2-15 王女アンメルシアは本気を出す2
憎い。
憎い。
聖女が憎い。
この女だけは百度殺してもなお憎悪が収まることはなく、その存在を根絶してもなお憎い。
その恨みを怒りに変え、アンメルシアは巨大なデーモンの力で殴りかかる。
「殺す、殺す、お前だけは絶対に殺して塵にしてやる、聖女レティアああああああっ!」
歪な肉体に体重を乗せ、聖女の頬を抉るほどに叩きつぶす。
殴り、殴り、敵の骨を砕き、およそ王女らしくない戦い方をしながらも――アンメルシアの思考は、怒りの片隅で状況を分析していた。
まずは両手を潰す。
聖女レティアは蘇生魔術を行うとき、必ず、ちいさく指先を動かす癖がある。
回復魔術の所作も同じだけれど、つまり両手が使えなければ蘇生魔術は使えない。
蘇生魔術が使えなければ、アンメルシアが強引に操る死したデーモンのコントロール権を取り戻せない。
「あなたの生意気なその手を、ぐちゃぐちゃにして叩きつぶす! それから顔、そして首! あなたの全てを叩き潰し、醜い豚のように潰されて死ねえええええっ!」
「っ、ぐっ……! な、なかなか頑張りますね、王女様? うんうん」
「黙れえええええっ!」
粗暴としかいえない暴力を振り下ろし、聖女の指をずたずたに引き裂いては顔を殴り、その白い横顔を鮮血に染めていく。
けれど、聖女は余裕でせせら笑う。
不死だから。
腕を潰され肺を潰され、たとえ本当に百度殺されようとも、その魔力が自動的に聖女レティアを蘇生させる。
骨を砕き血管をすり潰し、脳と心臓を貫こうとも、彼女は決して死にはしない。
「っ、ふっ……ふふっ。アンメルシア。最初はびっくりしましたけど、足りませんよ? これくらいの痛みなら、百年の間にいくらでも受けてきました! もっと本気を出してくれないと、涼風も良いところです」
「っ、殺す、殺す殺す殺す!」
「私が憎いでしょう? 殺したいでしょう? けれど私は絶対に死にません。今のあなた程度の恨みでは、私と勇者様、そして殺された人々の、百年の恨みには遠く及びませんから!」
「黙れ聖女、お前はここで灰になれええええっ!」
苛烈な肉体攻撃を加えながら、アンメルシアはさらに火炎を放ち聖女の顔を焼く。
それでも彼女は、時間が巻き戻るように再生する。
伝説に聞く不死鳥のように、炎の中から蘇る。
聖女は些細なことだと、けらけら笑う。
「ずいぶん余裕がないようですね、アンメルシア。そろそろ限界なんじゃないですか? まがい物の蘇生術」
「っ!?」
「デーモンの死体を操って見せたのは、本当に感心します。でも、そんな無茶な状態が五分と続くはずはない。ですよね?」
聖女レティアの指摘通り、アンメルシアの魔術はまがい物だ。
本来なら成立すること自体がおかしい魔術の代償は全身に及んでいた。
デーモンの翼は既に動かず、足はふらつき、拳に力を込めるだけでも王女の魔力はガリガリと削がれていく。その激痛が、王女の魂を削っていく。
憎悪も殺意もある。
聖女を殺したいという、滾る欲望もある。
ただ、彼女への刃が絶望的なまでに足りない。
蘇生魔術がある限り、絶対に死なないという生命の差が、どうしても、覆せない。
「くそ、くそ、くそっ! 死になさい聖女、頼むから死ねえぇっ……!」
「ほら、頑張って頑張って? もっと殴ってくださいよ。そんな調子ではまるで届きません。あなたの魔力は途切れ、私はエミリーナを蘇らせて世界中のエルフを根絶する。そこにはきっと、あなたの望まない美しい世界があるのでしょうね!」
「ああ、あああああっ! 死んで、死んでよおおおおっ!」
悔しさのあまり、アンメルシアはその顔に涙すら浮かべて殴る。
けれど彼女の力には限界があり、魔力は潰え、聖女には適わない――
というのは、嘘。
エルフは、嘘つきだから。
「が、ふっ。……え?」
余裕を浮かべていたはずの聖女の顔が、驚愕に歪んだ。
始めてダメージを受けたとばかりに目を見開き、ゆっくりと、その視線を自らの右肩へと動かしていく。
不死の蘇生術を貫き、彼女を傷つけたもの。
デーモンの武器に仕込まれていた短剣、魔術殺し。
「い、いつの間に!?」
「油断しましたわね、聖女レティア……!」
デーモンの残した魔術殺しの存在に、アンメルシアは早くから気付いていた。
王女はその刃を密かに握り込みながら、機会をうかがっていた。
いかにも余裕がなく、相手が有利であるかのように見せながら。
弱者を装い、決して気付かれないように。
「っ、しまっ」
聖女の反撃より先に、魔術殺しを心臓へと切り込んでいく。
聖女の魔力が乱れ、蘇生が、崩れる。
「余裕を見せた方が負ける。そのことは一度、あなたに負けた時に学んだのです」
王女アンメルシアが王都で蘇りし聖女と対面したとき、どこかで彼女を侮っていた。
自分の魔術に勝てる相手はいない、と。
その結果あっさり顔を燃やされ、断頭台に晒され身体を失った。
あの時の雪辱を込めて、聖女を潰す。
舌なめずりをしながらいひひと笑い、絶望するその顔へと拳を叩きつける。
「あぐっ! ま、待ちなさい、アンメルシア! 私の蘇生が、と、届かなっ……」
「愚かな聖女! ああ、なんて愚かな聖女! その報いを存分に受けるといいですわ!」
蘇生は途切れた。もう腕を潰す必要はない。
その肉を引きちぎり、生意気な目をえぐり、頬を力任せにぶち抜き玩具のように壊していく。
ああ、口は最後にしてやろう。悲鳴は最後まで聞きたいから。
片目を失った聖女がげぼりと血を吐き、救いを求めて手を伸ばすその手を掴んで引きちぎる。
「やめっ、い、痛い、っ、ぎゃああああっ! たす、助けてっ」
「いひひ! あははははっ! そうよ、その顔よ! わたくしはあなたの歪んだ、その顔が見たかったわ! わたくしに本気を出せと挑発する生意気な顔を、無様なカエルのように歪ませる瞬間を!」
「いぎ、ひいいいっ! ち、違っ……こんな、こんなのっ……!」
情けない悲鳴が迷宮に轟くたびに、堪えようのない快楽が走り抜けた。
アンメルシアの魔力は既に底をつき、身体は崩れつつあってもなお、気力と恨みだけで暴力を叩きつける。
最高だった。
人類を殺し尽くした時よりも、聖女の首を晒して焼いた時よりもなお楽しい、心の底から溢れる薄暗い喜びだ。
ああ、楽しい。
なんて楽しいのだろう。
自分をあざ笑った者に対する復讐が、こんなにも心滾るものだったとは。
だから殺そう。
もっと殺そう。
確実にこの女の息の根を止め、その首を世界中に晒してあざ笑ってやるのだと、聖女を潰す。
「いひ、はは、あはははははっ! 聖女レティア、今だけはあなたの気持ちが分かります。自分を徹底的に辱めた相手に対する、底知れない復讐と快楽! ええ、あなたは最後に素敵なものを教えてくれました!」
げたげた笑いながらも容赦はしない。
快楽に酔いしれながらも聖女の細い首に手をかけ、呼吸を塞ぐ。
「あが、がっ……私にはまだ、やる、こと、が……」
「そうでしょう、そうでしょう! でも、もう遅いのです。わたくしを侮ったことを後悔しながら地獄へ落ちるがいい! そして二度と、この世に戻れないことを悔いながら、死ね!」
ごぼごぼと泡を吹く聖女の身体を地面に縫い止めながら、アンメルシアは最後の力を込めた。
その顔が土気色になるのを確かめながら、心臓に爪を立てて魔術殺しを手に掴み――
聖女の首を、確かに刎ねた。
血を吹き出しながら、宙に飛ぶ聖女の頭。
その髪をデーモンの腕で掴み、勝利の証とばかりに掲げた王女は愉悦を抑えきれず、勝利の雄叫びを上げた。
「……ふふ。あははははっ! だから言ったのです、最後はわたくしが勝つのだと! 本気を出せば、あなたなど、あなたなど!」
狂ったように喝采をあげながら首を掲げ、王女はぐっと天を仰いだ。
涙を抑えきれなかった。
祝福と愉悦を込めた、本物の涙だ。
「ああ、我等が女神グラスディアナよ、わたくしは成し遂げました! さあ聖女、その無様な死に顔をわたくしに晒しなさい。そして、その首をもう一度、エルフの民達の元にさらしてーー」
王女はそうしてひとしきり笑い、千切れた聖女の首を自らの元へと運んで。
顔を強ばらせた。
「………………何ですの、これは。……これはっ」
自らの手で首を刈り取ったはずの、聖女レティア。
その顔が、なぜかーー
「これは一体、誰なんですの!?」
名前も知らない、不細工な銀髪のエルフの少年に変わっていた。
「……知りたいですか、アンメルシア?」
「っ!?」
柔かな声は、背後からゆるりと聞こえた。
「それは、道化のオデット。変身を得意とするエルフです」
魔力切れにより、王女の強引に結んだ魔術がほどけ、デーモンの死体が崩れ落ちる。
王女は再び首だけとなり、床に叩きつけられながら、目線だけで声の主を睨み付けた。
そこには平然と佇む、聖女レティアのいつもの微笑み。
「楽しかったでしょう、アンメルシア?」
「……まさか……聖女……わたくしを最初から、謀って」
「すみません、声をかけるのが遅くなって。ただあんまりにも、あなたの一人芝居が面白くて」
これは失礼、と聖女レティアはのんびりと紅茶をすすりながら、余暇を楽しむ貴婦人のように優雅に笑い。
「それで、アンメルシア。本気を出したら……何でしたっけ? すみませんけれど、もう一度言ってもらえませんか?」
よく聞こえなかったので、と。
聖女はにんまりと、わざとらしく問いただした。
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