最低の英雄①

 リンフーとて、【求真門きゅうしんもん】の幹部をあっさり倒せるとは思っていない。


 相手は見るからに戦い慣れしている感じだ。武法士として目が肥えていなくともわかる。


 何より、殺人や傷害に対する忌避を全く感じない。それどころか、楽しんですらいる。


 それらを分かっていたつもりであったが、いざ戦ってみると、その嫌らしさを身に染みて感じることとなった。


「ほら! 蓮の地下茎だぁ!」


 ルォシンは言うなり、手に持っていた釘を投擲。何の変哲もない三本の釘は、ルォシンの術力を受け取って高速で回転し、流星のごとく突き進んだ。もがり笛のような音が三つ重なる。


 リンフーはそれらの射程外へと飛び退く。一瞬後に、リンフーのいた位置にあった岩石に小さな孔が三つ穿たれた。……それが自分の頭であったらと思うと、背筋に寒いものが走るのを禁じ得なかった。


 再び死の釘矢が四本撃ち放たれた。見えない速度で空気を裂いて直進し、リンフーの逃げた位置へ先回りし、なおかつそこから逃げられないような角度と時間差をもって迫った。


 リンフーは両腕に【こう】をかけ、顔面と体の中心を優先して守った。案の定、それら急所を狙ったものであった釘矢は、リンフーの両腕に直撃。術力の鎧をまとった腕の表面できりもみ回転で押し進み、掘り進めないと分かったとたん諦めたかのように釘はポロリと下へ落ちた。


「痛っ……!」


 だが、釘の一本が脇腹をかすめた。服に切れ目が入り、そこから覗く素肌の切り傷からかすかに血が流れ出た。


 ルォシンは物分かりの悪い子供を見るような目でリンフーを見た。


「馬鹿だなぁ。体の中心が急所とちゃんと教わったんだろうけど、別にわざわざそこに当てなくても効くんだよ、僕の釘はさ。——そらよもう一丁!」


 もう一度、五本の釘を投げつけてくる。当たりどころが悪ければ命に関わる釘の弾丸から、飛び退いて逃れる。


 受け身をとって立ち上がった瞬間、目と鼻の先に拳大の鉄球が迫った。


 「知覚」できていたのでそれを【游雲踪ゆううんそう】でなんとか回避。しかしその鉄球は後方の巨岩に当たった瞬間、まるで豆腐のごとく粉々に爆砕させた。ちっぽけな鉄球が頑強そうな岩を粉砕する様子は、術力の存在を裏付けていた。


「そら、余所見してると死んじゃうよぉ!? 首チョンパぁ!!」 


 しかし惚けている時間はなかった。愉悦に満ちたルォシンの声が響くとともに新たな武器が飛来してきた。外周部が刃になった薄い鉄の輪。戦輪せんりんという武器だ。


 釘に比べれば遅い。リンフーはまたも【游雲踪】で回避に成功するも、避けるために移動した位置に、ルォシンは先回りする形で釘を投擲していた。マズイ、当たる!


「こんちく、しょうっ!!」


 一か八か、リンフーは全身を捻りながら正拳をはなった。捻り始めの瞬間から全身にまとわりついた術力の渦は、直後にやってきた釘矢が触れた瞬間にそれらをバチッと弾いて防いだ。……出来た。【纏渦てんか】による防御。【鋼】よりもこっちの方がはるかに使いやすく、効率もいい。


 わずかながら驚きを見せるルォシン。


 今だ。リンフーはそんな心の間隙を突くようにして一気にルォシンへ詰め寄る。


「ぶっ飛べっ!!」


 【頂陽針ちょうようしん】。陸を滑る船のごとく水平に飛び込みながらの、渾身の正拳。


 強大な術力を宿した右拳がルォシンへぶつかる直前、ぐにぃっ、と、張り詰めた糸を押したような弾力を拳に感じた。


「っ!?」


 さらにその次の一瞬、突き出した右拳の指を横断するように、線状の傷跡が生まれた。拳が前へ進むほど、内側へ食い込む感じが強くなるため、リンフーは慌てて術力を途絶させて腕ごと身を引いた。


 血が滴る右手。目の前を見る。左右に開かれたルォシンの両掌の間には、自分の血を吸った極細の線が浮かんでいた。……糸だ。目に見えないくらい細い糸。


 なおも驚きは終わらない。ルォシンが投げるような動きを見せるや、リンフーの上半身に、その糸がしゅるりと巻きつく。


 こんな糸くらい、と思いそうになったが、拳に傷をつけたという純然たる事実を思い出し、慌てて上半身に【鋼】をかけた。


 糸が肌に食い込む。術力が分散していて防御が薄いとはいえ、【鋼】のおかげで肉の奥深くへ糸が食い込まずに済んではいる。が、いつまでもこのままというわけにはいかない。


「全身を【鋼】にしたら動けなくなるんだよ。それに術力だって体術、すなわち動作の産物だ。動作である以上、続ければいつか疲労も出る。いつまでも【鋼】はかけ続けられないよ。そのうちバテて解ける。その時が君の最期だよ」


 ルォシンは冷笑を浮かべながら糸を引き、さらに締め付けを強める。術力の鎧を糸がきりきりと締め付ける。さらに食い込み、肌の上に血の線がぷっくり浮かび上がってきた。


(どうする? このままじゃ動けずに死ぬ! どうやって脱出したらいいっ!?)


 リンフーは死を隣に置きながら必死に思考を巡らせ続け、やがてルォシンの手に注目した。


 この糸の締め付けは、ルォシンが・・・・・引っ張る・・・・からこそ・・・・成立している・・・・・・


 それならば——


 リンフーは即座に覚悟を決め【鋼】を解除する。


「くぅっ!」


 術力の鎧が消えた途端、糸は容赦無くリンフーの体に食らいつき、斬り刻まんとしてくる。糸が骨まで達するのに二秒とかかるまい。


 それよりも早く、リンフーは足裏で地を思い切り蹴った。その勢いを利用し、大きく前へ出て、それによって……糸の締め付け・・・・・・る力が弱まった・・・・・・・


 リンフーが近づいたことで、ルォシンの引いている糸に「緩み」が生まれたのだ。今なら巻きついた糸も解ける。リンフーは宙で身を揺らし、さらにその緩みを強めた。


 それから着地し、ルォシンが再び糸を引くよりも速く【纏渦】を発動した。足底から末端までを強力な渦状の術力がまとわり付き、厄介な糸は引き千切られて無数の糸くずと化した。


 だがルォシンには、無数ある武器の一つが減った程度。まだまだ余裕は崩れなかった。


「やるねぇ、経験は足りないけど、機転は利くと見た」


「黙れ! 覚悟しろっ!」


 リンフーは聞く耳を持たず、いけ好かない優男へと急速に迫る。


「なら、これはどうかな?」


 言うと、ルォシンはまたも外套から何か取り出した。——布袋。

 

 それを閉じていた紐を解くと、開いた袋をなぎ払うように振る。袋が描いた軌道をなぞるようにして出てきたものは……黒い粉。


 外界へ解き放たれ、その粉は煙のように宙を漂う。


 だが不意に、風も吹いて・・・・・いないのに・・・・・その黒い粉塵に「流れ」が生まれた。


 その「流れ」は黒い粉塵を次第に収束させていき、やがて帯状に寄り集まる。その黒い帯はルォシンの周囲を廻り、巡り続ける。まるで渦のように。……間違いなく、術力によって操っている。その様子は、リンフーの使う【纏渦】を想起させた。


 それは何だ、と問う前に、ルォシンが真っ直ぐ向かってきた。取るのは拳法の構え。ここにきて近接戦か?


 黒い帯に包まれた拳が迫る。リンフーはそれを回避。リンフーの代わりにその拳を受けた背後の岩は、拳の軌道に沿ってごっそりと削り取られた。


「なんだそりゃっ!?」


「驚いたかい!? これ全部砂鉄・・だよ! 僕の術力で操っているんだ! 一粒一粒が高速で巡ってるから、触ったら人の体なんて簡単に挽き肉だよ!」


 砂鉄の衣をまとったルォシンが次々と拳脚を繰り出す。


 リンフーは決死の思いで攻撃から逃れ続ける。そうしながら、付け入る方法を必死で考える。


 無闇に手を突っ込んだらその腕が細かくすり下ろされかねない。


 けれど、まるっきり無敵というわけではない。


 ルォシンはあの砂鉄の渦をまとっている間、それ以外の技・・・・・・が一切使えない・・・・・・・はずなのだ。


 「術力は一度に一種類しか出せない」——それが武法の原則。


 だからこそ、術力を使った高速移動といったことが今はできない。


 ならば、今の自分がすべきことは一つ。ルォシンから何度も距離を離すことだ。それを追いかけさせることで、体力を消耗させる。あるいはあの砂鉄の衣以外の技を使うように精神的に誘導する。


「こんのっ!」


 リンフーは距離をとってから、手頃な岩を手に取り、ルォシンに投げつける。しかしその岩は砂鉄の衣に触れた途端、粉微塵に破砕した。


「無駄だってば! 大人しく挽肉になりなよ! 僕がその肉を上手に調理して、お前の師匠に食わせてやるからさぁ!!」


 ルォシンは天へ右腕を伸ばす。すると全身を巡っていた帯のような砂鉄がどんどんその右腕へと移動していく。やがて右掌の上に、人の胴体ほどの大きさを誇る黒い球体が生成された。いや、厳密には球体ではなく、球という限られた空間の中で高速回転する、球状の竜巻・・・・・のようなモノだ。


 その黒い球体から、突発的に帯のような砂鉄が伸びた。瞬時に伸び、先細りし、リンフーへ襲い掛かった。


「うわっ!?」


 【游雲踪】による回避が間に合い、砂鉄の触手は残像の左腕を切り落とす。もし回避が遅れていたら、本物の左腕が転がり落ちていたであろうことは容易に想像がつく。


 幾度も伸び、突き進んでくる砂鉄の触手。リンフーはそれらの動きをよく見ながら、【游雲踪】で回避していく。


 今のところ、一回もまともに攻撃をくらっていない。


(けど、避けてばっかりじゃ勝てないぞ! どうするっ……!?)


 何かあの砂鉄を封じる方法はないのか。


 何度も避けているうちに、リンフーの脳裏に、電撃的にある事実が浮かびあがった。


 別に大した、革新的なことでもなんでもない。


 武法の修行を始めてから今までずっと触れてきた、当たり前の事実……いわば「常識」だった。


 リンフーは大きく距離を取った。


「おや? また逃げるのかい? つまらないなぁ」


 その後を追いかけてくるかのように、ルォシンの砂鉄の触手が迫った。【游雲踪】で紙一重で逃れる。


 距離を離しても、砂鉄は追いかけてくる。


 けれど、その攻撃の頻度は、先ほど近距離にいた時よりはるかに減っていた。


 リンフーは自分の中の予想が確信に変わるのを感じた。——あの砂鉄の触手の最大射程は、砂鉄の総量・・・・・に比例する・・・・・と。


 離れれば離れるほど、攻撃の回数は減り、動きも単調になる。距離を伸ばすために大量の砂鉄を費やすからだ。


 ルォシンはそれを察し、ニヤリと笑みを浮かべる。


「なるほど、考えたねぇ。けどさぁ、それだと何も状況は変わらないよ? 防戦一方になっただけ。負けることはないけど、勝ちもない。そして攻めない奴はいずれ疲れるか壊れるかして負ける。ははっ、所詮は小細工ってわけだ!」


 鋭く尖った砂鉄の触手が、何度も宙を往復する。リンフーはその無数の刺突を、ときに【游雲踪】で、ときに転がったりしてやり過ごし続ける。


 やがて、リンフーの視線は、ある岩に目がいく。リンフーの腰の高さほどの岩だ。


 触手を避けながら、真っ直ぐに岩へと向かう。たどり着くと、素早くその岩めがけて【頂陽針】を叩き込んだ。


 破砕。無数の破片と化した岩が、ルォシンめがけて飛ぶ。


 だが、ルォシンが砂鉄の触手を鞭のごとく何度か宙に走らせると、瓦礫はあっという間に無害な粉末と化した。パラパラと舞う粉末を、鷹揚に両腕を広げて涼しげな笑顔で浴びる。


「甘いね。学習しなかったのかな? 遠くからモノを投げてもこんな風に粉々にモゴォ——!?」


 涼風のようなルォシンの弁舌は、その口の中に叩き込まれた「硬い物体」によって強引に打ち切られた。予期せぬ衝撃によって、歯が数本折れて宙を舞い、口元が血塗れになる。——規則正しい呼吸を忘れたことで、術力が解け・・・・・、砂鉄の触手が形を崩して地面に落ちた。


 「硬い物体」とは——先ほどルォシンが投げつけた鉄球だ。


 リンフーは回避しながらこっそり探して拾って懐に納め、【頂陽針】の術力で飛ばしたのだ。


 先ほどの瓦礫攻めはおとり。本命は鉄球をルォシンの口に叩き込んで、「呼吸」を邪魔することだった。


 ——術力とは、【基骨きこつ】でのみ使える「体術」によって生み出される、「精製された力」。


 「体術」とは、手足の動作などといった「見た目で分かる動き」だけではない。見た目では分からない体の内部の動き……「呼吸」なども含まれる。


 呼吸もまた筋肉によって行われている「体術」に他ならない。術力の生成には、呼吸も必要とする。リンフーも技を使う時、教わった呼吸を必ず使う。そうしなければ術力が生まれないからだ。


 つまり、ルォシンの技も術力を使っている以上、その術力を生み出すための呼吸を行なっていなければおかしいのだ。


 いずれにせよ、これで凶悪な砂鉄の刃はなくなった。


 すでにリンフーは弾かれたように駆け出し、ルォシンの間合いへ踏み入っていた。これがきっと最初で最後の勝機。術力を再び生み出される前にケリをつける。


 たがねを打つような踏み込みに合わせて、渾身の【頂陽針】を叩き込んだ。


「ぶはっ————!!?」


 吹っ飛んだ。


 巨人に引っ張られたような勢いで後方へ押し流され、痛々しい音とともに急停止。

 尖った岩石に背中から刺さったのだ。

 ルォシンが破壊した【血郭碑けっかくひ】の瓦礫である。村を守るために血を流した英霊たちが、慰霊碑をたわむれに壊されたことに怒りを感じて報復したかのようであった。


「っ……ぐぅっ、かはっ……!?」


 腹の真ん中から生えた瓦礫の尖端を、ルォシンは信じがたいと言わんばかりの眼差しで見下ろしていた。信じがたいのは、自分の死か、敗北か……


「や、やった……」


 そんな言葉とは裏腹に、その声は震えていた。


 ルォシンは明らかな致命傷。それをもたらしたのは、自分の拳。その事実を、リンフーは真正面から突きつけられた。


 四肢が震える。命のやり取りという極限の状況に置かれていた恐怖の名残りと、自分の技で命を奪ってしまったことへの罪悪感が、そうさせていた。


 これが、武法なのだ。武法の世界なのだ。


 武術である以上、その本質は殺敵にある。平和な殴り合いでは断じてない。


 自分が憧れる英傑たちの武勇伝も、膨大な数の亡骸の上に築き上げられたものである。


 リンフーはそれを今、知識ではなく実体験として思い知らされた。


 殺してしまった。だけど、もしかすると、この逆の立場に自分がなっていたのかもしれないのだ。


 そうならなかったのは、ひとえに、シンフォが厳しく鍛えてくれたからだ。生きていて欲しいがゆえの厳しさだったのだ。


 彼女の教えには、誰よりも弟子を思いやる心があったのだ。


 そのことに、今、本当の意味で気づかされた。


 ——そんな人が、気まぐれで「破門」なんて言い出すはずがないんだ。

 

 下方では、今なお黒服の集団とユァンフイ達が戦いを繰り広げていた。彼らは「自分のやるべきことをやれ」と背中を押してくれたのだ。


 彼らに答えるべく、リンフーはよろよろと最愛の師の元へと歩み寄った。


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