第4話
奇妙な二人組だった――二年前に族長が死に、自分がその代役を務めるようになってから今日この日まで、あんな人間は見たことがなかった。
エルフのエルリオは、戦場へと向かいながら、先刻逃がしたばかりの人間二人を脳裏にちらつかせていた。
だが、すぐにその意識は戦場へと強制的に向けられる。
激しい爆音が、木々の葉を震わせた。地を伝わる振動から、相当な威力の爆発が起きているのだろう。
エルリオの後を追う他のエルフたちの表情が、意を決したものから徐々に不安と恐怖に変わっていった。
木々の隙間から、森を抜けた先の平野が見えてきた。ログレス王国――もとい、エルフの独立自治区として認められた領域と、ガリア公国との国境が存在する場所だ。
昨日までは緑に覆われた澄んだ平野であったが、今となってはその見る影もない。至る所で地肌が露出し、平野と森の境にある木々が無残になぎ倒されている状態だ。
エルリオたちは平野に出る手前で、大木の陰に各々身を潜めた。
「さっき聞いたよりも想像以上に数が多いな」
「問題は数じゃない。奥で馬に乗っている奴だ」
仲間の一人に言われて、エルリオは目を凝らした。人間よりも数段身体機能が優れているエルフであれば、遠眼鏡がなくとも目を細めるだけで数百メートルの人を識別することができる。
「……確かに、あれは“教会魔術師”みたいだな」
彼の目に映ったのは、馬にまたがった一人のガリア軍兵士だ。他の兵士と同様に青を基調とした軍服を身に纏っているが、唯一銃器による武装をしていない。その代わりに身に付けていたのは、首から下げられた“銀のペンタクル”――教会魔術師の証だ。
教会魔術師の兵士が、不意に手をかざす。その数秒後に、どこからともなく爆発がいくつも沸き起こった。
木々がなくなって見通しが良くなると、そのたびに一気に兵士の行軍が進んだ。その有様は、まるで戦車が一台投入されているかのようだった。
「人間兵器とはよく言ったな。弾数が無制限の砲弾が飛んでくるようなものか。このままだと、あと数時間もしないで俺たちの住処にまで到達してしまう」
エルリオが歯痒そうに声を絞り出す。と、その時、突然、少し離れたところにいたエルフの同胞が木立の陰から勇ましく飛び出ていった。恐らく、この危機的な状態の緊張に耐えきれなくなったのだろう。
飛び出したエルフは雄叫びを上げながら弓を引き絞り、ガリア軍に向かって矢を放った。
だが、すぐさまガリア兵たちが、そのエルフに向かって無数の弾丸を小銃から撃ち込む。勇ましく飛び出したエルフは、瞬く間に血と肉片に塗れ、無残に散っていった。
それは完全な悪手だった。エルフが間違いなくいることを、ガリア兵たちに確信させてしまったのだ。
その証拠に、銃剣を構えた兵士たちが、獲物を捉えた獣の如く駆け出し始める。それを見たエルリオは、覚悟を決めたように表情を引き締めた。
「もうやるしかない! あいつらを迎え――」
そう言って皆を鼓舞しようとした時、不意に、脇を通り抜けた人影があった。
エルリオは目を疑った。
先ほど逃がしたはずの人間の男が、隠れる素振りも全く見せずに、堂々とガリア軍の兵士たちに向かって歩いているのである。
エルリオは咄嗟に、男の肩を掴んだ。
「おい、何をしている! 逃げ先はさっき教えただろう!」
男は、その黒い長髪を靡かせながら振り返り、日の光のような赤い双眸で視線を返してきた。
「あそこにいるガリア軍を黙らせる。その代わりに、あとであいつの話を聞いてやってくれ」
「は?」
言っていることの意味が分からず、エルリオは思わず呆けた声を上げた。
その直後に、
「し、シオンさん! やっぱりそっちは危ないですって!」
もう一人の人間の少女がやってきた。
この非常事態に輪をかけて何を面倒なことを――そう憤った矢先、エルリオは自身の目を疑った。
黒髪の男が、ガリア軍の兵士たちに向かって、真正面から走り出したのだ。
※
シオンは森を抜けるのと同時に駆け出した。黒い長髪と白いローブを激しく靡かせながら、裸足であることを意にも介さずに平野を走る。
銃剣を構えたガリア軍の兵士たちが何事かと、一瞬だけ前進を躊躇う。迫りくる白い人影は、彼らが目的としているエルフではない――しかし、そんなことなどどうでもよいと思えるほどに、異様なプレッシャーがそれから放たれていた。
ズドン、と一発、シオンの足元で大きな爆発が起こる。それから立て続けにさらに二発――まるで、地雷原を突っ切っているかのような有様だ。そうやって、教会魔術師が疾駆するシオンを爆発で捕捉しようとする一方で、
「構え!」
指揮官と思しき人物が、腕を上げて号令を出した。直後、侵攻する兵士たちが一斉に銃剣の先をシオンへ向ける。
「撃て!」
無数の発砲音が鳴った。銃剣の照準は間違いなくシオンを捉えていた――にも関わらず、弾丸は一発もシオンに掠めることすらなく、彼は何事もなかったかのように走り続けていた。
ガリア軍の兵士たちはここで違和感に気が付いた。シオンの走力が、明らかに人の速度ではないことに。豹などの獣、あるいは隼の如く、生物の限界に迫る速さである。
指揮官が慌てて次の発砲の号令を出そうとした。再度腕を高く上げ、兵士たちに銃剣を構えさせる。
「撃て!」
二回目の射撃音に混ざって聞こえたのは、鈍い打撲音――シオンが、兵士の一人に向かって飛びかかったのだ。
シオンは兵士の一人を踏み台のようにして足蹴にし、さらに奥にいたもう一人を強襲する。強襲された兵士は胸から踏み潰され、血を吐き出して絶命した。
シオンはそのまま走る勢いを殺さずに、潰した兵士の銃剣を拾い上げてさらに直進する。
「何をしている! よく狙え!」
指揮官から怒号が飛んだ。
兵士たちが三度シオンへと狙いを定めるが、その時彼はもうすでに指揮官の所へと到達していた。
シオンは銃剣の砲身を両手で握り、指揮官の脇を通り抜け様にストック部分で殴りつける。指揮官は前歯全てを失い、鼻を大きく陥没させながら激しく後ろに吹き飛んだ。
それには構わず、さらにシオンは駆け抜ける。
次の標的は、教会魔術師だ。
シオンと教会魔術師の間には、もうガリア軍の兵士はいない。
教会魔術師はにやりと不敵に笑い、勢いよく馬から飛び降りた。直後に、地面に手を置く。すると、シオンを中心にして地面が小刻みに隆起し始めた。
それから一秒とせずに、大爆発が起きた。牛舎ひとつを簡単に消し飛ばすくらいの威力はあっただろう。辺り一帯が、激しい黒煙と土煙に塗れる。
その場にいた誰もが、シオンの死を悟った。
教会魔術師が満足げに笑みをこぼし、立ち込める硝煙の臭いを肺一杯に鼻から吸い込む。両目を瞑り、あたかも葉巻の臭いを嗜んでいるかのようだ。
シオンが黒煙の中から飛び出してきたのは、そんな時だった。教会魔術師が驚きで見開いた瞳には、シオンが銃剣の刃先を向けて跳躍している姿が映っていた。
迫りくる死を目の当たりにし、教会魔術師の表情が恐怖に変わろうとした瞬間、その顔面に勢いよく銃剣が突き立てられた。
直後、一陣の風が平野を駆け抜ける。黒煙と土ぼこりの一切を払いのけた先には、教会魔術師の顔に銃剣を突き立てるシオンの姿があった。
シオンがゆっくりと立ち上がると、身に纏うローブは先の爆発の影響で上半身がぼろぼろになっていた。彼はそれを、煩わしそうに自ら剝いでいく。
そして、その背中から覗いた地肌――そこには、絵画のような美麗な印章が刻まれていた。
騎士の剣を模した巨大な印章、それに貫かれるように描かれた黒い悪魔――“騎士の聖痕”と“悪魔の烙印”を同時に宿す者、それが意味するところは――
「く、黒騎士……!?」
「間違いない、黒騎士だ! 黒騎士がいるぞ!」
ガリア軍の兵士たちが、戦慄の声を上げた。
シオンはそれに応えるようにして、彼らの方へと振り返る。
「あと、六十二人か」
破り捨てたローブの一部を使って後ろ髪を一本に束ねたあと、シオンは再び目にも止まらぬ速さで駆け出した。
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