1-15 王都崩壊2


 光を失った転移鏡を前に声を荒げたのは、常勝将軍と名高きプルートだった。


「ど、どういうことだ、エックノアよ。転移鏡は使えないのか!? 魔道具の整備は、王宮魔術師の仕事であろう!?」

「王都は魔王が倒されて以降、整備を怠っていたのでしょうね。でも問題ないわ。鏡の魔力が消失しているだけだもの、私達で魔力を再挿入すれば問題無く使えるわよ?」

「なんと! ではエックノアよ、そして王宮の魔術師達よ、今すぐ鏡に魔力をそそぐのだっ。我はこの手の補助魔術は得意ではない。常に自己強化の魔力を鍛え、人間共をこの手で砕いてきたからな! ここはお前達に任せたぞ!」

「お任せ下さい、プルート様!」


 応じたのはダラスの隣にいた魔術師だ。

 まだ若く、常勝将軍プルートを尊敬する者達である。


「私達だって名高き王宮魔術師。魔力は凡庸なエルフの数倍はありますから!」

「何もしないまま、ここで死にたくはありません!」

「あのクソ聖女の思い通りなんかに、絶対させないんですから!」


 我々は助かるぞ。

 王都を脱出し、必ずや聖女を殺せ!

 地下道に響く仲間達の歓声に、大柄なプルートの瞳に涙が浮かんだ。


「そうか、お前達も協力してくれるか! くっ……皆の熱い心意気、しかと受け止めたぞ! ダラス、お前は良い仲間に恵まれたな!」

「はい。私は果報者にございます!」


 正直ダラスは他人を大切に思っていない。

 というか上司に取り入れれば、部下など使い捨ての道具も同然だ。

 が、プルート将軍が感極まっていたので、感涙の涙を零して同調してみせた。


「では今こそ、我らエルフの力を見せるのだ! エックノアよ、指揮を執れ!」

「ふふ。ここは若いダラスに任せるわ。彼はこう見えて、とても優秀なのだから。ね?」

「っ……はい!」


 突然話を振られて緊張する。

 が、ここで見せ場を作れば自分はより評価されるだろう。

 王女が囚われた今、エックノアとプルートは事実上の総指揮官。その片腕となれば、王国の地位No3とも言える。あの小煩く狂信的なヴァネシアも、今はいない。


 ダラスは全員に指示を出し、懐より青白い石を取り出した。


 ”魔道集石”と呼ばれるこの石は、エックノアと共に開発した魔力を吸収する魔道具だ。

 魔術師二十名程度なら、余裕をもって魔力を集めることが可能だろう。


 ダラスが石に触れて魔力回路を繋ぎ、彼に向かって全員が魔力を供給する。

 仲間達も宮仕えであり、一流の魔術師ばかり。

 期待に応えるように魔道集石は光を帯び、その石をエックノアが捧げると、転移鏡は途端に光を取り戻していく。


「よくやったぞ、ダラス! そして皆の者よ! 願いが叶ったのだ。我等の目指すべき新天地である!」


 高らかに吠える将軍の前で、鏡にぼんやりと転移先の景色が写る。

 鏡の向こうには荒れた山道と森が映っていた。


「ふむ。転移先はフロンティア地方か。かの地は冒険者達が今も探索を行う、野蛮なる未開の地。未だモンスター住まうとの噂も聞く。……だが、我が名は常勝将軍プルート! 自分とエックノアが先行し、安全を確保をする! これぞ王女を救う救国の第一歩である!」


 高らかに叫び、プルート将軍が悠然と鏡へと歩いて行く。

 転移の光が輝き、その巨体が湖面へと沈むように姿を消した。


 おお、とどよめく部下を背に、エックノアが「お先に失礼」と鏡の向こうへ沈んでいく。

 そして転移が完了した直後ーー


 ふっ、と鏡の光が消え、転移の力が失われた。


「な、なに? エックノア樣? これは……」

『あら残念。魔力切れみたいだわ。予想通りだけど、まあエルフ三十人程度じゃこれが限界よねぇ』


 鏡の奥からぼんやりと、エックノアの声がする。

 ダラスが慌てて手を伸ばすも、映像は届くが転移しない。


「エックノア様! プルート将軍! これはどういう、」


 慌てる前で、ダラスが見たのはーー




 鏡に、ぴしり、と鋭い亀裂が走る瞬間と。

 マントを翻しながら白刃を放つ、プルート将軍の姿だった。


 ……え?


 凍り付くダラスや魔術師達の前で、歪んだ将軍の映像が高らかに宣言する。


『我が同士ダラス、そして王宮の魔術師達よ。お前達にはまだ成すべきことがある! あの聖女を足止めすることだ!』

「し、将軍? な、なにを言って」

『この鏡は魔力を注げば転移の力が復活する。ならば、あの恨み深い聖女はこの鏡より、我々を追ってくる可能性がある。鏡を壊しても、なお修復するやもしれぬ。お前達はその追撃を少しでも防ぐのだ!』

「なっ……ふ、ふざけるなああっ!」


 誰かが怒る。怒声が響く。

 ダラスはあまりのことに思考が停止し、声が出ない。

 なぜ。どうして。

 自分はエックノア様に従い魔力を注いだのに、どうして鏡が割れている?


「プルート将軍! 常勝将軍ともあろうお方が我々を見捨て、尻尾を巻いて逃げると言うのか!」

『逃げるだと? 否! 断じて否! 我は必ずやあの聖女を討ち取り、王女を助け出してみせよう! だが、今は雌伏の時なのだっ。我々は苦難に耐えて力を磨き、来たるべき時に備えねばならぬ! そのためにも将軍たる我こそ生きねばならぬ! そう、我は常勝将軍プルート、最後には勝つ、必ず勝つのだからな!』

「ふざけるな、苦痛に耐えろと言うなら今すぐ助けに、」

『お前達の犠牲は忘れない、決して忘れないぞっ……ああ、涙が止まらぬ、お前達の偉大なる献身を乗り越え、我は必ずや未来へ進む……!』


 そしてプルート将軍は涙ながらにマントを翻し、ダラスの前から去って行く。

 ざりざりと転移鏡の映像がさらに揺れ、エックノアの姿が歪む。


 なぜ。

 どうして?


 ダラスはゆらりと手を伸ばした。

 救いを求めるかのように。


「エックノア様。……僕は、僕はあなたに忠誠を誓い、ずっと共にありました。なのに、なぜ」

『……ダラス。あなたの上司として、私は最後にあなたと本音で話してあげるわ』


 妖艶な美貌を持つ”魔女”エックノアはダラスを見下し、赤い舌をちろりを出して。


『私ね? 人が絶望する顔って、と~っても大好きなの』


 悪魔が極上の魂を口にしたように、愉悦と傲慢さの混じる瞳を浮かべてにやりと笑った。


『あなたは親に言われるがまま、妄信的に私を信じていた。それはもう可愛い子犬のようにね。……その顔をどうやって歪ませてやるか、あなたが懐いてくる度に想像していたわ。まあ、こんな形になるなんて思ってなかったけれど』

「な、何故……ぼ、僕が一体何をしたと? 自分はずっと、エックノア様に忠実にお仕えして!」

『自分が信じているから、相手もそうに違いない。愚かな思考停止だけど、そういう相手の絶望に歪んだ顔って本当に素敵よね? くふ。くふふっ。思えば聖女もそうだったわ。人懐っこいあの子はエルフ種を疑いもせず頑張って魔王を倒して、それから百年串刺しの刑。泣いて叫んで苦しんで、もう本当に楽しかったわ』


 エックノアはその美貌を歪め、からからと笑いながらダラスを指さした。


『覚えておきなさい、ダラス。他人を信じた者は、必ず足下を掬われる。世界はいつだって相手を騙すか、騙されるかよ。そして負けた者は常に敗北者として、勝者の玩具にされるのよ。ーーアンメルシアが断頭台で泣きながら捌かれるの、見てて楽しかったわぁ』

「なっ!? あ、あなたは、まさか……」


 王女の処刑を見ていたのか。

 全てを知りながら、自分が楽しむために無視したのか。


『ええ。そして今度はあの聖女が、逃げた私とプルートを思って、悔しい顔をするんでしょうねぇ? ……その顔が見れなくて残念だけど、私だって命は惜しいもの。この辺で失礼するわ』


 さようなら、魔術師ダラス。

 あなたは優秀な副官だったわよ。とても利用しやすい、という意味でね。

 魔術師エックノアはそう残して姿を消した。



 ダラスはわなわなと、身体を震わせて膝をつく。

 自分は、エックノア様に裏切られた?

 最初から利用するために、弄ばれていた?


 ……そんなはずはない、とダラスは頭を振る。

 自分は今まで彼女に尽くし、彼女はその期待に応えてくれた。それなのに、


「ダラス様! 急ぎ次の対策を! 我々は裏切られたのです!」

「……違う」

「なにが違うのですか!? あの二人が魔術師だけを集めていたのは、転移鏡の魔力を搾り取るためだけだった! 自分達だけが助かるために! 奴等は最初から、鏡の魔力不足を見越していたんだ!」

「違うっ! これは何かの間違いだ。エックノア様は必ずお戻りになられる。必ず、」


 ダラスの悲鳴は、後方から轟く絶叫に打ち消される。


 何かがぐちゃりと潰される音。腐ったような血の臭い。

 下水道内に悲鳴が響き渡り、そして、



「あらあら。こんな所でかくれんぼ、ですか? 私にも教えてくれれば良かったのに」




 ゆるやかとも思える女の声に、ダラスの魂が震えた。

 臓腑の底を突き上げるような恐怖とともに、かつん、かつん、と下水道に足音が響く。


「昔のエルフは森に住まう敬虔な種族と聞きましたけれど、最近はドブにも住むんですね。ひとつ勉強になりました。……まあ、肝心の相手を逃がすという、ずいぶん高い代償を払わされたようですけど」


 薄暗い通路から現れたのは、漆黒の法衣をまとった朗らかな女だ。

 一見すると童顔の、柔らかな、田舎のどこかに居そうな平凡な女性。


 その印象が間違いであることは、黒の法衣にこびりついた血の香り、そして半数の魔術師が下水に顔を沈められたことから容易に理解できる。


「せ、聖女……レティア……」

「お久しぶりですね。魔術師ダラス。エックノアの腰巾着として、よく覚えています。もちろん、あなたがエックノアと共に行った、私に対する実験と名前のついた数々の行いも。……その末路は、わかりますね?」


 聖女が口元に笑みを浮かべ、じゃらり、と金属音を鳴らしながら腕を伸ばす。

 ひいっ、と誰かの悲鳴が上がる。


 吊り下げられていたのは、首を切られたまま恨めしく聖女を睨む、皇女アンメルシアの顔だった。


「あなたの身体も、このようにしてあげます。では早速始めましょうか。私これでも忙しいので」


 虫が多すぎて、潰すのが大変で……。

 聖女はニコリと笑い、バトルメイスを振り上げた。


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