過去からの強襲
血のような夕日を、西の地平線が今にも飲み込もうとしていた。
武の都を護る【
その頂上の下に広がる緩やかな傾斜は、夕日に照らされて朱くなっていた。そのところどころに、大小さまざまな岩が不規則に埋まっている。かつて武装した村人達は、この山岳地帯の地形を上手く利用して敵軍を撃退していたという。今でもその辺を掘ってみると、当時の戦で使われていた錆びた
頂上には、男女が一組いた。
石碑にもたれて座る黒い女と、それを冷ややかに見下ろして微笑を浮かべる白い青年。
「僕はさぁ、頭の中でお前のことをずいぶんいろんな方法で殺してきたんだよ。何回殺したと思う?」
ルォシンは片手で短刀をクルクル回して弄びながら、うつむいて女座りをするシンフォへなぶるように問うた。色彩的にはシンフォの方が黒いが、雰囲気のドス黒さではルォシンの方がずっと濃厚であると誰もが口をそろえて言うことだろう。
シンフォは消え入りそうな声で「……分からない」と答えた。
「そうだねぇ、僕も分からないよ。だって分からなくなるくらい殺したもの。でも、そんな虚しい妄想のおかげで、僕はあらゆる殺し方を考えられたんだ。おかげで今じゃ【
指先に乗った短刀が、風もないのにひとりでに回転する。体内で生み出した術力で回っているようだ。
「お前にたった一人の肉親である父……世間では【
そう。この白い男は、昔シンフォが決闘で殺害した名武法士【一打震遥】の息子だった。
ここへ来る道中で聞かされた事実だった。それを聞いた瞬間、シンフォは過去の因果が一斉に自分を殺そうとしているのだと感じた。
「【求真門】はそれはもう快適な環境だったよ。食うに困らない、攫った人間を使って好きなだけ技の実験ができる。さらに【求真門】で武法を学び、それを独自に発展させて、自分だけの新しい武法を創ったんだ。こんな感じの、ね」
高速旋回させた短刀が急にピタリと動きを止めたかと思うと、剣尖を先んじて一直線に飛ぶ。銀閃を鋭く描き、シンフォの耳元を横切って石碑に突き刺さった。さらにその刺さった位置から石碑全体に亀裂が走り、その目に沿って崩壊。烈士たちの奮闘の証は、無惨な瓦礫の山と化した。
「これだけじゃないよ。まだまだたくさんの「殺し方」があるんだ。お前を殺す
「……【
「その呼び方嫌いだなぁ。ちゃんと【
——【求真門】には、その中でのみ伝えられている武法が存在する。
かなり特異な武法である。ただ単純な術力を手足に込めて発するだけの【
しかし、その単純な【発】の術力を個人の創意工夫で自由に改良し、独自の戦闘様式を構築できる。それこそが【空霊拳】……他の武法士達が【求真邪法】という蔑称で呼んでいる、【求真門】独自の武法。
この武法は、【求真門】の前身となった武法流派が伝承していたものであった。しかし「型を学んで技を得る」という武法の正道を破ったその流派は「邪道」の烙印を押され、「武法にあらず」と蔑まれた。……【求真門】などという邪悪な集団に堕落したのは、そういった迫害の歴史に根があるのかもしれない。
「僕は【求真門】としての任務にいそしむかたわら、このバカ広い大陸でお前を探し回った。この上なく残酷な殺し方をしてやるためにね。けど、何年経ってもお前を見つけることは出来なかった。病で死んだのかもしれない、僕以外の奴に殺されたのかもしれない、あるいは自殺したのかもしれない……そう考えるたびに、僕は自分のやっていることに虚しさを覚えていた。いつしかお前探しにも惰性が混じるようになって、そろそろ諦め時かと思い始めた矢先に——今回の
ルォシンはシンフォの前でしゃがみ込み、髪の毛を引っ張って強引に視線を合わせた。ルォシンの黒い瞳と、シンフォの虚な瞳が向かい合う。
「我々【求真門】の悲願は、【
ルォシンの黒い眼の奥底では、凝縮されて今にも弾けそうな
「これからお前に教えてあげるよ……僕の苦しみを、僕の怒りを、僕の憎悪を! お前の心も体も同じくらいボロボロにして、ゆっくりあの世に送ってやる」
何年も蓄積されたであろう負の感情に、シンフォは恐怖を抱かなかった。
恐怖というのは、生への執着からくるものだ。
今のシンフォに、それはなかった。
きっとこれが、自分の運命だったのだ。自己満足のために何人も殺してきた報いを、とうとう受ける日が来たのだ……そう思っていたからである。
抵抗する気はなかった。むしろ自分の手ではなく、加害者の家族から「仇討ち」という形で命を奪われることは、長年死にたがっていたシンフォにとっては救済であった。
自分は今日、ここで死ぬのだ……死ねるのだ。
しかし、次のルォシンの発言を耳にした瞬間、死にかけていた感情が一気に蘇った。
「まずは心から、だ。——もうすぐ、お前の可愛い弟子が、お前を助けるためにここまで来るはずだ。知っているぞぉ? お前はあの弟子を目に入れても痛くないほどに可愛がっていたよなぁ!? その大事な弟子を! お前の目の前で! ズタズタに引き裂いてやるよ!!」
シンフォの顔に強い生気が戻った。キッとルォシンを睨む。
「あの子には手を出すなっ!! 私の事はいかようにもすればいい! でも、あの子に、リンフーに手を出したら、私はお前を許——ぐぅっ!?」
傷口を思い切り踏まれ、焼かれるような激痛。
ルォシンは今までの余裕を引っ込め、烈火のごとく怒りだした。
「吐かすなよ雌豚がぁ!! お前がそれを吐かせる立場かぁ!? 僕の父さんを殺したお前がぁっ!! お前風情がっ!! それを吐かすのかぁぁぁぁぁぁっ!!!」
何度も、何度も、何度も、執拗に踏みつける。
悪いモノに取り憑かれているかのように。
「お前はただ殺すだけじゃ足りないんだよ!! 愛も!! 絆も!! 誇りも!! 貞操も!! 尊厳も!! 希望も!! 何もかも奪い!! 壊しつくし!! 抜け殻みたいになった姿を酒の肴にしてじっくり楽しんだ後に、実験で存分にいたぶってから、全身を何等分にも切り刻んでゆっくりと殺してやる!! 生きたまま少しずつ切り刻む!! 切り取った部分は鼠に食わせて、死ぬまでその光景を見せてやるよ!! あはは、あは、あははははははははひゃぁ————————はははははは!!」
けたけた、けたけたと、気が触れたような高笑を響かせる。
……狂っている。
この狂人を生み出してしまったのは、自分だ。
自分が父を殺してしまったから、こうまで歪んでしまったのだ。それが【求真門】という狂った組織に入ってさらに助長された。
元はといえば、自分のせいだった。
ならば、やはりこういう目にあうのは因果応報というものだろう。
身から出た錆だ。それは甘んじて受け入れる。
だが……リンフーが傷つくのだけは耐えがたい。
来ないでくれ。頼む。もう私達は師弟でもなんでもない赤の他人だ。君が来る義理はない。君は私のことなど早々に忘れ、優しい大人に育ってくれ。
シンフォはもう自分の無事は諦め、ただそれだけを願っていた。
だが、その願いは叶わなかった。
「————シンフォさんっ!!」
聞こえてしまったのだ。
この世で一番好きな声が。
だが、一番聞きたくない声が。
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