2-16 王女の敗北


「ずっと考えていたことがあるんです。王女アンメルシアに、どうしたら今以上の絶望と苦痛を味合わせることが出来るだろうか、と」


 デーモンの体躯から崩れ落ち、再び首だけとなった王女に魔術封じの首輪を繋げながら、私はこれまでの経緯を語る。

 私は大切な人々を殺された。

 私は大切な仲間を殺された。

 だから、私の身体よりも大切なものを傷つけられた痛みを、彼女の心にも擦り込まなければと考えた。


 けれど彼女には、自分の命に代えても守りたい相手がいない。


「アンメルシア。あなたは私と違って、他のエルフを仲間とは思っていません。あなたの前で虫を何匹潰しても、実際にヴァネシアを殺しても、あなたは何一つ痛みを覚えなかった。そんなあなたにどう復讐するか、ずっと、ずーっと考えました」


 魔力切れで息の荒いアンメルシアの額を小突き、その頭に染みこませるように私は告げる。


「あなたを追い詰み、本気にさせる。私はそれを、観客席からのんびり楽しむ。……かつてのあなたや、狩人ペルシアがやったように、ね」


 狩人ペルシアがへらへらと語っていたのを思い出す。

 本当の絶望とは、ただ絶望が続くことじゃない。

 掴んだはずの希望が滑り落ちていく瞬間こそ、心は折れるのだから。


 王女の喉がひきつり、その赤い瞳が薄暗い悪意に染まっていく。


「……では……あなたは最初から全て企んで。わたくしの魔術封じを解いたのも」

「もちろん、あなたに反撃させるためですよ?」

「魔術殺しを、残したのも」

「あんな危ないもの私が見逃すはずないじゃないですか、もう。お茶目さんなんですからっ」

「わたくしに本気を出せと、声をかけたのも! デーモンを動かしたことすら予想してたと!?」

「……アンメルシア。私はあなたが憎いですけれど、あなたの天才的な魔術だけは認めています。あなたならきっと、私の想像もしない不可能を覆してくれる、そう信じていましたから」

「っ、あああっ!」


 アンメルシアは泥に塗れながら、悔しそうに涙をこぼす。

 それは王女が見せた、初めての屈辱の涙だった。


 そう。

 私はずっと、醜い豚のように歪んだ顔が見たかったのだーー


「っ……殺す、殺す! 殺してやる、殺してやる!」

「ええ、そうでしょう、私を殺しても足りない程に憎いでしょう? でもね、アンメルシア。私はその恨みを、百年ずっと抱えていたんですよ」


 罪もない子供を晒され、私は無駄だと知りながら許しを請う。その前で子供の首を吊される。

 仲間を助けてと願う前で、容赦なく凌辱され切り刻まれる。

 その度に、エルフ等を殺したい、殺したいと願いながら、私は何も出来なかった。


 その時の恨みを、私はあなたに返したい。

 恋に心を焦がす乙女のように、憎悪のすべてをあなたの顔面に叩きつけたい。


「王女アンメルシア。あなたは今、私を殺したくて仕方がないことでしょう。私の声に苛立ち、私の身体を見るだけで憎み、私のにおいを嗅ぐだけで吐き気を催すでしょう。……けれど、今日の出来事は、まだ一回。たった一回目の始まりにしか過ぎません」


 王女の首を持ち上げ、その眼にしっかりと焼き付けるよう目を合わせる。


 自慢の耳をぐいと引っ張り、身体に刻んで二度と忘れないように。

 例え百年が過ぎ、王女の心が死んでも、そのトラウマを忘れさせないために。


「よく聞いて下さい、アンメルシア。私はこれから時折、あなたに隙を与えます。それは私が仕組んだものかもしれないし、本当に私のミスかもしれません。上手くやれば、私の首を取れるでしょう。……けれど、あなたはずっと怯えることになるでしょうね? 私に与えられた希望が、本物か、偽物か。あなたには判別がつかない」

「っ、ううっ……!」

「ですから遠慮なく、何度でも本気を出してくださいね? その度に私はあなたの心を抉り、泣いて許しを請いても許さず、その全てをすり潰してあげますから!」

「あ、ああっ……畜生っ……畜生っ……このわたくしが、こんな……っ!」


 アンメルシアが鼻息荒く、涙と鼻水で顔をぐずぐずにしながら私を睨む。

 悔しげな顔が実に心地良い。

 その様に満足しながら王女を放り、くるりと背を向けた。


「そしてもちろん、あなたの失敗には相応の結果がついてきます。今から私が、エミリーナの蘇生を始めるように」

「っ!?」

「あなたは私に敗れ続け、私は仲間を助けて幸せになる。その様を、そこで見ていてください。ね?」


 そして私は王女を放り、魔法陣の前へと立つ。


「聖女レティア! お前だけは、お前だけは必ずーー」


 喉をかき切るような悲鳴が、心地良く迷宮に響いていった。



「……では私も、本番といきましょう」


 怒れる王女を背に、私は意識を集中した。

 復讐は一旦脇に置き、あふれる魔力リソースを放つ魔法陣の前に立つ。


 蘇生魔術において、自分より強い者を蘇生させる。

 それも三十年前となれば、膨大な魔力を集めてもなお難しい。

 私は蘇生術の力を得てから初めて、格上の相手に相対するのだ。


「大丈夫。私なら、きっと出来ます。準備はきちんと整えましたから」


 頭の足りない私なりに魔力をかき集め、場所を選んだ。

 不安はいくらでもあるけれど、私は絶対に成し遂げてみせる。


 王女への復讐、そして仲間達の復活という、勇者様との約束を守るために。

 もう一度、エミリーナに会うために。


「……よし」


 手を翳し、瞼を閉じて、今ばかりは元の<聖女>らしく空へと祈る。

 さあ始めましょう。本来の蘇生術を。


「生命を司りし母なる大地よ、失われし魂に二度の輝きを。非業の死により彼方に散りし命運に、その光をもって救いたまえ!」


 両手を掲げ、私は蘇生術を会得してから初めてとなる詠唱を口ずさむ。

 詠唱は魔術行使におけるイメージを固定化し、かつ魔力の繋ぎを速やかに行うための補助技術だ。

 魔力という濁流を操り、正確に一点へと流し込むための道しるべを編みながら、私はエミリーナとの懐かしい記憶を紡いでいく。


 彼女の魂を求め、空へと優しく手招きする。

 どうか、どうか、私の元へ。エミリーナ。




 そうして静かに祈る、私の元へと返ってきたのはーー

 祈りと希望を叩きつぶす、あまりにも深い魔力重圧だった。



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