四年後

 ——そんな四年前の出会いの記憶を、汪璘虎ワン・リンフーは夢として見ていた。


 顔は小さく、なおかつ造作も少女のように端正。白い寝衣をまとう体つきは十四歳の男にしては肉付きに乏しく、華奢な短躯であった。


 一見すると少女にしか見えないその美少年は、すうすうと小さく息を立てながら眠り姫のごとく熟睡していた。


 けれど時間が経ち、日が昇り、窓から入った朝日に目元を射られたリンフーは、否応なしに覚醒させられた。


「んぅ……」


 重いまぶたを持ち上げる。


 この四年間ですっかり見慣れた天井が視界に入った。


 すすけた木の天井にはうっすらとカビが浮かんでおり、天井の四隅の一箇所では住人を失った蜘蛛の巣が残っていた。


 鼻につくのは、つんとする甘い香り……果実酒の匂い。


 上半身を起こして、四年間見慣れた寝室を見る。


 狭い正方形の部屋の中には、二つの寝台が少し距離を開いて設置してある。床の角には、大量の酒甕さかがめ金字塔ピラミッドのごとく積み上げられていた。酒甕はすべて空っぽであることをリンフーは知っている。


 リンフーは下戸げこである。


 この酒甕の山を形成したのは、もう一つの寝台でいびきをかいている同居人だった。


 絶世の美女という言葉は、まさしく彼女のためにあるのかもしれない。


 真珠のような肌、絹束のような長い黒髪、鋭めでいてどこか哀愁の色気を感じさせる美貌、寝巻きの輪郭が描き出す理想的な曲線美、豊満で張りのある胸。


 すでに共同生活を始めてすでに四年。


 そんな今でも、彼女の美貌はジッと見ているとそのまま見惚れてしまいそうになる。


「くかー……くかー…………んにゅぅ」


 しかしどれだけ美人でも、その長い美脚をおおっ広げて掛け物を蹴飛ばし、とても上品とはいえない酒臭い寝息を立てていては台無しである。


「んぐぅ、五十杯目ぇ……かんぱぁい……」


「飲み過ぎだろ」


 夢の中でも酒をかっくらっているのだろう。無茶苦茶な杯数を寝言で口走った我が師に、リンフーは思わず突っ込みを入れる。けれど酒精のきつい雪国の酒ですら水のように飲み干してのける彼女の肝臓ならば、不可能ではないかもしれなかった。


「ていうかほら、起きてくれよ惺火シンフォさん」


 リンフーは呼びかけながらその美女——黎惺火リー・シンフォの肩をさする。


 しかし、よほど深い眠りについているのか、まったく起きる気配がなかった。


 毎度のことながら、手が掛かる師匠であった。


 「にゅー」と唸りながら、シンフォが寝返りを打った。


 その際、彼女の特徴の一つともいえる豊かで形の良い双丘が寝衣からこぼれ落ちる。


 その尖端部があらわになるよりも早く、リンフーは高速で顔をそらした。


「あーもー! 早く起きろったらっ!」


 照れで冷静さを失い、いささか乱暴にシンフォを揺すった。


 何度か唸った後、シンフォはようやく体を起こした。


 焦点の合わない寝ぼけ眼で寝室を見回し、リンフーを見つけると、へにゃり、と笑った。


「おはよう、りんふー。いい朝だねぇ……」


「……おはよう。早速なんだけど、その……胸元を隠してくれないか」


 シンフォは赤く染まった顔を横へそらしている愛弟子の言葉に従い、我が胸元へ視線を移す。


 「あぁ」と納得した声を出すと、おおっ広げられた胸元を閉じてから「もういいぞ」と告げた。


 リンフーが向き直ると、シンフォはその美貌にいたずら小僧のような笑みを浮かべていた。


 ……いけない。これは自分をからかう時の顔だ。


「見たか?」


「み、見てないっ」


「本当かなぁー? 顔が真っ赤だが、なぜ真っ赤なんだぁ? 赤くなったということは、赤くなるような「何か」を見たということになるんだがなぁ? さて、何を見たからそんなに赤くなっているのやら」


「……た、確かに少しは見たけど、全部は見てないからっ」


「おやおやぁ? 見ていないのではなかったのかなぁ? ふふふふ、このむっつりめ」


「いや、違っ……違わないけどっ、見てないというのは「全体像を見てない」ということであってっ」


「ふふ、恥じるな恥じるな。君ももう十四、成人まであと一年だ。そろそろ女体への関心が生まれていてもおかしくはあるまい。ましてこんな美女が相手なんだ、大なり小なりそういう感情を抱くだろう。ふふふふ……女の子のように可愛らしい顔して、君もだんだん雄になってきているんだなぁ。感慨深いような、寂しいような……」


「んぐぐぐぐ…………うーーーーっ! うーーーーっ!」


 反論を許さぬからかいの連続に、リンフーはとうとう真っ赤になって地団駄を踏みだした。言い返せなくなると決まって見せる反応。負けの証だった。


 シンフォはというと、弟子をからかうのはもうおしまい、とばかりに表情を引き締めた。


 冗談好きで陽気なお姉さんの顔はなりを潜め、「師」としての顔を見せた。


 リンフーもまた拗ねた表情を元に戻し、「弟子」の表情となった。


「君が私を叩き起こした理由は分かっているよ、リンフー。今日は半年に一度の「試験」の日だからね」


「はい」


「着替えなさい。それから庭に出て、これまでの「成果」を見せてもらおうか」

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