一人に一時間とせず全滅させられた――悪夢と形容するしかないその事実に、森の木立で一部始終を見守っていたステラとエルフたちが、揃って言葉を失っていた。
そのようなことなどいざ知らず、シオンは日常の一仕事を終えたかのような足取りで、徐に森の方へと踵を返す。
ステラとエルフたちは思わずといった様子で後退った。対してシオンは、嘆息気味に小さく息を吐き、目を伏せる。
「背中の印章の通り、俺は“黒騎士”だ。だが、アンタらに危害を加えるつもりは毛頭ない。それだけは信じてくれ」
シオンの言葉を聞いて、エルフたちが困惑した顔を互いに見合わせる。妙な膠着状態が数秒続いた直後、不意に、ステラが恐る恐る手を上げてきた。
「あ、あの……」
シオンとエルフたちが、一斉に彼女へ視線を向ける。
「く、“黒騎士”って……なんですか?」
※
森に戻った一同――エルフたちはシオンのことを警戒しつつも、初めて会った時よりは幾らか軟化した態度で森の奥へと招いてくれた。どうやら、エルフたちは彼らの居住地まで案内してくれるようだ。
そんな中で、
「あ、あの。さっき言ってた、“黒騎士”って何なんですか?」
ステラが、恐る恐るシオンに訊いた。エルフたちとは異なり、彼女の場合は初対面の時よりもさらにシオンのことを警戒している様子だ。
もっとも、生身で軍人五十人以上を屠った人間を隣にしていることに、怯えない方が無理と言うべきか。
「“騎士団”のこと、どれだけ知っている?」
シオンが唐突にそう問いかけると、ステラの肩が少しだけ跳ね上がった。
「え? あ、あまり詳しいことは知らないですけど――騎士団は、聖王教会が保有する軍事組織、であってますか? あと、騎士一人ひとりがとんでもなく強いってことくらいしか……」
「俺はもともとその騎士団に所属していた騎士だ。だが、今はもう破門されて、大罪を犯した騎士――黒騎士に認定されている。二年前にこの大陸で何があったかは、お前も知っているだろ」
「教皇派と分離派による騎士団分裂戦争……」
「俺はその時に分離派に与していた騎士だ。結果は知っての通り、分離派は教皇派の騎士に惨敗した。その後、分離派の生き残りだった俺は異端審問にかけられ、黒騎士になった」
「ということは、黒騎士って言うのは、教会に敵対した元騎士ってことですか?」
シオンは頷いた。
「そんなところだ。本当なら数日前に死刑が執行されてこの世にはもういないはずだったんだが、乗っていた輸送列車が濁流に飲まれて、身一つでここまで流された。それがお前に出会うまでの経緯だ」
「な、なんて波乱万丈な……」
どこかポンコツな感想を言って、ステラは唖然とした顔になった。
二人がそんなやり取りをしている間に、ふとエルフたちの足が止まる。そこは、巨大な木の根に覆われた洞窟の入り口だった。
「この先に、我々の居住地がある」
先頭を歩いていたエルフ――エルリオと名乗った彼が、端的にそう説明した。
それから数分、洞窟の中を進んだ先にあったのは、地底湖を中心とした集落だった。地底湖の周りには大木の根が至る所に張り巡らされており、そこをくり抜くような形で家となる住処がいくつも作られている。大木は地上へとその枝葉を伸ばしており、貫いた洞窟の天井からはいくつもの木漏れ日が差し込んでいた。森の中より暗かったが、周りの燭台の火と合わさって、洞窟の中にしては思いのほか視界は良好だ。
続けてエルリオが案内したのは、空き家と思しき部屋だった。何もない部屋の床に、シオンとステラは、ポツンと取り残される。
「な、なんだか凄いですね! エルフの隠れ里って感じで、昔読んだ絵本とかで見たやつそのまんまです!」
ステラが若干興奮気味に話し、一方のシオンは、
「さすがに少し冷える。こんな場所に案内されるなら、殺した兵士から上着を剝いでおけばよかった」
と、若干の肌寒さに不満を漏らした。ローブの上半分が戦闘によって失われ、今なおシオンは上半身裸の状態だった。
そんな彼を見て、ステラが苦笑する。
「ま、まあ、すぐにエルフの人たちも上着くれますよ。ガリア軍倒してここを守ったんだし、それくらいのことは……」
「だといいな」
淡い期待を乗せた言葉をかけられ、シオンは軽く肩を竦めた。
エルリオが部屋に入ってきたのは、そんな会話の直後だった。彼は入ってすぐに、シオンに毛布を一枚手渡してきた。
「助かる」
シオンがそれを羽織ると、エルリオは少し離れたところに腰を下ろした。それからやけに神妙な面持ちで二人を見遣る。
「……先ほどまでの非礼、どうか許してほしい。ガリア軍から我々を守っていただけたこと、本当に感謝する」
突然の謝罪と感謝の言葉に、シオンとステラは少しだけ驚いた顔を互いに見合わせる。その後すぐにシオンが開口した。
「不躾なのはお互い様だ。それより、あの時の俺の言葉、覚えているか?」
「ああ。約束通り、その少女の話を聞こう」
そして、シオンとエルリオが同時にステラの方を向く。
青年二人に見つめられ、ステラが思わず両手を顔の前で振り、慌てふためいた。
「そ、そんな、二人同時に見んといてください! 恥ずかしいです!」
「御身がログレス王国の王族であるという話は本当か?」
エルリオが真面目なトーンでそう訊くと、ステラはすぐに表情を引き締めた。彼女はどこか気まずそうに頷き、視線を外すように少し俯く。
「はい、嘘は言っていません。私は現時点でログレス王国の王位継承権第一位を持つ王女です」
それを聞いたエルリオが、落胆したように項垂れた。
「まさか、こんな人間の少女が我々の最後の希望になるとは……」
「す、すみません、こんな人間の少女で……。っていうか、最後の希望って言うのは?」
ステラの問いに先に反応したのはシオンだった。
「お前が女王になることでログレス王国がまた大国としての地位を確立できれば、エルフの独立自治区も再承認されると考えているんだろ」
「ああ、なるほど――あ、いや、そんな簡単な話じゃないんです! 今まさにその問題に直面していて――」
「落ち着け。これからちゃんとゆっくり話を聞く」
シオンに宥められ、ステラは一度姿勢を正す。その後で一度咳払いをし、口を動かし始めた。
「最初に会った時に話した通り、私はここに匿ってもらうために来ました。理由は、ガリア軍が王都に入ってきたためです。奴ら、国家元首不在による隣国の非常事態だから代理統治だとか何とか理由をつけてますけど、実態はただの侵略です。私もあと少しで殺されるところでした。そこを何とか逃げてここまで来たんですけど――」
「申し訳ない。御覧の通り、残念ながら我々エルフもガリア軍に攻め入られている状態だ。貴女を助けることはできそうにない」
ずーん、と、ステラとエルリオが自分の言ったことに気を落とす。
シオンが自身の髪を結い直しながら、
「もうログレスは実質的にガリアの支配下ということか。二年間檻に入れられている間に、随分とこの大陸の時世も変わったな」
呆れたような、辟易したような声色で言った。
と、そこへ、
「黒騎士殿」
エルリオが唐突にシオンに呼びかけた。
「突然の申し入れになるが、聞いてもらいたい。どうか、我々エルフの反ガリア運動に手を貸してもらえないか? 我々エルフは、黒騎士である御身が教会の意に反してまで騎士団分裂戦争に参加した理由を知っている。“あの志を持つ御身”であれば、だからどうか――」
「俺はもう騎士じゃない。戦うことはともかく、政治的な力は何も持っていないし、アンタらが期待するようなことは何もできないぞ」
「しかし――」
「さっきは話をするためにやむなく手を貸した。だが、これ以上俺が出張れば、アンタらエルフは、今度は騎士団にも狙われるかもしれない。教会は逃げ出した黒騎士を許さない。俺と一緒にいれば、早晩、騎士団との衝突は避けられないはずだ。アンタらも、ただでさえガリア軍を相手にするのに手いっぱいの状況で、騎士団みたいな化け物連中を相手にするのは嫌だろ?」
シオンの淡々とした回答に、エルリオは歯痒そうに顔を顰めた。
そんな二人の様子を、ステラが覗き込むように見る。
「あ、あの、今更なんですが、何故エルフまでガリアに狙われているんですか? 確かにエルフの独立自治区はログレス王国の領土内にありますけど、王都をほぼ陥落させたガリアがわざわざエルフを個別に侵略する必要ってあるんですか?」
何気ない無邪気な質問――だが、エルリオはさらに表情を険しくて拳を強く震わせた。
代わって説明を始めたのは、シオンだった。
「奴隷にするためだ。ガリア公国はエルフを始めとした亜人の奴隷化を未だに合法としている」
「奴隷!?」
思わず、といった様子でステラが声を張り上げる。それもそのはずで、ログレス王国では如何なる種族においても奴隷として扱うことは三百年も前から違法とされているからだ。
「この住処を見渡した時、極端にエルフの女と子供の姿を見なかった。もうすでに何人も連れ去られているんだろう」
「な、何でエルフを奴隷に――」
「エルフは見ての通り、亜人の中でも人間とほぼ姿かたちが同じなうえ、例外なく美形ばかりだ。さらには三百年近い寿命を持つ長寿で、青年期が長くいつまでも老いることがない。だから、女と子供を――」
「それ以上はやめてくれ!」
シオンの淡々とした説明を、エルリオが遮った。シオンは詫びを入れるように目を伏せて、それきり黙る。
「黒騎士殿の言う通りだ。もうすでに、何人もの女子供がガリア軍に連れ去られている。ここも平時の住処ではなく、非常時に使う隠れ里だ。人間の町村ほどではないが、我々も森の中にそれなりの文明を築き、家屋を建てて暮らしていた。それを、奴らは全部奪っていったんだ……」
そう言ったエルリオの瞳は、悔しさに滲んでいた。そこへシオンが、
「水を差すようで悪いが、この隠れ里が見つかるのも時間の問題だ。教会魔術師を含めて編制したガリア軍の一個小隊がいつまでたっても帰ってこないことに、いずれ本隊も疑問に思うはずだ。三日としないで次の兵隊たちがこの森に攻め入ってくるぞ。生き残りを連れて早くこの森を離れた方がいい」
無慈悲な現実を突きつけた。
エルリオは即座に反応して、表情をより険しいものにした。
「駄目だ……それはできない! もしかしたら、何かをきっかけに皆が戻ってくるかもしれない! そうなった時、誰が連れ去られた彼女たちを迎えるんだ!」
それを聞いたステラが、恐る恐るといった面持ちで身を乗り出す。
「……もしかして、エルリオさんの身内が攫われたんですか?」
エルリオは一瞬話すことを躊躇うように口の動きを止めたが、僅かな間を開けて、
「……妹が連れ去られた。一年前にな」
そう答えた。
途端、ステラが、何か意を決したかのようにシオンを見遣る。
「シオンさん!」
突然の呼びかけに、シオンは眉を顰めた。
「エルリオさんの妹さん、助け出してあげられませんか!?」
「無理だ」
「そんな、即答しないでください……」
「事実だ。どこに連れ去られたかもわからないのに、どうやって助け出す。それに、助け出したあとはどうする? ログレスがこんな状態である以上、助けてもすぐにまた連れ去られるのがオチだ」
「そ、それは……」
何も考えず、思わず感情のままに提案してしまったことを後悔するステラ――先ほどまでの威勢をなくして、ゆっくりとまた床に座り直す。
しかし――
「ここから徒歩で半日ほどの場所に、ガリア公国のルベルトワという城塞都市がある。そこに亜人の収容所があるんだが、恐らく、ここから連れ去られたエルフは一度すべてその街に収容されたはずだ」
エルリオがその答えを出した。
「ガリア公国では奴隷はすべて一度国営の収容所に入れられる。そこから奴隷商人を経て、ガリア国内の奴隷市場へと出回るのが一般的な出荷ルートだ」
「アンタの妹は一年前に連れ去られたって話だが、さすがにもう収容所にいないんじゃないのか?」
「収容所から出回ったエルフの奴隷は耳にタグが付けられ、どこから誰の手に回ったのか生涯管理されていく。その記録が手に入れば、もしかしたら……」
そう言ったエルリオだが、望みは薄いと、その表情が物語っていた。
一方で、ステラがまた嬉々として立ち上がる。
「ほら! シオンさん、これなら――」
「お前はお前でさっきから何をしたいんだ?」
シオンがぴしゃりと言い放った。
「ここに来たのは匿ってもらうためと言っていたな? それがどうして、いつの間にか連れ去られたエルフを救い出す話になっている。しかも俺を巻き込んで」
「そ、それは……」
もごもごとバツが悪そうにステラが話すが、シオンはさらに容赦なく問い詰める。
「それに、お前はさっきの問いにも答えていない。助け出したところでまたすぐに連れ去られるのは目に見えている。ログレス王国の現状をどうにかしない限り、今直面している問題は何も解決できない」
「……だ、だったら、私がちゃんと女王になってエルフの皆さんの特別自治区を再認可します!」
「どうやって女王になる?」
その短い問いかけに、またしてもステラは返す言葉を見つけられないでいた。ぐぬぬ、と勝手に苦悶の表情になった。しかし、それでいて引き下がるつもりはない、といった様子だ。
シオンはそんな彼女を見て、呆れたように嘆息する。
「このユリアラン大陸で名実共に一国の女王になるには、王都で戴冠式を受ければいい。国内で即位を表明した上で、教皇、あるいは聖女のどちらからか戴冠を承れば、大陸の他国はそれを認めざるを得ない」
「お、王都で教会の偉い人から戴冠、ですか……」
つまり状況としては、完全に詰んでいると言わざるを得なかった。
エルフを真にこの状況から救い出すにはステラが女王になり、ログレス王国の庇護下で独立自治区を認めるしかない。ステラが女王になるには、王都で戴冠式を受ける必要がある。一方で、ステラは王都が陥落させられたことでエルフに助けを求めている。
堂々巡りの悪循環となっていた。
ステラが意気消沈となって、再び床にへたり込む。
打つ手なしか――そんな雰囲気が部屋に漂ったが、シオンが、一呼吸してからステラに向き直った。
「お前、本当に女王になるつもりあるか?」
不意な問いかけだったが、ステラは勢いよく首を縦に振った。
「も、もちろんです! こんな状況、王族として絶対に見過ごせません!」
「……戴冠式を王都で何としてもやり抜くという意思があるなら、協力する」
「本当ですか!? でも、急にどうしてまた協力する気になってくれるんですか?」
ステラの問いかけに、シオンはすぐには答えなかった。静かに目を瞑り、答えるべきかどうか思案しているようにも見えた。それから数拍おいて、徐に口を開く。
「戴冠式に引きずり出した教皇を殺す。それが叶うなら、お前を命がけで王都に連れて行く」
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