秘めたる慕情
空の青と夕日の茜色が、半々になっていた。
その黄昏に人影が一つ。中央広場の椅子に座って、足をぶらぶらさせていた。
「……シンフォさん」
リンフーはそんな自分の影をぼんやり見下ろしていた。
何か考えようにも、頭がうまく働かない。
シンフォに投げつけられた酒瓶の割れる音ばかりが、思い起こされる。
膝に置いた手が、なんとも形容しがたい感情に動かされてギュッと拳を作った。
破門された。
シンフォに追い出された。
もう二度と、あの陽気な大酒飲みの師匠に教わることはできないのだ。
自分は、知らぬ間に彼女に迷惑をかけていたのだろうか。
そんな風には見えなかった。
いや、自分が鈍いだけで、ずっと目障りだったのかもしれない。
けど、なんでこんな時に破門なんて言い渡す?
やはりフイミンに……昔戦った相手に出会ったことによることが大きいのだろうか。
明らかに、今まで見たどのシンフォとも違う感じがした。余裕がなさそうだった。
余裕がないから、酒に頼って無理やり元気を出すしかなかったのか。それによって悪い酔い方をし、自分に荒々しく当たったのかもしれない。
そんな、「破門」という言葉を本気で信じたくないがゆえに生み出された妄想が、頭に浮かぶ。
だが、本当のことは彼女のみぞ知る。
「……ボク、シンフォさんのこと、意外と全然知らないのかもな」
もう少し知る努力をしていたら、今回みたいなことにならなかったのだろうか。
だが、今や後の祭りだ。
「これから、どうするかな」
追い出された今、帰る家はない。金ももっていない。
だが、そんなことは些末なことだ。
シンフォの、あの陽気な笑顔を失ったことが、リンフーの中で最大の損失だった。
自分は確かに、大酒飲みをたしなめてはいた。だが同時に、いつも赤い顔で陽気に笑う彼女が好きだった。
もう、あの笑顔を見る事はできないのだ。あの手この手で自分をからかってくれる彼女には、もう二度と会えない。
それを考えた瞬間、視界が歪んだ。
涙が目に浮かび、それが涙滴となって頬を伝い、顎からはらはらと落ちる。
「なん、だよ……これっ。ちくしょうっ、止まれよ、ばかっ……」
ぬぐってもぬぐっても止まらない。
泣くなんて男らしくない。泣いている事実を認めたくない。
だけど止まらない。止まってくれない。
その顔を周りに見られまいと、リンフーは椅子の上に足底を乗せ、膝を抱えて顔を隠した。時間も忘れて、その中を静かに濡らしつづけていた。
空の茜色の割合が、青に勝り始めた時だった。
「リンフー? どうしたの?」
聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
泣き顔を見せるのが恥ずかしく、目だけを声の主へ向け「……チウシン」と涙声で口にした。
チウシンは、リンフーが泣いているのだとすぐに分かった。けれど彼の自尊心を傷つけまいと、あえて泣いていることは指摘せず、
「何か……あった?」
「……何でもない」
「そんな風には見えないなぁ」
「何でもないったらない」
少し苛立った口調でそう返す。
チウシンはしばし考える仕草をしてから、ぽすん、とリンフーの隣に腰を下ろした。
「……なんだよ」
「わたしはあなたの隣にたまたま座った通行人その一です。あなたのことは知りません。あなたが何を言おうと、わたしにとっては独り言です。さぁ、好きな独り言をつぶやいちゃってください」
チウシンは大人ぶったような口調でそう言った。
何言ってんだこいつ、と思うと同時に、彼女の意図を悟る。
幾ばくかの逡巡の後、リンフーはこれまでの出来事を「独り言」という形で話した。
「そっかぁ、破門かぁー……リンフーさ、それがあの人の本音だと思ってる?」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だよ。わたし、あなた達師弟と知り合ってまだ日が浅いけど、あなた達がそう簡単に切れちゃうような仲には見えないなぁ」
「そんなの分かんないだろ。仲良しこよしな友達同士が、何かのキッカケで切れることだって珍しくないだろう」
「師弟ってそんな簡単なものじゃないんだよ? 師匠は弟子に伝承を授けて、弟子はその伝承を次に繋げる役割と責任を担う、この関係は双方に強い信頼感がなきゃできないんだよ。だから、一番目をかけられている弟子は、必然的に師匠との結びつきが強くなるの。まして、あなた達は一つ屋根の下で暮らしながら教え教わってきた仲なんだよ? それだけ深い仲なんだから、たまには勢いに任せて「絶交だ!」とか言って喧嘩する時だってあると思うなぁ。まして、シンフォさんお酒に酔ってたんでしょ? だったらなおさら勢いで言った感じがあるじゃない」
「それは……そう、なのかな……」
「それとさ、リンフーってさ…………好きでしょ? シンフォさんのこと。師匠としてじゃなくて、女の人として」
「は、はぁっ!? い、いきなり何を……」
顔をさっと羞恥の朱に染めて、否定してやろうとチウシンへ振り返り、黙った。
見透かしたような真顔。
隠しようがないと思ったリンフーは、真っ赤な顔のまま素直に「……ん」と首肯した。
「やっぱりねぇー。なんとなく、そうなんじゃないかと思ってたんだ」
「うっさい。ニヤニヤすんな。そうだよっ、ボクはシンフォさんが好きだ、大好きだ。悪いかよっ?」
やけくそ気味にそう言うリンフー。
チウシンはふるふるとかぶりを振って、
「ううん、悪くない。……でも、だったら、なおさらこのままじゃダメだよ。もう一度、落ち着いてからきちんと話さないと」
「……でも」
「でもじゃないのっ。ほら、早く行ってきなよ」
何度も背中を叩かれ急かされる。
「いてっ、いててっ、お、おいこらっ、微妙に術力使ってないかっ……わ、わかった、分かったからっ。行く、行くってば。だからもう叩くなっての」
リンフーはたまらず立ち上がった。
チウシンはじっと睨み、
「本当に?」
「本当だよっ」
「んー……それじゃ、わたしもついて行っちゃおうかな」
「なんでだよっ?」
「リンフーが逃げちゃわないように見張るため」
「……もういいや、好きにしてくれ」
なんかもう、ぐいぐいくる。
けれど、他人に強引に促されでもしない限り、会いに行こうともしなかっただろうし、渡りに船とも思えた。
観念して、シンフォの家へと戻り始めた。
早く着いて欲しくない時ほど、早く時間が流れる。あっという間に、家の前。
ゴクリ、と喉を鳴らす。なんて言うべきか、まったく考えてなかった。
緊張する。
だが、家の戸口が
胸騒ぎがした。
重かった足取りが、すぐに駆け足となった。
家の中へ入る。
「シンフォさん! いるのか!? いたら返事してくれ!」
声高に呼びかけるが、返事がない。
意識を骨格に集中し、【
シンフォが家を開けるなんて、珍しいことではない。けど、何か嫌な予感がしてならない。
「? ……——っ!?」
ふと、卓上に赤い文字が書いてあるのを視界に確認する。その文を読み、リンフーの胸騒ぎが現実味を帯びた。
嫌な汗が全身から浮かび上がる。
数秒の硬直ののち、リンフーは撃ち放たれた矢の如く走り出し、再び家を出た。
「リンフーっ?」
チウシンは思わず呼びかけるが、すでに彼は家の外だった。
あまりに必死の形相だったので、チウシンもただならぬ気配を覚えた。
「……これって」
すぐに卓上に書かれた血文字を見つけ、リンフーと同じ驚愕を表情に表した。
『お前の師は預かった。
返して欲しくば、この【
追伸:この文字はお前の師の血で書いた。この意味が分かるな?
【
——【求真門】!
その単語を見た瞬間、チウシンの心の奥底で六年間くすぶっていた
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