1-16 王都崩壊3


「最後はあなたですね、魔術師ダラス。ふふ、一歩も動かなかったのは賢明です」


 濃密な血の香りが漂う下水道には既に、魔術師ダラスと聖女以外に動く者は存在しなかった。


 聖女に襲いかかった者は撲殺された。

 仲間を見捨てて逃げようとした者も、撲殺された。


 ダラスが残ったのは、足が怯んで動けなかっだけ。

 その彼が下した判断は『絶対に逆らってはいけない』というものだった。


 戦えば殺される。

 逃げても殺される。


「さて。殺す前に聞きたいのですけれど、この壊れた鏡は何ですか? プルートとエックノアはどちらへ? 推測は出来ますが、一応聞いておこうと思いまして」

「……し、質問に答えたら、殺さないで、くれるか」

「答えたら手酷い方法で殺しますが、答えなかったら生きていることを後悔する方法で殺しますねー」


 ダラスは震えながら、転移鏡について説明する。

 遠方地に転移できること。行き先が、フロンティア地方であること。

 そしてプルートとエックノアに騙されたことを打ち明ける間に、ダラスの中に怒りと絶望がわいてきた。


 やはり自分はエックノアに捨てられたのだ。認めざるを得ない。

 仲間達が殺された現実を前に、死にたくないという気持ちがわいてきた。

 自分はこんなところで終わる男ではない。いずれ王国のNo.3になる男なのに、と。


「……た、頼む。助けてくれ。命だけは助けてくれ!」

「ダメです。絶対に殺します」

「話だけでも聞いてくれ! 僕は、奴等に利用されていたんだ! 使い捨ての道具に過ぎなかったんだ!」


 王宮魔術師としての仕官は親の命令であり逆らえなかった。

 研究者の道を歩んだのも、エルフとしては生まれつき病弱だから。

 魔術師エックノアに仕えたのも、断れば生きる術がなかったから。


 ふぅむ、と聖女は考えるそぶりを見せる。


「すべては上司の命であり、逆らったら命はなかった……と。私に生物実験と称して毒物を飲ませて喉を焼いたのも、生殖実験と称した思い出したくないアレもコレも命令だから仕方がなかった、と?」

「そ、そうなんだ。信じてくれ! そして必要なら、僕はあなたの配下に下る!」

「ふぅん?」

「僕はあなたのために役立つ技術も持っている! こ、これを見てください。”魔導集石”と呼ばれる、魔力を集めることのできる魔道具の最新作です! これであなた様の魔力を集めて、より効率的な配分や魔力保持が可能に……」

「先程から聞いていれば、なにを勝手なことを言っているのですか、この屑男!」


 賢明に語るダラスに激怒したのは、吊された王女アンメルシアだ。


「魔術師ダラス。あなたは自らエックノアに師事を申し込んだと聞き及びましたわよ! しかも、エルフの誇りを捨て、わたくしを見捨てるなど! 早くわたくしを、この悪魔から助けなさい!」

「僕を騙した奴の上司が口を開くな! 僕の上司はこのお方だ! ……と、とにかく僕は騙されたんだ。これからは聖女の、いや聖女様の言葉なら何でも聞く」

「あらまあ。本当になんでも聞いてくれますか?」

「はい! エルフを殺せと言われれば幾らでも殺します、あなた様が、僕の真の上司です!」


 アンメルシアがぎゃあぎゃあと叫ぶが、ダラスの耳には入らない。

 聖女はその返事にご満悦らしく、手持ちのバトルメイスを仕舞って、にこりと緩やかに頬を緩める。


「わかりました。では、魔術師ダラス。あなたの事情を組み取り、私の部下に任命しましょう。なんでも言うことを聞いてくれますね?」

「っ……あ、ありがとうございます!」


 ダラスは諸手を挙げて涙しながら、頭を下げる。

 自分は許された。助かったのだ。

 この死地から逃れることが出来たのだ!


「では、魔術師ダラス。さっそくですが私の命令を聞いて頂けます?」

「はい、なんなりと! そちらの生首王女を殺すことですか、それとも共に、エックノア達を追いますか!?」

「いいえ?」


 そして聖女は太陽のような笑顔のまま、最初で最後の指令を出した。


「自害なさい」

「……は?」

「聞こえませんでしたか? 自分で死ね、と命じたのです。なんでも言うことを聞くんですよね? 上司の命令には逆らえないんですよね? 今までの生涯そうだったんですよね?」

「………………」

「見てみたいなぁ、楽しみだなぁ、あなたの自殺するところ。さあさあ早く、はーやーくー。手段は切腹ですか? 元は異国の文化と聞きますが、あれ案外死ねなくて苦しいそうですね。もちろん私としては、あなたが苦しめば苦しむほどあなたの忠誠心を買います。ぜひ頑張ってください」


 聖女はその辺の死体を椅子代わりにしながら、子供のように手を叩いてはやし立てる。

 唇は笑みを作っているが、その瞳は笑っていない。


 ……よく観察して、気付く。

 聖女の瞳が子供のように輝きながらも、狂気と怨嗟に彩られて薄黒く濁っていることに。


 アレは、虫を見る目だ。

 最初から、この女は自分を助ける気などない。

 そもそも同じ生物としての価値すら認めていない。


「っ……あ、ああっ」

「どうしましたか? 私、約束を守らない方は嫌いなのですけれど」


 カチカチと奥歯が震え、急激な吐き気がせり上がる。でもダメだ。

 今、目を逸らしたり吐いたりしたら、自分は無残に殺されるだろう。


 死の恐怖に追い詰められながら、ダラスの思考は加速する。

 逃げるしか、ない。どうやって?

 一瞬でいい。

 聖女の気を逸らして下水道から脱出する。起死回生の僅かな可能性。


 どくどくと焦るダラスの視界に、倒れた魔術師達の姿が映る。


「残念です。自殺できないのであれば、私がお手伝いしてさし上げーー」

「っ……あ、あああああっ!」


 ダラスはナイフを取り、自らの腹部へと突き立てた。

 その切先は懐に収めた魔導集石へと突き刺さり、破壊された石が暴走する。


 ダラスの魔力と、倒れた者達の死体に残された残存魔力の吸収。

 そして、聖女の魔力そのものを吸収しーー自爆する。


「ーーっ!!!」


 爆風で聖女の目をくらませつつ、ダラスは吹っ飛ばされながら下水道を転がっていく。


 身体を犠牲にした、決死の一打だった。

 その証に彼の片腕は吹っ飛び、腹は裂かれて夥しい血を流している。それでも走る。


「嫌だ、嫌だ嫌だ、死にたくない!」


 この地獄を脱出すれば、新しい上司がダラスを迎えてくれるに違いない。

 彼の生涯は、常に誰かに導かれていた。自分を大切にしてくれる素晴らしいリーダー、或いは両親の元に戻り、彼は再び立派な研究者に戻るのだ。


 下水道を抜ける。光が見えた。

 ダラスにとっては救いの光だ。

 これで助かる。


 そう信じて、下水道へと続く蓋を開けた、その先にあったのは。




 業火に包まれ、朽ちゆく王都の姿だった。


「……そんな」


 あらゆる建物が炎上し、灰と黒煙が青空を塗りつぶすように立ち昇っている。

 道端に並ぶのは夥しい数の死体ばかり。炎に巻かれて性別すら区別できず、ある者は踏みつぶされて原型すら留めていない。

 その上でなお町を彷徨い歩くのは、生者を求める生きた死体だけだ。


 ダラスは理解する。もう、この町には誰もいない。

 自分が仕えるべき上司も、頼りになる両親も。

 自分を導いてくれる上司は、そもそも生きていないのだと。



 その肩を、とんとん、と優しく叩かれる。


「どちらに行くのです? 魔術師ダラス。この町にはもう、あなたが仕える上司は私しかいませんよ。あなたと私以外、まともに生きてる者はいませんから」

「あ、ああっ……」

「さあ、自殺の続きをしましょうか。最初の一回だけは手伝ってあげますからね」


 そしてダラスは聖女にあっさりと首を切り裂かれた。

 最後まで生きたいと望みながらダラスは死に、そして蘇り、彼は自らの意思に関わらずナイフを腹部へと突き立て抉るようにぐりぐりとかき混ぜていく。


「あ、ああ、あああっ……!」

「もちろん一回自殺したくらいで、終わると思わないでくださいね。あなたにはたっぷりと地獄を味わって貰います。……これ以上の地獄を、プルート将軍や魔女エックノアに必ず見せつけやるという、私の決意も込めながら」


 ダラスはその後、二日間かけてあらゆる自殺方法を試みる。

 自らの首を自らの腕で絞め、

 自らを殴って腕を折り、

 自ら喉を詰まらせ死に絶える。


 その様を聖女はのんびりと、ニコニコと飽きることなく眺めていた。



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