武法

 リンフー達が住んでいるのは、森の中に建つ小さな一軒家だ。


 深緑の巨壁のような森の一部を円形にくり抜いたような庭の中、ポツンと座っている。


 四年前にシンフォとともに初めて訪れた時はまさしく廃屋状態で、ここに人など住めるのかと渋面を浮かべたものだ。格安の家賃で借りたのだから文句は言えないが。

 

 だが、荒れているなら直せばいい。師弟は力を合わせて建物の内装をきれいに掃除し、密林のごとく繁茂していた雑草も抜き尽くした。


 小屋が荒れ放題であることに目をつぶれば、結構良い場所だった。


 それなりに広い庭と、いろんな薬草が採れる森がある。おまけに、森の少し奥にはきれいな湧水もこんこんと湧いている。……夜、庭を猛獣が通過することもあるが。


 そんな円形の庭の中央で、少年と美女は向かい合って立っていた。


「では、これから「試験」を始める。半年間の君の上達ぶりを見せてもらうぞ」


「はいっ!」


 厳粛な響きを持つシンフォの言葉に、リンフーは威勢よくうなずいた。


 すでに両者とも寝衣から着替えていた。


 リンフーはその華奢な短躯に、愛用の稽古着を通していた。上下ともに朱色を基調とした身軽な装い。針仕事が得意なリンフーが自分で作ったもので、生地は安いがそれを補うほどの出来であると自画自賛している。これと同じ衣服があと何着か作ってある。


 シンフォはというと、その漆黒の髪と瞳と同じ、真っ黒な婦人服に身を包んでいた。


 長袖と長裙ロングスカートが一体となった作り。手首足首までをすっぽり覆ったその作りは一見慎みがあるように見えるが、その服が描き出す理想的曲線美と豊満な胸囲は、肌を晒さずとも色気を濃く見せつけていた。


 リンフーはシンフォよりも頭ひとつ分くらい背が低い。なので師の胸部で盛り上がる双丘がちょうど目の前に来てしまう。


 けれどそれを努めて見ないようにし、視線をひたすら師の美貌へ向ける習慣もまた身につけていた。


 シンフォは懐かしむような口調でしみじみ語った。


「早いものだね……私が君に武法を教え始めてもう四年か。あの温泉街で君の御母堂を説得し、君をお預かりして以来、一緒に住みながら君に技を教えてきた…………今だから言うが、武法が使えなくなっている今の私に、武法の伝承などできるのかどうか不安もあった。けれど、君は努力を惜しまず、その熱意でもって私の武法【天鼓拳てんこけん】を習得していった。私はひとまずホッとしているよ」


「シンフォさんの教え方がよかったからだよ」


 ——四年前。


 シンフォに弟子入りを志願した後、すぐにリンフーは母と妹のもとへと戻った。


 そのまま、シンフォに弟子入りすることを許して欲しいと訴えた。


 何度か反対された。けれど最終的に折れてくれた母は「やるからには半端は許さないよ。天下に名だたる達人になって、堂々とうちに帰ってきなさい。その覚悟はあるかい?」と問いかけてきた。


 リンフーは力強くうなずいた。


 それからすぐにシンフォと街を出た。


 以来、この黒い美女と一つ屋根の下で暮らしながら、武法の修行に全力で打ち込んでいた。


 確かにシンフォは武法が使えなかった。


 けれど【殲招鍼せんしょうしん】によって抜け落ちたのは、あくまで体の記憶である。心の中の記憶としては、技の内容をしっかりと覚えていた。


 その記憶の中にある武法を、徹底的に叩き込んでくれた。


 シンフォの教え方は上手だった。


 どういう意識をもって動けば威力が出るのか、どうすれば敵に上手く攻撃を当てられるのか……彼女は口伝、絵、図などを巧みに織り交ぜて、分かりやすく教えてくれた。


 おかげで、リンフーは武法を習得できた。


 シンフォは口元を綻ばせた。


「ありがとう。けれど、ただ身につけるだけでは心許ない。中途半端に身につけた技ほど危ういものはない。それなりの練度をつけるまでの間、私は君に実戦を許可しない。……まあ、耳にタコかもしれないが、一応言っておく」


 そう、それこそが今回の「試験」の目的だった。


 技を習得するだけでなく、それをさらに深く練り上げることをシンフォは要求した。


 その方が安全に勝ちやすく、なおかつ生き残りやすいからだ。


 そのための練度を確かめるのが——この半年に一回の「試験」というわけだ。


 毎年の「陽の六月六月」と「陰の六月一二月」にて行われるこの「試験」に、リンフーは一度も合格したことがない。


 今度こそ受かってみせる。そう思いながら、今日この「陽の六月六月」を待ったのだ。


 リンフーはニッと微笑み、力強くうなずいてみせた。


「よし。では始めるぞ」


 シンフォも微笑を返すと、表情を引き締め、口調も真剣なものに変えた。


「君ももう知っていると思うが——武法というのは、人間にとって理想的な形の骨格【基骨きこつ】を作り出すことで、人体の潜在能力を解放し、その肉体で高度な武技を使って戦う武術だ」


 すでにリンフーの中で常識となっていることを、師は改めて口にした。


 ——生物の体の動きは、骨格の形によって決められている。


 いかに筋肉を鍛えようとも、骨格という人体の「芯」に沿わない動きはできない。つまり肉体の全ての動きの法則は、骨の形が決めている。


 虎や猫は、後脚の力を滞りなく背骨に伝え、それをさらに背骨のうねりで発条バネのごとく弾けさせることのできる骨格構造をしている。あの驚異的な速度と跳躍力は、そんな骨格的な「前提」があるからこそ実現可能なのである。


 人間にも、人間本来の力を解放できる「理想的な骨格」が存在する。


 それこそが【基骨】。


 人間は生まれたばかりの頃の骨格は【基骨】に整っている。けれど、あらゆる知恵をつけ、あらゆる習慣を身につけていく過程でどんどん骨格が歪んでいき、やがては肉体本来の能力の一割ほどしか発揮できない状態になってしまう。


 武法の修行では、まずその【基骨】になるよう骨格の配置を整えることから始めなければならない。


 武法を木で例えるならば、【基骨】は根にあたる。根が駄目ならば、その木が育つことはあり得ない。


「「高度な武技」というのは、「高度な力」が用いられた技、という意味だ。……では、その「高度な力」とは何か? それは【基骨】になった肉体でしか生み出せない力——【術力じゅつりき】に他ならない。この【術力】こそが、武法の戦闘術としての根幹である」


 【基骨】になった時、人体に秘められていた潜在能力が解放され、今までできなかったようなあらゆる体の動かし方……すなわち体術ができるようになる。


 そんな「自由度の高い肉体」によってのみ行える体術。


 それによって生み出される「高度な力」。


 それが【術力】である。


 【術力】を生み出す体術は、一つや二つではない。それこそ無限に近いほどの体術があり、流派によって術力生成の方法が異なる。


 術力は単なる「力」の枠組みに収まらない。その技によって、様々な効力を発揮する。


 人間の手で岩石の衝突に匹敵する力を打ち出したり、触った相手を痺れて動けなくしたり、体の表面を傷付けず内部だけ破壊したり……妖術の類としか思えないような能力を、人の身で用いることができる。


「ではまず初めに、【こう】だ。やってみなさい」


「はい」


 リンフーは返事をしてから、深呼吸して気持ちを落ち着ける。……「試験」だからって、自分をすごく見せようとするな。今の自分のありのままを表現するんだ。そうした方が技の精度も高いっていうのは半年前の失敗で学習済みだろう。


 教わった通りに呼吸を行い、教わった通りに筋骨を動かし、教わった通りの意念イメージを強く思い浮かべる——肉体を効率良く使って生まれた術力の全てを、右手に集中させた。


 すると、右手首から先が、分厚い鋼鉄の衣に包まれたような感覚がやってきた。だが同時に、右手が石に埋まったみたいに全く動かせなくなる。


 今のその右手ならば、刃も矛先も損傷なく受け止めることができるだろう。


 【鋼】。


 肉体の一部に術力をまとわせて鋼のように硬化させ、外部の衝撃から身を守る。


 どの流派であっても必ず学ぶ、武法の基本技術の一つである。


 これさえあれば素手でも刀や剣に立ち向かえるが、硬化している部位は【鋼】をかけている限り少しも動かせなくなってしまう。心強い技だが、使う時はこの欠点デメリットと向き合わなければならない。


 シンフォは近寄ると、硬化したリンフーの右手を触ったり、撫でたり、小突いたり、叩いたりする。どれだけの練度にまで仕上がっているのかを確かめているのだ。


 しばらくすると、


「【鋼】を解け。次は【ちょう】だ」


 顔色ひとつ変えぬまま、次の基本技術の発動を命じてきた。


 「試験」の時、シンフォは合否を出すまで顔色を一切変えない。表情で結果の先読みをさせないためだ。


 もし途中で不満げな表情を浮かべたら「不合格」という答えを予想し、その後の「試験」をおざなりにやってしまうからだ。


 それでは修行の成果を確認するための「試験」の意味がない。


 リンフーは瞑目。肉体の芯である【基骨】に意識を集中させる。


 【基骨】は優れた衝撃吸収能力を持っている。


 そのため、外界から伝わってくる微弱な波を受け取ることができる。


 その【基骨】に意識を集中させることで、伝搬してくる波の情報をもとに、目を使わずに世界を知覚する。


 骨で世界・・・・を観る・・・——それが二つ目の基本技術【聴】だ。


 外部からの振動や波。それらの大きさ、強さ、位置などの情報から、今自分が立っているのが森に円く空いた自宅の庭だということを知覚する。


 自分の他にもう一人、つまりシンフォが立っている。


 ……波で覆われた周囲一帯の世界が、輪郭と姿を持った風景として脳裏で補正されていく。


 シンフォが、おもむろに手を持ち上げ、指を二本、いや、三本立てた。


「今、私は何本の指を立てた?」


「三本……あ、いや違う、今また二本に戻った。あ、今度は五本全部」


 リンフーは己の成長を実感していた。去年までは、指という細かい部位の動きをうまく感知できなかったのだ。


 一人で何度も【聴】の練習をしていた甲斐があった。


 しばらく指の本数を当てるやり取りを続けると、「やめ」というシンフォの声が聞こえた。閉じていた目を開く。


「では最後に、【かた】を見せてもらおう」


 シンフォはそう命じた。


 リンフーは「はい!」と返事をした。


 この四年間で、シンフォから教わった【型】は一つしかない。


 自分の学ぶ流派名と同じ名を持つ型にして、その流派唯一の型。


 名を【天鼓拳てんこけん】。


 リンフーはシンフォから距離をとる。呼吸を整え、心身を整えてから、その唯一の型を演じ始めた。


 それは、言葉で言い表すなら——雷雲と稲妻を肉体で表現したような、そんな緩急と柔剛が相まった拳法であった。


 風で流れる雲のように緩く、柔らかく立ち位置を移動する足さばき。


 そんな穏やかな流れの随所に、突然稲妻が光るような鋭い打撃が含まれている。


 華奢で小柄なリンフーの体から次々と発せられる強大な術力。その一撃一撃が、巨木を大きく揺るがしかねないほどの重さを内包していた。


 【天鼓拳】の「天鼓」とは、天で鳴るつづみ……すなわち「雷鳴」を意味する。


 地を這う有象無象がどれだけ騒ぎ立てようとも、雷鳴はそのあまねく音を一撃で塗りつぶす。


 それと同じように、あらゆる敵を一撃のもとに打倒することを目的とした武法である。


 しばらくして、その【天鼓拳】の型を全て演じ終えた。


 呼吸を整え、心身を正してから、改めてシンフォの方を見る。 


 リンフーの心臓はバクバク鳴っていた。型による疲労ではなく、緊張のため。


 シンフォは病的な大酒飲みの駄目人間だが、武法に関しては一切の妥協を許さないほど厳格であった。妥協はそのまま弱点に繋がり、命を奪われる死角となるからだ。

 

 ゆえにリンフーは、四年間も合格を勝ち取れなかった。


 さて、今年はどうであろうか。


 師のみずみずしい唇が動くのをひたすら待つ。


 一秒を一分と錯覚しそうになるほど、時間の流れが遅く感じられた。


 シンフォの口がゆっくりと開き、声を発した。




「——合格だ」




 厳粛な「師」としての顔は、まるで春の訪れをようやく迎えたつぼみのように綻び、やがて柔らかな笑みが浮かんだ。


 一瞬、思考が止まる。


 だが再び動き出した頭で師の言葉の意味を受け入れると、リンフーは徐々に破顔していき、やがて満面の笑みとなった。


「ぃよっしゃあああぁぁぁぁぁっ!」


 はしたないと思いつつも我慢できず、両拳を握りしめて歓喜した。


 長かった。ここまで来るのにどれくらいかかったことだろう。それがようやく報われた。

 

「シンフォさん、これでっ!」


「おうとも。約束通り——君の実戦を許可しよう。君はもうそれなりに練度は積んだ。あとは訓練を怠らずに実戦経験を積めばいい。そうすれば、君はさらに成長するだろう」


「よしっ! じゃあ早速誰か武法士探してこよう!」


「待つんだ」


 庭を飛び出そうとしたリンフーの襟首を掴むシンフォ。


 ぐえっ、とカエルみたいな呻きを漏らすリンフー。


「山賊じゃないんだぞ? そんな誰彼構わず襲おうとするんじゃない」


「けほっ、けほっ……なら、どうすれば」


 咳き込むリンフー。


 対してシンフォはふっふっふっ、というわざとらしい笑声を漏らしてから、


「君が実戦経験を積むのに、おあつらえ向きの場所がある。そこへ引っ越そう」


「それは?」


「ふふふ、君も一度は聞いたことのある、有名な都市さ。——【槍海商都そうかいしょうと】」


「っ!」


 リンフーは目を見開き、喉をごくりと鳴らした。


 シンフォはニヤリと口角を吊り上げ、


「知っているだろう? この煌国有数の交易都市で、大陸中の食い物や雑貨はもちろんのこと、異国の物品も出回っている馬鹿でかい街だ。だが【槍海商都】にはもう一つの顔がある。それは——都市人口の約七割が武法士である「武の都」という顔だ。さまざまな武法流派が乱立しており、武法士同士の試合が起こる頻度も他の街の比ではない。どうだ? 武法修行にこれほど適した環境はあるまい?」


 是非を聞くだけ野暮だった。リンフーの頭の中ではすでに、武法士達が街のあちこちで試合を繰り広げている光景が作り出されていた。


 さらにその中で自分が勝ち抜き、誰もが称賛を送る豪傑になる光景も。

 

「行きましょう! 是非! 今すぐ! さぁ!」


「まあまあ、慌てるんじゃない。行くにしても、まずは準備が色々と必要だ。ここを出ていく前に家主の爺さんに一言言わねばなるまいしな」


 シンフォは苦笑混じりにそう言うと、咳払いをし、話題の矛先をキラキラした表情で変えた。


「よし、今日の試験はこれまで! これから合格祝いに、酒でもパァッとやろうじゃないか!」


「いや、シンフォさんはいつも酒をパァッとやってるだろ。そのせいで、ボクの寝台まで酒臭くなってるんだけど」


 じとっとした視線を送ってそう突っ込むリンフー。


 「試験」の時は慇懃だった態度と口調が、すっかり普段通りに戻っていた。


 武法の稽古の時だけは、リンフーはシンフォに「師」として接している。


 それが武法を学ぶ者としての最低限の礼儀だと思うからだ。


「……なぁ、シンフォさん。やっぱりシンフォさんの事、「師匠」って呼んじゃダメなのか?」


 思わずそう尋ねていた。


 リンフーを弟子として迎える際、シンフォは一つのお願いをしてきた。


 それは、「自分を師匠と呼ばないこと」だった。


 今この時を含め、過去にその理由を尋ねたことが何度かあった。


 そのたびに、


「私は、師を名乗れるような人間ではない」


 シンフォは、負い目と虚しさに押し潰されそうな表情でそう言うのだ。


「私はかつて、決して許されない、決して償いきれない大いなる罪を犯した。かつてこの身に宿っていた武法を、私は下らない自己満足のために血で汚した。その事を、今なお私はたまに夢に見るんだ。そのたびに思う、私は人に道を説く資格がないロクデナシであると」


 そんなことない、と否定したくてもできなかった。


 だって自分は、シンフォの過去を何も知らないのだから。


 訊こうと思ったことは何度もあった。けれど過去に言及するたびにシンフォが浮かべる物憂げな表情が脳裏にチラつき、好奇心はそのたびに相殺された。


 それに、気になる一方で、聞くのが怖い自分もいた。


 もしそれを聞いてしまったら、シンフォのことを今までと同じ、愉快な大酒飲みとして見れなくなってしまうかもしれない。


 そう思うと、知らないままの方が幸せなのではと考えてしまうのだ。


「うわもふっ……」


 そんな風に思い悩んでいたリンフーを、シンフォはそっと抱き寄せた。


 四年前より少しは背が伸びたものの、いまだに頭の高さは彼女の大きな胸と同じ位置にあり、抱きしめられると否応なしにその双丘にふんわりと挟まれてしまう。


 信じられぬほど柔らかな感触、女と酒の匂いが混ざった蠱惑的な香ばしさ。


 恥ずかしさで急激に全身が熱せられるが、次に聞こえてきたシンフォの言葉に、その熱の高まりが止まる。


「……だが、そんな私でも、君という素晴らしい弟子を育てることができた。君は少し短気で直情的だが、その心根はどこまでも一途で、義気を忘れていない。そんな君が、私の血塗られた技を正しい事のために使おうとしている。これほど嬉しい事はない。君という存在に、私の血塗られた過去が償われている……そんな気がしてしまうほどだ」


「シンフォさん……」


「感謝している……私の弟子になってくれて、ありがとう」


 そう囁くと、抱きしめる力をいっそう強めた。リンフーの顔が柔らかな双丘のさらに奥へ埋没する。


 リンフーは恥ずかしさを上回るほどの安らぎを覚え、無言のままジッとしていた。


 しばらくそのままの状態が続き、


「ほらっ、いつまで人の乳に顔を埋めてるつもりだ? このむっつりめっ」


 やがて表情をことさらに明るくしたシンフォが、我が胸からリンフーの顔を引き離した。


「ふはっ……う、埋めたのはシンフォさんだろっ?」


「そう言って、しばらく顔埋めてたくせにぃ。ふふふ、興味ないフリして、本当は気持ち良かったんだろう? 私のおっぱいは」


「ち、違うっ! 気持ちよくなかった……訳じゃないけどっ! でも自発的に埋めたわけじゃ……!」


「ほら、気持ち良かったんじゃないか。ふふふ、すけべー。ほらほら、おっぱい飲むかぁー?」


「ううううっ……うーーーーっ! うーーーーっ!」


 豊満な膨らみを強調して意地悪な笑みで煽ってくる師に対し、リンフーは泣きそうな顔を真っ赤にしながら地団駄を踏む。


 あっという間にからかいからかわれの関係に戻ってしまった二人。


 けれど、楽しそうに笑みをこぼすシンフォの顔を見て、リンフーもすぐに口元を弧にした。


 ひとしきり笑うと、シンフォはリンフーの頭にポンと手を置いた。


「さあ、これで準備は整った。次は他門の武法士との手合わせや交流を通じ、実戦的な技術をさらに高める段階だ。【槍海商都】に移住し、それをやるんだ。だけど人間、一つの事だけに執着していては大成しないものだ。武法だけじゃなく、いろんな物や人、考え方に触れ、自分の中の世界をどんどん広げていくことだ。そして、いつかなってみせろ。……君が昔から憧れている、武法の英傑に」


「……はいっ! これからもよろしくお願いします、シンフォさん!」


 リンフーは満面の笑みで頷いた。




 ……英雄に憧れる少年の英雄譚は、今、この瞬間から始まった。

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